弟の死を乗り越えて
ヤバは、追放されてから十数年ぶりに都市国家サマルの土を踏んだ。
王妃たる者、勝手に国を出るわけにはいかない。
カルフ総督夫人時代は、相当にヤンチャな事をしたヤバだが、最近は立場を弁えていた。
だが、弟が死んだという報を受け、彼女は久々に出国したのである。
「義母様、ここは私にお任せ下さい。
義母様の代理を勤めさせていただきます」
義娘のバニトゥがそう言ってくれたのもありがたい。
王太子夫妻が王都に残って政務を担う為、彼女は追放されて以来の祖国に戻れたのである。
「王妃よ……義弟を守ってやれず済まなかった」
サマルでは、包囲陣を副官に任せて、ティグラト・ピレセル3世もやって来ていた。
ダマスコとサマルはそれ程遠くないのも、王が一時離脱を可能としている。
ヤバの弟、サマル王パナムワの死は、ティグラト・ピレセル3世を庇ってのものだった。
パナムワはアッシリア本陣に出入りを許される程信用されていた。
たまたま本陣に来ていたパナムワは、敵の奇襲に遭遇する。
彼は迷う事なくティグラト・ピレセル3世の天幕に駆け込み、身代わりとなって王を逃がしたのである。
その襲撃犯は、王と見間違ったパナムワを倒した時
「討ち取ったのは、サマルの王クラムワだ!
ヤバよ、ざまあみろ!!」
と叫んでいたという。
「あの馬鹿王子か!
もう私の人生に関わる事は無いと、忘れていたのに、ここに来てまた出て来たのか!」
可愛い弟の死に憔悴していたヤバから、怒りの気が立ち上る。
その目は殺気に満ち、怒りから次第にドス黒い怨念のようなものに変わって来ている。
だが
「ヤバよ、策を言え!」
と夫が叫ぶ。
キョトンとして我に返ったヤバ。
ティグラト・ピレセル3世は言う。
「お前を戦場に連れて行く事は出来ん。
それはアッシリアの伝統にそぐわず、お前も納得する事だろう。
だが、お前は弟の仇を討ちたい筈だ。
お前が戦場で仇を討つ事は出来ないにしても、お前の策で余が成り代わって仇を討つ事は出来る。
それは即ち、お前が仇を討つ事になる。
それと、余にも義弟の仇を討たせろ。
効果的な策を申せ」
ヤバは考えようとした。
そこにティグラト・ピレセル3世は言葉を続ける。
「余とそなたの子、ナバ(後のサルゴン2世)だが、その養育の任を外す。
あれはもう14歳だ。
王子として、お前の仕事を見せながらの養育をしていたが、そろそろ独り立ちさせねばならん。
他の貴族や総督の子弟と共に、ムシルケ教育を行う」
既に述べたが、アッシリアには臣下の反乱を防ぐ「人質」を取りつつ、その子供たちを王を支える「王の直属部下」を育成する制度があった。
ヤバの息子をそこに入れて、数年間寄宿舎での共同生活をさせるというのだ。
「これでお前は、子供の世話から解放される。
お前の重荷は一つ下りた。
お前が余を立てて、アッシリアの王妃として振舞っているのは実に良い事だ。
だが、お前の本領はそこではないだろう?
