ダマスコの落日
ティグラト・ピレセル3世はダマスコ(ダマスカス)包囲陣に帰還した。
王妃ヤバは、まだサマルに留まっている。
そこで何やら作成を命じていた。
材料を集めるよう命じられた者も、それを何に使うか分かっていない。
まさしく、文献を読み漁ったヤバだけが知る、ヒッタイトの失われた技術であった。
ダマスコ包囲陣に噂が流れる。
間も無くイシュタル神が新兵器を持って降臨されると言う。
イシュタル神と魔神パズスは、ティグラト・ピレセル3世が王位を継ぐ前にも再三現れていた。
アッシリア人たちはそれを信じて、士気が相当に上がる。
これを、アッシリア軍の中に潜り込んだクラムワの傭兵団の者が聞きつける。
胡散臭い噂だが、アッシリア兵の士気がここまで上がるのは何故だろう?
色々と聞き回る内に、髯を生やした女性が、男女混合の音声で予言したとか、戦車に乗って駆け回ったという話を入手出来た。
とりあえずここまでを、クラムワ隊長に伝える事にする。
クラムワもクラムワで、包囲陣の外でゲリラ戦をしながら、様々な情報を仕入れていた。
王妃ヤバが、弟の葬儀の為にサマルに入り、そのまま滞在し続けている事。
そのヤバが製鉄に必要な材料を大量に集めている事。
ヤバが弟の復讐をすると、正義と報復の太陽神イスタヌに誓いを立てたという事。
もたらされた情報からクラムワは
「ヤバがサマルで、何かは知らないが新兵器を作り、ダマスコまで持って来る。
その際、女性が戦場に来るのを嫌うアッシリア人の手前、イシュタル神を装ってやって来る」
と判断したのである。
「おのれ、ヤバめ。
あの小賢しい女が……。
だが、弟の仇としてこの俺、クラムワを討つと報復神に誓ったのか。
やっと俺の方を見たな。
俺はお前に馬鹿にされ、無視されるような存在ではない。
やっと思い知ったか」
こうしてヤバの新兵器輸送部隊を襲撃する計画を立てるクラムワ。
部下の一人が
「これ、罠なんじゃねえんすか?
なんか、隊長を引っ張り出すよう、お膳立てされているように感じるんですけどね」
と危惧の言葉を口にする。
だが、かつての馬鹿王子は、その言葉をしっかり聞き入れる。
「罠である事は明白だな。
だが、ここにあの女ならではの悪辣さがある」
「それは?」
「新兵器は本当にある。
俺たちが罠を恐れて動かなければ、それはそれであいつには問題無いんだ。
ダマスコを新兵器が襲うだけだからな。
そして、阻止しようと出て行ったら、確実に罠にはまる」
「じゃあ、どうするんですかい?」
「裏をかこう。
あの女、罠を貼ったと思って安心しているだろう。
あの女とアッシリア軍が合流したらおしまいだ。
奴がサマル領内にいる内に襲う。
まさか奴も、国際問題を起こすサマル領内での襲撃は予想していないだろう。
だが俺たちは傭兵団、ダマスコとは契約で繋がった関係であり、国際問題など知った事ではない。
やるなら、なりふり構わずいくぞ」
こうしてクラムワの傭兵団は動き始める。
が、やはりヤバの方が一枚上手であった。
傭兵団が動いた直後、背後から騎兵による奇襲を受けたのである。
為す術もなく捕縛されるクラムワ。
彼はティグラト・ピレセル3世の前に引き摺り出される。
「元サマル王クラムワだな」
クラムワは口の中に溜まった血を吐き捨て、返事を拒否する。
王に対する無礼に対し、側近が殴る蹴るの暴行を働いた。
側近の気が済んだ所で、ティグラト・ピレセル3世は話を続ける。
「イシュタル神の出現、それはアッシリアにおいては誰もが知っていた。
それを嗅ぎ回った者、それ即ち密偵。
特定さえ出来れば、後はそいつの後を着いて行き、隠れ家を探し当てるまで。
隠れ家を奇襲しても良かったが、それだと取り逃す可能性があった。
そこで、野戦になるよう、お前たちが出て来るのを待っていたのだ。
どうだ?
我等がイシュタル神の知恵は凄いだろう?」
ティグラト・ピレセル3世の言葉にクラムワは
「ヤバか!
