悲劇
「義弟よ、よく来た!」
アッシリア王ティグラト・ピレセル3世は、都市国家サマル王パナムワの自発的参戦に機嫌が良かった。
アッシリア軍は、本来補給を約束していたフェニキアの裏切りにより、食糧を断たれるところであった。
サマルを通じたヤバからの報告で、裏切りの事実を知って先制攻撃を出来た。
そしてガザやフェニキアからの略奪品、救援したユダ王国に供出させた食糧で、当面の戦争は継続出来る。
だが、それでもサマルからの大量の物資は、有難い事に変わりはない。
彼等が継続的に補給してくれるのは、アッシリアの覇業を大いに助ける事となるのだ。
ティグラト・ピレセル3世は、義弟でもあるサマル王を手厚く遇する。
本陣に滞在させるという優遇ぶりである。
そこで共通の親族であり、限りなく迷惑を掛けられている王妃ヤバに対する愚痴を共有したりした。
だがパナムワは、その優遇に甘えはしない。
相手は強大な国の王なのだ。
不興を買ったら、サマルのような弱小国は一溜まりもない。
ヤバの政治的判断で、主な通商路は「シリア門」に戻り、中継交易国であるサマルの立場も保証されたが、いつでも
「代替手段に切り替える事は出来るぞ」
と暗黙の脅しが掛けられている状態である。
以前のように、交易の出入り口を抑えている事は、強みにはならないのだ。
サマル軍はアッシリア軍に比べれば微々たるものなので、以降この連合軍はアッシリア軍として纏める。
アッシリア軍はまず、ティルスに押し寄せヒラム2世を降伏させた。
既にこの都市はアッシリア軍によって焼き払われている。
許しを乞うヒラム2世に、ティグラト・ピレセル3世は意外にも寛大とも思える措置をする。
「今回の裏切りに対し、謝罪として財宝を差し出せ。
また、この地には監視官を置くから、万事その者に報告をせよ。
それが貴国の独立を許す条件である」
強制移住をさせられるかと戦々恐々としていたヒラム2世とティルス市民はホッとした。
だが、この寛大さの裏にヤバの存在があると、弟は察する。
「アッシリア王、もしかして王妃が何か言って来ましたか?」
恐る恐る聞くと、ティグラト・ピレセル3世は頷き
「海で交易をする者に、農業をさせたり、灌漑をさせたり、鉱山で働かせても丸で役に立たない。
ならば、本業である海の交易に専念させ、その利益を毎年貢がせれば良い。
監視官を置くなら、自分が間接的に支配出来る。
王妃はそう言っていた」
「姉らしいですね。
もう一つのフェニキアの街・シドンについては何か言っていましたか?」
「懇意にしているハラブの商人アビ・バアルに再建を任せるそうだ。
その財源には、このティルスから奪った富を充てる、と」
「アッシリアの懐は痛まず、廃墟を他人の富で自分好みに作り替える、と……」
「そういう事らしい。
余とアッシリアは破壊が得意だが、王妃は作り出す事を得意とする。
まあ、任せておこう」
こうしてフェニキア全土を制圧したアッシリア軍は、今度はイスラエル王国を襲う。
「何だと?
