渇きの王アスファロスの目覚め
博物館地下――さらに封印された階層を抜けた先。
そこは、砂が静かに積もる巨大な広間だった。
壁一面に刻まれた古代紋様が、呼吸するように淡く脈打ち、中央の棺からは、絶えず乾いた砂風が吹き出している。
――乾きの王、アスファロス。
復活の儀は、すでに始まっていた。
無音で立ち上がったその影が、ひび割れた玉座に腰を下ろし、低く告げる。
「……王妃よ。ここに来るのだ。乾いた王国は、そなたを求めている……」
その声だけで、空気が干上がるようだった。
存在そのものが呪い。
それが、王の纏う『乾き』だった。
だが――その声を聞いた瞬間、羅那の喉がひくりと鳴った。
ネフェル=ザーク戦の直後。
衛星に侵入され、転生の記憶を暴かれ、何度も、何度も、サナを失った瞬間を見せつけられた、その直後。
(……まだ終わってない、か。だろうな……まだ『王』が残っている)
心臓の奥に、冷たい何かが残っている。
消えない。消せない。
――守れなかった記憶は、守れた記憶よりも、ずっと鮮明だ。
「サナ……」
羅那がそう呼ぶと、サナはすぐに彼を見上げた。
「大丈夫。……一緒に行こう、羅那くん」
その笑顔が、今の羅那には眩しく見えた。
それでも――だからこそ、前に進むしかなかった。
魔力回復で出来るだけ、回復させる。けれども、それでも倒せるかどうかはわからない。
恐らくギリギリの戦いになるだろうと、羅那はその肌で感じていた。
広間の奥へと進むにつれ、『乾き』はさらに濃くなっていく。
「サナ……たぶん、厳しい戦いになると思う。それでも……この先に向かう覚悟はある?」
「羅那くん……」
優しいけれども、危険を告げるその真剣な声色にサナは、一瞬、迷いを見せたが。
「それは羅那くんも同じだよね。だって、この先は敵に有利なフィールドなんでしょ? なら! 私のような、有能なサポート要員は必要だよね!」
ばんと自分の胸を叩いて、力強く笑みを浮かべる。叩き過ぎて、けほけほ言っているのが、ちょっと心もとない気もするが。
「もう、サナには敵わないな。わかったよ。……では、僕の大切なサナ。僕の背中は、君に任せたよ」
「うん、任されたよ! だから、大船に乗ったつもりでお願いね!」
羅那の差し出す手にサナは、にこりと笑って、その手を重ねたのだった。
「待ち望んでいたぞ、王妃よ」
玉座の上で、アスファロスは動かぬまま、そう告げた。
その視線は、羅那ではなく、まっすぐにサナだけを見据えている。
「私は……あなたの王妃なんかじゃない!!」
サナが強く叫ぶ。アスファロスの言葉を否定するために。
その瞬間、アスファロスの瞳が、かすかに揺れた。
「否。そなたは『王妃因子』。幾度の転生の果てに……ようやく、ここに戻ったのだ」
「触るな!!」
羅那が一歩前に出て、サナの前に立つ。
二本の魔剣を抜き放ち、明確な敵意を向けた。
だが、アスファロスは微動だにしない。
「小さき護衛よ……そなたの魔力制御は、未完成だ。今この場で暴走する未来すら、我には視える」
王が手をかざす。
それだけで、祭室の砂が浮き上がり、背後で形を成していく。
――砂の兵装。
数百体の古代兵が、砂で再構成され、無言のまま、二人を包囲した。
「来るよ、羅那くん!!」
「わかってる!」
砂兵たちが、一斉に突撃してくる。
羅那は即座に魔剣の刃を伸ばし、灼熱の光を纏わせた。
「ロング・フレアブレイド!!」
一振りで、複数の砂兵がまとめて崩れ落ちる。
いつものクリスタルランサーを展開しなかったのは、この場で二つの術式を維持するのが難しいと判断したため。
だからこそ、より使いやすいかつ、属性にあまり影響しなさそうな魔法で一気に、敵を切り裂いていった。その目論見は次々と敵を薙ぎ払うことで示していた。それに……。
「風の結界!!」
後方にいるサナが支えるように詠唱し、二人を包む淡い障壁を展開する。
