新しい国政
それはアルパドを落とす前の事である。
交代で包囲戦を指揮していたティグラト・ピレセル3世は、この時は王都に戻っていた。
そこで、早晩落ちるであろうアルパドと、ビト・アグシ王国に対する処遇を話し合っていた。
ビト・アグシ王国をどうするか、その結論は早々に出ている。
国の存続を認めず、解体して属州に編入する。
アッシリア王国、久々の領土拡大だ。
だが、属州を決めた後、誰を総督にするか?
ティグラト・ピレセル3世は独裁者である。
権臣だった最高司令官シャムシ・イルも、宮内長官ベル・ハラン・ベル・ウスルもこの世にはいない。
他の権臣も、いつの間にか王宮や古都アッシュールから姿を消している。
そこに女性の影がちらついているが、口に出すのは憚られた。
こうして有力貴族が居なくなったティグラト・ピレセル3世の王宮では、逆に人材が不足するようになっていた。
官吏がいないわけではない。
優秀な文官、税吏、技術官僚など、王の手足となって動く者たちは、この数十年で最も充実していると言って良い。
しかし、国政を担い、王の半身ともなれる人材は消滅していた。
そういう王を代行出来る者と、実力が伴わない王がいる場合、権臣による社会になってしまう。
今はその逆で、王が全ての政治をしなければならず、補佐役や代行者がいない状態だ。
息子の舅であるアルバキ総督アッシュール・シャル・ウスルとその一族は、自分たちの長所は調整能力、具体的には権臣とも堅物とも等距離で付き合えるソツの無さと認識していて、必要以上に政治に首を突っ込まない。
それはそれで彼等の保身術として完璧なのだが、同時にやはり王の補佐役が不在な事に変わりなかった。
「王妃、王太子妃、お前たちの意見を聞きたい」
有力な貴族が補佐役として存在しない以上、こうなってしまう。
ティグラト・ピレセル3世は、歴史の記録に残らない場面で女傑たちに相談した。
独裁者は孤独である。
その為、次第に他人の声に耳を傾けなくなり、独善的になる事がままある。
ティグラト・ピレセル3世の場合、相談相手がいるのは幸福な事であった。
「総督の成り手ですか。
普通の行政官ではダメですか?」
実務者視点のヤバは、この辺りは鈍い。
彼女は小国サマルの王族で、総督であったプルの後妻となった。
様々な財政改革をして来た彼女だが、大国の王妃という経験は無かった。
人事に関しては鈍い。
実務レベルで優秀なら、属州の政治くらい出来るだろうと思っている節がある。
実際、彼女の夫は極めて有能な税吏上がりの総督だったのだから。
ちょっとピンと来ていないヤバに代わって頼りになる答えを出したのは、バニトゥの方であった。
貴族勢力で闇に葬っている事は公然の秘密の彼女だが、自分が弱体化させている貴族たちの代替案も持っていたようである。
「宦官を使ったらどうですか?」
宦官、去勢された男性は、アッシリアが軍事国家に変貌した中アッシリア時代から記録に現れるようになる。
それ以前の都市国家時代は、必要とされなかった。
軍事国家アッシリアが敵国を攻めた際、大量の捕虜を得る。
神々への生贄にするアッシリアでも、優秀な人材はやはり惜しかった。
そうした外国の人材を、子孫を残せないよう去勢してから、まずは後宮の管理の仕事をさせる。
また、強大化した国家の中では貧富の差が発生し、貧困層に落ちた者が、口減らしに息子を去勢して献上する事もあった。
更に中アッシリア法典には、同性愛や特定の不義密通に対する刑罰として「去勢」があった為、こうした者たちからも宦官が供給される。
これらの中で、見目麗しい外国人の少年は需要が高く、宦官として後宮のみならず、国王の側近としても働く事になった。
そんな中、宦官の勢力が急拡大した時期がある。
4代前の王、アダド・ニラリ3世の時だ。
この王は後継者争いが起こる事なく、父の死後すぐに即位している。
それを支えたのが、男尊女卑のアッシリアでは極めて珍しいサンムラマートという母后であった。
摂政として、女王として幼い王の代わりに国政を代行した彼女は、宦官を頼りとした。
男尊女卑の社会ゆえ、王の母と言えど、身の危険があったのだ。
女王は、自分に絶対忠誠を誓う宦官を重用し、彼らに巨大な領地を与える。
この時代、彼らは軍最高司令官や総督、州知事に任命される。
