34話 かんわ ソロジャは釣りをする
━━━これはアスクレピオス侯爵家が領地を取り戻して2ヶ月後の話である。
子供たちに商会を任せて行商人を楽しんでいたソロジャ・ノーマは、アスクレピオス侯爵家の元領都で、つい先日までは領都であった浜辺の町にて、釣りをしていた。
「…………私は何をしているんでしょう。どうして、釣りをしているのでしょうか?」
自問自答をしつつ、ソロジャは浜辺にて釣り糸を垂らして、のんびりとしていた。ソロジャはいち早くアキの器を見て、その行動に興味を持った男だ。アキに興味を持ち、その拠点たる浜辺の町に住んで、アキの手伝いをしようと考えて浜辺の町に訪れた。本来ならば、資金面におけるアキの後ろ盾となり、様々な苦難を共に乗り越えて、国一番の商会になったりするパターンの男だった。
しかしながら、アキの行動はいち早くどころではなかった。音速を超えて光速に入りそうな勢いで、領地を移動し、王都に行った挙句に海の王国を救い、アスクレピオス侯爵家の膨大な借金を返済する道筋を敷いたせっかち幼女である。まるでRTAでもしようとしているかのような攻略速度であった。
そのため、ソロジャが浜辺の町に着いた頃には、なにもかも終わっていた。なのですることもなく、ソロジャは毎日釣りをして暮らし、2ヶ月が経過した今では悠々自適の生活もいいかもしれないと思い始めていた。
━━━だが、彼の運は未だに残っていた。
釣り糸を垂らして、今日は魚が釣れるかなと、浮きを見ながらのんびりしていると、浜辺の漁師たちが慌てたようすで小舟をつけてきたのだ。
持ち前の好奇心でなんだろうと眺めて、焦っている理由が分かった。小舟の脇から、ボコリと泡が出ると、次々と女性が海の中から姿を現してきたのだ。
「なんと………初めて見るな。あれは人魚だ。なぜこんなところに?」
ゆったりとしたトーガのような服を着た者たちはいずれも見目麗しい顔立ちとトーガ越しでもわかる魅力的な肢体の美女たちであったが、トーガから覗く脚が魚であったのだ。それぞれ一抱えはある袋を担いでいた。
人魚というものを初めて見るソロジャは不躾になってしまうが、それでも物珍しさと美しさに見惚れてしまう。なにせ、トーガは濡れており、ぴったりと肌に張り付いており、蠱惑的なのだ。その上美人なのだから男たちが目を向けるのも仕方ない。が、人魚たちはそのような視線に慣れているのだろう。まったく気にもせずに浜辺につくと、魚の脚を人間へと変える。
(おぉ、人間の脚に変えられるのか。とすると、魔女に声を代償に秘薬を貰い、人間の足に変身するというお伽噺は嘘であったか。まぁ、お伽噺などそんなものだ。それよりもなぜ人魚がここに?)
人魚たちがこのような何も無い長閑な浜辺の町に来訪した理由はなんだろうと不思議に思ってソロジャが様子を見ていると、小舟に乗っていた青年の一人がデレデレとした顔で人魚に声を掛ける。こんな田舎ではまずお目にかかれない美女たちだから気持ちは分かる。
「ここがアスクレピオス侯爵家の領都だべ。えへへ、俺が案内しようか? そこそこ面白い町なんだ」
なるほど、アスクレピオス侯爵家の領都が目的だったのかとソロジャは納得するが、人魚ははてなと首を傾げる。
「こんな小さな町にロデー王女が滞在しているというのでしょうか? はて、私が聞いた話では海から多少離れた場所にあると聞いていたのですが」
「そんなことねぇべさ。アスクレピオス領都ってーたら、昔からこの町のことだぁ。間違いないべ」
青年が言い募り、その様子から嘘は言ってなさそうだと、ますます困惑する人魚たち。だが、その様子を見ていたソロジャはハッと気づいて、人魚たちに近づく。違う、ここはもはやアスクレピオス領都ではない。田舎の者たちはまだ知らないが、既にアスクレピオス領都は元の領都に戻っている。なぜ人魚がそのことを知っているかは分からないが、これは良い機会だ。
「お話中申し訳ありません。たまたま聞こえてきたのですが、アスクレピオス領都をお探しでしょうか? あぁ、私はソロジャ・ノーマというしがない行商人でございます」