あの女!」
と激昂し、また王の側近から暴行を受ける。
「我が王妃の名前を軽々しく呼ばんで欲しい。
王妃とは何の関係もない事だ。
無論、その方が王妃と婚約者であったという事実も無い。
お前は、余の義弟を殺し、余を弑逆しかけた大罪人、それ以上でもそれ以下でもない」
ティグラト・ピレセル3世は冷たく宣告した。
クラムワがヤバを手ひどく振って、婚約破棄の挙句国外追放にした、その事すら「無かった」事にされたのだ。
彼は、この世に存在したという事全てを抹消され、処刑されると伝えられる。
更に王は言った。
「処刑は、ダマスコ攻略後とする。
間も無くイシュタル神が新兵器を運んで来る。
それを見て死ぬ栄誉を、お前に与えてやろう」
クラムワは歯ぎしりして悔しがるが、もうどうにもならなかった。
深夜、イシュタル神が降臨する。
夜なのに眩い光を放つその存在に皆が慄く。
まあ、鏡を使ったトリックなのは、近づいてみれば分かるのだが。
イシュタル神は、人払いされた王の天幕の中に入っていった。
イシュタル神はそこで付け髭を外し、体に着けていた鏡や反射板を外す。
「お前、ヤバ!」
捕らえられていたクラムワが叫ぶ。
「久しぶりね、馬鹿王子」
ヤバがかつての婚約者を睨みつけた。
「お前、よくも俺にこんな事をしやがったな!」
噛みつくクラムワ。
「アズル・バアル様から、逃げろと言われたんでしょ?
大人しく負けを認めて、どこかで隠れ住んでいれば良かったのよ。
私の人生に、また敵として出て来た自分の選択を呪いなさいね」
「貴様ぁ!!
俺はお前に負けたくねえんだよ!
お前なんかに馬鹿にされたまま、生き恥を晒せるか!」
「そう。
その意気だけは評価してあげるわ。
生き恥を晒すのが嫌なら、死なせてあげるから、有難く思いなさいね。
名誉でしょ?」
「ヤバ……、ヤバ……、ヤバぁぁぁ!!!」
あとは会話にならなかった。
かつての婚約者たちは、そのまま別れる。
これが生涯最後の面会となった。
『エルラとは疫病、死、混乱を司る好戦的な神である。
ある時、退屈して戦いを欲しているエルラを、7柱の神々が煽った。
それで悪心を起こしたエルラは、最高神にしてバビロンの守護神マルドゥクを訪ねる。
「貴方様の宝冠が汚れている、一時身を隠し、汚れを落とさねばならない」
エルラは言葉巧みに説得し、その修復のためにマルドゥクを一時的にバビロンの守護神の座から退位させた。
マルドゥクが不在の間守護神となったルエラは、バビロンをはじめとするメソポタミア全域に無差別の破壊、戦争、混乱をもたらした。
これにより秩序が崩壊してしまった』
「エルラ叙事詩」より。
翌日、盾で防御した歩兵が謎の巨大な壺を、ダマスコの城門に運び入れる。
ティグラト・ピレセル3世が叫ぶ。
「エルラの炎を見るが良い」
そして火矢で点火されたその壺は、皆が感じた事のない高熱を放つ、凄まじい炎を噴き出す。
その熱は、離れたアッシリア陣地まで届く。
白熱の業火によって、三重の守りを持つダマスコの城門が消滅した。
それどころか周囲の城壁すら融けている。
城壁の上で守っていた城兵も、直撃を受けた者は消し炭となっていて、それを見た他の城兵は逃げ出してしまった。
後世の発掘調査による発見を語る。
ヒッタイトの遺跡から出土するスラグ(鉄滓)を分析したところ、不純物を取り除き、融点を下げるために「フラックス(助剤)」を使いこなしていたと証明されている。
彼らは特定の土や鉱物(石灰石やシリカなど)を混ぜることで、炉の中の化学反応を制御し、他の文明が到達できなかった高温状態を維持出来ていた。
アナトリア半島の土壌は、鉱物資源が極めて豊富であった。
ある時、ヒッタイト人の鉄精錬技術者が、粉末にした酸化鉄(鉄錆)と、とある場所から採れた土を調合したものを混ぜたところ、炉が融解する程の高熱を出す事に成功する。
おそらくテルミット反応だろう。
余りの高温で炉を破壊する為、製鉄にすら使用出来ない化合物だったが、後世の為に記録には残された。
それを読んでいた「粘土板読書の鬼」ヤバは、密かにその高熱発生剤を作って研究していた。
サマルを離れる事になり、その研究は途中で終わっていたのだが、王妃となって帰って来た今は、アッシリアの財力をふんだんに使って実験が出来る。
こうして試行錯誤の末、テルミット爆弾のような激しい化学反応をする兵器を完成させたのだ。
なお、ヒッタイトの首都ハットゥシャでは、石や土が1,100度〜1,300度以上の高温で熱せられ、ガラス状(陶土化)に変質した跡が発見されている。
人はこれを「古代核戦争の証拠だ」と言ったりするが、そんな兵器でなくてもテルミット反応が使われていたとしたなら……。
話を紀元前732年に戻す。
ヤバが作った「エルラの炎」は、まさに破壊神のもたらした業火であった。
使用した側のアッシリア兵すら恐れおののいている。
ティグラト・ピレセル3世は叫んだ。
「我が兵よ!