死んだ義弟とも話していたが、行動力と発想力と人使いの荒さ、それがお前だった。
王妃として大人しくしているだけでは、お前本来の実力が見られん。
息子も独り立ちさせる。
お前は昔のように、その智謀をもって余を支えよ!」
この言葉は、嘘ではないが、どちらかというとヤバを慰める為のものである。
彼女は、確かに王妃という枠にはまって、大人しくしていたように見える。
あくまでも彼女比での話だが。
強制移住させた者の技術審査をしたり、遠征の為の兵站基地を整備したり、全国規模での産業の効率化をしたりと、歴代の王妃で比べればとても王妃の枠に収まっているとは言い難いのだが。
彼女はそれを、夫ティグラト・ピレセル3世の印章で処理し、自分の名前が残らないようにしているから反発を免れているし、歴史からも忘れられる事になる。
子供の養育をしながら、そこまでやっているのだから、子供が独り立ちしたから好きにしても良いというのは気休めに過ぎない。
それでもヤバは、その夫の心遣いがありがたかった。
ティグラト・ピレセル3世は他にも心遣いをする。
王が自分の本陣で死んだというサマルに対し、格別の配慮を行った。
まずパナムワの幼い息子バル・ラキブを王として即位させる。
そして「父の忠義に報いる」として、周辺の都市を切り取ってサマルに与えた。
更に言えば、パナムワの死に対し、遠征軍の全陣営が公式な服喪に入っている。
遺体はアッシリア軍が丁重に護衛して運んで来た。
アッシリアが属国と看做している国に対し、ここまでの礼遇をするのは極めて珍しいのだ。
ヤバはそんな王の配慮に感謝し、その薦めもあって葬儀まで家族の元で過ごす事になった。
立ち去るヤバの背中を見守りながら、
(お前はあの顔になってはならん。
お前は壊す側の人間、殺す側の人間ではない。
生み出す側の人間、再構築する側の人間なのだ。
お前まであんな顔になったら、アッシリアは不幸になる。
そういうのは私に任せろ。
破壊と生産は、2つ揃って意味がある。
お前はそのままでいるんだ)
ティグラト・ピレセル3世はそのように思っていた。
「パナムワを可愛がって来たお前には悪いが、私はパナムワによく死んでくれた、そう思っている」
彼女たちの父ヤウディが非情な事を言う。
一瞬怒りを感じるも、すぐに冷静になり
「これでアッシリアは、サマルに対して非情な行いを出来なくなるから、ですか?」
と尋ねた。
ヤウディは頷き
「お前はアッシリアの王妃となったから、分からないかもしれん。
今のアッシリアは、以前のアッシリアと違って恐ろしい。
元々先祖から『アッシリアを信用するな』と言われていたから、元に戻っただけかもしれん。
私が若い時から、弱いアッシリアしか知らなかったので、今が余計に恐ろしい。
最早、全方位均等に等と言っていられない。
サマルは全力でアッシリアに仕えねばならない。
お前も知っているように、我々は中継交易で栄えている。
それをアッシリアに認めさせるには、交易以外ではアッシリアの下僕として振舞う事だ。
だから、アッシリア王を庇って死んだパナムワは、実に良い仕事をしたと言って良い。
王族として、褒める以外の言葉がない」
理解は出来るが、感情的には割り切れないヤバである。
ヤウディは
「王族はな、こういうように肉親が死んでも、その効果を考える非情さを持つものなのだ。
私はお前に、10歳の時から仕事を教えていたが、これだけは教えていなかった。
幼い少女に、それは分からないと思ったからだ」
と語る。
「私は、王族や貴族に非情さが必要という事を学んでいますよ。
私の義理の娘に当たる方が教えてくれました」
「その女性は、お前に何と言っていた?」
「非情さは自分が担うから、私は私らしくいて欲しい、と」
「そうか。
その女性も分かっているのだな。
うむ。
私も同じような事を言うぞ。
王族には非情さが必要だ。
私は国王にはなっていないが、それはよく分かる。
だから、私は息子を失っても、それがサマルの為だと褒め称えよう。
お前はそうなるな。
お前だけでも、パナムワの為に泣いてやってくれ」
その父の言葉を聞いて、緊張の糸が切れたのか、ヤバは号泣し始めた。
才女と呼ばれた彼女は、10歳を前に人前でみっともなく泣く事はしなくなった。
苦しくても、悲しくても、歯を食いしばって耐えていた。
だから、20年以上ぶりになる涙であった。
そうしている所に来客がある。
先々代国王で、弟の仇クラムワの父親であるアズル・バアルだった。
彼は、自分の子がしでかした事に対し
