衛星が保持していた前世の記憶と
赤い警報灯。
減圧アラーム。
金属通路に充満する、白い霧。
そこは、攻撃を受けた宇宙コロニーの内部だった。
防護遮断ハッチの前に、サナによく似た少女が立っていた。
「……サナ?」
羅那の声が、震える。
映像の中で、若い羅那が、通信越しに叫んでいる。
『戻れ!! サナ、早く!! まだ時間は――!!』
だが、彼女は首を振った。
『……誰かが、残って閉めないと……みんな、死んじゃうよ』
警告音が、甲高く鳴り響く。
『だからね。私が……残るよ』
『やめろ!!』
彼女は、笑った。
『大丈夫。あなたが、生きてくれるなら……それでいいよ』
ハッチが、ゆっくりと降りてとうとう閉まってしまった。
毒ガスが、彼女の胸元に達する。
『……ラナくん』
通信越しの声が、掠れる。その画面に手を伸ばす。伸ばしても、もうその手は届かない。その暖かさも伝わらない。
感じるのは、無機質な冷たいディスプレイの、ノイズ交じりの画面だけ。
『大好きだよ……ううん、愛してる』
ごぼ、と、彼女の口から血が溢れた。
それでも、彼女は笑っていた。
最後まで。
――通信が、途切れる。
「……っ……」
羅那の膝が、かくりと落ちた。
あのときの喪失感が、すぐに襲い掛かって来た。忘れていたはずの、苦しい痛みを。
喉が、ひくりと鳴るが、言葉にならない。
「……っ、羅那くん……?」
サナが、恐る恐る、声をかける。
だが、羅那は答えられなかった。顔も上げられなかった。
浅い呼吸音だけ、聞こえて。
「ふむ」
ネフェル=ザークの声が、静かに重なる。
「合理的判断だ。多数の生存確率を最大化するために、王妃を切り捨てた」
「……違う……」
羅那の唇が、かすかに動く。
こういうときでも、言い合えるように練習を積み重ねていたはずなのに。
「違う……あれは……」
しかし、反論は、続かなかった。
裂け目の映像が、切り替わる。
――石畳の広場。
杭に縛られた、別の……今のサナとは少し姿かたちが違うように見える。
でも、彼女もまた、サナであった。
そのサナが、魔女狩りに……遭って掴まってしまった。
選ばれる前に逃がしたかった。でも、出来なかった。
力も何もなかった。だからこそ……ただ、見てることしかできなかった。
群衆の怒号。
積み上げられた薪。
それでも彼女は、炎の中で微笑んでいた。
『大丈夫だよ……ラナくん。……あなたは、生きて』
炎が、彼女を包む。
それが――『一番最初』の喪失。
「……っ!!!!」
声にならない叫びが響く。
心が切り裂かれそうだった。こんなの、もう見たくないのに。たくさんなのに、なぜ、見せて来るのか。
追い詰められている。逃げられない。こんなところに居たくないのに、逃げられない。
いつの間にか、羅那の両瞳から、涙が溢れていて。
「……何度も、同じ構図だ」
ネフェル=ザークが容赦なく、言葉を重ねていく。
「お前は常に、生き残る。王妃は常に、犠牲になる」
「……やめろ……」
羅那の声は、掠れていた。
「理解した」
ネフェル=ザークの声が、低く、深く響く。
「お前は、王妃を守っているのではない。『生存確率』を守っているのだ」
その言葉が、指摘が、羅那の中枢を、正確に貫いた。
「選べ」
ネフェル=ザークが告げる。
「今度は――『死なせない王妃』か『生き残る自分』か」
羅那は、答えられなかった。
いくつもの前世が浮かんでは消えて、そして、羅那を更に追い詰めていく。
「……っ!!!」
「……沈黙か」
ネフェル=ザークが言う。
「予測通りだ。お前は、選択を放棄する」
「……っ」
「だが、安心しろ」
包帯が、ゆっくりと蠢く。
「我が、代わりに最適解を選んでやる。王妃を残して、お前は生き残れ」
また選んでしまうのか、サナを犠牲にして、生き残ってしまう自分を……。
そのときだった。
「ちょっと、勝手に決めないで」
サナの小さな声が割り込んだ。辛そうにけれど、その声には力があった。
「私は選ばれなくていいよ。それに決めるのはあなたじゃない……そうでしょ?」
こつこつっと、羅那の側に近寄り、そして、その震える手を強く握った。
「あなたは、私を誰かの代わりにしたいようだけど……私、そんなのなりたくないよ? 今の私として、羅那くんの隣で、一緒に生きていくんだから!」
「……サナ……」
ネフェル=ザークの眼が、細くなる。