イシュタル神の贈り物、神界の兵器は我がアッシリアの力である。
さあ、神の使命である。
突撃し、奪い、殺し、生贄を神に捧げよ!」
我に返ったアッシリア兵は、融けてガラス化した城門のあった場所の土を越えて、城内になだれ込んでいく。
既に士気が失われたダマスコの兵士と、神が味方したと思って意気揚々なアッシリア兵、城内に突入されてしまっては最早勝負にならない。
ダマスコは落城、レツィン王は捕らえられ、市場で串刺し刑に処された。
そして、もう一つの処刑が行われる。
「これより、サマル王、我が義弟を殺し、余をも弑逆しようとした男を処刑する」
引きずり出されたクラムワは
(ヤバの奴、なんて物を作ったんだ?)
と、これから訪れる自分の運命よりも、恐るべき兵器を発明した、かつての婚約者を恐れた。
彼も同じヒッタイトの末裔だが、あんなものは知らない。
過去のヒッタイト帝国の中でも一部の者しか知らず、失伝した過去の遺産である。
書物マニアのヤバがたまたま見つけただけで、ヒッタイトの末裔たちでも知る者はいなかったのだ。
クラムワはヤバの超兵器に混乱していたが、それを口には出す事はもう出来ない。
彼の喉は既に薬物によって潰され、喋れなくされていた。
クラムワはヤバの事を知っているから、処刑に際してその名を出して喚く事が予想された。
イシュタル神も、エルラの炎も、種明かしされてしまっては意味がない。
兵士たちには引き続き、神が味方している証と信じてもらわないと。
「お前は苦しみながら死ぬ殺し方にしようと考えた。
だが、イシュタル神が仰った。
神が見て楽しめる死に方にせよ、と」
(ヤバか?
ヤバが何か言ったのか?)
「そこでお前は、あっという間に神の元に行って貰おう。
アレを持って来い!」
王の命令で運ばれて来たのは「エルラの炎」を出す壺であった。
アッシリア兵たちがドン引きして後ずさる。
「そうだ、もっと下がれ。
そんな近くに居たら、お前たちも炎にやられるぞ」
王の指示で、勇猛なアッシリア兵たちも後退し、最前の兵士は盾の影に隠れた。
杭に縛り付けられたクラムワの足元に「エルラの炎」の壺が置かれる。
「死して我が義弟に詫びるが良い」
それを合図に導火線に火が点けられ、王と処刑担当者は戦車で全力後退する。
(ヤバぁぁぁ!!
俺をこんな目に遭わせやがってぇぇ!!
お前はそこまで俺を憎んでいたのかぁぁ??)
クラムワの声にならない叫びは、2,000℃に達するこの時代では超常的な火炎の中に消えていく。
身を焼かれ、いや融かされながらクラムワは最期に
(バグマシュティ……)
と、かつての愛人の名を呼んでいた。
炎が収まった時、そこには何も残っていなかった。
(ヤバよ、遠目で見ているだろう?
お前の策で奴を生け捕り、お前が復活させた「失われた超技術」で奴は死んだ。
お前が弟の仇を討ったも同然だぞ)
その思いがヤバに届いたのか、届かなかったのかは分からない。
ダマスコ郊外の処刑場から上がる業火を遠くから見ながら、ヤバは一人涙を拭っていた。
とりあえず、ハットゥシャやインダス文明の辺りで見られる「石や土が1,100度〜1,300度以上の高温で熱せられ、ガラス状(陶土化)に変質した跡」。
出典は「ムー」にしとこうかな……。




