クムフの戦い
紀元前743年、ティグラト・ピレセル3世は反アッシリア同盟軍をアルパドに包囲する。
同盟軍から救援の使者が、ウラルトゥのサルドゥリ2世の元に送られた。
「王様が言うには、早く援軍に来て、アッシリアの背後を襲って欲しいとの事です」
そう語り使者にサルドゥリ2世は反問した。
「見ない顔だな。
マティ・イル殿の配下か?」
「いえ、クラムワ様の配下です」
「クラムワ?
ああ、あの馬鹿国王か。
で、アッシリア軍はどんな様子か?」
「分かんないです」
「分からんだと?」
「分かんないけど、とにかく強かったです」
(まあ、あの馬鹿の配下なら有り得る返答か。
それに一兵卒に詳しい事も分からんか……)
そうは思うが、どうにもこの使者に引っ掛かるサルドゥリ2世である。
重ねて質問をした。
「ビト・アグシはお前のような使者を出していないのか?」
「へえ……アルパドにいた王様は、皆使者を出してましたよ。
アッシリア軍の包囲が厳しく、あっしもようやく隙を見て抜け出せました。
他の人の事は知りません」
「ふむ……マティ・イルの使者はアッシリアの包囲に引っ掛かったか。
有り得る事だが……。
お!
お前ちょっと会話してみろ」
そう言って話を振られたサルドゥリ2世の配下の者は
「ハ・マルカ・バ・シェラム?」(王は元気か?)
そうアラム語で質問する。
新ヒッタイト諸国は商業国家が多く、商業では普通に使われている言語である。
本物の同盟国民なら話せるはずだ。
この使者は
「バ・シェラム・フー」(平安の内に)
と返す。
引き続き古ヒッタイト語で
「カシ・アルマ・クィシュ?」(今日の月は?)
と問うと
「ゲンツ・アルマ」(半月)
と返した為、
「国王陛下、この者は紛れもなく同盟国の者です」
と判断された。
サルドゥリ2世は頷き、
「ではこれより一月の内に援軍をもって駆け付けよう。
マティ・イル殿にそう伝えられよ。
それまで持ちこたえよ、とな」
「へえ……」
こうして使者は去っていった。
(なにか引っ掛かるが、それが何かは分からん。
だが、手を組んだ相手を見捨てたら、我が国の威信に関わる。
ここは行かざるを得ないだろう)
サルドゥリ2世は軍に出動命令を出すと共に、同じくシリアの同盟国クムフ、メルディドらにも出兵要請を送った。
「そうか、一月の内か」
使者の報告を聞く国王。
ただしそれはビト・アグシ王マティ・イルではない。
アッシリア王ティグラト・ピレセル3世だ。
この使者は、ヤバを頼って都市国家サマルを脱出した、彼女の実家に仕えていた奴隷である。
反アッシリア同盟の参加国の者かを確認する言語チェック用に、彼女から借り受けたのだ。
「やはり聞いて来たか?」
「へい。
あっしを疑っておいででした」
「用心深い男だ。
それだけに、上手く引きずり込まねばならん。
余計な事は言ってないな?」
「へい。
アッシリア軍の強さを聞かれましたが、分かんないけどとにかく強い、とだけ答えました」
「上々だ。
嘘はバレるが、強さの質まで知られたら、対策されるだろうからな」
王は頷く。
彼が行ったのは、意図的に援軍要請をする事で、ウラルトゥの行動を予測可能にするものだった。
見るに、アルパドの城塞は相当に強化されていて、当分落ちないだろう。
時間が掛かる。
その際、同盟盟主のマティ・イルが、いつサルドゥリ2世に援軍要請を送るか、分からないと困る。
実際彼は
「当分は大丈夫だ。
アッシリアは強いが、この城は落ちない。
彼等が疲労するまで援軍は控えられたい」
という使者を送ろうとしていたのだ。
その使者は既に捕らえ、骸としている。
包囲軍にとって、いつ来るか分からない敵の援軍は、神経にやすりをかけるような存在である。
来る予定が分かっているなら、これ程対処しやすいものもない。
何せ、場所は分かっているのだから。
いつ、どこでが分かるなら、残る問題は「どれくらいの」となるが、これは想像でしか語れない。
一月の内なら、大体の動員規模を経験から割り出せるが、それでも想定通りとは限らない。
ティグラト・ピレセル3世は包囲を密にし、万が一にも敵の使者がサルドゥリ2世に真のマティ・イルの構想を伝えないようにする。
なお、マティ・イルが都市外においた通信部隊は、ヤバ……ではなく謎のイシュタル神によって壊滅していた。
