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統治者には非情さが必要

 古都アッシュールを預けられていた宮内長官ベル・ハラン・ベル・ウスルは、新王都カルフに帰還していた。

 総督の地位はそのままに、代官を置いて王の傍に仕えよという命令であった。

 過去にシャムシ・イルと並ぶ権臣であった彼は、喜んで王宮に返り咲く。


 有り得ない地位の者を、宮廷工作の末に国王にする事を「冊立」と言う。

 王になった者は、自分を王にした者に頭が上がらなくなり、その者は強大な権力を握る。

 これを「冊立の功臣」と呼ぶ。

 ベル・ハラン・ベル・ウスルはティグラト・ピレセル3世の冊立の功臣であり、政敵が消えた今、莫大な権勢を持っていた。

 そんな宮内長官が、王太子妃で、アルバキ総督令嬢のバニトゥから招待を受ける。




「宮内長官、お待ちしておりました」

王太子妃(マハルティ)直々のお出迎えとは、痛み入る」

「父は、しばし所用で出かけております。

 いずれ挨拶に参りますので、非礼をお許し下さい」

「いや、気になさらずに。

 王宮に仕える者には、よくある事です」

「まずはお食事を運ばせます。

 私が大好きな王妃様から習った料理です。

 お口に合えば……いえ、出来ればお口の方を合わせて下さいませ」

「ハハハ……、王太子妃は王妃が余程好きなのですね」

「そりゃあもう、この世で最も尊敬する女性ですわ」


 こうして運ばれて来た料理だが、別段変わったものはない。

 豪華ではあるが、食べ慣れたアッシリア料理だ。

 だが、本命は料理では無かった。

「どうぞ、黒胡椒(ピリピリ)です」

「ほお、これは贅沢ですな」

「こちらはコリアンダーになります。

 ハッティ(ヒッタイト)では肉の臭み消しに使っていたようです」

「これもまた貴重なものですな」

「どうぞ、料理におかけ下さい」

「成る程、王太子妃のお心遣い、よく理解出来ましたぞ。

 料理そのものではなく、香辛料が私への馳走というわけですな」

「左様でございます」

「いやはや、贅沢よの。

 金銀箔を料理に振りかけるというのを聞いた事があるが、これはそれ以上の豪華さです」

「お気に入りいただき幸せです。

 どうぞ、まだまだ色々ありますので、お使い下さい」

 食卓には多数の壺に入れられた匂い豊かな香辛料が並ぶ。


「少し苦いのも、また違った味わいを与えますな」

「はい」

「ところで、効能についても聞きたい。

 少々息苦しく感じるが、これも香辛料の作用なのかね?」

「はい、もちろん!」

「名前を聞かせて欲しい。

 ちょっと私には合わないようで、今後は避けるようにする」

「はい、宮内長官様がお食べになったのは『神々の香料(シマ・イラニ)』という香辛料でございます!」

 その名を聞いて、ベル・ハラン・ベル・ウスルは目を見開いた。

 神々の香料(シマ・イラニ)という隠語、その正体はドクニンジンである。

 意識ははっきりしたまま、末端から麻痺が広がり、最終的に呼吸困難で死に至る毒としてメソポタミア世界でも知られていた。

 正体を知ったベル・ハラン・ベル・ウスルは即座に食べた物を吐き出した。

 だが、作用し始めてからでは遅い。

 大量の香辛料が舌を麻痺させ、知らない内に致死量を超えて摂取していたのである。


「おのれ……、よくもやりおったな」

「うふふふふ……」

「王は……私の身の保証をした。

 その場には、お前も居たではないか!」

「誤解なさいますな。

 貴方様の身分を保証したのは、我が王(ベーリー)と王妃様。

 私は何も約束していませんよ。

 それに、十分身分は保証されたではないですか。

 今日、この日まで。

 我が王(ベーリー)はちゃんと、約束を守りましたよ」

「くぅぅ、それでもう用済みとなった私を殺すのだな。

 あの男、神への誓いを何と心得る」

「繰り返しますが、誤解なさいますな。

 貴方をこのような目に遭わせたのは、私なのです。

 義父様も義母様もお優しい方です。

 確かに貴方様は改革の邪魔です。

 しかし義父様も義母様も、引き続き宮内長官として留め、権勢と富はあれど実権無き立場で収めようとしておいででした。

 本当に、なんとお優しい方々なのでしょう!

