都市国家サマルの政変
「お嬢様、お懐かしゅうございます」
反アッシリア同盟シリア諸国による挑戦が明るみになって数ヶ月後、ヤバの故郷サマルから逃げ出した者たちがカルフにやって来た。
実家の奴隷や、共に父ヤウディの下で書記官をした者などである。
「よく来てくれました。
大変だったでしょう?
話は後にして、まずはゆっくり休んで下さい」
ヤバの労いの言葉に感動する奴隷たち。
だが、この一団を率いて来た、父の片腕とも言える官吏が、甘える事なく
「有難い言葉なのですが、私が体を休める前に言わねばならぬ事があります。
お父上ヤウディ様、弟君パナムワ様、共に投獄されました。
この一報だけは、お嬢様には真っ先に知らせねばならぬと思いました」
そう語る。
「そう……ですか……。
何となく予想はしていました。
では、私も落ち着いて話を聞きたいので、やはり明日まで休んで下さい。
我が家の者に、それぞれの宿に案内させます」
そう告げるヤバ。
気丈な表情だが、小刻みに震える手を見て
(お可哀想に……。
さぞご家族の事が心配でしょうな)
同情する官吏たち。
奴隷たちの中には、
「ご安心下さい、ご主人様たちは危害は加えられておりません!」
「命は取らないと、クラムワ王も言っていました」
とヤバお嬢様を慰める言葉を掛けたりする。
彼等は勘違いしていた。
ヤバは悲しみや衝撃で震えていたのではない。
爆発しそうな怒りを、人前だから抑え込んでいた為、震えていた方だった。
翌日、お互い冷静な状態でサマルの情報の聞き取りが行われた。
ヤバだけでなく、夫にしてカルフ総督のプルも時間の隙を縫って同席してくれた。
彼もまた、情報というものを大事にする人物である。
「まずは、アズル・バアル王陛下が幽閉された事から始まります」
父の信頼出来る部下が、代表して語り始めた。
ウラルトゥに組み込まれながらも、アッシリアも軽視せず、更に商業国家らしく多方面とのバランスの良い関係を心掛けていたアズル・バアル王は、反アッシリア同盟を主導するビト・アグシのマティ・イル王には目障りな存在となっていた。
そこでマティ・イルは、重要な会合があると言ってアズル・バアルを呼び出すと、そのまま捕縛してしまう。
他の新ヒッタイト諸王国の中にも、同様にアッシリアを軽視しない者が居たが、マティ・イルは同様に全員を捕らえた。
その後、彼等全員はビト・アグシの首都アルパドに幽閉されてしまう。
こうして実力で反対派を一掃したマティ・イルは、7ヶ国を纏め上げて連携してアッシリアに挑み始める。
国王が幽閉された都市国家サマルでは、王太子クラムワがそのまま国王として即位した。
当然、ウラルトゥとビト・アグシが後ろ盾となる。
父が幽閉されたと聞いて、流石に狼狽えたクラムワだったが、命に別条は無いし、ウラルトゥ領内で大事に扱われていると聞いて安心したようだ。
マティ・イルも、ここで父王を殺してサマルを敵に回すような馬鹿な真似はしない。
こうして国王となったクラムワだが、当然と言うべきか、王妃となったウラルトゥの工作員バグマシュティを介して、操られる事になる。
本人はその事に気づいてはいないが。
そのクラムワが行ったのが、ヤバの父で国王を出せる家系のヤウディ幽閉であった。
行動の裏に、ウラルトゥからの思考誘導が成されたのは言うまでもない。
ヤウディは親アッシリア派というわけではない。
アズル・バアル王同様、バランス重視派だった。
ウラルトゥの工作で親ウラルトゥ派が大勢を占める中、従来のバランス重視派は国内のもう一個の王統・ヤウディの元に集まる。
それを一網打尽にされたわけだが、病がちで寝込んでいてもヤウディは先手を打っていた。
一部の自派官吏、奴隷の内忠誠心が高い者たちを、先に都市外に用事を言いつけて脱出させていたのだ。
アズル・バアル王幽閉からの時差はそれ程無いのだが、一報を聞いたその場で「織物交易における交易路回復の為、『海の民』との交渉」という命令書を作成して、都市外に出発させる。
その際
「私や倅に危機が訪れるが、決して助けに戻ってはならない。
状況を確認し、正確な情報を持って娘の所に行くように。
これはアッシリアの国境警備隊に見せる為の文書だ」
と命じている。
彼等が都市外に出て程なくして、クラムワが兵を率いてヤウディ宅を襲った。
大人しく縛に着くヤウディとパナムワ。
そんな彼等を
「即刻処刑せよ!」
と言ったのは、馬鹿王子転じて馬鹿国王となったクラムワ。
だが、流石にウラルトゥの工作員バグマシュティが諫める。
「この方たちは、ヤバ様に対する人質になります。
殺したら、あの方が怒り狂って襲って来るでしょう」
「なあに、その時はウラルトゥやビト・アグシと手を組んで迎え撃つまでの事。
恐れる事は無いぞ、愛しの王妃よ」
「いいえ、侮ってはいけません。
普通のアッシリア軍なら、それで済むでしょう。
しかしヤバ様であれば、アッシリア軍ではなく傭兵を使って来るでしょう。
そして、目的はサマルの攻略ではありません。
貴方様の命だけです。
たかだか数千、いや、数百しか居ないかもしれません。
しかし、ただ一人貴方様を狙うとなれば、それで十分ではないですか?」
クラムワが青くなり、息を呑む。
「ど……どうして、そう思うんだ?
