No.92「節菜ビル爆破事件」
「日曜だったからまだ被害は少ないだろうけど、平日だったら一体何人の会社員がいた事だかね……」
「これが人外のせいだとすると、ブール関係か」
「無関係な可能性の方が低いでしょ」
「非番で訓練しに来たらこれですか。休み返上になりそうですね」
「手当て高いからいいだろ」
「おい、不謹慎だぞ」
転送システムのある部屋へ向け複数人で駆け足で目指している間に、そんな声が聞こえてきた。
半歩後ろにいる莉乃から緊張が伝わってくる。信太は彼女の頭に優しく手を置き、はにかんだ。
「きっと大丈夫だ。オレが守るって!」
「あんたになんか守られなくたって、自分の身くらい自分で守れるもん!」
「おう! オレに何かあっても、きっと右京さんが助けに来てくれるから安心しろよな!」
「だから……! なんか、莉乃が怖がってるみたいじゃん」
「え、怖くねぇの?」
「…………あのさぁ」
ナチュラルに返してくる彼に対し、デリカシーが無いなと不名誉な烙印を押した。
消防車や救急車の音が近づいてくる。木霊しているのか数が多いのか、とてもけたたましい。
転送室が見えて来た時、爆発の第二波がくる。窓から見える限り同じ建物であったようだが、しばらく建物からの落下物が収まらなかった。下にいたかもしれない避難者や緊急車両の安否が気になるところだが、誰もが迫る危機感に焦りの色が濃くなる。
「止まるな! さっさと中に入れ!」
その背中を押したのは一条隊長だった。
「人外ではないがブールの関与が確定した。周辺に設置している防犯カメラが、リアルタイムで送られてきた映像に映していたらしい。退魔師も現場に急行だ」
「またブール……」
莉乃はぎゅっと拳を握った。
*
「なんや喧しわ」
人の流れに逆らい、大判焼きを片手に爆発現場へと向かう。負傷者の応急処置をしている救急隊員が怪我をしている事態に凶器となった建物を見上げ、呆気にとられる。
『節菜ビルの爆破にブールの会員が関与している疑い。退魔師は現場へ急行。繰り返す――』
「えげつなぁ。えらい難儀やなぁ……」
危険だと判断し規制線が張り巡らされているが、彼はそれをくぐった。
「ちょっと! 入ってこないで!」
「ちょいちょい、待ってぇや」
直後に慌てて警察官に止められるが、ポケットの中を探る。関西訛りのニット帽を目深に被った一般人に不審感は募るばかりだが、目的のものを見つけ目の前に出した次の瞬間には晴れていた。
「……人外対策局の退魔師さんですか! 失礼いたしました!」
「は〜い。失礼しますぅ」
標準語を心がけ緩い敬礼を返している間に、青い光の粒子が形成した錫杖が現れる。シャン、と地面に打ち付け目を閉じる。やがて、耳の後ろに当てていた左手を顎に当て首を傾げた。
「…………人外中におらんやん? 遠くから近づいては来とるけど。あれか、餌でもまいたんかね」
呆れ半分で通信情報専門部にコンタクトを取る。
「質問なんやけど……中におるん人だけかいな」
『人外ではなく、反応したのは顔認証システムです。ブールの会員がいたために、現在退魔師には出動命令が出されています』
「……しょーもな」
途端にやる気を無くしその場に座り込む。すると、軍服のような格好をした輩がゾロゾロと現れ険しい顔で辺りを見回し、まずは状況説明を聞いた後にそれぞれが散っていった。人外対策局の人間である事は、日々のメディアに触れていれば判断がつく。
「なんや本部ってあんな辛気臭いん……?」
吐き捨てるように言いながら立ち上がり、どうやら指揮を取っているらしい人物へと近寄る。途中、彼に気づいたあちらから礼をされ、軽く会釈を返した。
