No.94「傾ぐバランス」
「頼むから霊力切れしないでよ……」
自分に言い聞かせながら、掌に集めた霊力を信太の体内に送り続ける。そうする事で制御装置により作られた半霊体を修復できるのだ。
自己回復が望めない場合――血がすぐに作られないのと同じで、霊力も劇的な回復も望めなければ命に別状も出てくる。
霊力を注ぐ事は、輸血と同じ役割を果たすのだ。
隣では莉乃の治療も始まり、みるみる傷口が塞がっていく。安定した静かな呼吸音が聞こえてきた頃、制御装置を解除し、今度は肉体の治療に移る。先の治療のおかげでほとんど無傷だが、失血量が多く輸血が必要だった。
「……ダメね。月見里君は注ぎ込んでも大丈夫な霊力の上限分だけじゃ、全ての傷が修復しきれない」
医療班班長、相田理香子が下唇を噛み締めながら言う。
「どうしますか」
信太を治療するもう一人の部下が理香子に問うが、これ以上は彼の中の霊力のバランスが崩れてしまう。霊力の過半数が他人のものになると、自己回復ではなく治療者の霊力が彼自身を乗取り始める。
つまり、魂が壊れるのだ。
「……仕方がないわ。制御装置解除するわよ。このままにしていても同じ事だもの。輸血だけ開始して、病院に着いたら肉体的な面に頼るしかない」
理香子が救急車内の内壁を拳で叩いた。
*
「おうおうおう派手なお出迎えやなぁ!」
「なんなんそれ、嫌味なん? コッワァ」
「嫌味ちゃうわ! てか隊長なんで現場おんねん!?」
「いつもの気紛れでしかないやろ。考えるだけ無駄や」
「なんっっやねんそれ! トラブルに巻き込まれる体質もいい加減にしいや! うちの気苦労も知らんであほんだらぁぁあああ!」
「キーキーうっさいわ猿か。それより可愛い女の子おらへん? 猿との長旅で目の保養が足りとらんわぁ」
男の嫌味によりみるみる頭に血が上っていき、顔を引きつらせながら胸ぐらをつかむ。
「サ、ル、や、ないわぁ! 誰が猿やねん!? そんでもって女の子なら目の前におるやろ!」
「寧々みたいんは女やのーてメス言うんや。チンチクリンが」
「なんやとぉ!? こんのクソ縁!」
風間と呼ばれた男が寧々から繰り出された拳を掌で受け止める。そのまま顔面から避け見下したように嘲った。
「こういう野蛮なんがメスの由来や猛獣が」
寧々の頭部からブチッと何かが切れる音がする。
「ええ度胸やクソ男ッ……!」
「ああ、言い忘れとったわ。女の子はクソクソ連発せぇへんもんや」
「いてこましたろか……アァ!?」
「美人にだったら本望やなぁ〜」
「死に去らせエロガッパッ!」
本部待機部屋では、関西訛りの男女二人組が賑やかに話していた。うるさいなと呆れる人と、苦笑を浮かべ仲の良さを外野から眺める人とで二極化している。
「うるさい女の方が齋藤寧々。年齢は今年で十七。キツネ顔の男は玻座間縁。年齢は今年で二十一。二人とも階級は中尉だそうだ」
葛西隊隊長麻幌の姉、教官である麻朝特務官が紹介すると、それに気づいた二人が揃わない敬礼をする。
「本日付けで本部に配属されました。よろしくお願いします!」
寧々に合わせて縁も礼をする。しかし何よりも早く飛んできたのは、槐の厳しい言葉だった。
「東京に着いたばかりで随分と浮かれているようだが、今は仲間の大半が戦地で命を懸けて戦っている。それなのに貴様らときたら不謹慎だとは思わないか。ここに何をしに来た?」
鋭い睨みに寧々の眉尻が下がり、助けを求めるような視線を縁に向ける。向けられた彼は困った笑顔を小さく浮かべてから、槐に謝罪した。
「喧しゅうてすみません。よーく言い聞かせますんで」
「なっ……縁が……!」
