番外編 イノシシ肉のホロホロ焼き
最近、毎日森に行けないので、針葉樹林の森の罠はすべて回収している。
よって、獲物は直接狩る他ない。
ミハイルは今日も、オリガと共に森に出かけた。
猟犬を連れ、獲物がいそうな場所を目指す。
「オーリ、足元に気を付けろよ」
「ああ、分かった」
後ろを歩くオリガは、淡く微笑みながら言葉を返す。
ミハイルは歩みを止め、訝しげな視線を向けた。
「なんだよ、笑って」
「いや、うちの旦那様は頼もしいなと思って」
ミハイルにとっては二度目の冬であったが、すっかり針葉樹林の森での暮らしには慣れていた。もう、雪で足を取られることもなければ、氷を踏んで転倒することもない。
「とても、嬉しいことなので、顔に出てしまったようだ」
「そういうことだったのか」
この先は坂になっている。転ばないようにと言って、ミハイルはオリガに手を差し出した。
手袋越しなので体温は伝わらないが、不思議と心は温かくなる。
「こうして、ミーシャと一緒に森を歩いているのは、不思議だな」
オリガにとって、森での狩猟は孤独を象徴するものであった。
ただただ広い、針葉樹林の中を歩いているとより一層、自分は独りなのだと感じることが多かったらしい。
「家の中に独りでいるのと、変わらないのにな」
「いや、なんか分かる気がする」
初めて針葉樹林の森に行った時、あまりにも自分が小さく思えて、恐怖すら覚えた。
「馬も犬もいたのにな」
手を差し伸べたら握り返してくれる人がいる。そのことを、ミハイルは奇跡のように思っていた。
話題は変わって、本日の獲物――イノシシについて話す。
「イノシシって、今の時期が一番美味いんだっけ?」
「そうだ」
イノシシの旬は十一月から十二月。
秋に食べた木の実やキノコなどが脂肪になっている頃合いである。
「やはり、罠より直接仕留めたほうが肉質は良い」
「そういや、今まで罠ばかりだったな」
今日は初めて、イノシシの追い込み猟を行う。
ヒュウヒュウと吹く冷たい風は向かい風であった。追い風だと、匂いで獲物に気付かれる可能性がある。猟をする場合は、好都合であった。
黙々と雪道を歩いていると、途中で足跡を発見した。
「ミーシャ、あそこに新しい足跡がある。近くにイノシシがいるだろう」
「了解」
ミハイルは背負っていた銃をくるりと前に回し、レバー操作を行って中開くと、弾を装填した。ついでに、安全装置を下ろす。
坂を上り、斜面を見下ろす位置からイノシシを探す。匂いを覚えている犬は、雪が積もる地面をクンクンと嗅ぎながら、誘導してくれた。
途中、イノシシが食事をした形跡があった。穴を掘り、木の根を食べていたらしい。
「もう、近いだろう」
ミハイルは頷く。
猟犬が立ち止まった。オリガは目を細めたあと、一点を指差した。
そこに、一頭のイノシシがいた。
この場に犬を待機させ、ゆっくり接近していく。
十メートルほど坂を下った。イノシシはまだ気付いていないのか、呑気に歩いている。
先を歩くオリガが振り返る。ミハイルはこれから猟が始まるのだと察した。
オリガはしゃがみ込み、銃を構える。
ミハイルは立ったまま、イノシシを狙った。
二人はほぼ同時に銃を撃った。ミハイルが先で、オリガがあとだ。
銃弾は獲物を捕らえる。
今日は、ミハイルの撃った弾が肩に着弾した。そのあとイノシシは息絶えず、驚いて走り出す。
オリガは冷静なもので、空薬莢を飛ばしながら、二発目を撃った。
見事、頭部を貫く。ここで、イノシシは動きを止め、バタリと倒れた。
「さすが、オーリ」
「ミーシャの一撃があってこそ、頭に当てることができた」
「ま、そういうことにしておこう」
ミハイルはオリガの肩を叩いて、手を貸す。
オリガの手先は、ブルブルと震えていた。
「大丈夫か?」
「ああ、久々の狩りで、緊張していた……というよりは、怖かったのかもしれない」
大きなイノシシだった。もしも、弾が外れ、仮に襲われていたら怪我をしていたかもしれないと、オリガは呟く。
「昔は、こんなこと、怖くなかったのに……」
今は、ミハイルが怪我することが怖いと話す。
「私は……情けないな……」
ミハイルは銃の安全装置を下ろす。オリガもそれを見て、自身の銃にも同様の操作をしていた。
銃を吊るすベルトを肩にかけ、背中へと回す。手ぶらになると、ミハイルはオリガをぎゅっと抱きしめた。ついでに、背中をポンポンと叩く。
「オーリ、大丈夫だ。何も、怖いことはない」
オリガの耳元で囁く。
「ありがとう、ミーシャ……」
離れると、いつものオリガに戻っていた。手先も、震えが治まっている。
「帰ろう」
「ああ、そうだな」
イノシシの血抜きをして、内臓を摘出し、縄で縛ってソリ犬の待つ場所へと戻る。
家に戻って来られたのは、昼過ぎであった。
昼食を食べたあと、イノシシを解体する。
刃を入れていた部分から、皮を剥ぐ。オリガが体を押さえ、ミハイルが毛皮と皮膚の間に刃を滑らせて剥いでいった。
続いて、首元から胸にかけて切込みを入れる。
アバラを開き、肉を部位ごとに切っていく。
イノシシ肉は十二カ所に分類される。
タン、アゴ、カシラ、肩肉、背中肉、内背肉、前モモ、ハツ、レバー、バラ、モモ、スネ。
秋に脂肪を蓄えたイノシシは、美しい赤身に分厚い脂肪を蓄えていた。
解体は肉体労働で、汗びっしょりになる。
「ミーシャ、料理をする前に、風呂に入ったほうがいいな」
脂が乗り過ぎていて、腕までべっとりだった。
「そうだな。よし、オーリ、今日は一緒に入ろう」
「分かった」
「いいのかよ……」
冗談のつもりであったのに、了承されてしまった。
せっかくなので、仲良く風呂に入ることにした。
夫婦の特権である。
◇◇◇
各部位は熟成させ、今晩はアバラ肉を使った料理を作る。
まず、アバラ肉を鍋で茹でる。灰汁を取りつつ茹でて、しっかり臭みを消すのだ。
茹でたアバラは水で洗い、おろしニンニクと塩胡椒、オリーブオイルを揉み込む。
鉄板に肉とジャガイモを並べ、香草を振りかける。かまどで焼き目が付くまで火を通したら『アバラ肉のホロホロ焼き』の完成だ。
アバラを煮た出汁で作ったスープと一緒に食べる。
森の神に感謝を捧げ、イノシシのアバラ肉をいただくことにする。
まず、アバラ骨と肉の間に、ナイフの刃を滑らせた。肉は力を入れずとも、すぐに外れる。
一口大に切って、食べた。
「……美味いな」
ぼそりと独り言のように呟く。その言葉に、オリガは頷いた。
肉を噛む様子は、とても幸せそうに見えた。
ごくんと飲み込んでから、感想を述べる。
「ミーシャ、美味しい!」
「そうかい」
臭みはまったくない。表面はカリカリで、肉は柔らかい。口の中で、ホロホロと解けた。
木の実を食べて肉を付けたイノシシの味は、どこか上品で、脂もしっかりと乗っていた。
二本目はアバラを手で持って、かぶりつく。このほうが美味しく感じた。
オリガも真似をする。
「確かに、こうして食べたほうが美味しい」
「だろ?」
夫婦は冬の味覚を堪能した。




