ヤバの外交
ティグラト・ピレセル3世がダマスコを落とし、その戦後処理に入っている頃、ヤバは砂漠を移動していた。
目的地はアラブ(後ののサウジアラビア北部の砂漠地帯)。
この一帯を治める女王ザビベをアッシリアの傘下に収める為である。
「弟の仇を討った事だし、もう一つ仕事したいんじゃないか?」
ティグラト・ピレセル3世はそう言って、この仕事を振って来た。
弟の死とその仇討ち、かつての婚約者の始末。
こうした事が終わって、ヤバから憑き物が落ちた感じになり、少し気力が弱ったように見受けられた。
ヤバの良さは、その才を発揮している時に出ている。
溌剌さを取り戻す為にも、ヤバには才能を活かした一仕事をしてもらおう。
またティグラト・ピレセル3世は、この仕事はヤバが適任であるという事情も話した。
「相手がシャッラト・シュ・アルビ(アラブの女王)なのが問題だ。
男の王であれば、余が遠征軍を率いて交渉するも良い。
しかし、相手が女王となると面倒になる。
アラブの地は灼熱の砂漠を越えた先。
馬が曳く戦車では、暑さと水の無さに馬が途中でくたびれてしまう。
奴等はラクダを使って戦い、その強さはアッシリアも高く評価している。
我々は時として、敵ではなく、その暑さや砂嵐、砂漠に負けてしまう。
勝ち負けは神の思し召しだが、それは男の王の場合。
女王に負けたとなれば、余の威信は大いに傷つく。
それは避けねばならぬ。
そして、アラブの者は剽悍で誇り高い。
何度かアッシリアの王は、彼の地を攻めて勝利し、神像を持ち帰る等の事をしたが、彼等は従わぬ。
一方でアラブの者は、利になると思えば意地を張らぬ。
ここまで言えば分かるな?
王妃よ、一兵を動かす事もなく、女王と渡り合い、アッシリアの傘下に組み込めるのはお前以外おらん」
ヤバは
(これは面白い。
私の人生の中でも、1、2を争うやりがいのある仕事だわ)
と思い、その依頼を受諾した。
そして一旦ハラブに行って、懇意の商人たちと話し合い、準備を整える。
こうして彼女は、隊商を組んで砂漠の国に向かっていった。
アラブとは国のようで、国とも言い切れない。
ここは遊牧民の強力な連合体であり、女王はその利害調整者である。
ヤバと付き合いの深い北の遊牧民や、アナトリア南部の「海の民」もそうだが、彼等は「領土」というものを持たない。
季節によって移動し、その地に一時期住んで経済活動をすると、定住せずに立ち去る。
彼らにとっての国土とは面(領土)ではなく、点と線(交易路)の繋がりのことなのだ。
その経済活動とは、略奪や盗賊行為、海賊といったものも含まれる。
砂漠の遊牧民たちは、ラクダと共に移動し、適当なオアシスに一時的に居を構え、そこで他国の商人たちと取引をしたり、水や食糧を補充したりして、次なる目的地に移動する。
よって都市というものも無く、一応女王の拠点らしき場所はあるが、そこに彼女が居るとは限らない。
交易をしていたオアシスに足を運んでも、そもそもオアシス自体がどこかに移っている事だってあったりする。
実際、砂嵐によって地形が変わり、昨日まであった道が消える砂漠の恐怖は、かつて遠征したアッシリア軍が恐れたものであった。
大河の流域や湖の畔に農地を持ち、揺るぎない石の宮殿を構えていたアッシリアやウラルトゥ、新ヒッタイト諸王国から見れば、まったく得体の知れない連中である。
ただし内陸の民である為、「海の民」のような忌避感はない。
侵略が主たる経済活動のスキタイのような恐れもない。
上手く付き合えば、話が通じる者たちなのだ。
