王都アッシュールへの進軍
カルフ総督プル背く、という報がまだ王都アッシュールには届いていない。
情報より先に、集結を済ませた5千の軍団がカルフを出発した。
3千の兵は、留守を狙われない為に残される。
更に2千の兵は、予備部隊として王都進軍にも、留守防衛にもどちらにも転用可能な状態での待機となった。
その5千の軍の前を、異様なモノが高速で走って王都に向かっている。
それは異様過ぎた。
異常とも言える速さで疾走する戦車。
その上には、青銅の獅子の仮面を被り、背中の四枚の羽根と腰の青銅のサソリの尾をなびかせているモノが乗っている。
もう一人……いやもう一柱、青き衣に7本の矢立て、男性とも女性ともつかないモノが、馬を操っていた。
それを目撃した者は、慌てて目を逸らし
「パズス・ウセツ……」(パズスよ、去れ)
「パズス・ベール・ザキーキ」(風の主パズスよ、慈悲を)
「イシュタル・カーシャ・セー」(イシュタルよ、助けて下さい)
と呪文を唱えて恐れる。
こうして走り抜けた異様なモノを、人々は「見なかった」事にした。
「この青銅の仮面、金属の臭いがどうにも受け付けませんわ」
馬を休める為、休息を取った際、人目が無い事を確認するとバニトゥが魔神の仮面を外して文句を言う。
「我慢なさい。
貴女が動いている事を悟らせない為には、必要な事ですから」
ヤバも着け髭を外し、そこを掻きながら返す。
「なんで私がパズスなのですか?
義母様はイシュタル神って、ずるくないですか?」
「貴女、馬車を扱えますか?」
「自慢じゃないですが、そういうのは全部家人にやらせてました!」
「出来ないのですね?」
「もちろん!」
「じゃあ、私が前の見えない仮面を被り、貴女が着け髭だけの顔出しで、戦車を操るのは無理ですね。
事故を起こしちゃいますよ」
「う……仕方ないですね。
王都までの我慢です。
パズスでも女悪魔でも演じてみせますわ!」
こうして休息を済ますと、人々を恐れさせる恐怖の戦車は、アッシュールに向かって疾走して行った。
それからしばらくして、プル率いるカルフ総督軍が進軍する。
人々は、先の「見なかった事にした」モノを思い出す。
「あれは、この先触れだったんだ」
「確か王都の方に向かったな。
という事は、王都が災禍に遭うというのか?」
「それで仕方ないだろ?
今の国王は何もしない。
アッシュール神から見放されて当然だべ」
「それで魔神様と女神様が駆け抜けたって事か」
「んだ!
こっちの軍は、魔神様と女神様の加護を受けた軍っちゅう事だ」
「んじゃ、歓迎せんとな!」
そして
「ル・ルー・シャテラ・イシュタル!」(イシュタル神に至高の称賛あれ!)
「パズス・ウセツ・アイナ・アイブ!」(パズスよ敵を追い払い給え!)