その後、弱い王と権臣の時代が訪れる。
宦官は権臣に排除される。
貴族たちは総督になると、自分の子に世襲で地位を継がせた。
それでも実務能力に長けた宦官は滅亡させられる事はなく、王宮の実務や雑務を任されていた。
サンムラマート女王の時のような権勢は無い。
しかし、その時に培った地方経営や国政における実務能力は残っている。
「宦官か……」
ティグラト・ピレセル3世は考え込んだ。
彼は既に宦官勢力の協力を得ていた。
粛清された宮内長官ベル・ハラン・ベル・ウスル、彼が王宮の宦官、書記、侍従たちの取り纏め役であったのだ。
国王即位以来、王宮の職務が滞りなく行われていたのは、宮内長官を通じた彼等の協力に因る所が大きい。
ベル・ハラン・ベル・ウスル自身もアッシリア男性特有の長い髭を生やしてなく、子もいなかった事から、宦官だったと言われている。
ティグラト・ピレセル3世にも、宦官任命は頭にはあった。
しかし、サンムラマート女王の時のような権力を持つ宦官を作り出したら意味がない。
貴族でもそうだが、出来るだけ小粒な人物が良いのだが、小粒過ぎると器量不足になって、統治は上手くいかないだろう。
バニトゥが続けて言う。
「宦官は、我が王の恐ろしさを身に沁みて知りました。
宮内長官の事故死は、良い教訓になったでしょう。
であれば、彼等は我が王を裏切る事はありません。
能力があり、裏切らず、更に子を成せず貴族化する心配の無い宦官は、使い勝手が良いと考えます」
「なるほど……」
「更に、宦官は前王までの時代の事で、貴族には恨みを持っています。
属州の総督全てを宦官にするわけにもいきませんので、貴族を総督とした地区には、宦官を監査官として派遣する事も出来ましょう。
彼の者たちは、全力で貴族を監視しましょうから」
「バニトゥさん、宦官って基本外国人でしたか?」
思い出したように、ヤバが会話に入って来る。
「はい。
アッシリア第一主義の我が国で、政務に関わる仕事をさせるには、子を成せる者のままではいけなかったのです。
男であって男でない、そういう者は見下しの対象となりますが、一方で使い勝手が良いのも確かです。
女性には出来ない仕事をさせられますからね」
「外国人……。
あなた!
……じゃなかった、我が王!
是非宦官を重用しましょう!」
「一体何だ?
何を閃いた?」
「いえ、頭が固く、生産の効率とかを基本的に理解しないアッシリア男性より、外国人の方が私の仕事には向いています。
外国出身の私の部下たちは、あくまでも私個人のお手伝い。
これから更に広くなるアッシリア全土の産業や交易を管理する事務官には、彼等が使えるように思います」
「そうですね、流石は義母様!
軍事や農業は任せられますが、その他はアッシリアの男性は守旧的過ぎますからね」
「私だけで事務仕事するのも大変ですし、文官は土地台帳の方に手を取られています。
商業で私の手足となる事務方が増えるとなれば、更に富を得られますわ!」
「素敵です、義母様!」
「バニトゥさんが、宦官の使い勝手の良さを教えてくれたからですよ!
ありがとうね」
「役に立てて嬉しいですぅ!
これで国は更に発展しますね。
うふふふふ……」
「あら、バニトゥさん、欲深で素敵な顔をしてますわよ。
おほほほほ……」
「あー、悪巧みしているのを打ち切って悪い。
王太子妃は、ビト・アグシ跡地の総督となる者を人選してくれ。
宦官なれば、女性が会っても問題はない。
忠誠心があり、有能な者を選べ」
「はい!」
「王妃は王太子妃と共に宦官を面接せよ。
ビト・アグシも商業国だ。
お前が見込んだ、使える宦官を登用し、その地の産業や交易を立て直せ」
「分かりました」
そして何人かの宦官が推薦される。
しかし、シャムシ・イルやベル・ハラン・ベル・ウスルに遠く及ばない、人間的には小さい者たちばかりだ。
王は考え込む。
(こういう者たちは、自分の能力以上の職務を抱え込んで、かつての余のように考えが凝り固まってしまうか、上手くこなした事で自分が偉いと思い込み、私欲を肥しがちだ。
どうにか出来ぬか?
同じ職に複数人を任じて、お互いを監視させようか?
いや、同じ職でなくて良い。
器相応の職とし、それを複数作って競い合わせれば良いのだ!
