プルよ、動くな!
首都アッシュールに集結している国王直属軍。
しかしこの軍は動かない。
彼等が動くのは最終局面である。
……と言えば聞こえが良いが、要は戦争終結の目途が立った時に出撃し、形式上敵を追い払い、アッシリアいまだ健在と領民に示すものだ。
そして、その為の交渉がウラルトゥ国王サルドゥリ2世と、アッシリア軍最高司令官シャムシ・イルとの間で行われていた。
それを目撃したアッシュール・イルニだが、この行為そのものを「悪」と認識してはいない。
彼の義母は
「戦争で決着をつけるのは格好良いけど、それは外から見えるものだけね。
勝っても負けても、裏では交渉が行われているものよ。
完全に敗北して降伏するとしても、その儀式に先立って使者が赴き、降伏後の処遇を決めるの。
国王が処刑されるのを防ぐ代わりに、大臣が殺され、賠償金が支払われるようにするとかね。
アッシリアの歴史を見ると、完全に征服したがるけど、それだって裏では交渉をしている筈よ。
財産は全て差し出す、代わりに民は殺さないで欲しい、とかね。
その交渉を拒否したり、余りにも一方的で屈辱を感じさせる事をすると、占領は上手くいかない。
力が衰えた時まで潜伏し、その時が来たら蜂起して国を奪い返す。
歴史上、いくつか例が有るのよ」
と教示してくれた。
アッシリアのトゥクルティ・ニヌルタ1世は、バビロニアを征服した王である。
彼は交渉をせず、征服後略奪を行い、マルドゥーク神像を奪い去る屈辱を与えた。
その後彼は、神の怒りを畏れる者に暗殺され、バビロニアは蜂起して国を回復した。
シャルマネセル3世は、シリア・パレスチナへ遠征した際、敵勢力に対し
「死ぬまで戦うか、屈辱に耐えるか、選ぶが良い」
と高圧的な要求を突き付けた。
これに対しハマト、ダマスカス、イスラエルと言った諸国は団結し、12ヶ国連合軍を結成した。
両者はオロンデス川の畔で激突し(カルカルの戦い)、アッシリアの進撃は停止、シリア征服は頓挫してしまう。
そして、この記憶は現在でも「反アッシリア同盟シリア諸国」という形で禍根を残していた。
シリア諸国はアッシリアを信用出来ないのである。
一方で現在の王アッシュール・ニラリ5世の祖父にあたるシャムシ・アダド5世もバビロニアに遠征した王なのだが、彼は条約をもって王位継承者の一人を味方につけたり、徹底的な破壊ではなく条件付き降伏を突き付けて、バビロニアの服属に成功している。
「男らしい、軍事力で全てを解決した国家と見せているけど、ちゃんと交渉を使って優位を勝ち取る王だって居たのよ。
裏交渉があっても悪い事ではない、むしろやっていた方が国としては健全」
それがヤバの意見である。
が、同時に
「無論、それが国の為であるならね……。
裏交渉をしている者が、国よりも私的な利益を貪る為のものなら、直ちに処刑するものよ。
まあ、国の利益を作る為の汚れ仕事だから、多少の役得は有っても良いけど、まあそれは時と場合によって判断しないとね」
とも付け加えている。
シャムシ・イルの裏交渉は、確実に自分の威厳を高める為のものだ。
しかし、形式上敵を追い返し、勝利という形を国にもたらすものでもある。
若く未熟なアッシュール・イルニには判断がつかない。
だが、彼には「そのシナリオにおいて、犠牲となる地方軍」を見捨てられない気持ちがある。
その中には、彼の実家のカルフ総督府の軍も含まれていた。
他の地方軍に対し、一介の王直属部下に過ぎない彼に出来る事はない。
しかし、父の為には何かが出来るだろう。
彼は考える。
何故シャムシ・イルは、自分を裏交渉の場に同席させたのか?
自分の義母が行っている反アッシリア同盟への工作を中断させ、父の軍をシリアに派遣し、それを撃破する事でウラルトゥは戦争目的を達成というものだ。
当事者の一族である彼がどういう反応をするか、見定めたのだろう。
反応を見て、危険と判断したら確実に殺していた。
下手な芝居も通じないだろう。
彼は、王への忠誠心を示すという形で、一介の王直属部下がギリギリ許容するであろう回答をする。
それでシャムシ・イルが安心したとは言い切れない。
人質としての価値はあると判断したから、当分殺される事は無いだろう。
シャムシ・イルへの忠誠次第では、手駒として使う気もあるかもしれない。
ともかく彼は、シャムシ・イルの懐に入り込み、そこで情報を得られるようになった。
王直属軍は現在暇である。
国王アッシュール・ニラリ5世自身が、閲兵に来るでもなく、無気力に過ごしている為、軍は定時に集結し、時に訓練をするが、後は基本駐屯地で待機した後、兵舎に引き返す。
時に駐屯地からアッシュール市内を散策する事も許されていた。
アッシュール・イルニもまた、休養が許可された日、首都市内をぶら歩きしていた。
そんな彼に声が掛かる。
「貴様!
よくも我が姪を侮辱したな!
あれは確かに出来の悪い女だが、公然と批判するとは我が家を侮辱するものだ!」
身なりの良い男、恐らく貴族が食ってかかる。
この男は、アッシュール・イルニの妻バニトゥの親族だろう。
アッシュール・イルニは言い返す。
「あのような出来の悪い女を育てておきながら、恥じる事もなく俺を怒鳴るとは、どういう事だ!