「あはは、あんまり気にしないでね〜。槐ピリピリしてるんだよ。ついこの前誕生日きて二十五になっちゃったから老いを感じてるんだよねー?」
栗花落が二人を気遣い割って入るが、槐はそれが気に入らなかったらしい。
「何が『ねー』だ。ふん、今日のこいつの人格が優しくて良かったな。じゃなかったら針の筵だったろうに」
「やだなぁ、まるで二重人格みたいじゃないかぁ」
「お前は裏表がありすぎる」
「え〜?」
槐相手にとぼけてほわほわと笑えるのは、栗花落くらいのものだ。調子を崩された槐は食えない奴だと舌打ちをしてそっぽを向く。
「まあまあ隊長、あんまり人を責めちゃダメです。隊長だって、プリンを食べる時はしゃぐでしょう?」
槐隊隊員の紫舞准尉は中学三年生で、彼は妹だと思って溺愛している。そんな彼女の暴露話に周りは半信半疑に二人の間で視線を往復させた。
「……舞。嘘は良くないぞ」
「本当だもん。嘘ついてないもん。カラメルソース多めでちょっと焦がしたやつがいいって、私が作る前にいつも言ってくれるもん。食べてる時も美味しい美味しいって言ってくれるもん!」
舞が嘘つき呼ばわりをされむくれかえっている。寮内での風景であるはずが、素が出て槐の意外な一面が露見した。
微笑ましいことこの上ないが、ここで頬を緩めては赤面した彼からどんな八つ当たり的な怒号が飛び出してくるかもわからない。
誰も聞いていない風を装い、目線を逸らしていた――
「いやぁ、そりゃあ妹キャラの子の手作りなんてお兄ちゃんイチコロやろなぁ」
が、縁は違かった。反省など微塵もしていなさそうな様子だ。流石関西人というべきか、周りの人間は藪蛇を突いた縁に凍りついていた。
しかし意外にも反論はなく、不思議に思ったその他大勢は槐を見る。すると深く俯きすぎて自分のヘソを見ているような無理な姿勢をとっていた。表情を読み取らせないためだろうが、追い打ちをかけるように槐隊の残りの男女二人が口を開く。
「そういうもんですよ。例え卵を割るのが下手っぴでプリンの中に数多の卵殻が仕掛けてあろうとも」
隊員、響秀太郎が言う。
「火加減が強すぎた故にカラメルソースが焦げ、固形になって消し炭のようになってしまい苦くとも」
同じく隊員で愛の双子の弟、響春千代が言う。そして二人は愛を初めにし交互に言葉を紡いでいった。
「それが妹の手作りならば」
「無理してでも食べるというのが兄の優しさ」
「ああ兄貴……惚れちまうぜ」
「ちまうぜ」
まるで双子級の阿吽の呼吸を披露する。二人は高校三年生で中尉だ。
「わ、私の作ったプリンに、卵の殻とか入ってた……?」
「たまに調理器具も――むぐぅ!?」
「入っていなかった」
槐が秀太郎の口を塞ぎ、
「カラメルソースも、苦かった……?」
「あれむしろ体に害――ぐむぅ!?」
「いや、とても良い加減だった」
春千代の口も塞ぎ、今にも泣き出しそうな舞のフォローに回る。すると、彼の言葉を鵜呑みにしパァっと表情が明るくなった。
槐の苦労や、努力はするがなかなか実らないタイプらしい舞への配慮を垣間見、外野はなんとも言えない笑顔らしい笑顔で存在感を消しながら傍観している。
その時、部屋の扉が開く。入ってきたのは名無隊の三人だ。信太を救出したとの旨を聞き、安堵の表情で力が抜けるように着席した。
「その様子だと、助かったのかな?」
栗花落の問いかけにアルが笑顔で頷いた。
「現場から離脱し現在救急車で搬送中だそうです。一先ずは安心かなと。油断はできない状態らしいですが、きっと信太なら大丈夫です」
夜斗は相変わらずクールに澄まし、ティアの表情はまだ曇ったままだが、先程よりは幾分か顔色がいいようだ。
