王妃と女王
その日、アッシリア王妃ヤバを迎えての饗宴が開かれた。
アラブ女王ザビベは、あえてヤバにアッシリア料理をリクエストする。
ヤバ本人が料理するわけにはいかない。
随行したヤバの家人が代理で料理する。
そして、これもザビベの依頼で、贈られた鉄釜が皆の前で披露された。
集まった部族長やその代理の者たちは、アッシリアに対する警戒を解いていない。
今まで身分を隠して来たヤバだが、正体がバレてからは遠巻きに見られている。
そんな中、アッシリア(正確にはヒッタイト)の文明の象徴・巨大な鉄器が披露され、それが全員分の羊肉煮込みを作っている。
土器では難しい大きさと熱伝導。
羊肉と香草がトロトロに煮込まれ、素焼の器に盛り付けられたものは実に美味しそうだ。
部族長たちは、アッシリアの文明を理解する。
「ふむ、肉は柔らかく煮込まれておる。
じゃが、一味足りぬな」
ザビベはそう言うと、彼女のお付きの者にある物を持って来させた。
「これを加えると、より美味しくなるぞ」
そう言って饗宴参加者に小さな壺を渡させる。
その中には香辛料が入っていた。
それを加えて食べる味に、参加者たちは満足する。
「アッシリアの味も良いが、やはり女王様の方が上手だな」
「我々の味は、アッシリアに負けておらぬのよ」
そう小声でささやいている者たちを横目に、ザビベは主賓席のヤバに自ら酒を注ぎに行った。
「ふむ、その顔は香辛料を知っているな。
なるほどなあ、あえてそう作らせたか」
「さて、ご想像にお任せしますわ」
「食えぬ女性よなあ。
まあ良い。
妾の顔が立つようにしてくれたのじゃな。
貴女を一つ知れたように思う」
会話を交わし終えると、彼女は自席に戻っていった。
その晩。
「あれは何なのですか?
我々も香辛料くらい知っております!
何故、それを知らぬアッシリアの者と馬鹿にされねばならないのですか?
確かに元々のアッシリア人は知らなかったが、お嬢様の尽力で手に入るようになったのですぞ!」
ヤバの昔からの家人が不満を漏らす。
ヤバはそれを宥めて
「彼等の知るアッシリア人は、香辛料を知らない。
香辛料を使うようになったのは、十年以内の事よ。
彼等が知っているアッシリアを見せてあげないと、不安を覚えますよ」
と言った。
「どういう事でしょう?」
「私たちは、彼等の誇りを傷つける為に来たのではありません。
彼等がアッシリア王に従うよう、交渉しに来たのです。
余り文明を見せびらかしたら、逆効果になるでしょうね」
と解説した。
ヤバは、わざと香辛料を使わなかったのだ。
羊肉の臭みを取る為、こちらではそういう料理がある事は知っていた。
しかし、あえて使わない事で、女王がアッシリアの料理を手直しする姿を見せられたのだ。
これでザビベは、強敵を相手に退かぬ女王として尊敬を集めたであろう。
強国アッシリアとの交渉において、弱腰の女王と呼ばれない為の演技をアシストしたわけだ。
「では、女王はお嬢様に借りが出来たわけですね。
賓客に料理を作らせるとか、とにかく無礼な振る舞いでしたが、全ては交渉前の下準備」
「うーん、ちょっと違うけど」
「明日からの交渉、女王は借りを返さなければならない!
そういう事ですね!
流石はお嬢様!」
もっと奥深いのだが、今は黙っておこう。
ヤバは、誰が聞いているか分からぬ、いわば敵地での迂闊な言動は避けた。
翌日からは、女王はヤバを案内し、アラブの各地を見せ歩く。
時には市場に出て、民の物を買ったりする。
夜は食事会や酒宴が開かれるが、その場では政治的な話は一切行われない。
ヤバも楽しくお喋りをするだけである。
これではティグラト・ピレセル3世からの依頼が果たせないではないか!
ある日、再度ヤバの随員が彼女に不満を漏らした。
「女王には、我々と交渉をする気が無いのですか?
いつもいつも遊び歩いて、世間話ばかり。
お嬢様も、そろそろ本題を切り出さないといけませんよ!
決裂しても、その時はアッシリア王が軍勢をもってお嬢様の屈辱を晴らしてくれます!」
「興奮しないの」
「ですが」
「交渉はもう始まっていますよ」
「一体いつ始まったと言うのですか?」
「私が身分を隠して謁見した時から、既に始まっています」
「え?」
「貴方は、砂漠の遊牧民と交渉した事はありますか?」
「何度かあります。
確かにお喋りが好きで、中々本題には入らない連中でした。
そして値引き交渉も、交渉そのものが目的で、出来るだけ長引かせようとする。
それは分かっています。
それでも、ここまでダラダラはしていませんよ」
「それは、遊牧民がいつまでもそこに居るわけにいかないから、適当なところで切り上げているだけです。
砂漠の民には、人と会って情報交換するのが何よりの楽しみなのです。
その人の人となりを見定めるのは、生きていく上で重要な事なのです。
その人が、一度の取引で終わらせて良いのか、これからも長い取引にすべきか、見定めているのです。
一度の取引で良いと思ったら、彼等は出来るだけ狡賢く振る舞い、騙してでも自分が得をしようとします。
相手に嫌われても、もう二度と会わないのなら、それで良いのです。
余計な事に頭を使いたくない。
しかし、信頼出来る相手なら、出来るだけ長く付き合えるよう考えます。
相手を騙してまで得をしようとは考えないものです。
これが人と人でもそうなのですから、国と国ともなれば、時間を掛けるでしょうね」
「では、女王はお嬢様の品定めをしている、と?」
「さて、それはどうでしょう?