イスラエル王ペカが暗殺された?」
イスラエルへの援軍として、そのまま行動を共にしていた、元サマル王クラムワは驚愕する。
彼の傭兵団は、アッシリアと戦うべく市外で待ち構えていた。
だが、イスラエルは戦う事もなく降伏の運びとなる。
「隊長、我々はどうしますか?」
「ダマスコに戻る以外、選択肢はなかろう」
「そうですが、一戦もせずに出戻るのも悔しいです」
「そうか……。
お前、アッシリアにどんな恨みがある?」
「俺の一族は、アルパドに居ましたが、全て串刺し処刑されました」
「俺の一族は荒れ地に強制移住させられ、消息が途絶えました。
傭兵をやっていた俺はそれから逃れられたのですが……」
「俺の友はアッシリア軍と戦って戦死しました。
それだけならともかく、アッシリアの奴等は神への供物として、その遺体を辱めました」
「俺はアッシリア人だが、俺の主人は今の王によって粛清された。
女に騙し討ちされ、財産は没収され、主人の家は地方に飛ばされてしまった」
クラムワの部下たちから、次々と語られるアッシリアへの恨み言。
クラムワは皆の言葉を全て聞き終えてから、自身の考えを語る。
「皆の気持ちはよく分かった。
ここに居るのは、アッシリアを許せぬ者ばかり。
俺もそうだが、あいつらには報いをくれてやりたい。
そこでだ、俺に考えがある。
最終的にはダマスコに戻るが、それまでの間、しばし潜伏しよう。
戦えなかったのは残念だが、考えようによっては戦力が温存されたという事だ。
これだけの戦力があれば、俺の策がハマればアッシリアに大打撃を与えられるだろう」
クラムワの策を聞いた皆は、彼に従って戦うと宣言する。
そしてクラムワの傭兵団は、消息を絶った……。
「ホシェアと申すか。
よく余に逆らったペカを討った。
褒めてつかわす」
クーデターが絶えないイスラエル王国。
その伝統を継ぐかのように、王を暗殺して政権掌握したのは、家臣であったホシェアである。
ティグラト・ピレセル3世は
「碑文を立てよう。
『彼らがその王ペカを倒したので、余はホシェアを彼らの王として据えた』
其方の名と名誉だけは後世まで残るであろう」
と、その功績を讃える。
だが、彼を見る目は非情なものである。
イスラエル王国への戦後処理は、凄まじいものであった。
北部の肥沃な農地であったガリラヤ地方は完全に没収し、アッシリア領「メギド属州」とされた。
牧畜と防衛の要であった東部領土も全て奪い、「ギレアド属州」とした。
地中海へ通じる海岸地方の交易路もアッシリアが掌握する。
これは誰の意見であったかは、言うまでもない。
イスラエル王国は全土の4分の3を奪い取り、残されたのは王都サマリアとその周辺の山岳地帯エフライムのみとされる。
ガリラヤやギレアドに住んでいたイスラエル人は強制移住が命じられ、東方国境や未開地の開拓民とされる。
この民のその後は知れない。
これが「失われた十支族」伝説の始まりとなる。
そして残された僅かな領土のイスラエル王国に対し
「金10タラント、銀1,000タラント以上」
という貢納義務が課された。
人々の恨みはホシュア王に向く。
「ユダ王国に対するものより、更に過酷ですね」
パナムワがティグラト・ピレセル3世に話しかけた。
「理由は分かるか?
義弟殿」
「ユダ王国への処置は過酷なものでした。
ですが、これでイスラエル王国よりはマシだったと思うでしょう。
自分より下の者がいれば、人間は安心します。
それと、ユダ王国の領土では奪っても旨味がない土地ばかり。
それに比べれば、イスラエル王国には有効活用出来る土地があります。
敵対した事への懲罰以上に、これを奪って王国の為に使おうと言うのでしょうか」
「流石は王妃の弟!
正しいぞ!
だが、それを外では言ってくれるなよ。
表向きは、それ程までに余の怒りが大きいという事にしてある」
「心得ております」
追従を述べながらも、パナムワは冷や汗をかいていた。
かつてのウラルトゥと組んだ反アッシリア同盟の戦い、あれからいち早く離脱して正解だった。
自分たちは参加意思がなく、同盟参加派に幽閉されていたとはいえ、恐らくこの王にそんな事情は通じない。
積極的に味方する事で信頼を勝ち取らないと、追い込まれてからの行動ではダメなのだろう。
「義弟よ、次はダマスコだ。
これでひと段落するであろう」
「恐れながら申し上げます。
