No.95「浮く者」
『ここだよココ。君の中』
「ッ!?」
その言葉にゾッとする。
鬼喰丸だ。そう直感する。
悪夢にうなされている時に聞く低い声ではなく、中性的な声に気づけなかった。
『だから君にしか聞こえない。どうする? 自由に喋れるくらいに今の僕は自由なんだ。侵食されすぎたんだよ、君は』
楽しげに語る鬼喰丸の柄を、握り潰す勢いで握った。
『あはは! 震えを隠そうとしたって無駄だよ。君の心なんて僕には全部筒抜けなんだからさ』
「……黙れよ、鬼」
『黙んないよ? だって主導権は僕だもん』
――実体のない敵が自身の中にいる事。
『それって、とてつもない恐怖だよね』
内側から蝕まれていくのでは、止める事もかなわない。
『いつ自分が消えるのかもわからない』
自我をなくすという事は、
『自らの手で大切な人を傷つけてしまうかもしれない』
そうして残るものなんて――
『なんにもないもんね?』
ピキリ。
どこかにヒビがはいる音がした。
「壊れていくのは僕じゃない。君なんだよ」
やけに優しい声が甘ったるく耳にまとわりつく。
「いなくなるのは僕じゃない。君なんだよ」
子供に言い聞かせるような穏やかな口調だ。
「そして残されるのは皆じゃない。君なんだよ」
独りになるのは――
「君を独りぼっちにさせるのは」
『――僕の方だ』
虚ろな瞳が何もない地面を見下ろしている。人間から人外へと気配が傾いでいく。
「隊長、隊長……! しっかりしてください!」
「『壊れていくのは僕じゃない』? 『君を独りぼっちにさせるのは』……なんなんだ?」
訝しみ、もしや途中から話しているのは鬼なのではないかと零と神無は緊張感を漂わせる。
独りぼっちにさせるのは、の後に何も言わなかったのは、八雲が乗っ取られた状態でその続きを答えたからではないだろうか。
そうなれば、彼に口を貸すも貸さないも鬼の裁量次第だ。
だから、体の主導権を握られてしまってからは、鬼が喋っているのではないのだろうか。
そんな憶測に、嫌な予感が現実のものになっていく。
「まさか……。おい、しっかりしろッ!」
神無が八雲の体を揺すると、彼はゆっくりと顔を上げる。
口元には笑みを湛え、白目が徐々に黒く染まっていく八雲の姿があった。
「っ――八千草! 今すぐ葛西隊を呼べ! 呪術でどうにか抑え込むしかない!!」
「静かにして」
鬼気迫る空気の中、澄んだ声が降ってきた。
「このまま眠らせちゃおう」
その声の持ち主が八雲と対面しながら両耳を手で塞ぎ額をコツンとぶつけると、本当に彼は眠りにおちてしまった。
隊長を零が抱きとめるが、随分と丈の短いキャラクター柄の浴衣を着た女性の登場に、更なる困惑を生む。
身長はそれなりにあるが病的なまでに青白い。幼い印象を受けるが、実際は二十代前半くらいの顔立ちだった。
声は可憐なのに髪はボサボサでクシすら通していなさそうだ。
全てがチグハグな彼女に、不審感は募るばかりだった。
「……うちの隊長に何してくれてんの。敵なら斬っちゃうけど?」
「ぬわはは。ご冗談をイケメソ君。にしてもシャバの空気は肌に合わね〜もう引きこもりて〜!」
気怠げに踵を返す彼女を、宙に浮いていた天が止める。
「ま、まって! まだ終わってないの!」
天がいた事に気づき驚くが、先ほど彼女が空から降ってきた理由がわかりホッとした。俗世にハマりすぎた天使が堕とされたわけではなく、天の能力によって空中に浮遊していた正真正銘の人間らしい。
「ガキにこんな事言いたかないけどね、騙すって酷くない!? わっちの純愛弄ぶなんて! チッ。こんなんで引きこもり生活に終止符打たれちまったのは不本意だぞ。どーすんのさブログ! 引きこもり生活今年で2000日突破まであと少しだったのにさぁ!」
「引きこもり生活……?」
「約五年目ときたか。こりゃあ俺でも扱いがよくわからん」
零も神無もかなり引き気味で苦笑した。
「で、でも右京さんの部屋に……」
「兄さんの部屋!? はよ連れてけ! グヘヘ……どんなパンツ……じゃなかった。下着履いてるのかなぁ……どんな匂いかなぁ!?」
「訂正すべきは名称じゃなくてその言動だろ」
「むしろ洗濯後より洗濯前のがいいっすパイセン!」
神無の呆れた声のツッコミに、しかし永環はいつもの調子で変態さを隠しもしない。二人はとんでもない発言にドン引きしながら距離をとる。
「とりあえず戦況が落ち着いてきた。人外の気配もこの包囲網の中にいるだけっぽいな。その内撤退命令が出るはずだ。隊長は医療班に任せよう」
『こちらから連絡します』
「頼んだ」
神無は八雲を八千草に任せ、突然現れた場違いすぎる問題児に意識をシフトする。なるべくなら関わりたくないのだが、一般人をこの場に置いておくわけにもいかない。
「というかなんでここに入れたんだ」
「ん? 一番外側は警察が張ってたから、天君の能力で飛んできた」
「どうして天邪鬼と……」
『撤退命令が出ました。間もなく医療班も到着すると思います』