「関西支部からの応援の方ですね?」
「そのはずだったんですけどね。本部行く途中にどえらい歓迎うけたみたいで」
崩壊しかけの摩天楼を困り顔で見やると、苦笑を返された。
「いやぁ、こちらとしてもこんな予定はなかったんですけどね……。僕達の都合はお構いなしなんで」
ヘラヘラと笑っている彼に「はあ」とだけ返す。
「あ、僕は八雲隊の隊長です。ここの指揮権は一任されているのですが、関西支部からの応援の方については本部で待機らしいです」
「ええよ。これも何かのご縁やさかい。本部に集合なんていつでもできるやろ」
「助かります。あの、お名前伺ってもよろしいでしょうか」
「ああ、ゆーてへんかったな。こりゃ失敬」
片側の口角を上げニット帽を眉上まで押し上げる。今まで全貌を掴めなかった人相が露わになり、初めて八雲と目が合った。
「弥勒院隊隊長、弥勒院将世です。どうぞ見知っといてください」
挨拶を返そうとした時には、彼は一条率いる三分の二程度の隊員達と同じく、ここ第三包囲網の外に出て行った。
「現場に残るならここに残ってほしかったなぁ、あはは。第三包囲網は、第一第二包囲網が取り損ねた首をとらなきゃいけないところだから」
『八雲隊長、第一包囲網、第二包囲網完成しました。一般人の避難も完了し、警察は区の封鎖に向かいました』
八雲隊専属の通信情報専門部、八千草からの報告だった。
「了解。第三包囲網も完成。ブール会員の捜索は諜報部に任せるとして……」
振り返り、退魔師達を順に見る。
「僕達がする事は、これを嗅ぎつけた人外の処理だ。ブールが死臭を蒔いたみたいだしね」
重く頷き返してくるのは、第三包囲網を担当する八雲隊、鹿目隊、小川隊、花見隊、葛西隊、そして右京隊隊員水谷莉乃と名無隊隊員月見里信太だ。
まだ中に怪我人いるため、緊急車両等の道路確保には、呪術・結界班として葛西隊が就き、医療班も同時に第三包囲網より内側の結界の中で待機している。
「通信上判りやすく悪魔はS、A、B、C級に分けて伝達。一般人を巻き込まないよう、既に一条大佐率いる二重の包囲網を張って待機しています。三重目の僕達はそれをくぐり抜けてきてしまった人外を中心に即刻処分!」
威勢よく応えた退魔師らに、最後にもう一度釘を刺す。
「――――あの規制線より百メートル以内、絶対に人外の侵入を許すな!」
「はい!」
返事をしながら位置につく。一定の間隔を置いて円状に整列し、前線からの連絡を待った。
『三時の方向、推定B級が第二包囲網突破されました!』
焦った声が担当の通信情報専門部から無線で届き、小川隊に緊張が走る。隊長含む四人がそれぞれの武器を手に握りしめた。
現れたのはB級、ヒト以外の容姿を持つ人外だ。大きな鱗を身に纏った大蛇のような風貌で、五メートルもの体でゾロリゾロリと地を這っている。鱗の鋭利さと巨体がコンクリートを削りながら迫ってきた。
「うえぇ、アタシ蛇嫌いなんだよなぁ」
「悲鳴上げないでくださいねぇ、隊長」
「ナマ言え光琉! 久々の大物だ! 体が鈍るっつーの! おら片付けんぞ野郎共!」
「一人ハヤテ君っていう男の娘がいますけどねぇ」
「結局男じゃねぇか。付いてるもん付いてんだろ」
「ひ、光琉さん、隊長、やめてくださいぃ……!」
隊長の小川美春、隊員の早瀬光琉、鈴木ハヤテが刀を構え、下ネタにすぐ走る三人を呆れながら浜屋凛が銃で援護をする。
――野郎共って、私は正真正銘女なんですけど。
無駄口は心の中に留め、照準が狂わないように呼吸を鎮め、そして止める。
