アスファロスの見た願いは
「……違う……!」
そう呟くサナの声は、小さかった。
だが――その言葉が、羅那の心臓を、強く打った。
「……誰が……『残滓』だって?」
羅那が、低く言い放つ。
その声は、震えていたが、同時に、確かに、怒りを孕んでいた。
「そうじゃない……!! サナは……サナだろ……!!」
「うんそうだよ、私は……『私』!! 王妃様とは違うよっ!!」
その羅那の言葉に呼応するかのように、サナは今度こそ、叫んだ。
だが、羅那を侵蝕する王命:記憶没収の影響は、まだ終わらない。
「くっ……」
幾度となく、羅那の頭の中でちらつく前世の記憶。しかも失ったという、その鮮明な記憶だけを見せつけられていた。
「ふっ……所詮、小さき護衛の成すこと」
膝が折れそうになったとき、羅那の腕を支える手が伸びた。
「羅那くん……!」
サナだった。ぎゅっと、力を込めて、離さない。
「……今、ここにいる私は……過去の誰かじゃない。転生の影でも、残滓でもないよ」
サナは、まっすぐに、羅那を見つめる。
「私は……羅那くんと笑って、泣いて、喧嘩して……それで、ここまで来た『私』だよ」
その言葉が――羅那の中で、絡まりかけていた記憶の糸を、一本ずつ、ほどいていく。
「……サナ……」
「だから……見て。今の私を。今の……私たちを!!」
その声に、羅那の魔力波形が、わずかに、安定した。
『マスター、魔力波形が……変動しています……! ですが――安定方向へ、向かっています!!』
カリスの声が、頭の奥で響く。
『衛星回路、再同期中……現在、過負荷領域へのアクセス……可能!!』
「……っ」
羅那は、息を整える。
まだ、怖い。
まだ、痛い。
――失った記憶は、消えていない。
だが。
(……消えなくていい)
それでも、前に進める。
それを――側にいるサナが、支えてくれる、サナが証明してくれている。
「……来いよ、アスファロス」
羅那は、ゆっくりと魔剣を構え直した。
衛星が強く輝き、放たれた白い光が、羅那の全身を包む。
「……くだらぬ」
アスファロスがそう告げたとたんに、砂が重くうねり、かつてのクフ=ロンを思わせる巨体が次々と形を成す。
王が生み出したのは、巨大なゴーレム群であった。
「!!」
羅那は即座に魔双剣を引き抜き、ゴーレムを灼熱の刃で切り裂きながら、サナを抱きかかえて後退する。
ゴーレム達の攻撃が、地面や壁に大きなクレーターを作っていく。
羅那は、その全てを身体強化と加速術式で、紙一重で避け続けてみせた。
「往生際の悪いやつめ……だが、それも終わりだ」
アスファロスが、渇きの魔力を練り上げる。
祭室全体が、きしむように震え、恐ろしい数の砂の束が、編み上げられていく。
羅那は、それを見て――小さく、息を吸った。
「サナ……!」
「うん……!」
二人は、視線を交わす。
「俺が、前に出る。だから……支えて」
「もちの、ろんだよっ!!」
迷いのない返事だった。
その瞬間――羅那の魔力が、大きく、収束する。
暴走の象徴だった『爆発』が、形を変え、推進力へと変換されていく。
「ここだけでいい……! サナ……俺は、この力で……守りたいんだ!!」
「わかったよ、羅那くん!! ここは任せて……行ってっ!!」
サナの魔力が、祈るように羅那へと重なる。
その力を身に受けて、羅那の体が沈み、そのまま強く、地面を蹴った。
爆発的な魔力が、推進力となり、光の尾を引きながら、一直線にアスファロスへと突っ込む。
「な……!? 暴走魔力を……『利用』しただと……!!?」
「喰らえ……俺のっ!!」
羅那の身体が、紅白の光を刻む。
「バースト・シングル・バスター!!」
収束された閃光が、アスファロスの胸を、真正面から貫いた。
祭室全体が激しく震え、砂壁が崩れ落ちる。
王の胸部が大きく抉れ、砂と光が霧散した。
――それでも。
致命傷を負いながらも、アスファロスは、なおも立っていた。
「……王妃よ……なぜ、拒む……? なぜ、我の元へ戻らぬ……」
その声には、怒りではなく、かすかな――『悲しみ』が混じっていた。
「そなたを失い……王国は滅んだ。我は……そなた一人を……守れなかった……愚かな王よ……」
その言葉に、サナは怯むことなく、一歩前へ出た。
「……あなたの想いが、どれだけ深くても……それは、『私』じゃない」
サナは、胸に手を当てる。
「私は……羅那くんと、生きたいの」
その瞬間――サナの胸から、柔らかな光が溢れた。
ネフェル=ザーク戦で芽生えた力――『王妃因子』がサナの想いを受けて、『再生の光』へと位相変換していく。
祭室全体が、暖かな光で満たされた。
「……まさか……再生の魔力……王妃の『真なる位相』……!」
アスファロスの瞳が、見開かれる。
「羅那くん――合わせて!!」
「もちろん!!」
二人の魔力が、重なる。
二人の魔力が合流し、更に衛星の光が二人を包み込む。
乾きの呪いを吹き飛ばすように、光の輪が、何層にも展開され――
巨大な螺旋の光柱が、祭室を貫いた。
「これで……」
「終わりにする!!」
光が環となり――最後は羅那とサナの声が、ぴたりと合わさって。
「「光環・再生の閃リング・リジェネレイト!!」」
「……王妃……」
アスファロスの身体が、光に溶けていく。
乾きの呪いが剥がれ落ち、残った魂だけが、静かに立っていた。
その視線の先に……一瞬だけ、幻が、現れる。
黄金の装束を纏った女性。
かつての王妃。
彼女は、アスファロスに向かって、やさしく、微笑んだ。
『……あなたは、もう……十分に、愛してくれたわ』
その声は、誰にも聞こえないはずなのに――なぜか、羅那には、はっきりと聞こえた。
アスファロスの瞳が、揺れる。
「……そなたが……幸福なら……それで……よい……」
その言葉を最後に、王の魂は光の粒となって、静かに消えていった。
砂の王国の魔術は、解けた。
祭室の紋様は、ゆっくりと沈静化し、乾いた空気は、やわらかな夜気へと戻っていく。
羅那は、深く息を吐き、サナを振り返った。
「サナ……僕は……例え、喪失が消えなくても、それでも……前に進むよ」
サナは、そっと、彼の手を握る。
「それなら私は、隣で支えるね。ずっとだよ……羅那くん」
その言葉に、羅那は、嬉しそうに瞳を細めて、僅かに頬を染めて。
「……サナ……!」
ぎゅっと、抱きしめた。
「ちょ、ちょっと……苦しいよ?」
「あ、ごめん!! でも、サナのことはずっと守りたいんだ。いいかな? それでも……」
「うん……それが、今回でよくわかった気がする……」
二人は、互いに照れながら、小さく笑い合った。
いつの間にか、博物館の外では、朝陽が昇り始めていた。
それはまるで――喪失の夜を越えた二人を、静かに祝福するかのようであった。




