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No.9「夏の海で見た雪」

 夏、青春。海、水着。

 それは天邪鬼である天の好奇心からだった。


「へぇ、ウミっていうのがこの世界にはあるんだ!」


「天は海を知らないの?」


「うん、この番組で初めて知った。どんなところ?」


「世界の国々と繋がっていて、なんとその水はしょっぱいんだよ!」


「なんでしょっぱいの?!」


「神様の涙だからだよ〜!」


「世界と繋がってるほどの大きな水溜りって、神様泣きまくりじゃん! 誰に泣かされたの?!」


「悪い人達にだよ!」


 ティアが天との間にファンタジーな世界を展開させている。天はすっかり話に引き込まれていた。


「ティアは子供の扱いがうまいね」


「そうね。でもアルも上手いじゃない。信太は精神年齢が近いから、天と気が合いそうよね」


「どういう意味だよ。ていうか、相変わらずオレに対するあたり強くね?」


 アルと愛花と信太はソファでくつろいでいた。佐久兎と夜斗はというと自室で昼寝をしている。呑気なものだが、休息をとれる時にしっかりとらないと、次にいつ休みが来るのかも分からないのである。常に次の瞬間には戦闘が始まる可能性も考慮し、頭の片隅に入れておかなくてはならない。そんな緊張感と日常を同居させていた。


「地上じゃお目にかかれないお魚さんとかもいるんだよ!」


「生きてる魚見たことない! 天、海に行ってみたいっ!」


 ティアと天が夏の海よりもキラキラとした瞳で三人を見つめた。息抜きに遊ぶのも悪くないと、急遽明日の予定に組み込んだ。






 *






「海だー!」


 海を前にテンションマックスな天。それを微笑ましく思いながらも、バスから降りた六人が伸びをする。


「わあ〜ボク、海なんて数年ぶりに来たんだろ!」


「俺は初めてだ」


「今年は来れるとは思わなかったわ」


「私は数年ぶり!」


「僕は初めて……!」


「オレ、何気泳ぎ得意なんだぜ! 校内の水泳大会はいつも一位!」


「じゃあ泳ぎ方教えてよ、信太お兄ちゃん!」


「あ、私も! 実は金槌で泳ぎは全くダメなの。……あはははは」


 何でもそつなくこなしそうなティアの意外な一面だった。しっかり者の彼女に頼られる事がとても珍しく、同時に誇らしくも思った。天にお兄ちゃんと呼ばれ慕われるのも嬉しくて仕方が無い。信太のモチベーションは急上昇だ。


「おう、任せとけっ!」


「手取り足取り……後は何を取る?」


 アルが信太の耳元で囁く。馬鹿正直な信太は素直に言われた通りに想像し、鼻血を盛大に噴き出した。


「ば、ば、ば、馬鹿じゃねぇの……! そんな下衆みたいな事しねぇよオレは!」


 しかし妄想された対象である彼女は知る由もなく、砂浜に駆けて行った天を追いかけ早くも今日という日をエンジョイしていた。それを愛花も後から追う。


「勝手に走って行っちゃダメだよ〜、迷子になっちゃう」


「天もティアも待ちなさいよ……!」


 砂浜を走る姿はさながらドラマのワンシーンのようで画になる。砂に足を取られよろける姿も、なんだか青春を感じさせた。照れ笑いを浮かべるティアを見てアルは重大な事にきづいたのか声を上げた。