それに俺は我が王の直属部下、控えろ!」
「貴様こそ、アルバキ総督の一族を軽んじるか!」
首都で発生した口論。
周囲の者が両者を止めに入る。
それが王宮の近くだった為、騒ぎを聞きつけたシャムシ・イルが両者を止めた。
「王の御前を騒がさるとは不届きである。
両人とも厳罰に処されるぞ。
だが、聞けば両人とも親族というではないか。
お互い穏便に済ませろ。
ウラルトゥとの決戦を控えている。
余計な争乱を起こさぬ為にも、和解せよ。
これは命令である」
こうして騒ぎは収まり、後日身分が下のアッシュール・イルニが「アルバキ総督の一族を侮辱した事」を謝罪する為、その邸宅を訪問する事となった。
その訪問日。
「やれやれ、姪っ子に言われていたが、騒動を起こすのも面倒な事だったよ。
わしはそういうのに慣れていないのでな」
そう言って、バニトゥの叔父はビールを注ぐ。
「いえ、妻にそうしろと言われていましたが、貴方の一族を他人の前で侮辱して申し訳ありません」
アッシュール・イルニも謝罪する。
「で、姪に伝える事は?」
「証拠を残さぬ為、口頭にて伝えます。
ウラルトゥの目的は、シリアの完全な併呑。
その為に、父の軍を撃破したがっている。
その犠牲をもって戦争を終わらせる算段が既に着いている。
判断はそちらに任せる。
以上をお願い出来ますか?」
「分かった。
向こうからの返答は、この訪問への返礼という形で兵営を訪れよう。
その際の符号を決めようか」
「答礼品として、短刀を持って来られたら『それでもシリアに出撃する』と決めた。
盾を持って来られた時は『カルフに籠って出ない』というのはどうでしょう?」
「攻めの道具と守りの道具か、分かりやすくて良いな」
こうしてアッシュール・イルニは、首都で仕入れた重要情報の伝達に成功した。
「……なるほどね。
サルドゥリ2世が倒したいのはご主人様と私って事ね。
私たちも、随分と高く評価されたものね」
義娘経由で情報を知ったヤバは、正確に裏を読み取った。
無論、彼女はこれだけで判断したのではない。
現在までの複数の情報を総合的に判断し、サルドゥリ2世の狙いを見極めたのだ。
「で、どうします?
判断は委ねると、我が夫殿は言ったようですが」
「バニトゥさん、貴方の夫は思った以上に賢い人ですよ。
この条件は、アッシリアの為という目で見れば、悪くはないのよ。
私の主人が率いる軍が敗れたら、それでウラルトゥは引き上げ、各地の戦線も落ち着く。
シリア諸国は元々ウラルトゥの手に落ちているから、現状を追認するのみ。
そしてアッシリアはウラルトゥを撃退し、健在を知らしめる。
決して悪い事ではない」
「でも、義母様には違う考えがありますよね?」
「そうね。
アッシリアの為に悪くはない、それは短期的に見た場合よ。
長期的に見れば、交易の為の出入り口を完全に抑えられてしまい、じりじりと衰退して行く道を歩まされる。
まあ、これはアッシリアの為という視点ね。
私たちの立場で考えるなら、ふざけんな!って所ね」
「流石です、義母様!
私も、こっちの犠牲前提で物を考えるんじゃねえ!
って思ってました」
「まあ、口が悪いわね。
でもその通りよ。
むざむざ交易の利を捨てる気はないし、カルフ管区の兵士を損ねる気もないわ」
「で、どうします?
いずれ出動命令が出ますわ」
「精一杯、夫の引き止めをします。
それには……そうですね、シリアに行っている政治工作、失敗だけでなく、少し効果を出させましょうか。
上手くいってるから、もう少し待って欲しい、そういう言い訳が出来ます」
「提案してもよろしいかしら?」
「お願いします」
「我が夫は、軍最高司令官と親しくしています。
ですが、その方が義母様経由の贈り物で富む事を快く思わない人もいます」
「宮内長官のベル・ハラン・ベル・ウスル様ですね」
「そうです。
そちらにも贈り物をして、今、義父様が出撃したら自分が得る物が少なくなる、と思わせるのはどうでしょう?」
「権臣同士、足を引っ張らせるのですね。
素敵ですわ。
外国出身の私では、権臣たちの行動までは読み切れません。
この件、貴女にお願いしてよろしいかしら?」
「お任せ下さい。
とにかく、このカルフ総督管区の軍を動かさないようにしましょう」
「出来れば、アルバキ総督管区も、貴女のお父様の軍もですよ。
こんな下手な脚本の芝居に付き合う義理はありませんからね」
「お心遣いありがとうございます。
一緒に、あのムカつく権臣たちの悪巧みを覆してやりましょう!」
「本当、私の実の娘かと思うくらい気が合いますね。
一緒にギャフンと言わせてやりましょう」
「うふふふふ」
「おほほほほ」
傍から見れば、どっちが悪巧みしてるやら、といった光景である。
とにかくも、彼女たちはプルを動かさないよう、手を打つのであった。
おまけ:
カルカルの戦い。
『紀元前853年、アッシリアと反アッシリア同盟軍との間に起きた戦闘。
反アッシリア同盟軍は歩兵60,000以上、戦車4,000弱、騎兵3,000弱を結集。
戦闘詳細は不明。
しかし、通常アッシリアの戦勝記録は「その後、敵の都市を略奪し、王を捕らえ、貢ぎ物を徴収した」という一連の流れで締めくくられるのだが、カルカルの戦いではそれが無かった。
シリア方面へのアッシリアの進出も止まっている。』
なお、この反アッシリア同盟には、歴史上初めて「アラブ」の名前が登場します。
アラブもいずれ、この物語に登場するので、覚えておいて欲しいです。
19時にも更新します。