アルパド市から時折、煙で信号が送られているが、受け取って行動する者はいない……。
サルドゥリ2世は1万5千の兵を率いて、シリアに急行して来た。
これに同盟諸国から5千の兵が加わる。
約2万の援軍が国境を超えた事を、反アッシリア同盟が作った情報網を乗っ取ってそのまま利用しているアッシリア軍情報部隊が通報する。
アッシリアは、相変わらず自国民第一主義で、外国人傭兵を信用していない。
だからティグラト・ピレセル3世は、妻に倣って偵察、通信、補給部隊護衛、敵の補給部隊襲撃といった任務に使っている。
先日の謎のイシュタル神が率いた異形の部隊も、外国人部隊であった。
この外国人部隊は、総勢で1万人もいる。
戦闘部隊はアッシリア人の4万だが、1万もの補助部隊がいる事は、用兵を柔軟にさせていた。
(改めて、ヤバが言う「アッシリア第一主義を改めろ」は正解だな)
ティグラト・ピレセル3世は、誰にも聞こえないよう呟く。
戦闘と殺戮が好みのアッシリア農民部隊より、金で雇われ、様々な任務を経験して来た傭兵は何にでも使える。
偵察に出しても「敵、いっぱい」というような報告しか出来ない農民兵より、正確に規模と編成を報告出来る他国者の方が有用だ。
まあ、そんなティグラト・ピレセル3世にしても
(戦闘となれば、アッシリア人ほど強い民もいないだろう)
と、アッシリア人としての自尊心は強く持っているのだが。
「よし、ここは後継者に任せる。
余は、カルフで苦楽を共にした常備軍と、余が自ら鍛えた重装騎兵でのみ行動する。
国王直属軍3万は、引き続きアルパドを包囲し続けよ」
「分かりました、父上。
警戒すべきは敵の連絡員。
ウラルトゥの元に、僅かな情報すら漏らしません」
こうしてティグラト・ピレセル3世は常備軍5千と重装騎兵1千を率いて、包囲陣を離脱した。
ウラルトゥ軍は、アルパドから北東に約13ベル(MKS単位では役130km)離れたクムフ(後のトルコ・アドゥヤマン県付近)に布陣し、ここに野戦陣地を建設していた。
彼等の基本戦術である。
短期間でも要塞というか、強固な野戦陣地を数多く構築し、その後に戦いながら敵を「死の間」に誘い込む。
この陣地構築を気づかれないよう、アッシリア軍から5から6日程度の距離で作業を行っている。
例え気づかれたとしても、5日もあれば十分な防御施設が出来上がる。
サルドゥリ2世は、必勝パターンによって不安をかき消していた。
(アッシリア軍の強さについて疑問はあるが、奴等が勇猛なのは父上の代からよく知っている。
どんなに勇猛でも、地形と防御施設を活かし、地の利を得た相手と戦えばひとたまりもない。
これで勝てる)
ティグラト・ピレセル3世が、新生アッシリア軍の強さの質を秘密にしたのは、その想定を覆す事にあった。
彼の軍は、命令遵守と行軍練習に訓練のほとんどを費やしている。
決まった刻限に、予定通りの数で現れる軍隊。
開戦してから遅れて来て、三々五々戦い始める軍隊とは一線を画す。
この新生アッシリア軍は、クムフまで6日も掛からない。
半分の日数で踏破出来る精鋭である。
更にティグラト・ピレセル3世には、ヤバというとんでもない軍師がいた。
彼女は、この地方の出身である。
この地域を治めていたヒッタイト帝国の末裔である。
その地方統治の文書を、公務と個人の趣味とで、読み漁っていた。
更に外交や通商で都市外に出向く事もあり、地理をよく知っていた。
そんな王妃が、粘土で大体の地形を再現して教えたのである。
まあ、現代の人工衛星などを使って作る地図や高低表示に比べれば適当なものだが、それでも有ると無いとでは大違いだ。
この地図情報により、アッシリア軍は最短での移動を可能にする。
戦場偵察部隊が戻って来た。
既にクムフの山岳地帯に到着していたティグラト・ピレセル3世の軍は、攻撃のタイミングを伺っている。
敵の防御陣地はまだ完成していない。
連日の作業で疲れているようだ。
「よし、夜襲を掛けるぞ!」
アッシリア軍は一旦休息し、急行でたまった疲れを取ると、準備を整えて攻撃に備える。
攻撃は夕刻に始まった。
夜襲とは言ったが、まだ明るさが残る方が、山岳戦で足元を見失うリスクを避けられる。
攻撃を察知したサルドゥリ2世は
(まさか!