「そういえば……海といえば水着! ティアと愛花の下着姿と変わらぬ格好を本日拝めるなんて、なんて幸せな日なんだろう! ボク卒倒しちゃ〜うっ! 生きてて良かった!」


 言い終えたところで、夜斗にぶたれるアル。


「お前の人生は水着か」


「そんな興味なさそうにしちゃってぇ。夜斗も信太も佐久兎も本当はウキウキなんじゃないの?」


「お前と一緒にすんな」


「し、下着、下着姿……」


「信太大丈夫?!」


 信太が鼻血の出し過ぎで倒れかけ、それを佐久兎がキャッチした。貧血のせいですっかり顔面蒼白になってしまった信太を見て、夜斗は呆れたように肩をすくめる。


「こいつは何を想像したんだ……」


「まだ中学生の信太には早かったかな。信太もお年頃って事だね!」


「アル、信太が失血死しちゃうからその辺で終わりにしないと……」


「はっはっはっはっは! いやぁ、ウブいですなぁ右京隊は!」


 突然背後から現れる人影。サングラスにスーツを着た異様な集団がそこにはいた。


「おお、新じゃん。銀とバルに朱里に直樹も……お揃いでどうしたの? しかもそんな格好で」


「やあアル。任務帰りなんだ。向こうにあゆみもいるぞ!」


 サングラスを外し、遠くの水着美女を眺める新。爽やかな顔をした変態だった。清々しい変態は好感が持てなくもない。


「なんでお前らもいるんだよ」


「そんなにいつもいつも眉間にシワを寄せていると、目つきが悪くなってしまうよ? ……あぁ、君は元からだったね。俺とした事が失言したよ。すまない」


「埋めてやろうか……?」


「そんな物騒だと女の子に嫌われちゃうよ。俺を見習ったらどうだ」


 夜斗に睨まれるが、バルが涼しい顔で流し目をする。しかしその先にはティアがいた。新と変わらず紳士ぶったただの変態だ。


「どこ見てんだコラ」


「なんだ嫉妬か? 好きなら好きといえば良いじゃないか」


「そんなんじゃねぇよ……!」


 早速始まる夜斗とバルの喧嘩に、気温が上がった錯覚にとらわれ暑苦しさを感じる。二人は二人の世界に置いておき、その他は会話を進めた。


「やっと近くであった任務が終わったところでね。海に癒されようかなと思ってさ」


 新とアルの目が合い、両者の間に電光が走る。何かの意思が通じ合った合図に、嬉々とした声が見事に重なる。


「さあ皆脱げ! 余計な布は脱ぎされぇぇえッ!」


 アルは元からだが、新のテンションも相当おかしい。いつまでも暑い格好をしていたくなかった事もあり、素直に服を脱ぎ下に着ていた水着だけになる。


「なんなのよぉ……男子のテンションおかしいんじゃない?」


 朱里の言葉に、銀と直樹が一緒にするなと反発する。そして九人はティア、愛花、天のいる砂浜へと向かう。


「あ、実子隊の皆も来てたんだね! こんにちは!」


「うわ、暑っ苦しいのが増えたわね……」


「あ、この前のお兄ちゃん達だ!」


「やっほー、ティアちゃん、愛花ちゃん、それと天邪鬼君!」


「違うよ、天っていうんだ! ティアと夜斗に名前つけてもらったんだよ」


「へぇ、そっかそっか天君か。じゃあ天君の親は夜斗とティアだな!」


「えっ?」


「……は?」


 二人の顔つきは違えど、拍子抜けした表情はそっくりだ。


「名付け親だよ、名付け親! 優等生と不良の恋愛なんて、少女漫画じゃよくある話だろ?」


 名付け親という盲点に気づかされたが、どちらにも恋愛感情は一切なくお互いがお互いを気遣い否定する。


「青春ドラマじゃあるまいし」


「そうだ、何テキトーな事言ってんだよ」


 ティアの否定に傷ついた夜斗だが、傷つく理由が分からずに深く考えずに流した。


「テキトーな事を言ってはいけない。ティアがこんな野蛮な男と、仮にでも夫婦だなんて事があっちゃいけないよ」


「なんで俺は目の敵にされてんだ」


「ちょっとやめなさいよあんた達。子供の目の前で……」


「愛ちゃん違うよ、ツッコミどころはそこじゃないよ?!」


「ほら、ティアは夜斗を嫌がってるじゃないか!」


「なんでそうなるんだよ?! ティアに俺を嫌わせたいのかよ」


 無言ながらも高速で頷くバル。次第にその動作は大きくなり、ヘッドバンキングをしているかの如く一心不乱に髪を乱した。


「……何やってんだ? 腹黒白髪(しらが)