トリガーを引く時、心は無だ。
「命中」
凛の銃弾により片目を潰され荒れ狂う人外に三人が同時に斬りかかるが、全く歯が立たず傷一つつかない。
凛は間髪入れずにライフル銃を構え、もう一方の眼球を狙う。
「命中しました」
「でかした凛!」
「ありがとうございます。……粘膜部分を狙うしかないみたいですね。しかし蛇型となると、恐らく視界を奪っても聴覚はクソほど敏感です。気をつけてください」
「粘膜部分ってなぁ……ケツに刀ぶっ刺すしかなくね?」
「そのケツ穴がどこか見当たらないのですが。蛇の知識があるヘビーな趣味を持ってる人いますか」
「それ、蛇とヘビーかけてんのか? やっぱケツ穴なら尻尾の先とかじゃね?」
「ケツ穴にブッ刺しましょうぜ隊長」
「た、たいちょ、り、りりり凛ちゃん、あ、あの、言葉が汚いです……!」
ハヤテの顔はみるみる紅潮し、光琉は下品な二人から光のない目を逸らした。
「この隊、女二人の会話が一番汚いよねぇ。とりま爆弾でも口の中に突っ込みゃあ、中から吹き飛んでくれんじゃないかねぇ? どーせ内側はやわいんだろうしねぇ」
刀を人外の口の間に差し入れこじ開けながら、噛んでピンを外し手榴弾を体内へ投げ入れた。即座に距離をとるが、飛び散った肉片や血飛沫を光琉は浴びる事になった。
「チッ。きったねぇ」
「でかした光琉! いっちょあがったな」
戦闘を終え小川が辺りを見回すと、他でも戦いは始まっていた。
「莉乃、来るぞ!」
「わかってるよ!」
――A級。知能レベルの高い人外か……。ヒト型か半ヒト型でまた違うけど、当たりどころが悪かったな。
チラリと彼女を見ると、刀がカタカタと震えている。威勢こそは良いものの、やはり普通の女の子だ。
応援を呼ぼうにも他も自分達の陣で手一杯だ。本音を言うと、倒せるかどうか不安でもあった。しかし、頼れる人が誰もいない今、自分がやるしかない。
「莉乃……オレ一人じゃきっと無理だ。だから、サポート頼む」
「り、了解」
減らず口を叩く余裕もなく、信太に素直に従っている。ガチガチでは動きも悪くなるだろうと、なんとか解す方法を考えた。
「おぉ? 莉乃怖いのか?」
馬鹿にしながらニヤつくと、彼女は意図に気づいてか知らずか乗ってきた。
「怖いわけないじゃん! 馬鹿にしないで!」
「バカにしてねぇよ! だってオレ多分、莉乃よりバカだもん」
「それは……先輩としてどうなの」
「それはオレも思った!」
ニッと笑いながら抜刀し、鞘はベルトに固定せず地面に投げ捨てた。現れたのはヒト型だ。正直勝算が薄くなる。
しかし、躊躇はできない。
「オレが、ここで止める」
自身の手には今、沢山の人の命が任されている。ここを通せば、中で必死に人命救助を行っている人達の命が危ない。
――是が非でも、止めなくちゃなんねぇんだ。
丸腰の敵が迫ってくる。あと五メートルのところでやっと武器が姿を表した。どうやら暗器使いのようだ。
手の甲に熊手のようなものが装着されていた。
「手甲鉤だっけな、それの名前。忍者かよ」
「……そうかもな」
「なんだ、喋れんじゃん」
右手の攻撃を刀で受けるが、左手の手甲鉤を防ぐ術がない。捨て身の覚悟で突っ込んだのだが、予想は裏切られ気づくと隣には莉乃がいた。
「お前……」
「莉乃が、サポート役なんでしょ。主役なんだからもっとちゃんとしてよね、バカ信太」
「へへっ、あんがとな!」
信太が一発蹴りを入れ、敵はよろめいてみぞおち辺りを押さえ咳き込んでいる。ここぞとばかりに突きの構えをとる。
『獣型C級、八時方向の第二包囲網、突破されました!』