「む? 私はシーウィード。栄えあるポセイドン王国、ロデー王女近衛隊長です。ソロジャと申しましたね、アスクレピオス領都の場所を知っているのですか?」
「はい、シーウィード様。私は行商人をしておりまして、多くの町々を知っておりまする。その中でアスクレピオス領都にも訪れたことがありますゆえ。どなたにお会いに行くご予定でしょうか?」
「あぁ………アスクレピオス侯爵家が目的です。よかったら、道順を教えてくれまいか?」
ロデー王女との言葉が聞こえたので、その高貴なる貴人に会いに行くのかと思われたので、ソロジャは少し拍子抜けするが、持ち前の好奇心がむくむくと膨れ上がる。この話は少し面白そうだ。
「では、道順ではなく、私がご案内いたしましょう。なに、アスクレピオス領都には私も行く予定がありましたので、ちょうど良いでしょう」
なので、ソロジャはこの機会を逃すつもりもなく、ニコリと微笑んでついていくことに決めたのであった。
◇
「最も深き海底にてその力を示す海神ポセイドンの加護を得し、偉大なるロデー・ポセイドン王女へ拝謁の栄誉を頂きありがとうございます」
シーウィードたちが跪き、尊敬の念が籠もった声で挨拶をするのを見て、ソロジャは後ろで驚きを隠せなかった。
アスクレピオス領都には、山賊やモンスターに遭うこともなく、数日であっさりと到着した。そして、ソロジャは大丈夫かと思っていたが、あっさりとアスクレピオス侯爵に面会できることとなり、謁見の間に到着したところ、人魚たちは跪いたのだ。
謁見の間には最近噂されている魔法騎士が数人護衛におり、それ以外はアスクレピオス侯爵とその妻、そして幼女がいた。人が少なすぎて人払いを疑ってしまう光景だ。
「きゃー、よくわかったね? シーウィードしゅごい!」
侯爵の妻であるフユの膝の上に抱っこされている幼女がはしゃいで、キャッキャッと手足をバタバタさせる。素顔を見たのは初めてとなるが、チュートリ山賊団を討伐した際の幼女で間違いないだろう。あんな幼女がそこら辺にいるわけはない。今は年相応の幼さを見せており、少し違和感はあるが声や髪色からして同じ幼女だ。
「当然でございます、ロデー姫。我ら人魚族が見れば、その濃密にして強大なポセイドン神の加護に気づかないわけがありません。お会いできて光栄です」
柔らかな優しい笑みを浮かべて、尊敬の念を視線に込めて頭を下げるシーウィードに、はしゃぐ幼女が手足をパタパタさせて、膝から降りてシーウィードに向かおうとするが、フユはガッチリと抱っこをしており離すことはなかった。
「よくいらしたシーウィード卿。ですが、『瞬間移動』にて、お一人で来るとお聞きしていたのだが?」
目を細めて微笑むナツはさすがは侯爵との貫禄を既に見せており、ソロジャは関係ないのに、少したじろぐが、シーウィードはまったく怯む様子はなく、薄笑みを浮かべて言う。
「そうはまいりません。頼まれた物をお持ちするのは当然ですが、ロデー姫の護衛も必要ですし、ロデー姫を保護していただいたアスクレピオス侯爵にも相応のお礼をせねばなりませぬ。なので、これらをお礼の品としてお持ちしました」
シーウィードの合図に部下が頷くと、装飾の入った立派な木箱を前に出す。持ってきた袋の中身をソロジャが用意した贈答品用の箱に詰め替えたのだ。
木箱が開けられると、珊瑚や真珠、宝石や海の宝石などがぎっしりと詰まっていた。どれも一級品で、海の中でしかとれないため、大変に貴重なものだ。商人ならよだれを垂らして欲しがるものばかりである。これだけで一財産を築けるのは確実だ。
だが、ナツたちは目を輝かせて宝物を見ることはなく、冷静に冷たい視線のままであった。
「おかしなことを言う。保護と言うわけではないのだが。この子は初めから家族だ。まるでその言い様では、返還せよと聞こえるが気のせいかな?」
「ふっ、当然でありましょう。今の王国はゴタゴタしておりますが、それもすぐにおさまります。その際には、我らが王国にお戻りになって頂くのが筋かと」