早過ぎる)
と驚愕しつつも、築城で疲れた兵士を叱咤し、自らも戦車に乗って戦闘を開始した。
だが、ここでもサルドゥリ2世はアッシリア軍の脅威の機動力に目を見張る。
訓練が行き届いた常備軍は、疲れたウラルトゥ軍兵士に比べて、山岳での移動が素早い。
その上、アッシリア軍は戦車ではなく騎兵を使って来た。
戦車という安定した射撃台と、鐙が発明されていない為、膝で締め付けながらの苦しい姿勢での戦闘となる騎兵。
平地では、戦車部隊は訓練のしやすさもあり、少数の機動力と柔軟性に勝る騎兵とは互角である。
しかし、山岳では全く話が異なる。
岩や傾斜により、戦車は従来の性能を発揮出来ない。
そして、何よりもウラルトゥ軍が頼りとする城塞が、まだ完成していない。
その上、位置が露見している為、肉薄済みのアッシリア軍が直ちに占領してしまった。
ウラルトゥ軍2万は、半分にも満たないアッシリア軍に蹂躙される。
「退け!
退け!!
皆の者、各自の判断で逃げるのだ!
武器を捨て、鎧を脱いでも構わん。
ここは退いて態勢を立て直すぞ!」
サルドゥリ2世はそう命じると、自らその範を示した。
彼は戦車を降りると、乗馬し、単騎逃走していった。
それを見たウラルトゥ軍兵士たちも、戦闘を放棄して逃走する。
こうしてクムフの戦いは、アッシリア軍の圧勝に終わった。
奇襲攻撃だった事もあり、アッシリア軍は少数だった。
大勝利ではあるが、ウラルトゥは多くが脱出に成功。
ウラルトゥは、まだ戦えるだけの軍事力を残している。
しかし、サルドゥリ2世は
「王の象徴である天蓋付きのベッド、戦車、印章、そして大規模な陣営をそのまま残して逃走」
と記録される程の醜態を晒してしまい、彼の権威は地に落ちた。
メソポタミア世界におけるアッシリアとウラルトゥの強弱はここに逆転した。
ウラルトゥは、ヒッタイトを構成していた民族の一つ、フリアン人の流れを汲む人々が中心となって建国した国です。
ヒッタイトの後継国家とは言えないまでも、その高度な製鉄・金属工芸技術を受け継いだ国です。
この技術は、ギリシャや北イタリアのエトルリアとの交易によって、地中海地域にも影響を与えていました。
ただしヘロドトスやクセノポンといったギリシャの歴史家が、ウラルトゥの事を記述しなかった為、歴史からは忘れられる事になります。
「旧約聖書」に「アララト」の名前で登場するも、これがこの国だと特定されるまでには時間が掛かりました。
忘れられた古代の強国、そうなる始まりが今回のクムフの戦いとなります。