そういう声がどこからともなく聞こえ始め、やがて集まって来た沿道の者たちの合唱となった。
既にイシュタル(の扮装をしたヤバ)から
「1年かからずに解決する」
という神託を受けていたカルフの兵は、自分たちは正しいのだと胸を張る。
そんな中、戦車に座乗するプルの脇を守る副官ベル・ダンは
「パズスにイシュタル……私、心当たりがあるのですが……」
と話し掛けるも
「言うな……。
とりあえず今は、余計な事に悩まされたくない……」
とプルは現実逃避……いや、目の前の現実に専念するのだった。
王都アッシュールに、やっと「カルフ総督背く」という報が届く。
総司令官シャムシ・イルには意外ではあったが、想定の範囲内だった。
「あのクソ真面目な男にして、追い詰められて牙を剥いたか。
まあ、仕方あるまい。
これで正々堂々と奴を殺す事が出来る。
奴からもたらされる富は惜しいが、これもアッシリアの為だ」
この時点まで彼は冷静であった。
だが第二報はそんなシャムシ・イルをも狼狽させる。
「カルフ総督は数千の軍団を率いて進発。
真っ直ぐ王都に向かって来ています!」
シャムシ・イルには信じられなかった。
まずはクソ真面目で、慎重派なプルが王都に兵を向けるという事が。
次に、王に背く決断をした総督に、兵たちが付き従った事が。
そして、王都に向かうまでの道々で、誰も彼等を迎撃せず、またこれまで通報もして来なかった事が。
これまでも総督の反乱という事件は起きている。
しかし、「地方の王」である彼等は、領内を守って独立しようとするだけであった。
王都への進軍などしたら、即座に通報されるし、他の地方軍が迎撃に当たる。
または他の地方軍が、がら空きの管区を狙ったであろう。
そうならなかったのは、いくつもの要因がある。
まず、シャムシ・イルが思っている以上に、現アッシリア王は愛想を尽かされていた。
プルにアッシュール・ニラリ5世を害する意思は無いのだが、民は王の交代にまで想像を巡らせた。
また、本来なら王命の無い動員が行われた時点で、叛意は知られるものだ。
しかしプルは常備軍を持っていて、動員も戦時のものだから、察知不可能だった。
そして、カルフ軍を迎撃したり、背後を襲う地方軍だが、全て前線でウラルトゥと戦っている。
……あと、謎の神の進行を見て、民がカルフ軍に心を寄せたのは、誰にとっても計算外であった。
だが、呆然と座している訳にはいかない。
シャムシ・イルは王宮に貴族たちを集め、
「カルフ総督が背いた!
直ちに王の名で総督位を剥奪し、討伐の軍を発する」
と告げる。
しかし、待ったの声が掛かる。
「これはカルフ総督に謀反の疑いをかけ、出頭命令を出した最高司令官の失策。
いわば、カルフ総督は自分の身を守っただけのもの。
我が王を巻き込まないでいただきたい」
宮内長官ベル・ハラン・ベル・ウスルが反対する。
「何を言うか、宮内長官!
裏に何があったにせよ、王都に兵を向けるとは大罪人の所業だぞ」
「そう思われるなら、ご自身の手で何とかしなされ。
王宮として手伝う事はせぬ」
「貴様、私を裏切るのか?」
「裏切る?
手を結んだ覚えなど無いのですが?」
「プルから幾ら送られた?」
「そのような下劣な事を言われるとは……。
情けないですな。
大体、カルフ総督は最高司令官、貴方に用があるそうです。
私たち他の者に危害を加える意思は毛頭無いそうです。
無論、我が王に対しても」
「貴様、敵と通じたな?
貴様もまた叛徒か!
皆様方、お聞きになったな。
宮内長官もまた我が王に逆らう者ですぞ!」
だが、宮内長官の「シャムシ・イル以外に危害を加える事はない」という言葉に、他の貴族たちは安心した表情になっていた。
当然、シャムシ・イルに同調する者は現れない。
「最早、諸君たちに期待するのは止めだ!
わしが敵を撃滅し、勝利を収めた後、改めて諸君の責任を問う事にしよう!」
足音も荒く王宮を立ち去ると、彼は軍駐屯地に向かった。
(私は軍最高司令官、そして今、戦争に備えて国王直属軍が集結している。
3万の軍勢の指揮権を持っている。
それを使えば、カルフ総督軍5千など、物の数ではない)
そう言って駐屯地の一つに向かったシャムシ・イルの元に、またも衝撃的な情報が入った。
「アルバキ総督の弟と名乗る者が乗り込み、煽動しています。
カルフ総督軍に王を害する意思は無い、と。
兵たちは動揺しています」
「何だと?」
(おかしい。
余りにも手際が良すぎる。
自分がプルの反乱を知った時には、もう全てが動き出していたかのようだ)
プル陣営の素早い動きがどうしてか分からない。
「そうだ、カルフ総督の倅、アッシュール・イルニをここに呼べ!
