(最終話)決着
アキトゥ祭の夜の宴。
アッシリア王妃ヤバは、各国の王妃の挨拶を受けていた。
その中でも一際異彩を放っていたのが、アラブの女王ザビベである。
「どのような趣向でもてなしてくれるか、楽しみにしておりますぞ」
図々しいが、一線を越えない礼儀正しさを見せる。
都市国家サマル、イスラエル王国、ユダ王国といった属国だけでなく、バビロニアの臣従した部族からも女性の使節が派遣されていた。
ヤバはそれらの女性との会話に忙しい。
給仕をする奴隷の顔など、一々見てはいなかった。
そして運ばれて来た毒料理。
ヤバはそれに口をつけようとしていた。
その直前
「義母様、お待ち下さい」
バニトゥが剣呑な雰囲気を出して制止する。
「そこの奴隷。
今、義母様に皿を運んだお前だ。
この料理を食べてみよ」
ザビべがギョッとして自分の皿を見る。
この流れは、明らかに毒が入れられたものだろう。
だが、その女奴隷はためらわずに料理を口にする。
「お言いつけ通り食べました、王太子妃様」
「ほお、お前、生きてここを出る気は無かったのだな。
毒と知りながら食べてみせるとは、大したものだ。
流石はウラルトゥの工作員よな」
周囲の者が驚く。
ザビベは自分の皿を掴んで、その奴隷に投げつけた。
「落ち着かれよ、アラブの女王。
私は貴女には何の関心も無い。
私が殺したかったのは、そこのヤバ様一人よ」
女奴隷の声が変わった。
ヤバにはその声に聞き覚えがある。
「貴女、バグマシュティか?
随分と……変わったものね」
バグマシュティは、女から見ても分かる色香を持ち、男を虜とする匂いを放った「良い女」だった。
そして、ヤバはその印象に縛られていた。
バグマシュティは自分の色香が加齢によって通じなくなると判断するや、逆に一切の色香を消してアッシリアの後宮に紛れ込んだのである。
水荒れした手、砂塵で汚れた頬、カサカサにひび割れた唇、染めもせず白髪混じりの髪、バグマシュティを知る者からしたら別人にしか見えない。
そうして徹底的に裏方として働き、王族の前に姿を現さなかった。
たまに会う機会があっても、奴隷らしく顔を伏せ、最低限の時間で退出する。
ヤバは今の今まで、こんな身近にバグマシュティが居た事に気付かなかったのだ。
「それにしても、何故気づいたのでしょう?」
開き直ったバグマシュティがバニトゥに尋ねる。
「毒の匂いです。
知らぬ者ならまだしも、使った事がある者なら気づきます」
かつて権臣を闇に葬って来たバニトゥは、義母の皿から漂う匂いですぐに感づいたのだ。
「毒に詳しいとは……大した貴婦人ですね。
ですが、貴女が居なければヤバ様は毒を口にした。
私はヤバ様に勝ったのです!」
そう言って高笑いする。
「私は王宮に出入りする者は全て調べさせている。
お前がバビロニアから売られて来た奴隷で、以前ウラルトゥに通じていた者の紹介で働き始めた事は掴んでいた。
働きぶりが真面目だったから、あえて言わなかったが、お前は怪しいと思っていた。
お前を買ったというバビロニア人は、明らかに北の男、短く切りそろえた髭の者から買ったと言っていたからな」
「そこからウラルトゥにたどり着いたというわけね。
凄いわね。
ヤバ様以外にもこんな女性が居たなんて。
もっと早く知りたかったわ」
「バグマシュティ、クラムワは死んだのよ」
ヤバが話しかける。
「死っているわ」
「サルドゥリ2世も戦死した」
「それも知っている」
「貴女は死者に殉じて、私を殺しに来たの?」
「それもあるわね。
でも、一番は私のこだわりよ。
私は、貴女に勝ちたいの」
「私に勝つ?
