16話 美を求めるのは誰でも同じ
「これで全てですか? あのサーカス団から全てを買い取りましたね? 間違いなく買い占めましたね?」
「はい。全て買い占めたはずでございます奥様」
奥様と呼ばれた女性の前には木箱が置かれており、その中には水霊の祝福水が入ったガラスの小瓶がぎっしりと詰まっていた。それを見て奥様と呼ばれた女性は大切な宝物のように、愛おしげに小瓶を撫でて、口元をほころばせる。
「それは重畳です。では、暫くはこの薬は出回ることはありませんね?」
「はい。手持ちの物は全て売ってもらったはずでございます」
恭しく頭を下げるのは執事服を着た者だ。奥様と呼ばれた者は今年流行のドレスを着ており、身につけているアクセサリー類も大粒の宝石や貴重な宝石を嵌めた精緻なる意匠で拵えた物をつけている。そして、その服装に負けないほどに、その女性は高貴さを持っていた。
座っている椅子から、木箱が置かれているテーブルまで、有名デザイナーによる作品であり、広々とした部屋には上品なる調度品が置かれている。そして内装も素晴らしいが、年月による風格も部屋には存在し、この部屋をひと目でも見れば、住んでいる者が高貴にして裕福なるものだとわかるだろう。
「ふふ、まさか『水霊の祝福水』が手に入るとは………しかも品質も完璧。書に載っていた通りの力を持つとは思っておりませんでした」
小瓶を宝物のように撫でながら微笑むのは30代半ばの女性だ。名前はテトラ・ピスケス。大国アルマゲスト王国の貴族の中でも筆頭である公爵家の公爵夫人である。
アキが見たら記憶にある人だと騒ぐだろう。彼女こそがゲームでは『水霊の祝福水』を依頼した当人であったからだ。彼女は常に美を求めており、ゲームでも秘薬として『水霊の祝福水』のレシピを見つけて、プレイヤーに『水霊の祝福水』を手に入れるように依頼してきた。しかし、その結果はたった1週間しか効果が無い薬と判明して落胆するオチがついたのだが━━━。
「たった1週間しか効果のない秘薬水霊の祝福水。本来なら一本でも手に入れるのに苦労したでしょうに、これだけの数があるとは! これならば、普段使いができます」
アキの人魚人魚詐欺により、状況は変わっていた。ゲームで落胆したのは作りやすいレシピだが、素材が滅多に入らないから落胆したのだ。大量に手に入らなければ、美を求める者として、化粧品は役に立たない。しかし、今は人魚が大量に製作してくれたおかけで、大量に手に入れることができたのだ。
今ごろ、アキの前には『サブストーリーを潰しました。経験値5000取得』と表示されて、なんだろうこれと首を傾げるのだが、そんなことはテトラには気付きようもない。そしてアキはろくなことをしないことが密かに判明していた。
それはともかくとして、テトラはこの秘薬の存在を知ると、大金を使い、すぐに『水霊の祝福水』を買い占めたのである。もちろん鑑定は終えており、その効果は確認済みだ。
「お母様………でも、少し買いすぎではないでしょうか。あの、非難するわけではなく、1週間に一瓶使うなら、半分もあれば1年持つと思うんです」
気弱そうな声にテトラは振り向き、赤いルージュにて染められた唇を笑みに変える。
「マノミ。たしかに鑑定結果でもそう出てるわ。この小瓶の効果は確かなものですし、言いたいことは分かります」
テトラの視線の先、沈むほどに柔らかいソファにちょこんと座るのは簡素な装いであるが最高の布地を使ったワンピースを着た年若き少女だった。青空のような髪色をセミロングまで伸ばして、気弱そうに少し垂れ目のサファイアのような瞳、小柄な体躯で今年14歳であるのに、見た目からもっともし若いと思われる少女。名はマノミ・ピスケス。テトラの娘であり、溺愛されている少女だ。
「見ていなさい、この秘薬の力を」
小瓶の蓋を開けると、躊躇いもせずに掌に液体を零す。公爵夫人としては信じられない迂闊にも思える軽々しい行動だが、この世界では『鑑定魔法』が存在する。隠蔽もしくは欺瞞されている場合は、鑑定に失敗する。逆説的に鑑定できればその効果には疑いはなく、安心して使用できることになる。
掌に注がれた秘薬はその魔法の効果を発揮して、テトラの身体全体が青く光る。光が収まり、秘薬の効果が肉体に発揮されたが、マノミは答えに窮してしまう。お母様の身体がはっきりとなにか変わったように思えないからだった。ちらりと執事を見るが、やはり同じように違いがわからないのか、目線が合わないようにしていた。
「………こ、効果は発揮されたのですか、お母様?」
もしかしたら、秘薬と言われてもたいした効果はなかったのだろうかと、マノミが小声でテトラの様子を窺うように言う。てっきりお母様は効果がないので落胆して落ち込むかと思っていたのだ。
しかし、テトラの様子はマノミの予想とは違った。自身の手をためすすがめつ確認して、機嫌が良い証に口元を綻ばす。
「気づかない貴女にはもう少し女性としての勉強が必要ですね。それではこれではどうですか?」
テトラはメイドに水を持ってこさせると、数滴を掌に注ぐ。その結果を見てもマノミはさっぱり分からなかったが、テトラの喜びの笑みは深くなる。
「はぁ、貴女はわからないでしょうが、私の歳になるとこのように水を弾くことはないのです。これは悔しいですが歳のせいで肌のハリが失われたからです」
