表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/48

抵抗する者たち

 紀元前735年、イスラエル王国のとある神殿。

 ここでは所謂、神殿売春、あるいは神聖娼婦というものが存在していた。

 本来のユダヤ教では、これは神を冒涜する行為であり、固く禁じられている。

 しかし実際には、隣接地域のバアル崇拝やアシェラ崇拝などの影響を受け、こういう行為が行われていた。

 そんな神殿で、ある外国人が娼婦に声を掛ける。


「バグマシュティ、お前、バグマシュティだろ!」

「さて?

 人違いではありませんか?」

 声を掛けたのは、都市国家サマルの元国王クラムワ、その女性を自分の愛人にして王妃にもしたバグマシュティと思ってのものだった。


 それにしてもクラムワは変わってしまった。

 以前のウラルトゥに倣った、髭を伸ばさず、香油で身なりを整えた、外面だけは良い貴公子はそこに居ない。

 伸び放題の髪と髭、垢に塗れた体、そして左手が不自由になっている。

 そんなムサい男だが、

「愛した女の事を忘れるわけがない。

 お前はバグマシュティだ。

 違うというなら、それで構わない。

 こんな所で何をしているかも聞かない。

 俺には言う資格が無い。

 俺の左手は、長年敵の攻撃を盾で受け止め続けたせいか、痺れて満足に動かなくなってしまった。

 お前を抱く手は、もう役に立たない」

 そう語りかける。

 そこには「馬鹿王子」と呼ばれた面影は無い。

 戦場慣れした一個の男となっていた。

 クラムワは更に話す。

「お前がバグマシュティじゃないとしても、その女性になり切って話して欲しい。

 俺は、この国と同盟を結びに来たダマスコ(ダマスカス)の使者を護衛してやって来た。

 いわば賓客だ。

 それをもてなすのが、お前の使命であろう」

「それがお望みでございましたら、そのように振舞います。

 どうぞ、私をその女性と思ってお話し下さい」

(それにしても、精悍な表情になったわねえ。

 見違えましたよ、クラムワ様)


 この女性は、本物のバグマシュティであった。

 しかし、彼女の見た目も変わっている。

 北方出身の白い肌と赤味がかった髪色は、それぞれ褐色の肌と漆黒の髪色に変わっている。

 漂う匂いも、以前はウラルトゥを思わせる針葉樹(ジュニパー)のエキスの涼やかなものだったが、今は乳香(フランキンセンス)の甘い香りだ。


 男女はお互い変わってしまった相手と、寝所で語り合う。


「俺はアルパドを抜け出した後、多くの友を失った。

 一緒に遊んでいた奴等は、落ち目の俺を見捨てて去っていった。

 だが、それでも俺に従う者を連れて、俺は傭兵団を作ったんだ。

 そして、まずはユダ王国に侵攻して来たアッシリアの……王子の軍勢だったかな、それと戦った。

 その後、3年前にこのイスラエルを襲ったアッシリア軍とも戦った。

 俺はそこでも負けた。

 だが俺は諦めていない。

 3年前は中立を守り、イスラエルが降伏したのを見てアッシリアに貢納したダマスコ。

 あれはその時の事情でそうしただけで、決してアッシリアを快く思っていない。

 それで俺はダマスコに仕えた。

 ダマスコの王とは、反アッシリア同盟の時に顔を合わせているからな。

 あっちも驚いていたよ。

 だが、どうにか隊長の一人として迎えられ、今日こうして使者の護衛になるまでになった。

 お前はどうやって過ごして来たんだ?」

「私はバグマシュティとかいう女ではありませんから、作り話で良いですか?」

「うん、いいよ」

「左様でしたら、物語をさせていただきますね。

 私もアッシリアを許す事は出来ませんでした。

 特に王妃とかいうのが、女性ながら活躍しているのが悔しかったのです。

 それで、その王妃に復讐しようと、あちこちを放浪しました。

 浅ましい私は、女の武器を使うしか生き方を知りません。

 こうして神殿に拾われた私は、ここに来られる偉い男方(おのがた)にこう囁いているのです。

 アッシリアを信じてはなりません、これは聖なるお告げです、と」

「そうか。

 俺の知るバグマシュティは、もっと可憐で慎ましやかな女だったが、これはこれで面白い。

 あのヤバにいじめられていた女が、復讐に身を委ねるとは、愉快な話ではないか」

(この男、本当に私をそういう女性だと信じていたのね……)