「失礼な人だね、白髪(しらが)じゃない。これは白髪(はくはつ)だ!」


「同じじゃねぇか! 腹は黒いのに頭は白いとかモノクロームかよ。一昔前の写真ですかー?」


「モノクロームだと……? 夜斗も万年反抗期野郎って言われてるの知ってるんだぞ?!」


「万年反抗期野郎じゃなくて万年不機嫌野郎だ!」


「ふん、口論ではきりがないね。こうなったら……」


 言い合いの最中バルが怪しく微笑み、それに呼応するかのように夜斗も冷めた目で微笑んだ。


制御装置発(リミッターオ)()……!」


「はい、そこまでー!」


 そして二人共ほぼ同時に変身しようとするが、それはアルと新の声と行動によって妨げられる。アルが夜斗の、新がバルのみぞおちに深く拳を入れたのだ。二人は体勢を崩し、悶え苦しみながら砂浜を転げ回った。


「馬鹿なのか、あいつら……」


 直樹が冷たい視線を送る。


「そんな事言ったってさぁ直樹。あの後ティアの事を可愛……」


「わあぁあぁあああっ! 別に愛花さんの事もそう思ってたし?!」


「誤魔化せてないじゃん、むしろ自爆してるしぃ。どっちが馬鹿なんだかねぇ」


 朱里が何かを言っていたが、語尾の方は直樹の叫ぶ声で誰も聞き取れなかった。その後の自爆も不幸中の幸い朱里以外には聞こえていないようだ。


「皆もう水着になってんのね。あたし達も脱ごうよ」


 愛花はスカートとTシャツを躊躇いもせずに脱ぎ捨てる。すると現れる白い大胆なビキニ。無駄な柄やフリルがなく、紐の代わりに金色のチェーンになっているのがポイントだった。胸も大きく、しかしスレンダーでスタイルも良い彼女は、着用しているのがシンプルな水着でもよく着映えした。


「あ、えっと、私はまだいいや……」


「何言ってるのよティア。何のために水着買いに一緒に行ったのよ! 脱ぎなさいよね!」


「あ、愛ちゃん、なんか怖いよ?」


 意地の悪い笑みを浮かべ指一つ一つを意思を持った生き物のように動かしながら、嫌がる彼女にジリジリと迫る。ティアは恐怖に顔を引きつらせ後退りした。愛花が一歩踏み出せばティアが一歩下がり、その間合いはなかなか埋まらない。しかしそこに愛花の助っ人が現れた。


「よし背後取ったぁ! さあ愛花、剥ぎ取っちゃいなさぁい」


「でかしたわね朱里! そのままおさえつけててよ!」


「ひっ……ま、待って愛ちゃっ……。……っいやあああああっ!」


 夏の晴れ空の下、砂浜にティアの叫び声が響き渡った。

 ブラウスとスカートを剥ぎ取ると、白い肌が露わになる。外国人の血が入っている彼女はやはり日本人体型とは異なり、足が長くてスタイルがとてもいい。白地のビキニに立体的な青とピンクのグラデーションの花が沢山ついていて、まるでお花畑にいる天使だった。


「あ、それ知ってるぅ! 雑誌とかで、そのブランドの水着が可愛いってめちゃくちゃ特集組まれてた。えー実物もめっちゃ可愛い! ねぇお花に触っていーいぃ?」


「あたしも触りたい!」


「わああ、愛ちゃんひどい……! 服返してよ!」


 愛花の手から服をひったくり、恥ずかしがって赤面しながらうずくまるティア。服と腕で胸をガードするが、その仕草が可愛らしくて仕方が無い。日本人体型ではなくとも、反応は日本人気質だった。


「天もお花に触りたい!」


 朱里、愛花、天がティアを囲んで花を触っている。それを外野から見ている男子はワナワナと震えていた。胸に手が当たっても、何の悪意も感じさせない同性と子供。大胆にピッタリくっついていても、周りから見ればただはしゃいでいるだけだ。