そう言えば、さっきも『私の勝ち』とか言ってたけど。
私に勝って、それで満足なの?」
「ええ、満足よ。
言っておきますが、私はヤバ様を尊敬していますのよ。
貴女のような、男に負けない女は、私の憧れですの。
私は男を利用して生きて来たの。
それって、女が本当に男に勝ったと言えるのかどうか。
実際の力は男が上って事を、利用した、あれは馬鹿だって思って誤魔化してるに過ぎない。
だから、男と上手く渡り合い、成果を出す女性って凄いと思うのよ。
特にあのアッシリアでそれを為すなんてねえ。
……ってそこの毒貴婦人、何を自分の事のように誇らしげにしてるのよ!」
敵の言葉とは言え、尊敬する義母を正当に評価されて嬉しそうなバニトゥである。
「だからね、私はヤバ様に勝ちたかったの。
女王の真似事をして、自分は到底ヤバ様に及ばないって思い知った。
こんな凄い人なんだって。
そんなヤバ様に、何か一つでも良い、敗北感を味わわせてやりたかったわ。
私という存在を知らしめてやりたかったわ。
それが政治の闇に生きていた夜の女、この私が生きた証だと思ったのよ」
バグマシュティは子を産めないようだ。
だからなのか、自分が生きた証を求めたという。
真っ当に勝負しては、絶対にヤバに勝てない。
だが、もしヤバの暗殺に成功していたら?
名前は残らずとも、希代の才女を殺した痴れ者として粘土板に刻まれるかもしれない。
まあ、そんな歴史に名を残す野心などどうでも良い。
何かでヤバに勝って、ヤバの心に自分の存在を刻みつけられたら、それで満足だ。
バグマシュティの息が苦しくなり始めている。
毒が効き始めたようだ。
「もう長くは無さそうね。
他に言い遺す事はある?」
ヤバの問いに
「私ね、ヤバ様を尊敬していて、だからこそ殺したかったんだけど、それとは別に文句が一つあるの」
と返した。
「ヤバ様でしょ、クラムワ様をこの世から影も残さずに消した……『エルラの炎』だったかしら、あれを作ったのは」
ヤバは黙って頷く。
「あれは酷いわよ。
そこまでする事は無いでしょ!」
あれは王が決めた……と言おうとして、留まる。
死に行く者に、事実を告げても何の意味も無いのだから。
ここは納得して死んでもらおう。
「でね、殺そうとしてのお願いなんて変だけどね。
私をその『エルラの炎』で焼き尽くして欲しいの」
「バグマシュティ……貴女……」
「そうすれば、もしかしたら死んだクラムワ様と同じ所に行けるかもしれない。
それが最期の願いよ。
貴女はとっくに、クラムワ様を見限っていたかもしれないけど、あの方を貴女から奪ったのは、私の勝利として心に残っているの。
そして、後になって気づいたわ。
奪ってそれでおしまいではなかった。
私の心も、多少なりともクラムワ様に奪われていたのだと」
そうか、この人、義母様の婚約者を奪った女か! とやっとバニトゥの中で記憶が繋がったようだ。
いずれ義母様に代わって仇を討ってやろうと思っていたが、思わぬ形で実現出来たようだ。
「苦しいわ。
もうそろそろ死ぬようね。
婚約者を奪っておいて頼むのも変だけど……。
お願いね……」
やがて喘鳴も小さくなり、バグマシュティは息絶えた。
「余興にしては中々のものだった」
沈黙を破るように、ザビべが手を鳴らした。
「最初はどうなるかと思ったが、皆に被害は無かった。
これはこの場限りの余興として、見た事を口になさらぬようにしましょう。
如何か?」
ザビべがそう言った事で、宴に招かれていた賓客たちは口と閉ざす事を決めた。
「で、王妃様はどうするんですか?
この暗殺者の頼みを聞いてやるんですか?」
「ザビベ様、義母様はあの兵器は『使ってはならぬ禁断の兵器』として封印すると言っていまして……」
「使いましょう!」
「え?