「……非合理だ」
「……ああ」
羅那は、ようやく顔を上げた。
その瞳には、まだ迷いに揺れている。それでも……確かな光が戻り始めていた。
「……非合理だ。でも……それでも……」
羅那は、サナの手を、強く握り返した。もう大丈夫だと言わんばかりに、優しく、そして、強く。
「……それでも、俺は……『君に死なれる未来』なんて、もう、選びたくないんだ……!!」
その言葉と同時に、衛星の光が、激しく脈動した。
夜空の裂け目が、軋み、歪む。
「……選択更新を検出……?」
ネフェル=ザークの声に、初めて、わずかな困惑が混じった。
「……今のサナとの記憶のみを抽出……? いや、これは……!」
空中に浮かび上がるのは、過去の転生記録ではなかった。
初めて出会った日のこと。
手を繋いだ日。
喧嘩した日。
泣かせてしまった日。
笑い合った日。
――『今』のサナとの記憶だけが次々と映し出されていく。
それらが重なり合い、羅那とサナの前に、光の帯となって顕現する。
「……くだらぬ」
ネフェル=ザークが包帯を広げる。
無数の蛇のように伸び、大蛇となって襲いかかる。
「!!」
羅那は魔双剣を抜き、大蛇を切り裂く。
そのままサナを抱き寄せ、後退。
包帯の束が、床を穿つ。
だが、羅那は一撃も受けず、加速し、避けきった。
「往生際の悪いやつめ……だが、それも終わりだ」
ネフェル=ザークが、渇きの魔力を練り上げ、恐ろしい数の包帯を編み上げる。
「来い……!」
羅那が叫ぶ。
羅那の中にある星屑のような光が、銀河の帯へと変わりかけては、すぐにほどけ、乱れ、空間を軋ませる。
「羅那くん……そのままじゃ、裂けすぎる……!」
サナが一歩踏み出す。
「詠唱補助、入れるね――位相、私が支える!」
ネフェル=ザークもまた、包帯の大蛇を放ち、迎え撃つ。
彼女の手が、羅那の腕に触れた瞬間、柔らかな光が重なり、暴れていた星の軌道が、ぴたりと収束した。
「……ありがとう、サナ」
羅那は息を整え、次元そのものへ、刃を向けるように腕を振る。
「行くぞ……!」
「やらせはせぬ!!」
先に放ったのは、ネフェル=ザークだ。包帯の大蛇が羅那達を狙って、突き進んでくる。だがしかし。
「「――星断光鞭アストラ・レギオン!!」」
羅那とサナの声が合わさり。
キュイン――と、澄んだ音が鳴り、世界に、一本の光線が刻まれた。
それは鞭ではなく、銀河の軌道をなぞるように走る、次元断層。
ネフェル=ザークの身体が、その裂け目に触れた瞬間、空間が紙のようにずれ。
存在核だけが、正確に切り離される。
「な……貴様ら……まだ……完成していない力で……!」
だが、裂け目は既に閉じ始めていた。
――キュイン。
音だけを残して、ネフェル=ザークの支配構造は、砂塵と共に、夜空のように崩れ落ちていく。
羅那は膝をつきかけ、すぐにサナが、その身体を支えた。
「羅那くん、大丈夫!?」
「……うん。サナがいなかったら、たぶん、俺ごと次元ごと割ってた」
「ちょっと、それ怖すぎるんだけど!?」
それでも、二人は顔を見合わせ、ほっとしたように、笑った。
「王妃……よ……アスファロス様の……ため……」
そのネフェル=ザークの声もまた、砂のように、静かに消えた。
夜空は、いつの間にか、何事もなかったかのように、元の星々を取り戻していた。
「……羅那くん」
サナが、そっと、声をかける。
「ごめん。……怖い思い、させたよね」
羅那は、まだ少しだけ、視線を伏せたまま言った。
「……ううん」
サナは、静かに首を振る。
「……あの記憶……全部が、羅那くんなんだね」
「……うん」
羅那は、ゆっくりと頷いた。
「全部……俺の、大切な記憶だ。でも……」
言葉に詰まってしまうが、これだけはちゃんと伝えたい。
「……でも?」
「……サナがいないと、俺は……選べなくなる気がした」
サナは、少しだけ驚いた顔をして、それからそっと、羅那の手を握った。
「じゃあ……これからは、一緒に選ぼうよ、羅那くん」
その言葉に羅那は目を見開き、そして、頬を染めながら、満面の笑みを浮かべ、こくりと頷いてみせたのだった。
――博物館、最奥。
ずずずず……と、独りでに、棺が開いた。
開くはずもないそれは、既に散った三人の魔力を、そのまま吸い込んでいた。
「王妃よ……我は、ここにいる……」
渇きの王、アスファロスが、ついに今、目覚める。