「同性と子供の特権ってやつか……! 恨めしい!!」


 新が悔しさをややオーバー気味に全身で表現する。顎はしゃくれ、目は血走って充血し、極限まで体を反らせ今にも地面に頭がつきそうだった。


「……おい信太、また鼻血が出てるぞ」


「う、うるせぇ!」


「夜斗、そりゃ誰だってそうなるさ。いつもツンとしてガードのかたい愛花が、大胆なあの白い三角ビキニ! 優しく知的なティアは恥じらいながらもお花畑にいる感覚にさせてくれる、白地に立体のお花が着いているフワフワビキニ! しかも下はインナーティーバックショーツと呼ばれるものの上に、白のレースのショーパンという保守的なデザイン! そして朱里はホルターネック型の、真っ青でフリルのついてるスカート型の水着! 情緒溢れる夏の海岸! ああ……真夏の天使達よ!!」


「あ、新……? なんでお前そんなに水着に詳しいんだよ。てかよく息続くなその長文……」


 肩で息をしながらも、完璧に言い終えた彼になんとも言えない視線を向ける。しかし皮肉であるにもかかわらず、新は褒め言葉として受け取った。


「夜斗は何を言っているのかな? これくらい普通の知識と熱量さ」


「お前が何を言っているんだ」


 もうハメを外しまくりで実子隊のメンバーには見放され、心の制御装置(リミッター)を壊してしまった新に夜斗はただ諭すしかなかった。しかしそのテンションに誰もが巻き込まれ始めていた。


「そして、もう一人の女子の存在をお忘れではないだろうか。我が実子隊所属、あゆみの存在を……!」


 新の言葉にそういえばと男子陣が砂浜を見回す。彼女の水着姿が全く想像できない。むしろ、水着に着替えず普通に服を着ている可能性の方が遥かに高かった。


「あ、いた。あそこだ! 岩場の方!」


 新がノリノリで指を差す。しかしよく見てみると、想像の遥か上をいく格好だった。


「……競泳用……水着?」


「いや、前通っていた学校のスクール水着じゃないかな? にしても断崖絶壁だね。しかしその組み合わせは充分に世の中には需要がある! まな板にだって需要はある!」


「こりゃまたマニアック〜!」


 直樹、新、アルは周りの目もはばからず、手で作った双眼鏡で覗いていた。通りすがりの人達には、「馬鹿な男子高校生達だ」という目を向けられたり向けられなかったりする。


「一人で何やってるんだろ。あの辺はイソギンチャクとかカニとかがいたりするのかな?」


「独りを好む茶髪ショートカットのスク水少女!」


「カニを突つく姿マニアック〜!」


 夏の太陽の日差しの下、上記の三人の歓声が響き渡った。


「慎みを持って欲しいものだね」


「珍しくお前に同感だ」


 バルと夜斗は哀れみの眼差しで三人を眺め、この話題が展開されている間に信太は純粋に海で遊んでいた。女子三人と天も加わり、信太による泳ぎ方講座が始まっている。

 天はみるみる泳げるようになり、今ではティアだけが信太に泳ぎ方を習っていた。何度も溺れかけ、その度に信太が助ける。どうやら謙遜ではなく、本当にティアは金槌らしかった。