だが――敵の数は減らない。
斬っても、斬っても、砂は再構成され、何度でも立ち上がってくる。
「……ちっ、再生速度が異常だ」
「王の魔力が、この祭室全体を『支配』しているんだね……!」
サナが歯噛みする。
その様子を、アスファロスは、玉座から見下ろしたまま、淡々と告げた。
「三つの守護官は……よく務めた。その戦いで得た情報は、すでに我が王国の『魔導陣』に還元されている」
天井の紋様が、複雑に光り輝いている。
次の瞬間――世界が、ひっくり返った。
「――!?」
床だと思っていた場所が、天井になる。
天井だった場所が、壁へと回転する。
重力反転の迷宮。
空間そのものが、ねじ曲げられたのだ。
「空間が……歪んでる……!!」
「王妃を奪いに来る者は……皆、渇きに沈む」
アスファロスの声が、空間全体に反響する。
羅那は空中を蹴り、重力の境界を踏み台に、時には、自分で展開した魔法陣を足場にして、砂兵を斬り裂き、一直線に玉座へと迫った。
「そんなもの……関係ない!!」
「無駄だ」
アスファロスが、静かに手を振り下ろす。
一瞬、空間の紋様が強く脈打った。
「――王命:記憶没収」
その瞬間、羅那の視界が、歪んだ。
「……っ!?」
夜空のような空間が、割れる。
そこから、光の断片が流れ落ちてきた。
――見覚えがある。
いや、見覚えがありすぎる。
「また……この術か……!!」
ネフェル=ザーク戦で見せつけられた、あの『転生記憶の奔流』。
だが――今回は、様子が違った。
映し出されたのは、羅那の記憶だけではなかった。
そこに、別の『記憶』が、重なっていたのだ。
炎に包まれながら、死にゆく最初の『喪失』。
そして……。
宇宙コロニーで止められなかったもう一つの『喪失』。
その痛みはもう、知っている。だからこそ、耐えることが出来た。その痛みは消えることはないけれど。
(また同じことの繰り返しか……それとも……ん、これは……?)
さらに、場面が切り替わった。
――焼け落ちた王宮。
崩れた柱。血に染まった石床。
玉座の間の奥で、黄金の装束を纏った女性が、ひとり倒れている。
その傍らで、王冠を落とした男が、膝をついていた。
――アスファロス。
彼は、震える手で女性の肩を抱き起こす。
『……起きろ……王妃……』
返事は、ない。
胸元に広がる血。
崩れ落ちるように、アスファロスは彼女を抱きしめた。
『……我は……王だぞ……』
声が、ひび割れている。
『……国も、民も、すべて守れた。……なのに……なぜ……そなた一人……』
王妃の瞳は、もう、動かない。
それでも――彼女は、最期に、微かに微笑んでいた。
羅那は、その光景から、目を逸らせなかった。
喉が、締めつけられる。
(……やめろ……)
それは、羅那の言葉か、それとも……。
これは――ネフェル=ザークが暴いた、羅那の喪失。それと、同じ種類のものだ。
守れなかった。代わりに死なれた。最後まで、笑っていた。
だからこそ――消えない。
「……っ、やめろ……」
その呟きに、アスファロスの声が重なる。
「守れなかった瞬間はな……永遠に焼き付く。王であろうと、英雄であろうと……消えはせぬ」
その声は、嘲りではなかった。
むしろ、痛みを噛み殺すような、低い声だった。
「……だから、我は選んだ。失ったものを、取り戻す道をな」
「……それで……サナを……奪うつもりなのか……」
羅那の声は、震えていた。
「奪う? 違う。我が手に『取り戻す』のだ」
アスファロスの瞳が、静かに細められる。
「王妃は……何度も、何度も、我の元へ戻ってきた。転生し、形を変え、名を変え……それでも、必ず」
その視線が、サナを射抜く。
「その娘は……王妃の影。本物ではない。王妃として最適化された『残滓』に過ぎぬ」
アスファロスの言葉は、今度はサナの心を確かに、抉っていった。
その存在理由さえ、否定するかのように……。