義母様?」
「ザビベ様、これは余興だと言っていましたね。
でしたら、最後まで楽しんでいって下さい」
「ほお、そう来たか。
妾は楽しめそうにないだろうな……。
話に聞く、恐ろしい炎……脅しとしては最高のものですな」
「いやいや、単なる在庫処分ですよ。
ちょっとだけ残っていて、どこで使うか困ってたみたいなので、いっそ使ってしまおうってわけでして」
そう言って笑うヤバ。
引き笑いのザビベを横目に、ヤバはバグマシュティの息が止まった肉体を見下ろす。
(さようなら、私への挑戦者さん。
最後は貴女の勝ちって事にして良いですよ。
仲間が居なかったら、確実に私は死んでいたのですから)
宴で起きた事件と、「エルラの炎」最後の使用をヤバはティグラト・ピレセル3世に申し出た。
暗殺未遂事件と聞いて苦い顔になった王だが、やがて表情を緩め
「王妃は過去を完全に清算したようだな。
良かろう、派手に使うが良い」
と使用許可を出す。
無論、その威力を見せる事で得られる効果も計算しての事であるが。
その後バビロニア某所にて、アッシリア王妃暗殺未遂犯が「エルラの炎」で、完全消滅させられる刑に処された。
招待された属国や従属民族、部族の長たちは震え上がったという。
こうしてヤバの物語を終えよう。
この女性は死後、アッシリア王都カルフ、後のニムルドに葬られた。
1980年代後半、イラク考古省が4基の王族女性の墓を発見する。
その墓には遥か西方の外国から来た貴重品が埋葬されていた。
男尊女卑の国アッシリアと言われていたが、この発見はその常識を覆すものであったという。
そこに埋葬されていた女性、ヤバとバニトゥ。
「美しい」を示す西セム系アラム語の「ヤバ」と、アッシリア語の「バニトゥ」。
両者は同じ人物と看做される時期もあったが、最近の研究では別人と分かっている。
その丁重な葬られ方から、相当な尊敬を受けていた事が想像された。
この王妃の墓には、次の王の妃も眠っていた。
ティグラト・ピレセル3世の死後、長男のウラルユ(昔の名前はアッシュール・イルニ)が後を継ぎ、シャルマネセル5世となる。
恐らく彼の統治中に、ヤバとバニトゥが相次いで死んだ。
アッシリアを監視する強力な目が無くなった後、次男のナバが王位を奪う。
そしてサルゴン2世と名乗り、アッシリアを更なる強国へと成長させた。
ヤバとバニトゥの近くには、サルゴン2世王妃も葬られていたのだった。
そして残念な事に、このニムルドの王妃の墓は、2015年4月11日に過激な集団によって破壊されてしまう。
アッシリアで活躍した女性の業績は歴史の中で消え、その痕跡を留めたものも失われてしまった。
それでも記憶は残る。
いつの日か、新たな発掘調査によって、新しい物語の題材が見つかるかもしれない。
~~ (完) ~~
後書き:
テンプレートもの(追放・婚約破棄・内政チート・ざまあ)を書いてみたかったんですが、それでも史実ベースってのを外せなかったで、良さそうな人物を探してました。
そうしたら「男尊女卑のアッシリアの常識を覆す、立派な埋葬をされた王妃の墓」ってのを見つけまして。
この遺跡、文化遺産破壊では定評があるあの連中に破壊されてました。
(薩摩転生書いた時、イスラム教絡みでちょっとあったので、実名は書かないでおきます。
書いて糾弾するのは作品とは何の関係もない事なので)
さて、ティグラト・ピレセル3世は、その後のサルゴン2世やアッシュルバニパルに比べれば高校の世界史では出て来ない名前ですが(最近の教科書読んでないけど)、制度改革とかはこの人凄い事やってるよね、となりましたが、この人主人公にしたら単なる英雄譚で終わってしまうので、奥さんの方を主人公にしました。
で、作中でも書きましたが名前がアラム語なので、外国出身者にしよう。
アラム語圏で内政チートやれるのは商業都市出身だな。
この辺、大体アッシリアと戦って強制移住させられてるけど……都市国家サマルは王が戦死した時にアッシリアが国葬に近い服喪をするとか、相当に気に入られている国だな。
この国を調べたところ、新ヒッタイト諸国の1つ。
ヒッタイトと言えば鉄器だけど……調べれば中々のチート国家!
創作も込みで、ヒッタイトの失われた知識・オーパーツ使いにしよう!