「絶対信太はティアに触り放題だよね。……よし、ボク達も何かしよう!」


「何かって?」


「ここに赤いふんどしが一つあります! 負けた人はこれを履いて砂浜一周……なんてどうかな?」


 新の聞き返しに待ってましたと言わんばかりで、アルは本当にふんどしをバッグの中から取り出した。


「うっわー、絶対負けたくねぇ」


「屈辱以外のなにものでもないね」


「え、俺はパス」


「僕もちょっと……」


 夜斗、バル、直樹、佐久兎の順で嫌な顔をするが、お構いもなしにすでに勝負は始まっていた。


「出さなきゃ負けよ、じゃんけんポンッ!」


 突然の試合開始。しかも出さなければ試合を拒否したとして負けだという。ほぼ反射的に手を出すと、勝負は一瞬で決まっていた。


「わぁい! ボクは勝ち抜け〜」


 人は驚いた時やとっさの時はグーを出しやすい。その事を知っていたアルはパーを出して見事勝利を納めたのだ。


「いや、俺達も勝ちだ。銀が出してねぇ」


 夜斗の言葉に、ビーチパラソルの下で下半身だけを砂に埋め眠っている銀へ視線が向けられる。彼はその視線に気づき、おもむろに目を開けた。


「……何故俺を見ている?」


「出さなきゃ負けよのじゃんけんで出さなかったから、銀の負け! さ、この赤いふんどしつけて砂浜一周!」


「……ふん」


 新の言葉に鼻で笑い立ち上がる。訳も分からずに勘繰るが、その理由はすぐに分かった。


「なん、だと……?!」


「元から赤いふんどしを着ていたなんて! ジャパニーズ忍者は侮れない……!」


 雷に打たれたほどの衝撃がバルを始め男子達を襲った。現代の、しかも海で赤いふんどしを履く高校生など、そうそういたものではない。しかし本人は全く気にしていないようで、体についていた砂を手で払った。


「もう昼時だ。ちょうど起きたところだし昼食でも食おう」


「そうだな。じゃあ俺、信太達呼んでくるわ」


「よろしく。じゃあ皆で席取りに行ってるね〜!」


「はいはい」


 夜斗を見送った後、ビーチパラソルで作られた日陰から一斉に日向に出る。眩しさに顔をしかめ、容赦無く照りつける日差しを睨む。砂を踏みしめると、サンダル越しに熱さが足の裏に伝わってくる。海の家と書かれた店に入ると、予想していたよりも冷房が効いていて涼しかった。


「いらっしゃいませ。何名様ですか?」


「十三人です!」


「こちらへどうぞ」


 アルが答えると、愛想の良いおばさんが慣れた仕草で誘導してくれる。ティア達もちょうど店に着き、その涼しさに癒されているのが見えた。


「夜斗、聞いて聞いて! 海の水ってね、本当にしょっぱいんだよ」


「飲むと体に悪りぃぞ?」


 笑いながら天の話に耳を傾ける夜斗は、以前のトゲトゲしい雰囲気からは想像できない位に温和な表情だった。確かに根は優しいが、笑顔の多い彼が本来の夜斗かと聞かれれば肯定はできず、今の夜斗があるのは右京隊の仲間や天の存在が大きい。ティアと夜斗で天をはさむ形で座っていると、夜斗にとっては驚きの言葉をティアが耳にする。


「天がね、ずっと夜斗も来ないかなって言ってたんだよ」


「俺……?」


「そうだよ。天は夜斗の事が大好きだもんね!」


「まあ、ティアの次にだけどね!」


 天の顔を背ける仕草は照れ隠しだ。その仕草は夜斗のくせでもあり、くせは嫌いな人からは移らない。つまり天は、夜斗の事が好きなのだ。もちろん夜斗に限らず、右京隊の皆が好きだった。その中でも特に好きなのは、やはりこの二人である。


「今度は遊んでやるよ」


 そう照れ臭そうに伝えると、天が屈託のない笑顔を浮かべた。そんな二人を見て、ティアも微笑む。夜斗に素直なところが増えたのも、笑顔の頻度が増えたのも、とても良い事だった。


「あれ、そういやあゆみいないね。まだ岩場にいるのかな。俺が見てくるよ。先に乾杯とかしてて!」


 率先して席を立ち外に出る。新は孤立気味な彼女を気にかけていたのだ。以前に実子隊でしたあゆみの誕生日パーティーも、あまりパーティーと呼べるようなものではなかった。彼女は食べずにケーキを捨ててしまっていたのだ。


 ――いくら手を差し伸べても、握ってくれないんじゃ意味がない……よね。


 そんな思いで外に出ると、夏特有の蒸し暑さが一瞬にして体を包み込んだ。眩しさに目を薄める。太陽の残像が色相環の中で対である緑色になり、まぶたの裏側の暗闇に浮いていた。


