表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
傍役メランコリー  作者: 夏冬
19/32

19.本地獄です

投稿した際、一部文章が抜け落ちていたので、修正しました。



「どうだった。当然、もう本は読み終えているんだろう? 感想を僕に教えろ。」


翌日、廊下ですれ違いざまに、秀才くんに声をかけられた。


昨日までなら考えられなかった行動。

物言いが若干上から目線だとしても、当初の嫌われっぷりを鑑みれば、まったく易しいものだ。

すべては哲学者ニーチェのおかげ。

彼がどんなすごい人かはよく分かっていないけど、私にとっては救いの神だ。

どうか“神は死んだ”なんて言わないでほしい。


しかし。

昨日の今日で、あの分厚い本を読了できているはずもなく、私は恐る恐る「まだ読み終わってなくて…。」と正直に答えた。

また罵られるだろうか。

本一冊読むのにどれだけの時間を費やすんだ! とか。

うわ、すっごく言われそう…。


「……そうか。」

「あ、で、でも! 最初の数ページを読んで、この人すごいなと思いました。」

「ほう。ニーチェの素晴らしさが分かるのか。」

「だって、すごく偉そうな文章だったし…。」

「…………。」


~~である、とか。

これはこう、あれはああなのだ、とすべてを決めつけたような文ばかり。

哲学という分野がそういう傾向なのは分かっていたけど、少し私には疲れる内容だった。

でも自分の考えをこれが世の理! みたいな感じで堂々と本にできるのって受け身体質な私からすればすごいことだと思ったので、読み始めて数分の感想は、ああこの人すごいな、だった。


「なるほど。お前に哲学は早すぎたようだな。では、次はこいつを貸してやろう。ニーチェを読破したら、読むといい。」

「え……。」


そう言って、秀才くんが私に渡してきたのはこれまた分厚い本。

哲学とは異なる、また別の分野の本だった。


ちょ、ちょっと待って…。

ただでさえ、ニーチェを十数ページ読むのに、本来なら勉強に費やす時間のほとんどを使ってしまっていたというのに、その次があるの?

ニーチェは秀才くんと仲良くなれるきっかけだと思い、頑張って読んだ。

しかし私には難解だった。

だから、今度は別の本で?

ひぃぃぃ。

無理っ。

私、こういう本は苦手なんだ。


一人ぼっちの昼放課は、確かにいつも本を読んでやり過ごしていた。

『世界の裏事情☆』とか『人類の危機!』とか。

題名だけ聞けば誤解されやすいかもしれないけど、前者は言葉通り世界の地面に関する本で、後者は髪の毛に関する本だ。

髪の毛の衰退は同時に全人類にとっての危機であって…ええっと。

まあつまり、普段私は雑学的な本しか読まないのである。

…だって昔、テレビで言っていたし…。

会話に困ったときはうんちくを話せばいいって。

私にとっては助け船になるはずなんだ、雑学は。


ちなみに、私が読む本はどれも図付きでの丁寧な解説があって、小学生にも分かりやすい仕様になっている。

活字ばかりの本は、やたらと眠気を誘ってくるから、好きではない。


―――にも関わらず、秀才くんが新たに貸してくれたのは、純文学の本だった。


「あ、ありがとう…。」


私は顔を引き攣らせつつ、秀才くんにお礼を言う。


これは試験なのか。

私は試されているのか、秀才くんに。

これしきの本も読めないで、この僕に話しかけてこようとはなんたる愚か者!

…みたいな?


徹夜が決定した瞬間だった。



自習の時間。

私は、無心でニーチェを読み進める。

せめてこれだけでも、今日中に読んでしまわなければと思ったのだ。


「うわっ。お前、こんなの学校に持ってくんなよ。」


ひたすら本とにらめっこする私の斜め前の席に集まり、こそこそと何かを話す男子グループ。

体を寄せ合い丸く円を描くような彼らに、なにをしているのかかなり気になるが、今はそんなことより、ニーチェが先だ。

両耳を押さえて、肘で本をめくる。

彼らのことなんて、まったく気にならない!


「ばーか、俺じゃねーよ。都竹だよ都竹。」

「うっそ。都竹?」

「さすがー。」


都竹?

爽やかくんのことか。

ミントガムのCMに出ていてもおかしくないような彼が持ってきた、“こんなもの”とはなんなのだろう。

やばい。

き、気になるぞ…。

私にはニーチェがいるのに…。


「お前どれ推し?」

「俺? 俺は……。」

「ってか、先生帰ってきたらどうすんだよ。いったん都竹に返して、放課にじっくり読もうぜ。」

「おーい、都竹!」


最後の呼び出しに、とうとう私は顔を上げてしまった。


爽やかくんは、「どうした?」とこちらに向かってくる。


「これ、お前のだろ?」

「あ…! なんでそれ…。」


男子生徒の一人が何かを手に持って、爽やかくんに見せている。

ここからじゃ角度的に見えない。

でも、本? …の、ようなものがチラッと見えた。

いや違う、雑誌…かな?