 男女は夜通し語り合い、男の方が去る時が来た。

 女は別れ際、男に語りかける。

「イスラエルはアッシリアと戦います。

 建前はともかく、王族も貴族も皆、アッシリアを嫌っています。

 誰が吹き込んだかは分かりませんが、ハマトの民の強制移住を知り、憤慨しています。

 男は夜、本音を漏らすものですので、これは確かな事です。

 どうか、貴方様も頑張って下さいませ」

「ふっ……強制移住の事は、君が吹聴したのだろう?

 違うと否定しても、俺はそうだと思う事にするよ。

 貴重な話をありがとう。

 何だろうな、サマルの王宮で君を愛していた時より、今の方がずっと君と心を通わせられたような気がする」

 バグマシュティは黙って微笑む。

(それは、私をただの愛玩対象として見て、私も貴方を利用しようとしていたあの時と違い、同じアッシリアと戦う志を持った戦友になったからですよ)

 内心そう呟く。

「それじゃあな。

 いつの日か、また会おう。

 このような形でも、違った形でも」

「どうぞお達者で」

 こうしてかつての国王と王妃は、異国で意外な出会いをした後、別れた。

 これが最後の出会いであった。




 アッシリア王都カルフ。

 ティグラト・ピレセル3世は、皆を前に今後の方針を話していた。

「先王、我が兄アッシュル・ニラリ5世は、死に臨んで余にこう言い遺した。

『アッシリアを再び世界最強の国へ』と。

 余はこの遺言を決して疎かにはせぬ。

 宿敵ウラルトゥを倒した後だが、休みはそろそろ終わりにして、次の遠征を行う。

 余自らガザに向かう」

「ガザですと?」

「ああ、この国はアッシリアへの朝貢を拒否して来た。

 その上で、エジプトに援軍を要請したとの事だ」

「なんと、許せませんな。

 これは懲罰するべき事です」

 王は頷く。

「諸君、アッシリアは世界最強だ。

 それを忘れるな!」

承りました、我が王(アッパル・ベーリー)!」

 そして

国王万歳(シャル・ル・バリ)!」

王に勝利と栄光あれル・ルー・シャテラ・シャル!」

 と歓呼の声が挙がった。


 軍議を終えて王宮の私的空間に戻ったティグラト・ピレセル3世は、待っていたヤバ、バニトゥに

「本当に、ダマスコはアッシリアを裏切るのだな?」

 と念を押した。

 ガザへの出兵は、敵の蜂起を促す罠であった。


「ハラブの商人自治組織(カールム)からの通報です。

 フェニキアに支店を持つアビ・バアル殿が、海外製の武器をダマスコが大量に購入していると申して来ました。

 また、バル・ハダド殿から、最近ダマスコとイスラエルの間で、頻繁に使者が往来しているという情報がもたらされました。

 これは神殿経由のものです」

「イスラエル王国は、特殊な宗教だったな」

「はい、イスラエル王国とユダ王国は、天に神は一柱しかいないという教えを信じています。

 そして自らは神に選ばれた民と称し、他の神を否定しています。

 それ故、周辺の神殿からは嫌われていて、今回の通報もそれが理由でしょう」

「うむ。

 それで商人どもの要求は?」

「本当にエジプトを攻めないで欲しい、でした。

 交易相手として重要ですので」

「今のアッシリアに、エジプトを攻める力は無い。

 まだ足りんし、先にしなければならない事がある」

「バビロニアですね」

「うむ。

 そちらについては、王太子妃(マハルティ)の方が詳しかろう。

 現在、どのようになっている?」


 バニトゥがバビロニアの状況を説明する。

「ナボンナサル王は相変わらず親アッシリアの態度を崩していません。

 ウラルトゥに味方した事を反省した後、態度を変えていません。

 まあ、我々の助けが無いと、彼は国を維持出来ませんから」


 バビロニアE王朝は、常に相当混乱していた。

 ここは今は亡きウラルトゥのサルドゥリ2世のアッシリア包囲網に加担し、南を塞ぐと共に宗教的な圧を掛けるものであった。

 しかし、現在の王ナボンナサルが即位すると、すぐにカルデア人やアラム族の諸部族が反乱を起こした。

 サルドゥリ2世も、バビロニアには期待せず、ただメソポタミア世界におぇる「全ての王が神々の王マルドゥークの審査を受ける」アキトゥ祭への、アッシリア王参加を拒否させればそれで良いと考えていた。

