30.ロマンスは始まらない
「じゃあね~、まっちゃん。今度は遊園地のチケット持ってきてあげる。」
言いたいことだけ言って立ち去る会計に、風紀委員長は深いため息をついていた。
ああ…なんか気持ち分かる…。
「まったく、あの男は聞く耳というのを持たないのか。」
同感だ。
でもまあ、会計様ですからね。
仕方がない。
「…それで、松村六花。」
扉を閉めた風紀委員長は、くるりとこちらを振り返った。
会計のおかげで忘れていた緊張感が再び私を襲ってくる。
…私にも、譲れないものがあるんだ。
この戦、負けるわけにはいかぬぜ。
無表情でこちらを見つめてくる風紀委員長を、私も努めて無表情で見つめ返す。
………が。
うん、無理だ。
やっぱり怖い。
見つめていただけで目からビームで殺されそう。
「……。」
ふー、落ち着け私。
大丈夫、怖い顔はお父さんで慣れているはずじゃないか。
お父さんに比べれば、風紀委員長なんて大したものじゃない。
こんなのにらめっこと同じだ。
ほら、見つめ合って、変な顔をして、どちらが先に笑ってしまうか……。
あ、やばい。
今がにらめっこ状態だとマジで脳が錯乱し始めて、面白くもなんともないのに、笑ってはいけないと思うほど何故か笑いがこみ上げてきた。
「今から話す内容については見当がついてるだろうが、改めて言おう。今朝、お前の鞄に入っていた物について――、」
「ふっ。」
「……? どうした、松村。俯いて肩を震わせて…。」
ひぃぃぃ!
笑ってごめんなさい。
わざとじゃないんです。
ただの神様のイタズラなんです。
風紀委員長は怖いはずなのに、あの無表情に見つめられて、それをにらめっこだと思い込むとどうしてか笑えてしまった。
別に、風紀委員長の顔がおかしかったからとかではない。
彼は変顔の一つもしていない。
私が勝手ににらめっこだと仮定して、一人で笑ってしまったのだ。
なのに風紀委員長は私の失態を咎めず、むしろ気遣う風を見せてくれた。
あれ…この人いい人?
ついでに言えば、私ってかなりの変人?
私ってばなんてことを!
「それで、松村。誰に命令されたんだ?」
「えっ?」
仮定にらめっこだなんてアホなことをしてしまった自分が恥ずかしくて俯いていれば、風紀委員長が唐突に何やらおっしゃるので思わず顔を上げる。
瞬間、風紀委員長の切れ長な目と視線が合い、戦慄する。
やっぱりイケメンやこの人…。
でもって、図らずも今はイケメンと二人きり…!
私の心臓がもってくれることを祈ろう。
「誰に、って……。」
「お前が自ら、ああいう雑誌を好んで学校に持ってくるとは考えられん。俺の知る松村六花という人間はそうだ。」
「えっ。」
どういうことだ?
俺の知る、ってことは前々から私を知っていたってこと?
影が薄くて、人に覚えてもらうにも苦労する私のことを!?
そういえば、校門のところで私を引き留めるときも、きちんと名指ししていた…。
あれ、よくよく考えれば凄いことだ。
うわ、うわ、うわー。
どうしよう賢ちゃん。
頬がちょっと紅潮していくのが自分でも分かる。
でもこれがロマンスの始まりなのか、それとも悪い意味で目をつけられていたのか分からない私は、素直にときめけないでいた。
なんとも複雑な心境だ。
「わ、私のこと、知って…?」
意を決して核心をついてみる。
どうしようどうしよう!
実は前々から気になってて~みたいな展開になっちゃったら!
私困っちゃう!