「バカ! こんなところで出してんなよ!」

「怒るなって、都竹。そういうお前だって学校に持ってきてんじゃねーか。」

「これは俺が持ってきたんじゃなくて…。とにかく、見るなら人のいないところにしろよ。お前らが欲しいってんなら、やるし。」

「いらねー。」


ゲラゲラと、おおいに盛り上がる男子諸君。

なんとなく。

なんとなくだけど、あの雑誌の正体が分かってきた。


男たちよ、学校になんてものを…。


「何してるの?」


もう私は知らんぷりを突き通そうと、再びニーチェに視線を落としたとき、ふと柔らかい声がした。

相田ちゃんだ。

見れば、相田ちゃんがあの男子グループに無邪気な笑顔で話しかけてるではないか。


なんて危険な真似…!

爆弾に自ら突っ込んじゃダメだよ、相田ちゃん!


「うわ…!? な、なんでもないから!!」


相田ちゃんの出現に焦った爽やかくんは、咄嗟に雑誌を背中に隠す。

けれど、こちらからは、丸見えな訳で。


「ぶ……っ!!」


私は吹き出してしまった。


面白いからじゃない。

爽やかくんが背中に隠した雑誌のあまりにも過激な画像に、吹き出さずにはいられなかったのだ。


やはり、間違いなく。

あれ、エロ本だ…!

なんてものを乙女に見せてくれやがるんだ、こいつは!


私の周囲にいるクラスメイトたちは、爽やかくんが持っている雑誌の存在にすら気づいていないようで、あたかも私がひとりでに吹き出したみたいに映ったらしい。


「松村さん、急に笑い出したよ…。」

「読んでるあの本、黒魔術的なやつじゃない? それか呪いの本! やばい、私たち呪われるっ。」

「こわ……。」


待って、クラスメイトたち。

私が読んでるのはニーチェだから。

吹き出したのは、主に斜め前にいる男子たちのせいだから。

私はまた一つ、新たに不本意な誤解をされてしまったようだ。


黒魔術とか、完全にヤバイ系な人じゃないか、私…。


「? あのね、都竹くん。今度の体育祭のことで話があるんだけど……。」

「あ、ああ! 分かった。」


一方、相田ちゃんは爽やかくんの持つ物に気づいていない様子。

良かったね、爽やかくん。

見つかってたら、きっと引かれて嫌われてたに違いない。


私もホッとした。

我が女神、相田ちゃんの目を汚さずに済んで。

あんな俗物は、相田ちゃんには似合わない。


爽やかくんは、口では相田ちゃんと会話しながらも、雑誌を持つ手は不自然にさまよい始めた。

どうやら、隠す場所を探しているらしい。

なんとか手探りで鞄を見つけ、その中に雑に突っ込む。


「ぶっ!?」


私は再度、吹き出してしまった。


いや、だって。

爽やかくんが例のブツを突っ込んだ鞄は、仲間内の男子生徒の鞄より奥。

つまり、私の鞄だった。


な、なんてことしてくれてんの!!


「ちょ、また笑い出してるよ、松村さん!」

「呪いに成功したんじゃない?」

「誰だ!? 誰が呪われた!?」


私の心とは別に、騒ぎ出すクラスメイト。

そんなことを気にしてられないほど、今の私は焦燥に駆られていた。


どうする。

どうするどうする。


爽やかくんに申し出る?

鞄、間違ってますよ、って?

相田ちゃんもいるのに?

できるわけないじゃないか!


ならば、このまま私の鞄に生息する羽目になるのか、例のブツは。

絶対に嫌だ。


私は鞄を凝視した。

雑誌の角が少しだけ鞄の外に飛び出していたので、慌てて中に押し込む。

鞄が、私の鞄が、禍々しい邪気を放つあいつに侵食されてくぅぅ。


反対に、爽やかくんは例のブツを手放したことで安心したのか、爽快な笑顔で、相田ちゃんと話をするために去っていった。

ああ、なんてうらめしい。


「あれ。本どこいった?」

「都竹が持ってたんじゃねーの。」

「ん? でも…ま、いっか。」


もちろん、そんな会話は華麗に無視を決め込みましたとも。

結局、例のブツは放課後まで私の手元に残り、家に帰ってからゴミ箱に捨てるまで、肌見離さず持つことになった。

誰かに見つかったら、とビクビクしながら。


今度、本当に黒魔術の本でも買ってしまおうかと、割りと本気で考えた私だった。


加えて、次の日から毎日、秀才くんは会う度に私に本を渡してくるようになった。

一日一冊以上のスピードで読まなければならなくなり、私は毎夜徹夜に明け暮れた。


本地獄。

まさしく、その言葉が似合うんじゃないだろうか。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