「海に来てまで一人って、楽しいのかなぁ」


 足元からはザクザクと砂を踏む音がする。遠くには楽しそうな声と、波が引いたり押し寄せたりする音。そしてそれに混じり水を叩く音が聞こえる。


「おーい、あゆみ……」


 もうすぐ岩場が見えてくるところで声をかけるが、何やら話し声が聞こえとっさに死角で息を殺す。


「……蜃気楼を起こせばいいんですね」


 ――蜃気楼? 何の事だろう。一体誰と話しているんだ。


「あっ、すみませーん! そのボールとって!」


 小さな女の子が新を呼ぶ。こちらに転がってくるボールを追ってきたようだ。ビーチボールをキャッチして渡すと、ありがとうと言い残し走り去って行く。そちらに気を取られていると、背後の存在を一瞬なりとも忘れてしまっていた。


「……新?」


「おお、あゆみ。ここにいたんだ! 昼ごはんを食べようって事で探してたんだ」


「そっか」


 初めて二人きりで肩を並べて歩く。同い年で共通点も多いはずだが、普段から無言で気難しそうにツンとした態度であり、なかなか距離が縮められずにいた。


「海は嫌い?」


「……普通」


「ならよかった。一人でどっか行っちゃったから、嫌いなのかと思ったよ!」


 一度答えたからか二度も答えてはくれないらしい。元々寡黙で感情表現も乏しい。無表情以外の彼女を見た事がなかったのだ。仕方がなく次の話題を探している時だった。珍しく彼女の方から話題を振ってくる。


「さっきの、聞いてた?」


「さっきのって?」


「……なら、いい」


 聞いてはいけなかったものだったらしく、それを悟り瞬時に聞いていないと嘘をつく。バレやしないかと肝を冷やしたが、それ以上の詮索はしてこなかった。


「あ、ここここ!」


 二度目の入店をする。先程のおばさんが出てきたが、団体の中に新がいたのを覚えていてくれたらしく、


「お連れさん達、盛り上がっていらっしゃいますよ」


 と笑顔で一礼し、厨房に戻って行った。


「ただいま!」


 新へ口々におかえりと言うが、皆はすでにできあがっていた。テンションがおかしく、休日(オフ)にしても有名人が騒ぐのはあまりよくない。


「……それ、アルコール入ってない?」


「あったり前じゃん、ボク達未成年だもーん! 入ってたら飲めないじゃん! 新ったらもう!」


 特にアル、信太、直樹、朱里、愛花は酔っぱらいのノリだった。


「うーん、本当にアルコール入ってないよね?」


 バルがアルコールは入っていない酔っぱらいを見やる。


 「これじゃあ宴会騒ぎだな」


 そう言う夜斗の隣の隣で、ティアは今を楽しむようにいつも通りの笑顔で皆を見守っていた。






 *






「もう夜だね……という事で、ジャジャーン! 密かに花火買ってきてました!」


 アルとティアが手にいっぱいの花火を持っている。昨日の内に買っていたらしい。


「実子隊の皆も花火やろう。ほら、夜斗も!」


 俺の隣でティアが微笑み、天に目配せをした。どうやら、今度こそ天と遊んでやれという意味らしい。


「……はいはい。ほら天、花火やるぞー」


「わあーいっ! 花火するのも初めて!」


 初めての事ばかりの天は、今日一日ずっとテンションが上がりっぱなしだ。もちろん天だけではない。初めてではないにしろ、あまりないシチュエーションに皆が浮かれていた。すっかり日も落ち、日中よりも涼しい風が頬を撫でる。