気をお抜きになりますな。
我々も、持参した攻城兵器用の資材を使う事がなく、拍子抜けしています。
しかし、こういう時に往々にして魔が来るのです。
身構えている時には訪れない魔物は、気を抜いた時に襲い掛かって来るものです」
「そうだな、心に止めておこう」
そしてアッシリア軍はダマスコに向けて進発した。
ティルス王ヒラム2世は降伏、イスラエル王ペカは暗殺される、いずれも戦わずに済んだ。
アッシリア軍は、改めてティルス、イスラエルに提供させた物資で戦争を継続出来る。
敵地に孤立していたはずが、一転して大量の物資を持つ事となった。
ティグラト・ピレセル3世の気が緩んでいたのも仕方がない。
追い詰められたダマスコ王レツィンは、野戦で足止めを図るが、勝負にならなかった。
大敗を喫したレツィンは、城市に逃げ帰り、城門を閉じて籠城戦に入る。
アッシリア軍は無理をしない。
城外に16の包囲陣地を築き、ネズミ一匹通さない封鎖を行った。
こうした攻城戦は、アルパド包囲戦で経験済みである。
ヤバが構築した補給システムを活かし、何年でも包囲を続けられる構えである。
ダマスカスの周囲には「グータ」と呼ばれる広大な果樹園と、網の目のような灌漑水路があった。
ティグラト・ピレセル3世は、その果樹を食す事で戦場の慰めとすべく、この場所に本陣を置いた。
パナムワも、その本陣への立ち入りを許されている。
そんな彼等の元に、魔が忍び寄る。
「どうだ?」
偽装して敵陣の中に入り込み、情報収集をしていた元アッシリア人傭兵がクラムワに報告する。
「プル(現ティグラト・ピレセル3世)の野郎、油断していますぜ。
ダマスコ軍を城の中に封じ込めたと思って、外には目を向けていません」
「隊長の読み通りですね」
「俺は、あの男がアルパドの時と同じ戦い方をして来ると思っていた。
だから、すぐに城に入ってはいけないと思った。
皆の者、今夜奇襲を行う。
狙うはアッシリア王の命のみ!
他には目をくれるな!」
「おうっ!」
包囲陣の外から忍び寄るクラムワの傭兵団は、ついに機会を得た。
月が完全に隠れる新月の日、彼等はアッシリア本陣に奇襲を行う。
果樹園は兵士がバラバラに浸透し、忍び寄るには最適であった。
一人一人が暗殺者となり、僚友の死を顧みず、ただひたすらアッシリア王のみを目指す。
「居たぞ!
アッシリア王だ!」
誰かが声を挙げた。
そこには確かにアッシリア王ティグラト・ピレセル3世が居た。
慌てて剣を持つ王。
しかし、そこに思わぬ人物が入り込む。
「義兄上、ご無礼をお許し下さい」
そう言うと、パナムワは王のマントを纏い、兜を着けて逃げ出した。
「アッシリア王が逃げたぞ!」
「追え!」
天幕の外でそのような怒号が飛び交う。
「義弟よ!
私の身代わりなど止めろ!
そんなものは脱いで、さっさと逃げろ!」
その声が届く事はない。
副官ベル・ダンが駆け込んで来て
「奇襲を許した失態の責任は後で取ります。
今はお身が大事。
御免!」
と言うと、周囲の兵士と共にティグラト・ピレセル3世を担いで脱出をした。
そして遠くから声が聞こえる。
「アッシリア王プルを討ち取った!
討ち取ったのは、サマルの王クラムワだ!
ヤバよ、ざまあみろ!!」
そして本物の王が安全圏に逃げた時、彼等は失意の声を出す。
「しまった、こいつは贋物だ!
こいつはヤバの弟、今サマルの王を自称しているパナムワじゃねえか!
騙された!」
この一連の出来事は、急使によって王都カルフのヤバの知る所となる。
ヤバは、冷静な彼女らしくなく、報を聞いて呆然と立ち尽くしたという。
サマル王パナムワ2世の死については、息子のバル・ラキブが建立した「パナムワ2世の碑文」に詳しく記されています。
碑文では、彼がアッシリア王の傍らで戦っていた際に命を落としたことが強調されています。
また、ティグラト・ピレセル3世がパナムワの死を深く悼み、軍の野営地に彼の死を悼む仮の記念碑を設置したという事も記されています。
碑文の後半には、パナムワの魂が嵐の神ハダドと共に在るよう、アッシリア王が供物(葬儀の儀礼)を捧げた、と記されています。
サマルとアッシリアが極めて緊密な関係であり、強大な王から格別の敬意を払われた事を強調したものでした。
だからティグラト・ピレセル3世とパナムワを義兄弟設定にしました。
(史料にはそういう記述は一切ありませんので)