「アッシリア王を狙った不届き者の父として謝罪する。
私をアレの身内として処刑してもらって構わない」
と、元国王としての謝罪を行った。
先程、王族の非情さについて語られたヤバは、それを聞いても怒ったり、詰ったりしない。
(そういうものなんだなあ)
と冷静でいられた。
そして
「大逆人の身内として処刑が適当ではあっても、事情次第で免責となります。
クラムワのこれまでの動向を教えて欲しい。
知っている事は全て話す事です。
王はサマルの忠義に篤く報いていますが、同時にクラムワの事は許せずにいます。
ここでクラムワの事を話すのは、自らの保身だけでなく、更なるサマルの利に繋がると考えて下さい」
と、アッシリア王妃としてアズル・バアルに向き合った。
「分かった。
知っている事は全て話そう。
だが、連絡など取っていないから、最近の事は全く分からない。
それでよろしいか?」
そう聞くアズル・バアルに、ヤバは了解と頷いた。
クラムワと最後に会ったのは、彼がアルパドに軟禁されていた時である。
クムフの戦いでウラルトゥが敗れ、皆が浮足立っていた。
馬鹿王ことクラムワは、どうしたら良いか分からず、軟禁中の父に会いに来たのだ。
その時アズル・バアルは、クラムワに城を出るように伝える。
このまま居ても、餓死するか戦死するかの未来しかない。
それに馬鹿王は不満を唱えた。
出た先で何をしたら良いか、分からなかったからだ。
アズル・バアルは呆れつつも、親馬鹿ぶりを発揮し
「だったら、ヤバ嬢に戦いを挑め。
それで気が済むんだろう」
と言ってしまった。
彼は、馬鹿息子では絶対に才女ヤバには勝てないと考えていた。
何をやっても上手くいかず、諦めて庶民として暮らす事に甘んじるだろう。
派手好きで、人と話したり、芸術に耽溺するのが好きな男だから、「社交界のスターとしての国王」の座を失った以上、戦場に居続けるのは不可能だと思っていたのだ。
しかし、クラムワは馬鹿王から脱皮してしまう。
アズル・バアルは、クラムワと別れてから3年後にアルパドから解放されたが、もうサマルはパナムワ王の元で統治され、彼は隠居する他なかった。
あれからクラムワからは何の連絡も無かった。
そして、久しぶりに名前を聞いたと思ったら、アッシリア王を襲撃し、ティグラト・ピレセル3世の身代わりとなったパナムワを殺す事件を起こしたという。
「以上が全てだ。
ヤバ嬢……いやアッシリア王妃、あの馬鹿に貴女と戦えという事を言ったのは私だ。
ただ生き甲斐を持たせる為の言葉だったが、それを言っても意味は無いだろう。
私はアレのやった事に対し、責任がある。
だから、私を処刑する事で、サマルの民には害が及ばないようにしてもらいたい」
そう言って跪く元国王。
やつれ切った彼に、ヤバは私人でもあり、王妃としてもある言葉で応じた。
「確かにアズル・バアル様には、クラムワをけしかけた責任があります。
しかし、アッシリア王を狙えと言ったのではないので、大逆には相当しません。
それに、クラムワによって私が婚約破棄され、国外追放と決まった時も、貴方は最大限の便宜を図ってくれました。
その恩と相殺し、クラムワを生んだ家系に責任を取ってもらいます。
今後、貴方の家系から国王を出す事を禁じます。
記録も抹消します。
貴方の家系が、サマルの貴族として残る事は認めましょう。
私は我が王にそう進言します。
血統の存続、それはクラムワの情報を話してくれた礼となります」
それを聞いたアズル・バアルは、ヤバの足にしがみついて礼を述べていた。
そして内心では
(クラムワよ、済まぬ。
父はもうお前を助ける事は出来ぬ。
どんなに馬鹿と言われようが、アッシリア王弑逆未遂の罪人であろうが、お前は可愛い我が子だ。
見殺しにし、捕縛して処刑せよと、アッシリア王や王妃に言わざるを得ない父を恨んでくれ)
と泣いていたのである。
おまけ:都市国家サマルのその後
この国も、他の国同様、サルゴン2世の時代にアッシリアの属国から属州へと組み替えられます。
しかし、相当に優遇されます。
サマルの熟練職人やエリート層が、アッシリア首都で宮殿建築などに携わりました。
アッシリアはサマルのオルソスタット(彫刻を施した壁面石板)等の芸術様式を、自国の建築に取り入れました。
そして、交易の要衝として(アッシリアにしては)大事に扱われる事になります。
都市の破壊とかはされず、むしろアッシリアからの持ち出しで豪華な宮殿が建てられます。
ジンジルリの遺跡からは、多民族居住型の直轄都市となった後の繁栄が伺えます。
19時にも更新します。