貴方が考えて下さい」
相変わらず、確信的な事は断言しないヤバ。
彼女たちを守ってくれている警護役、それがこちらの会話をそのまま女王に伝えていると考えて間違いないだろう。
別に聞かれて困る「内容」は話していない。
しかし、奥深さが無いと判断されたら、軽く見られるだろう。
本心を見抜かれるような事は口にしない事だ。
だが、交渉は急転直下終了する。
呼ばれて女王の元を訪れたヤバに、ザビベたちは跪いて
「我々アラブ諸部族は、アッシリアに貢ぎ物を送り、その傘下に入る事としました。
これまでの数々の無礼、お許し下さい。
我々はアッシリアに逆らう事はいたしません」
そう伝えたのである。
ヤバの随員は目を白黒させている。
急過ぎて、何が何やら分からない。
そんな随員の方を見て、ザビベが語り始めた。
「王妃様は既に察しているようじゃな。
これよりは妾の独り言じゃ。
口を利かずに聞いておるが良い。
我等は最初から、アッシリアに降るつもりであった。
先頃落ちたダマスコ(ダマスカス)の顛末を聞けば、逆らおうとは思えん」
再び反アッシリア同盟を作り、ティグラト・ピレセル3世を釣り出したダマスカスに対し、その処分は容赦が無かった。
国王レツィンとその家族は、市場で串刺し刑とされた。
住民はアッシリア奥地に強制移住させられたが、これは新ヒッタイト諸王国に行ったものよりも過酷なものである。
ダマスコの民は、家族バラバラにされ、アッシリア人だけでなく、傘下の異民族の元にも送られている。
抵抗した者に対しては、生皮を剥いで城壁に貼り付けたりもした。
そしてダマスコは徹底的に破壊され、王宮の財宝や神殿の品々は全てが略奪される。
ティグラト・ピレセル3世が本陣を置いた忌まわしき果樹園や庭園は、その樹木までをもなぎ倒して更地に変えられた。
その上でダマスコは独立を失い、アッシリアの属州として再編されてしまった。
正しく恐怖を周辺に対しても伝播させていた。
アラブは、ダマスコ陥落前からアッシリアに貢ぎ物を送り、敵対しない意思を示していた。
しかし、ここに王妃が使者として送られて来た。
その意図を読み取らねばならない。
更なる朝貢要求や、自分たちの強制移住などを言い出したら、抵抗するまで。
抵抗するにしても、戦う道と逃げてやり過ごす道がある。
それにしても、人質にされるリスクを承知で王妃を送って来るものだろうか?
その王妃は、身分を隠し、軍勢を連れずに隊商としてやって来ている。
アラブに何を要求するのか?
アッシリア王の代理人をじっくり観察して判断しないと、滅亡しかねない。
ザビベは時間を掛けて、時に相手を試すという危険を冒しながら、じっと見ていたのだ。
「……という事だ。
妾は、王妃様は信じるに足ると見た。
この方の言う事ならば、きっと我等を滅ぼすような事はないだろう。
だから、要求を受け容れましょう」
ヤバの随員に説明する態でが、同時に自分の配下たちにも分かるよう、噛み砕いての解説でもあった。
ヤバはどうやら、ある時期からそれに気づいていたようで、それを表に出さないようにしていた。
それは今も変わらない。
「私は分かっていた」
なんて態度は、相手を格下にしてしまう。
相手の判断を尊重する態度を取らないとなるまい。
「アッシリア王への今後の絶対の忠誠と、朝貢の件、確かに承りました。
女王から言っていただき、私は感動しています」
「痛み入ります」
「その忠義に対し、何も応えないのはアッシリア王の名誉を傷つけます。
アッシリアは既に国内や属州に、軍用の道路を作っています。
その道はアッシリアと、それに属する者しか使えませんが、アラブの遊牧民も使う権利が得られました」
「はっ、有難い事です」
「オホホ……その程度じゃ足りないのは知っています。
その上で、アッシリアとの交易について話をしましょう。
私がここに来たのは、むしろこちらの方が主題です」
「おや?
妾の臣従確認は、それ程重要事項では無かったと?」
「女王のお考えに任せますわ」
「全く、食えない王妃様ですな。
では、交易について話しましょうか。
妾はアラブの民の代表者じゃ。
この事では妥協する気はありませぬぞ。
むしろ、アラブの民を守る為の臣従。
臣従したからには、我等も優遇されるべきでしょう」
「食えぬ方なのは、どちらの方でしょう?
まあ、そういう交渉は望む所です。
何日でもお相手いたします」
「全く、我々の流儀をよくよく知っている相手というのが、これ程やりづらいと思わなかった」
「ご不満ですか?」
「むしろ楽しく感じています。
妾と王妃、どうやら似た者同士ですな。
お互い満足するまで、条件を話し合いましょう」
アラブの遊牧民たちはアッシリアに服属した。
そして、度々女王が即位し、時に歯向かい、時に服属しながら、彼等流の処世術で長き歴史を生き抜く事になるのである。
このザビベ女王、ちょっと好きなキャラかも。
もっと早く登場させたかったかも。
まあ、史料がこの時期からしか無いのですが……。




