王の凱旋
クムフの戦いは、オリエント世界に大きな衝撃を与えた。
北方の強国ウラルトゥが、僅かなアッシリア軍の前に大敗を喫したのだ。
これまで無敗を誇って来たウラルトゥのサルドゥリ2世は、自らの天蓋付きベッドまで置き去りに逃走。
アルパドに籠る反アッシリア同盟軍は、援軍を失った孤軍と化す。
ティグラト・ピレセル3世は追撃を行った。
ウラルトゥ国境、ユーフラテス川に架かる橋まで執拗に追い、多くのウラルトゥ兵を殺戮し、莫大な戦利品を得る。
長らくウラルトゥに苦しめられたアッシリア兵は、久々の大儲けに歓喜した。
「こんな物を持ったまま戦争も出来ん。
一旦、王都カルフに戻る。
後継者には、引き続きアルパドを包囲し続けるよう伝えよ。
皆の者、凱旋だ!」
王の言葉に、兵士たちは歓呼の叫びを上げる。
常備軍の兵士たちは、農家の三男、四男だ。
或いは農村におけるはみ出し者だったりする。
そんな彼等が、莫大な略奪品を持って帰る。
農地の相続をした兄たちや、自分を邪見に扱った村の者たちに自慢が出来るというものだ。
こうして戦利品を得て凱旋する王を、民は熱狂的に出迎えた。
「我が王の勝利をお祝い申し上げます」
王宮ではヤバが先頭で出迎えた。
男尊女卑のアッシリアでは、本来これは王太子、もしくは留守居の最高位の者の役割である。
しかし、王太子は父の代理でアルパド包囲軍を率いているし、最高位である宮内長官ベル・ハラン・ベル・ウスルは古都アッシュールに居る。
最高司令官は置かれておらず、宰相同然の役をアッシュール・シャル・ウスルが引き受けているが、これは臨時のもので公式の地位ではない。
よって、王妃が筆頭となったのだが、これもアッシリアでは画期的な事だろう。
王妃の祝辞の後、様々な大臣、総督が挨拶をして来る。
それらが終わった後、私的な場所でティグラト・ピレセル3世は妻に話しかけた。
「戦場でおかしな噂を聞いてな」
「はい、どのような噂でしょう?」
「なんでも、イシュタル神を見たと言うのだ」
「それは吉兆ではないですか!」
「ところで、お前、ずっと王宮に居たか?」
「イマシタヨー」
「目を逸らすな!
半年ほど前だけど、王妃が行方不明になったという連絡が来ていてな……」
「イエイエ、ワタシ、ココ、イタ。
ねえ、バニトゥさん」
義娘が笑いをこらえている。
アッシュール・シャル・ウスルは
(これは他の者たちには見せられない姿だな)
と、女性が溌剌としている王家を、生温かく見守っていた。
「バニトゥよ。
倅も折を見て帰還させる。
アルパドの城塞は、商業国家が資金に物を言わせて強化したものだ。
落とすのに時間が掛かろう。
いつまでも外に置いておくわけにはいかん。
しばらく我慢してくれ」
「畏まりました」
「王妃よ、謎のイシュタル神の事は、お前がもたらした情報が役に立った事で、何も無かった事にする」
「さて、何の事でしょうか?
イシュタル神なんて、私シラナイナー」
「あと、お前から借りた奴隷も返す。
流石はお前の薫陶厚い者だ。
見事にウラルトゥ王を釣り出してくれた」
「助かりますわ。
今、ちょっと人手が足りなかったので」
「ん??
お前、どうして人手不足になるんだ?
お前を慕って祖国から逃げて来た連中だけでも、十分な家来がいたではないか。
…………。
目を逸らすな!」
惚けているヤバに代わって、何故か誇らしそうにバニトゥが婉曲に答える。
「彼等はちょっと用事で外国に出ています。
1年程留守にしますが、きっと良い土産を持って帰って来ますわ。
例えば、『シリア門』とか」
「ヤバ、お前!」
「あなたが内政と軍事を同時に進めているのですから。
私だって、内政と同時に何かをしないと、つり合いが取れませんよ」
「ああ、義母様、素敵ですわ!」
ヤバは、クムフの戦いの勝報を聞くや否や、次なる手を打っていたのだ。
都市国家サマル。
ここでクーデターが発生した。
ここは今、ウラルトゥ派が牛耳っていたのだが、その勢いはクムフの戦いで大いに弱っている。
そこに、もう一系統の王族、ヤバの実家を担いだ「各勢力バランス派」が彼等を軟禁状態から救い出し、蜂起したのである。
それを指導したのは、ヤバが送り出した実家の使用人や、亡命していたバランス派の官吏だったのは言うまでもない。
ウラルトゥの後ろ盾は既に失われている。
彼等はやがて王宮に達し、アルパドに詰めている国王に代わって国事を代行している王妃バグマシュティに迫った。
「王妃様、貴女を国外追放とします」
バグマシュティは泣き喚いたりしない。
ウラルトゥの篭絡工作要員であった彼女は、こうなるだろうと予測していた。
工作員に過ぎない彼女に、国の政治は出来ない。
代行として、何でも判子を押すだけの彼女では、激動するサマルを統治出来ないだろう。
「私を、殺さないのですね?」
クーデター派は頷く。
「我々はアッシリアに降伏します。
しかし、ウラルトゥもまた交易相手に変わりありません。
貴女を殺す事で、今まで貴女を後見していたウラルトゥを敵に回す事も望んでおりません。
どうか退去いただいた後は、ウラルトゥにでもお逃げ下さい」
「私はヤバ様と同じ目に遭うのですね。
分かりました。
そうさせて貰いますわ」
バグマシュティはそう言うと、国王の印綬を置いて退出していった。
バグマシュティ同様にウラルトゥから送り込まれていた工作員も、密かに姿を消す。
そして、サマルの王にはヤバの弟のパナムワが立てられた。
そんなサマルから離れた地にて。
「どうする?