奴が何か知っていないか、聞き出せ……」
だが遅かった。
「アッシュール・イルニ殿が消えました。
逃走した模様」
「消えたのなら、逃走したに決まっておる。
同じ意味の事を重ねるな!」
苛立ちの余り、部下を怒鳴りつけるシャムシ・イル。
(あの若造……食わせ物であったか。
王に実直、本人は父親譲りのクソ真面目、それを信じたわしが愚かだった。
完全に、してやられたわい……)
後悔しても遅い。
それでも彼は、アルバキ総督の弟、即ちバニトゥの叔父の説得が及んでいない駐屯地に駆け込み、その軍を掌握する。
全軍とはいかなかったが、1万の軍をカルフ総督軍迎撃の為に進発させた。
(敵に倍する軍団だ。
わしとて長年軍を率いて戦って来た。
遅れをとる事はない!)
王都のベル・ハラン・ベル・ウスル邸では、ヤバとバニトゥがこの邸の主人の帰りを待っていた。
「戻りましたぞ」
「これは宮内長官様、お手数をおかけしました」
「首尾は如何程ですか?」
「うむ、シャムシ・イルの奴に味方する者は少数だった。
多くはわしに従うと言ってくれた。
で、だ。
確かにわしは、引き続き宮内長官を勤められるのだな?」
「はい、確かに。
裏切りがあった場合は、私どもを殺し、その非を鳴らしなさいませ」
「その為の人質として、私たちは留まっておるのですよ」
ヤバとバニトゥの疾走はこの為であった。
逸早く、急使よりも早く王都に駆け込んだ彼女たちは、バニトゥの叔父邸にて準備を整えると、急ぎシャムシ・イルに対抗し得る権勢を持つ宮内長官を抱き込んだのである。
例の神のコスプレは、王都では騒ぎを起こす為、途中で脱いで隠してある。
ベル・ハラン・ベル・ウスルに対し、あくまでも敵はシャムシ・イルである事、シャムシ・イルはウラルトゥと繋がっている事、シャムシ・イルとウラルトゥの密約通りシリアで大敗を喫すれば、これまで通りの貢ぎ物は贈れなくなるとの事を説く。
自分の身が保証されたとなれば、宮内長官は同類にしてライバルでもある最高司令官を見捨てた。
と同時に、バニトゥは叔父に頼んで、自分の父ことアルバキ総督アッシュール・シャル・ウスルを味方に着けるよう連絡を取らせた。
この叔父は同時に、最高司令官が王宮に向かった隙をついて、何個かの駐屯地の王直属軍に情報を伝え、
「味方しろとは言わない、静観せよ。
これは我が王の為の戦いではない。
同胞同士の殺し合いはするな!」
と説いて回った。
「裏工作って、骨が折れますわね、義母様」
「でしょう?
でも、成果が出ると病み付きになりますわよ」
「よく分かります。
うふふふふ……」
「おほほほほ……。
さて、後は……」
「義父様がシャムシ・イルを倒すのを待つだけですね」
カルフ軍が王都に到着するのは、もう後少しであった。
おまけ:
魔神パズズは、厄災をもたらす魔物ですが、それを使って敵を倒す方に使う呪文もありました。
決して古代バビロニアを一瞬にして滅ぼした「ペルセポリス碑文」ではありません!
(ゴッドサイダーとか、知ってる読者どれくらいいるかな?)
なお、作中で書いたお祈り程度なら良いですが、ガチの呪術を勝手にすると、アッシリア法典によると処刑されます。
(šum-ma LÚ lū MÍ ki-iš-pi i-pu-šú-ma i-du-ku-šu)
「彼(彼女)の手から(証拠が)押さえられた場合、あるいは(呪術を)行うのを見た者がいて、それを立証した場合、その者は殺される」
アッシリア、意外と法治国家ですな。