「でも、弾いています。……そういえば、お母様の肌がつやつやしてます!」
テトラの手の甲に注がれた水滴は粒となって、手の甲を流れて落ちていく。ぴちょんとテーブルに水滴が落ち、跡になるのを見ながら、マノミも秘薬の効果を理解した。
「ふふ、この肌のハリは若い貴女と同様となっているでしょう? 歳というのは一番わかり易いのが手の甲なのです。顔は化粧でいくら隠せても、手の甲だけは隠せません。たるんで、艶のなくした肌、わずかでも染みがあれば手袋は必須となりますしね。それに目尻なども変わってますでしょう?」
「全体を見ると、お母様は若返ってます! 以前もお美しかったですが、今は元気さというか、水を与えられた花のようにお美しいです!」
言われてみると、お母様はたしかに全体的に若さを感じさせていた。前は落ち着いた雰囲気、言い方を変えれば歳を経た者の空気を見せていた。それは肌の艶のなさ、目尻の僅かなシワなどがその空気を醸し出していたことに気づく。少しの違いが人の印象を変えるものだとマノミは理解した。
「ふふ、そうでしょう。肌に艶があるので化粧はこれまでよりも薄くすみます。お茶会にてこの違いを私のような歳の者は必ず気づくはずです」
美を求める者としてテトラは有名だ。化粧品の一つ一つからドレス、アクセサリーなどを吟味して、超一流の物を揃えている。だが、それはテトラが有名であって、他の者たちが無頓着なわけではない。貴族は見栄を服装にしている。皆も美しさを求めているのだ。
そして、この『水霊の祝福水』はただの化粧品とは一線を画していた。幻術などのつまらない魔法ではない。しおれた花に水を与えるように、本来の肉体の美しさを引き出しているのだ。夢の薬といえよう。
きっとこの秘薬は貴族達の中で大人気の、いや必需品となるのは火を見るよりも明らかであった。
「おめでとうございます、お母様。それならば、買い占めて、他の貴族に渡すおつもりなのですね」
パチパチと拍手をして褒めた讃えながら、マノミはテトラの慧眼に感心する。この秘薬を配れば、貴族の夫人たちは感謝をして、社交界での立場を不動のものとするだろう。さすがはお母様だと尊敬の念を送るが、テトラはキョトンとした顔になった。
「まだ秘薬の数が足りません。暫くは私だけが使います」
「え? で、ですが、百瓶あるのですよね? 十分に数は足りております。効果は1週間続くのですよね?」
「マノミ、たしかに効果は1週間続きます。されどそれは少しずつ効果が失われていくということです。なので毎日使用します。欲を言えば朝昼晩と使用したいところですわ」
マノミも執事も言葉を失った。テトラの顔を見ると本気であることがわかる。この百瓶を全て独り占めして使おうと言うのだ。
一瓶金貨10枚の『水霊の祝福水』。大金を文字通り湯水のように使うつもりなのだ。ここに公爵家の財力の強さを見せていた。
毎日使えば約3600枚の金貨を使用することになる。だが、公爵夫人の使用できる毎年の品位維持費は数万枚。気にすることもない金額なのであった。
「………マノミ。貴女が平民の芸をみたいと言っていた時には少し思うところがありましたが、このような秘薬が手に入ったことから、無駄なことなどないと、良いことを知りました」
お忍びで平民の大道芸を見に行きたいと伝えた時に、難渋していたが、許可したのは正解だったと小瓶を見ながらテトラは微笑む。眺めている間にも小瓶がサラサラと砂金のように崩れていき消えていく姿を見て、魔力で作られた器だったのかと再度驚く。恐らくは劣化しないように小瓶ですらも魔力で作られているのだ。素晴らしい技術が使われていたと分かる。
「『水霊の祝福水』を定期的に手に入れる必要がありますが………サーカス団がどこから来たのかは分かりましたか?」
「いえ、申し訳ありません。数日前に王都に訪れたところまでは判明しておりますが、どこから来たのかは判明しておりません」
尋ねはしたが、テトラは執事の返答は期待していなかった。調査の時間が短すぎる。
「海の王国ポセイドンの王女と言ってましたけど、それならば国際問題となるのでは?」
夫人の期待に応えられないことに、気まずげな執事が言うが、元より誰もポセイドン国を見たことはないのだ。
「国自体確認できていないのですから気にすることはないでしょう。引き続き、サーカス団の調査を致しなさい。そして、マノミ」
「は、はい」
なんだろうとマノミが不思議そうな顔にすると、テトラはニコリとその裏に一物ありそうな笑みを見せる。
「サーカス団にもう一度行き、王女と称する人魚と接触できないか試しなさい。お土産に持っていくものは我が家のコックの作ったお菓子が良いでしょう」
「わかりました、お母様」
高貴な相手を狙い撃ちして、秘薬を配っていることをテトラは見抜いていた。ならば同じように高貴な者が会いに行けば邪険にされないだろう。
ただそれだけの考えで、日中であれば護衛も付ければ危険なこともあるまいと命じたのである。
マノミはまた平民区に行けるとドキドキして頷いた。
ヒロインの一人、マノミ・ピスケス。
ここに出会ってはいけない出会いが行われることになるのだが、誰にもそれはわからなかったのである。