となって、ヤバの才能的な部分が固まりました。
あとは追放ものにするから、って事で他作者様の作品読みまくって、ハズレのない人格にしました。
そして、内政チート・オーパーツ使いの「陽」だけでは足りないなと思って、アッシリア人と思われる息子の嫁を、ちょっとサイコパスな「陰」を担当する者にしました。
ティグラト・ピレセル3世は勝者なので、生涯を通じてのライバルとか居なかったんですよ。
ウラルトゥのサルドゥリ2世は途中で倒してますから。
最後に屈服させたバビロニアなんて、ライバルとしては物足りない。
なので主人公がヤバなら、ラスボスは婚約破棄させた女性にしようかな、と。
こいつなら1話で登場させてから、ずっと引っ張れるな、と。
てな感じで「史実をベースに、そこには全然業績が残されていない女性を、どうせ記録が無いなら好きに書いてやれ」となりました。
あとは、「ゴッドサイダー」で出て来た魔神パズス(正確にはパズズ)がアッシリアの悪魔だったな、という事で、宗教的にも使えるネタを探して、ヤバをイシュタル女神、バニトゥをパズスに当てはめました。
女性が戦場で活躍するのは(世話係とかはアリでも)この時代とこの国では無さそうなので、コスプレして「神」として動き回るってのは、執筆を楽にしてくれました。
中盤からティグラト・ピレセル3世の戦争描写ばかりになりますからね。
あと、織物産業は基本的に古アッシリア時代のものですが、経済無くして常備軍もへったくれもあるか!という事で、新アッシリア時代も主力産業の位置づけにしました。
この辺は史実とは違うかもしれません(合ってるかもしれないけど、新アッシリアは基本征服が産業なので)。
ウラルトゥのサルドゥリ2世ですが、強国の癖に基本は要塞戦主体で守りの戦術。
軽々しく軍事力を使っては来ない人だったので、だったら
「テロンの艦かね? 我がガミラスを相手によくやるではないか。
ちょっと遊んでやろうと思ってね。
この罠をどうクリアするか、見ものではないか」
という総統をモチーフにしました。
「アッシリア暗黒期」「低迷期」は史実通りで、権臣も史実通りに登場させましたが、多分もっといっぱいいたように思うんですよ。
ただ、余り出し過ぎても冗長的になるので、主要2人を出し、後は影で始末してもらいました。
書き足りないのはシャルマネセル5世とサルゴン2世です。
ただ、ティグラト・ピレセル3世の役割がかぶるので、大して書く事もなかったです。
息子2人の即位前の名前は創作です。
即位後の名前しか残っていないので。
よく言われている事ですが、中国の記録は物語的には良い材料で、人物の性格やエピソードを詳細に記録する一方、民族は何なのかや、その外見的特徴、戦争時の数値や入出費の金額はテキトーなので、ここを埋める必要があります。
一方メソポタミアの記録は、出納帳の延長なので、王の民族名や業績を淡々と記述し、数値をちゃんと書いている一方、どういう性格なのかや、生まれ育ち、エピソードといった物語的情報に乏しく、本作ではその辺りをかなり自由に創作しました。
ヤバもバニトゥも、遺跡と人名記録があるだけで、何をしたかなんて分かっていないので、だからこそ好き勝手に書きました。
ただこの2人、一緒の墓に入っているんですよね。
女性だからまとめて同じ墓に入れられたって解釈もありますが、自分は相当に仲が良く、ほぼ同時期に死んだから同じ墓に葬られたという解釈にしました。
歴史上の事実は記録通りなので、その行間を埋める小説となりました。
てな感じで女性主人公の歴史小説を書き終わりました。
1ヶ月程ですが、ご愛読ありがとうございました。
参考文献:
アッシリア全史 都市国家から世界帝国までの1400年 小林登志子 著(中公新書)
アッシリア 人類最古の帝国 山田重郎 著(ちくま新書)
地中海世界の歴史2 沈黙する神々の帝国 アッシリアとペルシア 本村凌二 著(講談社選書メチエ)
古代オリエント全史 エジプト、メソポタミアからペルシアまで4000年の興亡 小林登志子 著(中公新書)
ヒッタイト帝国 「鉄の王国」の実像 津本英利 PHP新書
古代の歴史ロマン(1) アッカド語~楔型文字と文法~ 飯島紀 著(国際語学社)
古代の歴史ロマン(2) アラム語~イエスの誕生、キリスト教の全貌~ 飯島紀 著(国際語学社)
古代の歴史ロマン(3) フェニキア文字の碑文~アルファベットの起源~ 谷川政美 著(国際語学社)