 そんな方々の手を汚すわけにはいきません。

 手を汚すのは、私で十分です」

「この毒婦が!

 神に誓いを立てておきながら、その相手を殺すなど、有ってはならぬ事だ!

 許さんぞ」

「ああ、良いわ、凄く良いです!

 怨嗟の声を浴びせて下さいませ!

 貴方様が私を恨み、呪って死ねば、それは愛する義父様、義母様には向かいません。

 神の怒りは、私にのみ降りかかるでしょう。

 だから、もっと口汚く私を罵って下さい。

 恨みを吐いて下さいませ」

「……狂っている……」

「なんですか?

 それでは足りません」

「お前のような女が許されると思うのか!

 この魔神(パズス)の手先が」

「ああ、最高よ。

 ゾクゾクして来ましたわ!

 もっとです、もっと呪いの言葉を!

 さあ、早く!!」


 だが、ベル・ハラン・ベル・ウスルの舌は麻痺し、言葉は呂律の回らないものになる。

 呼吸困難が始まり、声を出せなくなって来た。

 恨みが籠った視線を送り続けるが、次第にその目からは光が失われていく。


「もっと時間が掛かるかと思いましたが、案外あっさりしたものですね。

 誰か、手伝って下さい。

 ベル・ハラン・ベル・ウスル様が、誤って神々の香料(シマ・イラニ)を、自ら(・・)食べてしまいました。

 お可哀想に。

 御遺体を丁重に葬りましょう」


 権臣ベル・ハラン・ベル・ウスル没。




 王宮に、宮内長官が毒を誤飲して死亡という報告をした帰り道、バニトゥはヤバに声を掛けられる。

「バニトゥさん、貴女から血の匂いがします」

「そりゃあ私も女ですから。

 月のものの臭いでしょうね。

 申し訳ございません」

「言い方を変えましょう。

 貴女からは、宮内長官の呪いの影が見えます」

「…………」

「先に言います。

 咎めてはいません。

 私たちが至らぬ部分を、バニトゥさんが代わってしてくれたのでしょう?」

「いえ、違いますよ、義母様。

 これはあの男が目障りと思った私が勝手にやっただけで」

「ごめんなさい」

「え?」

「貴女が汚れ仕事を引き受けてくれていたのは、大分前から知っていました。

 でも、どう話したら良いか分からなかった。

 貴女だけがそんな仕事をする必要は無いのです。

 私も一緒に汚れます」

「そんな、ダメです!

 義母様はそんな事をしてはいけません!」

「バニトゥさん……」

「私、心の底から義母様を尊敬しているのです。

 こんな素晴らしい方は世界にまたといません。

 だから、義母様には堂々とした、豊穣女神(イシュタル)の恩寵を受ける存在でいて欲しいのです。

 魔神(パズス)になるのは、私だけで十分です」

「もしかして、あの時から??」


 以前、ヤバとバニトゥは、それぞれイシュタルとパズスのコスプレをして

「見てはいけない」

 のを良い事に、密かにアッシュールまで行って政治工作をした事があった。

 その時から彼女は、魔神(パズス)に取り憑かれていたのだろうか?

 バニトゥはそれには答えず、

「変な物ですね。

 あの時、私は青銅の仮面の金属臭が嫌で嫌でたまらなかったのです。

 でも今は、血から漂う金属臭に慣れてしまって……」

 と呟いた。

 ヤバはそんな彼女を抱きしめる。

 そして離した後に、自分の不甲斐なさを嘆いた。


「私ね、祖国では書記官として色んな場面に立ち会って来たの。

 でも、あそこで経験してない事があったわ。

 それは王妃という立場。

 私は、そうなる前に婚約破棄されて、国外追放されちゃったの」

「そんな事をした馬鹿王子と愛人は、いずれ滅亡させますよ。

 協力させて下さい」

 ヤバは首を横に振る。

 聞けば、馬鹿王子ことクラムワと、愛人のバグマシュティは行方不明になったという。

 もうあんな連中を気に掛ける事はない。

 言いたいのはそういう事ではない。


「私ね、王妃になるのは初めてなのよ。

 だから、分からない事ばかり。

 貴女から見て、至らぬ事ばかりでしょうね。

 そういう時は、私を注意してちょうだい。

 私を立派な王妃になるよう、教えてちょうだい。

 貴女一人が泥をかぶる事はないのよ。

 一緒に汚れましょうよ」

「義母様……」

「お願いよ。

 私も責任を負いたいの」

(ああ、なんて素敵な女性なんだろう。

 でも、やっぱりこの女性を汚れ仕事に引き込んではいけない)