「あら、この子はアムネジアよ? あ~ちゃん、おかーさまと一緒にいたいわよね?」
「あ~ちゃんはおとーさまとおかーさまといっしょ!」
ナツの言葉に鋭き目つきとなって睨むシーウィード。それに合わせて、フユがアキの頭を優しく撫でて微笑む。幼女は嬉しそうに頭を押し付けて、もっと撫でて撫でてと大はしゃぎだ。
その様子を第三者たるソロジャは何も分からずに眺める結果となっていた。なにやら火花が散って、危険なる針のような空気で、とても気まずい。どうして人がここに少ないのかがなんとなく分かり、こめかみに冷や汗が垂れてくる。
これはもしや聞いてはいけないやり取りなのではなかろうか? ソロジャは自分が人魚たちと同じ人魚だと、アスクレピオス侯爵が勘違いしている可能性に今更ながらに気づいた。
「まぁ、その話はすぐに結論づけることはないでしょう。ポセイドン王国も復興に大変でしょう。焦って結果を求める者は損をします」
「………そうですね。私たちはロデー王女近衛隊として訪れました。なので、ロデー姫のお側に仕えさせていただくことはお許し願います」
「わかりました。アムネジアの護衛、お願いいたします。では、歓待させていただきます。シーウィード卿」
火花はおさまり、ようやく空気が緩みホッとする。アキ・アスクレピオスは悪魔コブターンに呪われていたのではないかと疑問に思うが、そういえば、あのやりとりを聞いていた者たちはまったく気にしていなかったことを今更ながらに思い出す。きっと冗談だったのだ。だが、ロデー王女とは? ポセイドン王国とは?
新たに疑問が浮かぶソロジャだが━━━。
「あぁ、この者には感謝を。ここまで案内をかってくれたソロジャという行商人です」
との一言にビクリと体を震わせてしまう。さりげなくシーウィードたちの一員として、フェードアウトしようとしていたのだ。
「!? 君はポセイドン王国の一員ではなかったのか?」
「は、はひっ、ソロジャ・ノーマと申します、侯爵様。その王都で小さな商会を営んでおりましたが引退し、元アスクレピオス領都にて暮らしておりましたところ、シーウィード様たちが来訪なさったのでご案内した次第です」
予想外だったと驚くアスクレピオス侯爵に平伏して、ソロジャは答える。アスクレピオス侯爵の後ろに立つ騎士がさりげなく腰の剣の柄に手を添える様子が目に入り、ガタガタと震える。余計なことを知ってしまった者の最後は知っている。
アスクレピオス侯爵が僅かに迷い、片手を上げようとし━━━思わぬところから助け舟が来た。
「ソロジャしゃんは、あ~ちゃんにおかねくれたの! だからなかまだよ」
アキがのほほんとした様子で言ったのだ。護衛料のことだろう。
「ハハッ、そのとおりでございます。このソロジャ・ノーマは忠実なる姫様の臣でございます!」
「そうなのか……それならば仕方ない。今の会話は忘れるように。それに商会の者とは幸運だ。私は各地から小麦を買い集めたいし、他にも様々なことをしなくてはならない。ちょうど信用できる商会を探してたんだ。手伝ってもらえるだろうか?」
片手を下げて、目つきは冷ややかながら、ニコリと微笑む『血の侯爵』を前に、頭を深く下げてソロジャは了承する。
「ハハッ、このソロジャにお任せください。すぐ愚息めに連絡をして、ご用意いたしますゆえ」
どうやら命が助かったようだ。銀貨ではなく金貨を払っておけば良かった! ソロジャは安堵して、そして、今の会話は何だったのだろうと思う。が、好奇心は猫を殺す。調べない方が良いだろう。
それにこれからは忙しくなりそうだ。今のアスクレピオス侯爵家を手伝うということは、大変な仕事が降りかかり、そして大きな商いとなることを推測し、口元が笑みに変わる。
どうやら浜辺の町に向かったことは間違いなかったらしい。奇縁であるが、きっとこれからは面白くなりそうだ。
そうして老爺は引退は取り止めだと、久しぶりに胸に熱さを感じるのだった。