なんてムフフな妄想を繰り広げる私を尻目に、風紀委員長は乙女の夢を打ち砕くようにあっさりと告げた。
「全校生徒のデータは大体頭の中に入っている。」
あ、左様で…。
ですよね。
私相手にロマンスなんて生まれるわけがないよね。
「言いたくないことなら無理にとは言わない…が、松村。提案がある。今回のことを不問にする代わり、共同戦線を張ってくれないか?」
「はい? …どういうことですか?」
共同戦線。
乙女の夢からは程遠い単語に、首を傾げる。
「三枝を、更生させたい。」
……いや、他を当たってください。
風紀委員長の話はこうだった。
毎回毎回、風紀のお世話になる三枝…もとい生徒会会計の態度には反省が見られない。
生徒の模範たる生徒会の一員がああでは、示しがつかない。
だけど、自分が口うるさく言っても馬耳東風。
そこで同じ生徒会メンバーである松村から、それとなく打診してほしい。
女でありながら生徒会に認められた松村なら、三枝を更生できるはずだ。
協力してくれ。
――などなど、かなり買い被りのある内容だったが、いつもは凛々しい眉を切なげに歪め、「頼む」と懇願されて、私に断る術があろうものか。
私はたぶん、自分で言うのもなんだけど、イケメンからの「お願い」に弱い。
くっ、イケメンも相田ちゃんにお願いすればいいのに、毎回何故私にお鉢が回ってくるのだろう。
好きな子には手間をかけさせたくないって?
ちくしょう。
おかげで最近、私には気の休まる時間がないような…。
放課後。
私は捕食者に捕らえられた。
「変質者…てめぇ……! 探したぞ!!」
状況がさっぱり分からない。
昇降口を出ようとしたところで拉致され、問答無用で人気のないところまで連れてこられ。
目の前には肩で息をする不良先輩。
えっ、何これリンチ?
私、とうとうリンチされるの?
頭をフル回転させてみるも、不良先輩が何に激昂してらっしゃるのか見当もつかないぞ。
だって今日は相田ちゃんをストーカーしてないし、誤解されるような場面もなかったはずだし…。
それともあれか?
ついに私の存在そのものがウザくなって、駆除に乗り出したってわけ?
ひぃえええいい恐ろしい!
「正直、お前のことなめてたぜ……。」
不良先輩はふぅっと息を吐いた。
その仕草にぶるっと身震いする私。
助けて賢ちゃんー!
「おら、受け取れ! 礼だ!」
しかし、私を襲ったのは暴力ではなかった。
「へ……?」
……お菓子の雨。
不良先輩が投げたコンビニの袋から個包装のお菓子がこぼれ落ち、ばらばらと私の頭に降ってきたのだ。
思わず呆然としてしまう。
え…、あ、新手の嫌がらせ…?
「わざわざ取り戻してくれるとは思ってなかった。女なら敬遠するモンだろ、あーいう雑誌は。でもマジで気に入ってたやつだから、取り戻してくれて感謝するつってんだ。」
「雑誌…。」
大きな声では言えないけど、例のアレか。
「お前が図書室の机の上に置いてくの、見てたからな。知らん顔すんなよ、そいつは受け取れ。」
見てた…?
ということは、あの時ポルターガイストだと思ったものは、ひょっとしてこの人が原因だったりして…。
いや、今はそんなことより、私を敵視していたあの不良先輩が私に感謝してる点だ。
何か裏があるのだろうか。
私は辺りを見回して警戒する。
…が。
まさか、これが本当のロマンスの始まりだったりして……。
いやいやいや、落ち着け六花。
相手はあの不良先輩だぞ。
イケメンで不良という、私の苦手なものが詰まった人間。
でも、根は優しい人なのかもしれない。
なんせ、私なんかにお礼を言ってくれたくらいだし。
あ、ちょっとドキドキしてきた…。
私ってばチョロ過ぎる。
「袋の中にはもっとイイもん入ってるぜ。」
不良先輩がそう言うので、私は袋に手を伸ばした。
――――その瞬間。
「ゲコッ。」
げ、こ……?
不気味な鳴き声が聞こえたと同時に、視界が真っ黒になって、顔にはネバネバぶにょぶにょした感覚が。
「ぶ、ぶはは! お前って期待を裏切らねーな、変質者! 感謝はしてるがお前を認めたわけじゃねーからな!」
こ、これは。
私の顔に、カエルが張り付いてる…?
「ひ、ひゃあああああぁぁぁぁああああ!!」
理解すると同時に響き渡った私の悲鳴。
今日は、一生分の大声を使い果たした気がする。




