独白。
リディアと初めて会ったのは、俺が五年生の冬。冷え込む図書館でだった。
会ったと言っても話はしていない。ただ書架ですれ違っただけ。
ただそれだけなら記憶もしない。一瞬の出来事だ。
しかしその書架は古代語で書かれた歴史書が並ぶ一角。
それを読みこなす生徒は少ない。
そこへ青いタイを身につけた四年生が立っている。
自分より年下の生徒ということにまず驚いた。
間違ってその書架に入り込んでしまったのかもしれない。
でなければ、俺目当てか?
うぬぼれかもしれないが、俺の顔に惹かれた女性がさりげなさを装い、待ち伏せしてくることがよくある。
本当に面倒くさい。
そう思って距離を取って立ち止まったが、彼女は俺に目もくれず、古代語で書かれた本を目を輝かせながら読んでいた。
そこでまだ驚く。
まさか本当に?
純粋に本を読んでいるだけか?
まじまじとその生徒を観察してみる。
やわらかそうな金髪に赤毛が混じり、明り取りの窓から差し込む日光にきらめいた。
指を差し入れて、なでたくなるような、その誘惑に実際手が伸びそうな気持ちになった瞬間……。
「うん、そっかぁ」
目の前の彼女は何やらうれしそうに本を読んで納得している。
その笑顔から目が離せない。
しばらく通路に立ち尽くしていたが、彼女は俺に気付く様子もなく、本を読み続けている。
お互い、どのくらいそうしていたか。
あまりじろじろ見ては失礼だと思い至り、俺は他の書架を一回りしにいく。
しばらく経って戻っても、彼女はまだそこにいた。
その真剣な様子に警戒が緩む。
「閲覧席で座って読んだらどうだ?」
彼女は大丈夫だ。そう確信して声を掛けると彼女はパッと顔を上げて俺の顔を見た。
そして何かに気づいたように眉を下げる。
「場所を占領してましたね。気付かず失礼しました」
慌てて一礼し、本を抱えて書架を立ち去るその横顔に俺への興味は一切感じられない。
そのことになぜか衝撃を受けた。
しばらく立ちすくみ、深呼吸を一つして後を追うように書架を出ると、貸出カウンターに彼女の姿がある。
慣れた様子で本を借り、歩き去るその先に一人の男子生徒がいる。
「遅いよ、リディア」
「ごめんなさい、コーディ。本選びについ夢中になっちゃって」
「まったく。婚約者より本がいいのかい?」
そんな会話をしながら、二人は去っていく。
俺の足は止まったまま。
言い知れぬ不愉快な気分を抱え、動けない。
夜になっても不愉快な気分は去らず、素振りでもしようかと鍛錬場へ向かえば、一学年上のレオン・タッカーがいた。
「これはラッキーだ」
「クリフォードか」
「手合わせ頼む」
「もう上がろうと思ったのに」
そう言いつつ、トレーニング好きなレオンは剣を構え直す。
そのまま一時間ほど打ち合って、俺は不愉快な気分を汗と共に流した。
それからどのくらい経っただろう。
俺は学園を無事に卒業してからもちょくちょくマーカス教授の研究室に出入りしている。
今日も向かい合って本を読んでいた。
そのまま本に没頭していたら、外から何か音がする。
「なんだ?」
ほぼ同時にマーカス教授も気付いたらしい。
「なんでしょうね。人の声かな?」
「なんだか気になるな」
マーカス教授が窓を開けたとたん「うわぁぁん」という泣き声が研究室に流れ込んできた。
窓から下をうかがえば樹にすがって誰かが泣いている。
生い茂る葉に隠されて、顔は見えないが女生徒のようだ。
最初はこらえきれずといった泣き声だった。それがだんだんトーンダウンして、でもその分なんだか胸を締め付けられる声音になっている。
「退学、したくないよう」
泣き声の合間にやっと意味のある言葉が混ざった。
隣のマーカス教授が眉をひそめる。
「あれは……パウエルくんか?」
「パウエル?」
「リディア・パウエル、五年生。なかなかいい論文を書く生徒だ。魔力量も多そうだし、将来が楽しみだと思っていたんだが退学とは……?」
険しい顔のマーカス教授の視線を追ってもう一度葉の陰になった生徒を見下ろす。
どこかで見覚えのある髪色だ。やわらかそうな金髪に赤みが入って……。
顔を見たくて、涙を止めたくて手を伸ばすと、雪を降らせてしまった。
「どうした、クリフ」
「すみません。おかしいな、魔力が不安定になってしまって」
物心ついて以来、乱れたことのない俺の魔力の波動がぶれる。
口では冷静に会話しているが、内心すごく動揺した。
なんだろう、この感覚は……。
戸惑いつつ、そのまま雪が降るのを止めないでいたら、彼女が顔を上げた。
「あの子は……」
季節外れの雪に気付き、不思議そうに天を見上げた顔に覚えがある。
書架でうれしそうに古代語で書かれた歴史書を開いていたあの女生徒じゃないか。
なぜ泣いている。
なにがあった。
焦燥感でまた魔力が乱れそうになる。
そんな俺を横目でちらりと見て、マーカス教授が「クリフ、迎えに行きなさい」と言った。
きっと教授は階段を使って降りると思っていただろう。
だが気づいたら俺は窓から飛び出していた。
筆がすべった……。