互いに監視し合う事にもなるだろう)
こうしてアルパド陥落前から、その地をどうするかの方針が決められたのだった。
時間を進め、アルパド市陥落後。
元いた市民は虐殺され、富は略奪される。
都市は破壊され、金30タラント、銀2,000タラントという莫大な富がアッシリアに持ち去られた。
そして戦後処理。
アッシリアの者は、宦官が総督にされた事自体は驚かなかった。
過去にもあったのだから。
驚いたのは、ビト・アグシ王国を一個の属州とはせず、東部のアルパド州、西部のツィンム州と分割、小型化された事である。
この両州に宦官が総督として配された。
彼等は隣の任地の総督を、相互に監視し合う。
そして破壊された市街の跡に、新しい市街が建設される。
高い城壁と広く深い堀、「死の間」を備えた門は再建されず、こじんまりした商業都市に作り替えられていった。
アルパド陥落とほぼ時を同じくして、新ヒッタイト諸国の一つ、ハマトが降伏した。
ビト・アグシ王国~ハマト~都市国家サマルと連なる、交易路に近接する国は、これで全てアッシリアの下に戻った事になる。
そして「非情さ」を学んだティグラト・ピレセル3世は、ハマトを属国とする一方、先日までの自身への抵抗に対し、報復を行った。
「住民はアッシリア国内への移住をせよ!」
彼の統治でこの後、よく見られるようになる「強制移住」の始まりである。
反抗的な民族を全く別の土地へ移動させ、代わりに別の民族をそこへ入れる。
民族のアイデンティティや故郷への愛着を断ち切り、反乱の芽を摘む。
後の「バビロン捕囚」のモデルとなり、強制移住後の「北イスラエル王国の失われた十支族」(ディアスポラ)の元となった、アッシリアの悪名高き政策「民族強制移住」。
これはティグラト・ピレセル3世の時にシステム化され、継続される国家の政策となったのである。
アッシリアにより、数百万人がかき混ぜられる。
そして民族の混交が進む中、商業言語であるアラム語が共通語としてオリエント世界に普及していく事にも繋がった。
更には、アッシリアの崩壊にも一役買うのだが、それは今は触れない……。
「我が王、移住させるのは良いですが、その先で何をさせるのですか?
故郷を離れた者は、腑抜けとなり、何の役にも立ちますまい」
副官ベル・ダンが、皆を代表して王に問う。
ティグラト・ピレセル3世は笑った。
「余は決めておらん」
「なんと?」
「王妃なら何とかしよう。
王妃は外国の者を使うのが上手い。
余は反乱の芽を摘む。
アッシリアに逆らった者の見せしめとする。
そうした者の有効活用は、王妃に任せるさ」
王が言ったように、ヤバは知識人やエリート層を上手く役立てるのだが……。
いつもとは逆に、夫の方から面倒事を任される王妃ヤバであった。
おまけ:
紀元前9世紀末、即位したばかりの王アダド・ニラリ3世はまだ幼く、国政の舵を握ったのはその母、王太后サンムラマートであった。
後にギリシアで「セミラミス女王」として神格化される彼女の統治は、アッシリアの歴史史上極めて特異なものである。
彼女が直面したのは、血気に流行る武官たちと、領地を私物化し始めた地方総督たちの野心。
男尊女卑社会かつ王族の血を引かぬ女性である彼女にとって、宮廷は極めて危険な場所であった。
そこで彼女は宦官を使って政治を行う。
サンムラマートは知っていた。
子を成せぬ宦官たちには守るべき家系がなく、その権勢の源泉はただ一点、「王の寵愛」のみにある。
彼女は宮廷の深奥から、一人の宦官を抜擢した。
名をベル・タルシ・イルマという。
彼はカルフ総督に任じられ、事実上の最高宰相として、サンムラマートの政策を地方へと浸透させる手足となった。
「お前たちの去勢された身体こそが、この帝国を支える柱となるのだ」
サンムラマートの冷徹な声が、北西宮殿に響く。
彼女は宦官たちに軍の指揮権を与え、徴税の権限を委ねた。
彼らは「王の耳」として総督たちの動向を監視し、「王の手」として反抗的な貴族を粛清した。
サンムラマートの時代、アッシリアは女性ならではの繊細な政治感覚や、慈愛によって統治されていたのではない。
去勢された男たちを用いた、冷徹な官僚機構によって、安定していたのである。
サンムラマートが成長した息子アダド・ニラリ3世に政権を譲り、歴史の表舞台から退いた後も、彼女が作り上げた宦官優位の国政は続く。
いや、次第に暴走を始めていた。
だがこの頃、貴族たちは力を取り戻し、シャムシ・イルたち権臣たちが実力をもって国政に返り咲く。
サンムラマートの死後、権臣たちは総督や将軍の座を宦官から奪い返すも、王宮の内部ではいまだ宦官の力は強いままであった。
王に近侍するがゆえに強い宦官の権力、だったら王そのものを弱体化させれば良い。
権臣たちは3代に渡って王から権力を奪い続け、アッシリアを牛耳っていく。
しかし、王が死に後継者争いが起きた時、宮廷で暗躍する宦官の力は必要だ。
「王が強ければ、宦官を重用する」
「王が弱ければ、権臣たちが国を私物化する」
「冊立の功臣となるべく、権臣と宦官は手を組む」
これが「アッシリア暗黒期」の内情であった。
そしてティグラト・ピレセル3世が即位。
権臣や強力な宦官は粛清される。
だが、ティグラト・ピレセル3世も彼等全てを殺したわけではない。
使える者は生かし、権限を与えて政治参加させた。
……担当範囲を細分化し、巨大な権力を持てない形にして……。
こうして「王を凌駕する巨大な大臣」は消え、王の下に大量の官僚が仕える政治体制へと変革されたのである。