空気を読まない縁は、そんな彼女にも絡む。ずいっと顔を近づけ、足のつま先から頭のてっぺんまでを舐め回すように見た。その目線たるやエロ親父そのものだ。
「ほわぁ〜ベッピンさんやんかぁ。……ん? 前どっかで会った事あらへん?」
その間に夜斗が物理的に割って入る。
「なに仕事場で口説いてんだテメェ」
「おお怖ぁ、番犬付きかいなぁ。いや、いつもなら口説きの常套文句なんやけど、ほんまに見た事あったさかいに。……どこでやっけなぁ」
ティアを見てうんうん唸っていると、寧々が声を上げる。
「いやいや、普通にティアちゃんやん!」
言われて気がつき、合点がいったように掌の上で拳を弾ませた。
「名無隊隊員御祈祷ティア中尉……! 僕、玻座間縁言います。以後お見知り置きを」
「よ、よろしくお願いします……?」
「テレビん時澄まし顔か完璧な笑顔かしか見た事あらへんかったから、アンドロイドかと思っとったわ! いやぁ、実物は人間味があってええなぁ」
ずいっと顔を近づけ、笑みを深めた。
「なーにをそんなに気に病んどるんか知らんけども」
ヘラヘラと笑顔のまま嫌味くさい事を言う。意図的なのか意図せずなのか、けれどもティアから表情が消える。眉間のシワも消え去っている。脱力したような、強張っているような、不思議な表情がみるみる青ざめていく。
「……バランスが、傾ぎ始めてる」
「バランス?」
なんの事かと疑問に思っていると、栗花落が問いかける。
「どうしたの、ティアちゃん」
「……まだこの状況は続くのでしょうか」
「人外の気配は減ってきたし、そう長くは続かないだろうとは思うけど」
答えた栗花落へ茶々を入れるように縁が言った。
「退魔師の方の数も減ってきとるしなぁ?」
「あれー、何が言いたいの?」
二人の会話の空気が悪くなる。
「いやぁ。本部ゆーて大した事ないんやなぁ、思てなぁ」
すると槐が鼻を鳴らして縁を睨んだ。
「ほう、つまりなんだ。関西支部ならもっと上手くやっていただろうと言いたいのか?」
「そう思わせてしもたんなら申し訳ないですわ。他意はまーったくないんや。そないに目くじら立てんといてぇやぁ、槐隊長」
糸目を開けると、三白眼が槐を捉えた。初めて見る彼の瞳には、不思議な模様が描かれている。人外との契約に瞳を売ったのだと瞬時に把握した数人の顔色が変わる。
「ああこれですか?」
再び含み笑いを顔に張り付かせ目を閉じた。
「昔に少し」
数人の緊張が目を閉じる事によって解かれる。何かに気づいたような素振りをした彼が首を傾げティアを見た。
「ティアちゃんの言う通り、なんや傾いどるヒトおるなぁ」
不吉な言葉を楽しそうに口ずさんだ。
*
『第一包囲網戦闘不能者十一名! 第二包囲網七名! 第三包囲網三名! 人外反応減少してきました!』
「……かなりやられてるな」
弾が空になった連発銃弾倉を捨て再装填する。この重さが落ち着くのだと、神無はグリップを握りながらその感触を確かめる。
すると近くで戦っている零が舌打ちをした。
「あー、もう。この辺全部一帯を爆破させちゃったほう早くない? いい加減ちょっとティータイム挟むべきでしょ」
「普段のお前に優雅なティータイムなんかないだろうが」
確かに日が傾き始めている。日没までに片付くのかが問題だった。
夜の闇は人外を活発にさせる。人の死の匂いにつられてやってくる人外の数も、今の比ではなくなるだろう。結界を張っているとはいえ、慢心するには不安要素が多かった。
「中の怪我人と消防の避難は済んだのか」
『間もなく完了します』
「一般人で死人は出たのか?」