このままウラルトゥに戻るのか?」
もう王妃という身分を失ったバグマシュティに、他の工作員がタメ口で話しかけた。
「貴方、馬鹿なの?
ウラルトゥに迎えば、アッシリア軍に見つかるわよ。
見つかったら、何をされるか……」
「では、アルパドに駆け込んで、あの馬鹿国王と合流し、再起を図るか?」
「再起を図るのは良いけど、あそこも物凄い厳重な包囲をされているそうよ。
逃げ込むのはまず無理ね」
「ではどうする?」
「私ね、王妃なんて有り得ない地位に就いて、仕事をした時に思ったの。
追放したヤバ様には勝てないって。
でも、私には私の武器がある。
やられっぱなしではいられないわ。
再起を図る、その通りよ。
でもそれは、この近辺ではないわ。
他のどこかでやるわよ」
「……なあ、俺たちも付き合って良いか?」
「あんたたちが?」
「俺たちも行き場が無い。
そして、アッシリアに借りを返してやりたい気持ちは同じだ。
いずれ違った道を辿るかもしれない。
だが、しばらくは行動を共にした方が、お互い助けになるんじゃないか?」
バグマシュティはちょっと考えて
「そうね、それが良いわ。
とりあえず南に向かうわよ。
そっちにはアッシリア軍は居ないのだから」
そう告げ、ウラルトゥの工作員たちは姿を消した。
(サルドゥリ2世様、申し訳ございません。
私たちは国には戻れません。
ですが、これからも貴方様の為に働く所存でございます。
どうかお許しを)
バグマシュティは遠い空にそう祈った。
都市国家サマル降伏、「シリア門」と通商路がアッシリアに解放される。
その報はアルパドにも届いた。
サマルの王となったクラムワだが、その地位は剥奪されている。
どうしたら良いか分からなくなった彼は、この都市に幽閉されている父、アズル・バアルに面会した。
「そうか、サマルは取り戻されたか……」
「何を呑気にしてるんだよ、父上。
あんただけじゃなく、俺も王位を剥奪された。
ヤウディ家に王位が移ったんだよ!」
「元々、我が家系と彼の家系は、交互に王を出していた。
何も変わった話ではなかろう」
「あんたは良くても、俺は嫌なんだよ!
全くヤバの奴、ここまでしなくても良いだろうに……」
(ヤバ嬢が、お前なんかを気にしているわけがないだろう。
交易路奪還の「ついで」でやった事だ。
サマルさえ安定していれば、お前など生きていようが、死んでいようが、最早どうでも良いと思っているだろうな)
息子を見て、哀れに思うアズル・バアル。
だが、こんな息子でも可愛い我が子には変わりない。
「クラムワよ、この城を出ろ」
「出てどうするんだ?」
「まず話は最後まで聞け。
どうやらウラルトゥの援軍は来ない。
そうなると、援軍を前提にした籠城戦は、行き詰まる。
それでも持ちこたえるだろうが、そうなると食糧が足りなくなる。
半年や1年はどうにかなるが、それで諦めるアッシリアではないだろう。
次第に飢えていく。
お前のようなお坊ちゃまが、それに耐えられるものか……」
「う……」
「だから、籠城する人口を減らす為にも、打って出ていずこかへ落ち延びろ。
北に向かうのでなければ、アッシリアの警戒も薄いだろうしな。
マティ・イル殿も、口には出さないだろうが、他国の兵力が居座ってただ飯を食い続けるのは嫌だろう。
許しを貰えば、イヤミの一つ程度で許されるだろうよ」
「そうか、そうだな。
で、出たらどうしたら良い?」
「その先はお前が考えろ。
私はずっと幽閉されていて、外がどうなっているか分からないのだぞ。
まあ、出来るならサマルに行き、頭を下げて許しを乞うんだな。
王族なのだし、無碍には扱われないだろう」
「それは嫌だ!
ヤウディやパナムワに頭を下げるのはまだ良い。
だが、その後ろにいるヤバに頭を下げるのは我慢ならん!」
(やれやれ、どうしてこうも意固地なんだか……)
溜息を一つ吐くと
「だったら、ヤバ嬢と戦うんだな。
お前の勝てる相手ではないが、そうしないと気が済まないんだろ」
と切り捨てた。
アズル・バアルは、見捨てるような言い方で息子の心が折れ、大人しくサマルに帰って隠遁生活でもすると期待した。
だが、この息子は思った以上に強靭、あるいは馬鹿であった。
「そうか、ヤバと戦うのか。
そうだな、そうしないと俺の誇りが許さん」
アズル・バアルの想いとは違った情熱を燃やしてしまったようだ。
現在、アルパド市は陥落していないし、反アッシリア同盟は健在だ。
大打撃を受けたとはいえ、ウラルトゥも勢力を維持している。
更に南のバビロニアには手がついていない。
国内でも、古都アッシュールを中心とした南部の改革は終わっていない。
まだまだすべき事は多い。
ティグラト・ピレセル3世とヤバの物語は続く。
とりあえず2章まで終了しました。
一番のヤマ場は超えたように思います。
キリは良いですが、まだ終わりではないので、もう少しお付き合い願います。