 嬉しさの裏で、より強固に決意するバニトゥ。

 そしてヤバの顔を見て、ハッキリと言った。


「義母様にしか出来ない事があります。

 戦わずして『シリア門』を奪い返すなんて、私には絶対に出来ません。

 一方で、義母様には出来ない事があります。

 私はそれをするのです。

 いや、したいのです。

 それでやっと、義母様と並び立てると思っています」

「バニトゥさん……」

「貴族って非情なものですよ。

 この国の歴史を知っています?

 何度も起きた、王位継承争い。

 何人の王子や後宮の奥方が、人知れず葬り去られた事か。

 私たちアッシリア人は、血に塗れています。

 戦いの殺伐さだけでなく、宮廷の中でも多くの血を流して来ました。

 義母様はそういう国の生まれではない。

 失脚しても、国外追放で済むような国の生まれです。

 だから、そのままで居て下さい。

 統治者は非情さが必要と言います。

 でも、それは私が担います。

 義母様は、ハッティ(ヒッタイト)の素晴らしい知識を復活させ、商人とやり合う交渉術を活かし、国を発展させて下さい。

 義母様までアッシリアの流儀に染まると、そういうものが無くなりそうで、私寂しいです」

 黙って頷くヤバ。

 ヤバはバニトゥの覚悟を受け容れた。

 でも、やはり一言言わずにはいられない。


「分かりました。

 バニトゥさんに任せます。

 でも、何かあったら私に相談して下さいね。

 私にしか出来ない事があるんでしょ?

 あなたは私の娘なんだから、遠慮なく使って下さいよ」

「義母様……」

「ほら、泣かないの。

 魔神の化身が、らしくないわよ」

「はい」

「でも、あと一つ言いたい事があるわ」

「はい、何でしょう?」

「この事は、男どもには内緒ね。

 私たちだけの秘密にしましょう!」

「アハハ、そうですね。

 まあ、最初から喋る気なんて無いですけど」

「うちの男どもは非情さが無いから」

「そうですね、あのままの甘い所が好きなんですけど」

「言いますね」

「うふふふふ……」

「おほほほほ……」


 笑い合う女性2人。

 だが、この事は女2人の秘密とはならなかった。




 物陰には、国王ティグラト・ピレセル3世がいた。

 話は全て聞いていた。

 そして、その場を離れてから一人呟く。

「統治者には非情さが必要……。

 アッシリアは既に血に塗れている……。

 そうなのだよ。

 ヤバが王妃としては初めてなように、私も国王は初めてだ。

 言われて分かった。

 私も国王としての非情さを持たねばならない」


 アッシリア王として真に覚醒した瞬間であった。

おまけ:

ドクニンジン:セリ科ドクニンジン属の越年草で、非常に強い毒性を持つ。

葉が野菜のニンジンやパセリに似ているため、誤食による中毒事故が起きやすく、西洋では「愚者のパセリ」とも呼ばれる。


毒成分:コニインなどのアルカロイド


中毒症状: 摂取すると中枢神経を興奮させた後に麻痺させ、足先から次第に上へと麻痺が広がり、最終的に呼吸筋が麻痺して窒息死に至る


逸話:

紀元前399年、アテナイの裁判で死刑を宣告されたソクラテスは、脱獄の勧めを断り、法に従ってドクニンジンの抽出液を飲んだ。

弟子のプラトンは著作『パイドン』の中で、ソクラテスが毒を飲んだ後、足から次第に冷たくなり、麻痺が心臓に達して穏やかに亡くなった様子を描写している。

しかし現代の医学的見地からは、ドクニンジン中毒は激しい嘔吐や痙攣を伴う苦痛の大きいものである可能性が高いと指摘されている。

プラトンの描写は、師の最期を「哲学者の理想的な死」として美化した、あるいは苦痛を和らげる他の成分ケシなどが混ぜられていたのではないかという説もある。

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― 新着の感想 ―
ヤバとバニトゥの親娘の絆、いいですね。^_^ 統治は綺麗事だけではできない。古代なら、なおさらでしょうし。かといって、綺麗事無しでも回らないですから、バランスが大事ですよね。
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