一方で、アラブ人気質にはアッシリア人などは辟易する。
彼等の強みは、南アラビアから届く乳香や没薬といった香料を扱い、それを運ぶ砂漠のショートカット交通路「香料の道」を知って、鍵を握っている事にある。
その取引を行うのだが、彼等は「交渉」が大好きなのだ。
駆け引きをし、値切り、おまけを勝ち取り、それでやっと取引を成立させる。
定価などというものはない。
そんなものは、全く楽しくないからだ。
取引相手としての信用は、「どれだけ交渉が面白かったか」で決まり、つまらない相手はただひたすら足元を見る事しかしなくなる。
アッシリアも、定価取引ではなく交渉取引の国だが、その根底にあるのは「天秤の釣り合い(公平)」である。
一方で銀の品質を均等化し、職業軍人とその給与払い等で値段というものを安定させてもいる。
アッシリアの交渉とは、双方が納得する取引の為のものだ。
だがアラブの交渉は、「魂のせめぎ合い(遊戯)」だ。
交渉そのものが彼等の娯楽であり、取引が成立せずとも交渉が出来ただけで満足したりする。
ここもアッシリアの男、特に遠征軍に入って来ているような者では、短気を起こすだけで上手くいかないものと言える。
ティグラト・ピレセル3世が、商業都市サマルで商談にも関与していたヤバを抜擢した理由でもある。
ヤバはハラブでラクダを調達した。
その背には、多数の商品を積む。
一兵も動かさずとティグラト・ピレセル3世は要求したが、実際そうも言っていられない。
ハラブから砂漠に向かう道は、盗賊や先の戦争に敗れた者たちの潜伏地である。
アラブの近くになれば、いわゆる「砂の砂漠」になるが、西部は山岳地帯と「岩の砂漠」であり、盗賊たちが隠れ住み、隊商を襲って生活するには丁度良い。
ゆえに、アッシリア軍ではないが、ハラブにおいて傭兵を集め、隊商の護衛に充てねばならなかった。
この傭兵を集める際に、ヤバは砂漠の遊牧民「ベドウィン」を探して雇いいれる。
砂漠の足が居なければ、彼女は砂漠を彷徨い続けるだろう。
単なる地理上の道案内ではなく、今頃はどこに誰が居るかを知る、目先が効く者でなければならない。
まずヤバは、その者と3日に渡る交渉を行って、信頼を得ていた。
(この女性は、どこぞの大商人の夫人というが、中々我々の様式を理解している)
実際は「大商人の夫人」どころか「アッシリアの王妃」なのだが、そこは黙っておく。
まずは相手が信用して仕事を引き受けてくれる事が肝要なのだ。
こうしてしばらくの旅の後、とあるオアシスでヤバの一行は、ベドウィンの市場に加わり、自らの市を開いた。
ここのオアシスは、ここ十年程は枯れたり、砂嵐に埋もれたりせず存在し続けているようである。
ゆえに市場が開かれていない時でも、誰かはここに一時滞在している確率が高い。
まさに砂漠の嚮導が居る情報のありがたさだ。
ヤバたちは素性を隠し、ハラブの商人として振舞う。
その商品は、アッシリア産の織物、レヴァント(フェニキアやイスラエル)産の塩、そしてハラブの職人が作った金銀の装飾品である。
砂漠は昼は暑いが、夜は極端に冷え込む。
日差しを避ける事も含め、衣服は重要な財産だ。
アッシリアの色鮮やかな織物は、彼等の垂涎の的である。
塩は言うまでもない、食事の必需品だ。
そして、北方のスキタイもそうだが、常に移動する遊牧民は財産を全て身に着けて動く。
貴金属は財産であり、その装飾技術はハラブの物が最高であった。
たちまちヤバの隊商には、多くの者が殺到する。
「王妃……じゃなかった、奥様、大丈夫なのですか?