「なんか俺、初めて青春してる気分」


 夜の闇を色とりどりの光が照らし出す。火花の色に染まる風景が新鮮で、冷たくなった砂浜を裸足で駆け回った。


 始めてから何分経ったのだろうか。残りの花火も少なくなっていた。バチバチと音を立て、赤い雷のような火花が散る。こんな花を見た事がある。彼岸花だ。


 そういえば、親友だった彼との登下校中、最後の秋に歩いた道にも彼岸花が咲いていたっけ。

 そんな事を思い出しながら、夜斗は天が手に持つ最後の花火を眺めていた。やがてその花火は音を小さくしていき、先に橙色の球体ができあがる。そしてその数秒後、静かに砂浜へと落ちてしまった。


「線香花火終わっちゃった……。夜斗、もうないの?」


「おう、それで最後だ」


 それで最後。あの秋が、彼の最期だった。


「むう……夜斗?」


 一点を見つめて黙っている夜斗を、天が心配そうに覗き込む。


「ああごめん。片付けようか」


 花火の入っていた袋やバケツを手に持った。帰りのバスも近くのバス停に後十数分くらいで着く。そうして帰りの準備をしていた、その時の事だった。


「ちょっと待って……。あれ、ティアじゃないかい?」


 バルが磯遊びができる岩場よりも上に視線を送っている。それを追って見ると、崖の上には確かにティアがいた。


「なんであんなところにいるんだ?」


「冷やしてもらっておいたスイカを持ってくるって、さっき海の家に行ったはずなんだけど……」


 夜斗の疑問に愛花が答える。だがそれでは説明がつかない。店に行くには砂浜を一直線に歩けばいいだけだ。わざわざ砂浜から一般道に出て、そこから崖に登るなんてどう考えてもおかしい。


「危なくないか? 二十メートルの高さはある。あのまま行くと落ちるぞ……!」


 バルの言葉の通りだ。止まる様子もない。むしろその足はどんどん速まり、腕は何かを追っているように宙へ伸ばしている。


「でも……何をだ?」


 手を伸ばしている先には何もなく、しっかりとは聞き取れないが彼女は何かを叫んでいる。


 ――――嫌な記憶(えいぞう)が脳裏をよぎった。


 数年前のあの時、夜斗は親友の目の前にいた。手を伸ばせば届く距離。しかし今は違う。手なんか全く届かない。あと数歩で落ちてしまうというのに、どうにもできずにいる。


 どうしたらいい。本当にどうにもできないのか。手は届かない、きっと声も届かない。それでも何かできる事はないものかと探す。焦れば焦るほどに思考は混乱した。


 ――もう、後悔はしたくないのに。


「ティ……」


「ティアッ!!」


 愛花の声をかき消し、彼女の名を叫ぶ。夜斗の叫び声でやっと気がついた他の皆が、叫んだ先の崖にティアがいる事を認識した。


 しかし彼女には声なんて届く事なく足を踏み外し、支えのなくなった体は重力に従順で海へと落ちいく。空中でバランスを崩し、足からではなく頭部から体を打ち付ける。

 あの高さから海面に叩きつけられた音は案外鈍かった。上がった水柱は彼女の身長をゆうに超え、尋常じゃない何かが心に重くのしかかった。


「あ……あ、あ…………」


 言葉なんてでない。真っ白になりかける思考が、ただけたたましい警鐘音を鳴らしていた。近くで朱里が悲鳴をあげる。それは親友だった彼が落ちた時に聞いた女子生徒の叫び声に酷く似ていた。


「ティ、ア……」


 愛花が口を手で覆いガタガタと体を震わせ、頬には涙が伝っていた。パニックになりながら腰を抜かし、情けなくわんわん泣いている。夜斗も何もできずにただ立ち尽くしていた。ようやく声を絞り出すが、トラウマと重なり体はいう事をきかない。まるで金縛りになったようだ。


「ティア……? ティア……!」


 情けない声音が口から漏れる。心そのものを鋭利な刃物で刺されたように、心臓辺りが鋭く痛んだ。突如視界を歪めるほどの目眩が襲い、側頭部を針で刺された感覚を覚えた。大きな水の粒は尚も水面に波紋を作っていく。


「ティア……はは、嘘だろ、悠と……同じじゃねぇか」


 ――飛び散る水飛沫が、あの日見た舞い上がる雪と重なったんだ。

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