彼女への追求を更にするよりも早く、八千草からの報告が入る。近くからも、撤退と叫ぶ人の声が聞こえてきた。
*
「撤退やて。良かったなぁティアちゃん。知らんけどなんかいきなり傾いどった変な気配消えたやん。待機組も出番なかったしなぁ。平和平和ピースピース」
「アンタが言うと全部不謹慎にか嫌味にしか聞こえへんねん! 少し黙っとれアホ!」
縁と寧々がまた喧嘩しだすと、槐は眉根を寄せ「黙れ」と言い放つ。いつもは仲裁に入るアルも、信太の事が心配でそれどころではなかった。
「現場組の撤退が済み基地に戻ってき次第私達も解散でしょうから、それまでは、仲間の事が心配だとは思いますが名無隊の皆さんも残ってください」
訓練生の教官である麻朝の言葉に、アル、夜斗、ティアは頷いた。
半ば重い空気が流れる中、やがて音もなく扉が開く。
「やっと合流できたわぁ。やっほう、縁に寧々。それと本部の皆さん」
「隊長! なんでいきなり現場で戦ってたんや!」
「なんでて……向かう途中たまたま遭遇したっちゅーか……」
「アンタの巻き込まれ体質どないなっとんねん!」
「はあ……まあこんな感じやな」
「っんっなっ事聞いてんとちゃうわぁあああ!」
「こらこら寧々、うるさくしたら迷惑やで」
「うっ……」
「おい。お前が隊長ならその猿を一生黙らせてろ」
槐に言われ、弥勒院将世は困ったように笑った。
「こりゃスンマセン。うちの寧々が迷惑かけたみたいで」
「まったくだ。ちなみにもう一人の奴も迷惑だった」
縁の「わあ、酷い」と言う言葉を無視して槐は続けた。
「相変わらずフラフラフラフラほっつき歩く癖、隊長になったんなら改めるべきじゃないのか」
「え〜、別に目的なく歩いとるんとちゃうよ? 目的地に向かう道すがらで何かしらに巻き込まれるだけやねんもん」
「不幸体質め」
「ポジティブにヒーロー体質や言うてよ」
二人の会話に周りの人間がポカンとする中、縁が声を上げる。
「隊長、このごっつおっかない顔してはる人と知り合いなん?」
「知り合いもなんも、訓練時代一緒やったん」
「ああそっか。隊長は普通に訓練積んで退魔師になったんやっけね」
「普通に訓練積まないで退魔師になれるんですか?」
槐隊隊員の舞が首を傾げる。
「僕と寧々はちゃうよ。関西支部と東北支部は特に、人外退治関係の家業やっとったもんばっか集められてんねん。地方には案外いるんやで、こういうん」
「そうなんですか! 初めて知りました」
「ちなみに、都道府県毎より地方毎の支部だけで事足りてる次第や。支部以外で各県には少数の退魔師が駐屯するような建物と、応援へすぐ行けるように転送システムくらいなもんにするらしいで」
「四十七都道府県に基地を置くって話は確かに間違いじゃないですけど、予想より案外しょぼいですね」
「現実そんなもんやて」
話にひと段落がつき、寧々は窓の外を見ていた。何があるのかと縁も窓辺に近づくと、見えてきたのは軍服姿の軍団だ。
「わ、仰々しいなぁ」
「関西支部では違うのか」
「いやまあ、大規模な戦闘になると大体こんなんだったですけども。……ただ」
「ただ?」
「なんや辛気臭ぁ思て」
「そりゃあ仲間が傷ついてるんだ。そんなすぐヘラヘラできるような不謹慎な奴は少ない」
「そうですか?」
否定の意味を含んだ疑問の声に槐が眉根を寄せた。
「……どういう意味だ」
「仲間が傷ついたくらいで、なんやって言うんです?」
会話に参加していない人も様々な反応を示す。首を傾げる人、視線を厳しくさせる人、不安げに眉をハの字に歪める人、表情を崩さない人。縁の発言が波紋を呼んだのは見ての通りだった。
「死んだって、頭数減っただけやないのん?」
狐顔の彼は、悪びれもせずに口角を上げたままそう言い放った。
「縁やめぇや」
「だってそうやろ? ただの肉塊に成り下がった人間の事をどう思え言うんです。『わ〜、生肉ゴロついてんなぁ』って、ただそれに終始するもんやろ」
弥勒院の制止も聞かず続けた結果、周りから冷たい視線を投げられる結果となった。しかしそれを受けても調子を崩さずせせら笑った。
「わあ怖ぁ。そないに冷たい目ぇひん剥かんでやぁ。凍ってまうわ」
「その前に空気の方が凍ってるけどね〜」
栗花落が茶々を入れると、階級が下の隊員達もそれを見ていくらかピンと張った空気を緩めた。
「こういう奴なんで、大目に見てやってください。ほら縁、謝りぃ」
「えー、何に対しての詫びですのん」
「空気不味うした事に」
尚悪態をつく縁に、弥勒院は笑っていない目で振り返った。それを受けても表情一つ崩さなかったが、やがて根負けし肩を竦めてやれやれと言いたげに謝罪した。
「ドーモえろうスンマヘンでしたぁ」
「謝る気ないやん! 誠意伝わらんねん!」
寧々のツッコミにニタリと笑うと、「せやて謝る気ないもん」と言い残し、部屋を出て行った。
彼女が背中の残像に舌打ちをすると、弥勒院はそれを横目に困ったように顔を緩めた。