『休日出勤中だった五人と、通行者とみられる三人の八人です。休日だったのが不幸中の幸いでしたね……』
「ドーナツ化現象のおかげだな」
神無と八千草の会話の最中、切羽詰まった声が聞こえてきた。八雲のものだ。
「八千草ッ! あとどれだけ続く!?」
『えっ、あ、は、はい! 予測システム上一時間弱です!』
「……ありがとう」
八千草を初めて呼び捨てにし、声を荒らげた隊長に現場の二人と八千草も困惑を示す。
「まさか隊長、鬼喰丸の侵食が進んだんじゃ……」
「大丈夫」
心配し覗き込んでくる零に笑顔を見せるが、神無は険しい顔をし八雲の襟首を掴みあげはだけさせた。
「なっ……か、んな……!」
首より下、おどろおどろしい紋様が以前に見た時よりも広がりをみせているのを確認した。それに加え、その紋様の先端に傷口を留めるために使うような医療用ホッチキスが襟で隠れる位置に刺さっている。
霊力を帯びたそれは、つまり侵食を食い止めるためのものなのだろうと予想がつく。
よく見れば梵字が書かれており、なんらかの呪が施された代物だという事は明白だった。
けれども、血が滲み出して痣の代わりに血が紋様を描いている。
「……戦線より退いたほうがいいんじゃないのか。もう中に人もいないんだ。今はもうただの殲滅戦でしかない」
「退かないよ。後始末がまだ残ってる。ただでさえ人手不足なんだよ? 一時間くらいなら大丈夫だから」
「いや、本部に戻ってくれ」
「指揮は僕がやっているんだから無理だ」
「一条隊長に任せればいい」
「僕が離脱したせいで何かあったら後悔するだろうから、残るんだ」
力強い八雲の視線に、神無は怒りの混じった視線をぶつけた。
「自惚れもいい加減にしろ」
神無と八雲の押し問答の末、その一言が一度沈黙を生む。
「今ここで人外に堕ちられたら迷惑だと言っているんだ。抜刀しているせいもあるだろうが、人間よりも人外の気配の方を強く感じる。本当はかなり体もキツイんじゃないのか」
「……神無には全てお見通しって感じだね」
苦笑を浮かべ刀を納める。頷くかと思いきや、
「でも――」
向かい合った神無を突き飛ばした。
「な――――」
鞘に入れたままの刀で人外を倒し、にこやかに言い放つ。
「こんなんで、本当に僕がいなくて大丈夫なの? 僕が殺らなきゃ神無が殺られてたよ?」
バツが悪そうにボサボサの後頭部を掻き毟り、八雲に向けて銃口を向けトリガーを引く。銃弾は髪を擦って過ぎていった。
後方からドサリという音ともに風圧を感じる。
「同じく、近くの人外に気づかない奴がなんだって?」
売り言葉に買い言葉、挑発的な行為はお互い様で、八雲に限っては仲間に対してするなど柄にもない事だ。二人共冷静でいて熱くなりやすいタイプである事を心得ている零は、冷却のために間に入って二人の距離を離す。
「仲間同士で割れてどうすんのさ。落ち着きなよ」
神無が折れる形で収まるが、八雲は内心、危機感を覚えていた。
――あと三十分延びたらヤバかったかも。一時間半は保たなそうだ。
「あと三十分延びてたらやばかったろうね。一時間半は保たなさそうだもん」
耳元で、そんな声が聞こえた。
「っ…………!?」
振り返るが、しかし背後には誰もいない。神無も零も八雲の不審な行動に眉根を寄せている。
「どうした?」
「いや、今、声が……」
「疲れてるんじゃないですか。気配も何も感じませんよ」
『レーダーにも反応はありません』
零や八千草に言われた通り、目視で確認できるものにそれらしいものはない。空耳だったのだろうと思い込もうとした時だった。
『ここだよココ。君の中』