 だが、ティグラト・ピレセル3世が即位するとすぐに、ナボンナサル王は反アッシリア同盟を離脱、アッシリアに救援を要請する。

 ティグラト・ピレセル3世はこれを承認し、貴族の部隊を派遣して、反乱を叩き潰した。

 粛清された宮内長官ベル・ハラン・ベル・ウスルを古都アッシュールに派遣したのも、このバビロニア情勢を担当させる為でもあったのだ。

 ティグラト・ピレセル3世自身は、ウラルトゥ、シリアのアルパドと対する必要があり、南方は他者に任せざるを得なかった。

 その後、ベル・ハラン・ベル・ウスルが事故死(・・・)した為、そのコネクションはバニトゥが引き継いだ、いう事情である。


「ナボンナサル王も、その子も、アッシリアに恭順しています。

 問題は、彼等に統治能力が全く無い事です。

 既にカルデア人に不穏な動きがあると聞いています」

「頭が痛い事だ。

 保護国にはしたが、こうも状況が落ち着かんと、先が見えん」

「いっそ、カルデア人に蜂起させましょうか?

 アッシリアの圧が弱まれば、彼等はすぐにでも立ちましょう」

王太子妃(マハルティ)、それ以上は余計な口出しである。

 政治の事を決めるのは余だ」

「はっ、失礼しました、お許しください」

「分かれば良い。

 おい、我が子よ、王太子(アプル)よ、状況は分かったな」

「はい。

 遠征は父上が成される。

 なれば私は王都(カルフ)に在って国政を担いつつ、不穏なバビロニアに目を光らせておく、という事になりますな」

「うむ」

 長男も成長している。


「世界一の強国には、軍事力だけではなれん。

『シリア門』を回復した後は、レヴァント諸国を制圧し、交易路を確たるものにする必要がある。

 これは軍事しか頭にない、他の者たちには語れん。

 交易による富、それを使っての国内の発展、それに伴う食糧の増産、それを兵糧として遠征を行う。

 全ては繋がっておる。

 ここにいる家族は、その事を理解している同志だ。

 今後もよろしく頼むぞ」

「はい」

「義父様の為に!」

「父上の御意のままに」


 アッシリアと、いまだ反アッシリアの意志を貫く者たちとの戦いは続く。

【バビロニアE王朝 歴代国王】

ナブー・ムキン・アプリ:バビロニア人。始祖

ニヌルタ・クドゥリ・ウスル2世:バビロニア人。前王の子

マール・ビティ・アヘ・イディナ:詳細不明

シャマシュ・ムダミク:バビロニア人。アッシリアと戦う

ナブー・シュマ・ウキン1世:バビロニア人。前王の子。アッシリアと平和条約を結ぶ

ナブー・アプリ・イディナ:バビロニア人。前王の子。バビロニア文化の復興を推進

マルドゥク・ザキル・シュミ1世:バビロニア人。前王の子。アッシリアの支援を受けて即位

マルドゥク・バラッス・イクビ:バビロニア人。前王の子。アッシリアに敗北し、捕らえられる

ババ・アハ・イディナ:バビロニア人。前王と血縁関係不明。アッシリアに連行され、無王状態に

(空位・無秩序期)

マルドゥク・ベル・ゼリ:出自不明

マルドゥク・アプリ・ウスル:アラム人?

エリバ・マルドゥク:カルデア人(ビット・ヤキン氏族)

ナブー・シュマ・イシュクン:カルデア人(ビット・ダックリ氏族)

ナボンナサル:現在の王。バビロニア人。この王の治世から天文観測記録が本格化する


とりあえず作中時間までの王でした。

(アッシリアと上手く手を組めば安定するように見えるのだが……そうしなかったって事は、アッシリアはよっぽどアレなんだろうな)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