しかし、その攻撃を与える事は叶わなかった。もう一体向かってくるという無線も耳には届かず、眼下にいる敵に全意識を奪われていた。
「お前、人間なのか……?」
その一瞬の隙を突き、新たに現れた人外が信太の横腹に噛み付いた。
「――――な、」
「信太ァッ!」
噛まれながらも即座に獣型人外の首を刺すが、まだ動き続けている。莉乃が首を切り落としやっと事切れると、大きな牙が力なく開きドサリと落ちた。
「痛ッ…………」
膝から崩れ落ちる彼を抱きとめ、血の出処を圧迫し止血を試みる。しかし傷は一つ一つが大きく腹側にも背側にもある。牙から推測するに深さもあるはずだ。
「血が、血が止まらない……! どうしよう、どうしよ、ねえ、誰か……!」
見回し助けを求めるが、周りの退魔師全員が戦闘中だ。この事態に気付いている様子もない。
「誰か……信太が死んじゃうよ、誰か、誰かぁ…………ッ!」
悲願し叫び続ける莉乃に迫るのは、無傷の人間だった。
*
「一体……何がどうなってんの」
通信情報専門部での混乱は、現場以上のものだった。SNS対策室室長、猫瀬鈴もその混乱の渦の中で立ちつくしていた。
「猫瀬室長。オドオドしないでやるべき事をやりなさい!」
叱咤が織原から飛んでくる。初めて見るその迫力にたじろぐが、「でも」と口答えし俯いた。
「貴方は人を動かす側の人間よ。甘ったれてんじゃないわよ。……いい? 私達のせいで死人を出してもおかしくない状況なの。しっかりしなさい。ちょっとそこ! 何をもたついてるの! 迷ったらすぐに判断をあおぐ!」
ヒールの音が遠ざかる。織原に初めて本気で叱られ落ち込むその背中に、そっと通信情報専門部の現場指揮を担当する松永が手を置いた。三十代の落ち着いた雰囲気が、鈴を包み込む。
「木村君の件は残念だったわね。でも、部長を責めてはいけないわ。彼女だって、いっぱいいっぱいなのよ。貴方には貴方のするべき事があるわ。一人でも多くの人を救うために、今は辛くてもなんでも、自分を犠牲にしてでもやり遂げなきゃいけない事があるの。だから、今は踏ん張って」
袖で涙を拭い、鈴は力強く頷いた。
「はいっ……!」
自分の部下に情けない姿は見せられないと全力で頬を叩き、SNS対策室の扉を勢いよく蹴り飛ばした。
「さあ社畜共! クソ木村の分も働け! 徹夜覚悟連勤必至! しばらくはお家に返してぇ……あっ、げっ、ないっ! てへ!」
「可愛く言ってもブラック極まりないですね」
「社畜も徹夜も連勤も泊まり込みも上等です」
「しっかりとサポートに徹しましょう!」
笑いながらそう返してくれる仲間が、鈴にはまだいる。当たり前な事ではないのだと思い知らされてからまだ日が浅いからか、噛みしめるようにその有り難みを感じれた。
「……よし。後片付け含めてしばらく帰れると思うにゃよ?」
言いながら、自身のマイク付きヘッドホンを装着する。
「緊急マニュアル通りSNS対策室の仕事は、現場以外での人外出現の感知と対処並びに退魔師への現場急行の指示! 報道機関の動きに関しても注意を払うように!」
「はい!」
三人はパソコンに目を向けキーボードを叩きだす。
「本部に待機しているのは、槐隊、栗花落隊、そして本日付けで出張にきた関西支部の一隊しかも隊長不在! それと教官殿単体五名と訓練生以上!」
すると一人が振り返る。
「本部は現在三重に結界をはっていますが、これだけ出払っているとなると、本部の防衛は一体どこが担っているんですか」
「中長距離戦闘員だけで構成されたスナイパー隊と……」
「と……?」
「名無隊、短距離戦闘員三名よ」




