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タッカー男爵家で。




 タッカー家は学園から東に歩いて三十分ほど。裕福な庶民向け商店が並ぶ通りの一角にあった。


 門に飾られた木製プレートにはタッカー男爵と書かれていて、その下に小さく「ようこそ!」と古代文字で書かれている。

 古代文字を使用することで、幸運がやってきますようにと、昔から伝わっているおまじないだ。


 ツタが絡まるアイアン製の塀の向こうに見える庭では花がたくさん咲いている。レンガ装飾を施された家自体もよく手入れされていて、初めて訪れる人をやさしく迎えてくれるような気がした。

 

 一応さっと身なりを確認し、深呼吸してから磨き上げられた真鍮のノッカーを鳴らす。

 すぐに中から返事が聞こえ、ソニアが顔を出した。


「こんにちは、呪符をお届けに上がりました」

「まぁ、わざわざありがとう! どうぞ入って」

「いえ、そんな」

「今日はホールケーキを二つも焼いてしまったの。ぜひ食べてほしいわ」

「ケーキ……」


 確かに甘い匂いが奥から流れてくる。これは抗えない。


「お邪魔します」

「ゆっくりしていって」


 庭が一望できる応接室に通されると、ソファには手足に包帯を巻いた中年の男女が座っていた。


「私の両親よ。こちらはリディア・パウエルさん」

「はじめまして」

「やぁ、いらっしゃい。こんな成りですまないね」

「見かけほど大したケガじゃないので気になさらないでね」


 やさしそうな二人の対面に腰を下ろすと、ソニアがお茶とケーキをワゴンに乗せてくる。


「週末は使用人を休みにしているので、私の給仕でごめんなさいね」

「いえ、そんな」

「趣味がお菓子作りなの。素人だけど味は悪くないと思うわ」


 大きなポットで十分に蒸らした紅茶はきれいな赤色で、滑らかにのどを通っていく。その際鼻腔に香りが行き渡り、思わずため息がこぼれた。


「おいしい……」

「よかった。さぁ、ケーキもどうぞ」

「いただきます!」


 ソニアはうれしそうに笑ってオレンジケーキとチーズケーキを切り分けてくれる。


「お味はどうかしら」

「オレンジケーキは甘酸っぱくて、どんどん食べたくなります。こっちのチーズケーキは濃厚でしっとりしてて、じっくり味わいたいような、すぐに飲み込みたくなるような……」

「チーズはサントス牧場のを使っているのよ」

「なるほど、だからこんなにおいしいんですね! マーカス教授もそこのしぼりたてミルクが大のお気に入りです」

「やっぱり、乳製品はサントス牧場よねぇ。濃厚だけど臭みがなくて、どこか夏草の気配があって」


 ケーキの味を堪能し、お茶のお代わりをもらったところで私はカバンから呪符を出した。


「これ、ご依頼の呪符です」

「拝見するわ。まぁ、きれいな呪符」

「ほぅ、さすが学園生だなぁ」


 ソニア達がテーブルに呪符を並べて、うんうんと頷きながらほめてくれる。


「ていねいに書いてあって本当にすごいわ」

「呪符や呪文は得意なんです」


 そこで私はソニアの両親を見た。


「えぇと、お二人にもよろしければ痛み止めの呪符を書きましょうか?」

「いいのかい?」

「はい」


 痛み止めの呪符は去年、さんざん練習したから、目をつぶっても書ける。

 ソニアが呪符用の紙とペンを持ってきてくれたので、さらさらと書き上げて両親に渡した。


「持っていたら、痛みが緩和されます。より痛い場所にあてると、そこの痛みが減りますので」

「ありがたい……!」

「えぇ、体が楽になったわ。即効性があるのね」

「効果は一日なので、あと三枚くらい書いておきます」

「二人とも、よかったわねぇ」


 ソニアが目を細めて喜ぶ両親を見ている。


「このケガはね、街に暴れ馬が出たせいなの」

「暴れ馬が?」


 私の視線を受け、父親が呪符を手首に当てながら頷く。


「そう。虫か何かに驚いたんだろう。荷を載せていた馬がいきなりパニックを起こして走り出した」


 馭者の静止が届かなくてストリートを暴走しかけたところに二人は鉢合わせたと言う。


「馬は私のほうへ一直線に駆けてきたの。このままでは踏みつぶされると分かっていたのに体がすくんでしまって……」

「妻が危ないと、私も無我夢中で馬に駆け寄ってね。なんとか手綱をとらえて馬首を止められた」

「すごい! でも、そうすると今度は引きずられたり、蹴られてしまう可能性が」

「そう。だが足止めできたことで馭者も追いついて胴体に長縄をかけられた。それで蹴られずに済んだんだ。そのあとは周囲の人と協力してなんとか落ち着かせたんだよ」


 死に物狂いだったのでその時の記憶がないと父親は苦笑した。ソニアは頭を振ってため息をつく。


「お母さまを助けてくれてよかったけど、なんて危ないことを……と後から聞いてぞっとしたわ」

「そうですよね、おケガだけで済んでよかったです」

「私は思い出すだけで、まだ体が震えるわ」


 母親が青い顔で手を開く。白くたおやかな手が小刻みに震えていた。


「ケガだけなら使用人に任せてもいいんだけど、さすがに数日はそばにいてあげたくて仕事を休ませてもらったのよ」

「家族なら当然です。本当に恐ろしい体験でしたね」


 我が身に置き換えたら、しばらく思い出しては冷や汗を掻きそうだ。


「仕事場とリディアさんには迷惑をかけてしまったわ」

「いえ、そんな」


 その様子を見ていた私は、心鎮めの呪文にアレンジを加えた呪符を書き上げ、ソニア達に渡す。


「これをお持ちください。怖かった記憶が少し薄くなります」

「まぁ……」


 呪符を大切そうに胸に押し抱く母親の表情がゆっくりやわらいでいく。


「本当にいただいていいの?」

「はい、もちろんです」

「うれしいわ、ありがとう」


 母親の顕著な変化にソニアと父親が目を見張り、私に向かって頭を下げた。


「リディアさん、私からもお礼を言わせて。本当にありがとう!」

「あぁ、何とありがたいことだ。ぜひ何かお礼をしたい」

「いえ、大したことではないので」

「遠慮しないでほしい。欲しいものはないかい?」


 三人に見つめられるが、何も思い浮かばない。


「えぇと、それなら……ケーキをもう一ピースください」

「そんなことでいいの?」

「はい、もちろんです! すごくおいしかったので」

「ありがとう! 最高の誉め言葉よ」

 

 破顔したソニアにケーキとお茶のおかわりをもらって、私はたぶん、すごくいい笑顔で完食した。





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