持って来たものの大半を売っていますし、常に交渉交渉で時間を取り過ぎています」
ヤバに付けられたハラブの商人が、不安の声を上げる。
だが、ヤバは平然としたもの。
「良いのですよ。
私が売っているのは評判。
ここで売り切れる程の品であれば、今後も取引を持ち掛ける者が多数出るでしょう。
そして、買っているのは情報です。
どうやらアラブの女王は、しばらく避暑に行って留守のようです。
戻って来る時期は聞きましたので、それまでは待機です。
それと、女王の人となりもそれとなく聞きました。
諸部族を束ねるだけの事はあり、けなした人はいませんでした。
特に判断力に優れているようです。
会うのが楽しみです」
「しかし、会っても渡す貢ぎ物が無くては困ります」
「ありますよ」
「ですが、ここで全て売り切るつもりと、先程言ってましたよね?」
「ここでは誰も買わない、しかし、女王ともなれば欲しい、そういう品物があります」
「えーっと、何でしょう?」
ヤバは種明かしをする。
「ああ、なるほど。
あれは確かに、ここに居るような人では誰も買わないでしょうね。
運ぶ際の邪魔にしかなりませんから」
商人は納得した。
しばらくこのオアシスに滞在した後、ヤバたちはザビベ女王の元に向かった。
大多数の商品は売れてしまい、残ったのはヤバが「切り札」と目する巨大な物と、試供品として提供する僅かな商品だけだ。
(こんな物だけで大丈夫だろうか?)
そんな不安は、女王の方から使者が来て、解消する。
「女王はそなたたちを見ておった。
会いたいと申されているゆえ、直ちに我等に従って来るように」
そしてヤバはザビベと面会する。
「此度は拝謁の栄誉に預かり……」
「挨拶は良い。
良い商品を売る隊商と聞いた。
妾に会いたがっていたともな。
で、何を持って参った?
大半は売れてしまったようだが、それでもその方たちはここにやって来た。
妾に渡せる物があるのだろう?
それを見たい。
話はそれからだ」
交渉好きなアラブの者とは思えぬ性急ぶりに見える。
しかし、これは交渉の前段階なのだ。
性急に見えるが、戦いは始まっていると見た方が良い。
ヤバは巨大な物を包んでいた布を外す。
「その包みも、バビロニアかアッシリアの産物よな。
豪勢な事よ。
で、その巨大な釜は何だ?」
「これは鉄の鍋です」
「鉄だと?」
かつてヒッタイトが独占していた鉄器は、オリエント世界に普及して久しい。
しかし、その冶金技術には各地で差があり、こんな巨大な物を作る技術を持つ国はそうそう無い。
それでもヒッタイト全盛期に造られた鉄器には、これ以上の物があるのだから、あの文明にはどれ程の知識があったのやら。
「凄い物よな。
しかし、確かに貴重な物だが、何故これが妾に対しての貢ぎ物となるのか?
たった1個のこれよりも、多数の織物や塩、装飾品の方が喜ばれると思わなかったのか?」
ザビベは問う。
ヤバにそれに対し
「そのような物は、いつでも持って来られます。
いつ会えるか分からないので、女王しか必要としない物をお渡しするのです」
「妾しか必要としない、だと?」
「この鉄釜は大きく、様々な部族の方が移動して持ち運ぶには、少々重荷となります。
そうまでして使う用事もありません。
しかし、多数の者を招いてもてなす女王であれば、一度に多くの物を煮炊きし、それで壊れぬ巨大な鉄釜は使いこなせましょう。
いや、使いこなす方と思ったから、献上品として価値があると思いました」
そう答えた。
ヤバの方をじっと見ていたザビベは、思いも掛けぬ言葉を口に出す。
「流石はアッシリアの王妃よな。
確かに鉄釜、献上品として受け取った。
貴女の思い通り、使いこなしてみせよう。
この鉄釜の対価は、貴女との外交交渉の場を設える、で良いな?
それ以上を、献上品だけで勝ち取れはせぬぞ」
アラブの女王ザビベ、彼女も一筋縄ではいかぬ女傑であった。
第21話「プルよ、動くな!」のおまけ:「カルカルの戦い」以来のアラブの登場となります。
ラクダを使った彼等は、アッシリアとの関係を深めていきます。