君は軍事の事は分からないのではないのか?」
「もちろん分かりません。
軍事で陛下に口出しする気は毛頭ありません。
ですが、私も女です。
女の考える事は分かります。
もし貴方様が害されたとしたら、私はなりふり構わず、貴方様を害した者の命のみを狙います。
どんな犠牲を出そうとも、顧みる事なく、です」
「おお……」
自分の愛する者にこう言われて、クラムワは嬉しくなっていたが、同時に言う事の意味も察して恐ろしくなって来た。
ウラルトゥのサルドゥリ2世から叱責されて知ったのだが、都市国家サマルの存立を危うくするような、交易路の変更という荒業を主導したのはヤバだという。
「どうして有能な者を国外追放にした?
国内に留めて使い続けるか、それが出来ないなら処刑すれば良かったのだ!」
そう言われ、悔しい思いをした。
同時に
(あの女、祖国に対してそこまで非情になれるのか?
俺に対してここまでの仕打ちが出来るのか?
俺は元婚約者だぞ。
俺に対する未練とかは無いのか?
あいつは腹立たしい女だったが、敵に回すとこうも厄介なのか)
と戦慄も覚えている。
そのヤバが、本気で殺しに来る。
外交上の問題化を恐れて、今までは個人的な復讐をして来なかったが、家族を皆殺しにされたら、もう後先考えないで復讐をしに来るだろう。
優秀でかつ冷静な者が、自分の命を確実に狙って来る、どんな容赦の無い事をして来るか想像出来ない。
「分かった!
ヤウディ家の者は丁重に扱え。
見張りを立てて監視し、外部との連絡は取らせるな。
それ以外は良い。
決して危害を加えてはならぬ」
そう命じるクラムワの横で、バグマシュティは人知れず溜息を吐いた。
(本国より受けた指示通りに済んだわ。
全く馬鹿な男ね。
どうしてマティ・イルが、各国の反対派を幽閉するに留めたかを考えれば、どうするべきか分かるでしょうに。
ましてヤウディ家は王統を継げる家系。
それを滅ぼしたら、国内の半分が残ったヤバ様を女王にと言って蜂起し、アッシリアに援軍を求める可能性がある。
鎮圧出来ない事はないでしょうが、それではアッシリアとの戦争においてサマル軍を使えない事になる。
この男、行動は果断だし、見極める能力はあるんだけど、深く考えないから困るのよね……)
こうしてヤウディ家は身の安全を保証されたが、そうならなかった者もいる。
一部のバランス重視派官吏は
「敵に通じる可能性が高い」
として見せしめとして市場で串刺し刑にされ、ヤウディ家の奴隷も安く転売されていった。
基本、新ヒッタイト諸王国での奴隷は「法的権利は制限されているし、身分は最底辺だが、家族の一員」という待遇である。
しかし、ウラルトゥに売られた者はそうはいかない。
ウラルトゥにおいて奴隷は「国家の所有物・資源」であり、要塞建設、灌漑事業・鉱山労働に駆り出される。
首に鎖を繋がれ、二度と戻れぬウラルトゥに連れ出される同僚の事を知り、奴隷たちすら憤慨した。
アッシリアの奴隷の扱いも褒められたものではないが、ヤバの元だけは違うだろう。
ここまでを都市内に僅かに残った協力者からの決死の報告で知ると、脱出したその協力者も連れて南下する。
同僚への仕打ちを見て、彼等の中に僅かにあった日和見の気分も消え、ヤバの元に辿り着いて自分たちの身の安全と、ヤウディ家再興の為に働く事で気持ちが固まった。
彼等の脱出の翌日には、「シリア門」がクラムワの命で封鎖された為、間一髪であった。
この通商路である峠の封鎖は、新ヒッタイト諸王国全部の経済活動に関わる為、調整の時間が必要だった事が幸いする。
こうしてフェニキアのシドン市に一旦逃れ、そこからヤバと懇意の大商人アビ・バアルの隊商と共に例の間道を通ってハラブ市まで到達。
ハラブ市はビト・アグシ王国に属する都市だが、ここは商人自治組織とアダド神殿が統治し、マティ・イル王は形式上の君主に過ぎない。
ハラブの商人たちは、アッシリアとの交易を禁じる布告に対して
「謹んでお受けいたします」
と口で言うだけで、実際は無視を決め込んでいた。
そして、同じくヤバと手を組んでいる大商人アダド・ナディン・アヘの協力で、アッシリアまでやって来たという経緯であった。
「苦労させましたね。
皆の父への忠誠心には、必ず報いさせていただきます」
ヤバは目に涙を浮かべながら、そう語る。
これは演技ではない。
脱出した者たちは、皆、少女時代から知っている人たちである。
その人たちが命からがらの脱出に成功した事を、心底嬉しく思っていたのである。
「しかし、ハラブ市に着いて驚きました。
お嬢様も中々打つ手が早い。
それが私どもの身を守る事に繋がりました」
脱出者の一人がそう言うと、何故か陪席していた夫のプルが胸を張って
「そうだろう。
我が妻は中々のものだ。
其方たちは、このカルフ総督プルが面倒を見るが、無職で遊ばせる程悠長な状態ではない。
サマル他、あの地域を奪い返す為に、我が妻に協力せよ。
この妻の下なら、安心して働けるだろう?」
と惚気てみせた。
(アッシリアは男尊女卑が酷い国と聞いたが、ヤバ様は素晴らしい方と結婚されたようだ)
過去の事を知らぬサマルからの脱出者たちは、そう思って涙するのであった。




