【38】絶望してよ
「ランドウ!!」
あたしは叫んでいた。
その声が、妙に遠くに聞こえた。
不思議だ、叫んでいるのは、あたし自身なのに。
「ランドウ、ランドウ、ランドウ……!!」
壊れちゃったみたいに、何度も、何度も叫んで、あたしはランドウに駆け寄ろうとする。なのに体は動かない。なんでだろう、思ってから、リエトがあたしを抱き留めているのに気付いた。
「放してぇ!!」
「放さない……!! 周りが何も見えていないだろう、花嫁……ディアネット!!」
いつも余裕のリエトが、初めてあたしの名を叫んでいる。
それだけでも、とんでもない事態なのは、よくわかった。
とんでもない事態。
目の前で、ランドウが、刺された。
魔王である、ランドウが。
唯一無二の、ランドウが。
あたしの彼ぴで、ディアネットの夫が。
人間に――刺された。
「あ、は……あははははははは!! よくやったじゃありませんの。さすがは私の作った一番従順な奴隷騎士!! 私の望みを誰よりもわかっていてくれましたのね!!」
セラフィーナが笑っている。
彼女の話を聞いて、あたしのランドウを誰が刺したのか、わかった。
セラフィーナの配下の男だ。
セラフィーナが丹精込めて洗脳したであろう、筋骨隆々の騎士が、ランドウを刺している。
ランドウからはまだ魔力の風が吹き出していて、騎士は苦しそうに震えているけれど、それでも、けして槍の柄を手放そうとはしていない。
「ざまあみなさい、ディアネット!! あなたの籠絡した魔王と、私の作った奴隷と、どっちが勝ったのかを!! あなたの恋とやらの決着がどうなったかを!! よく見て、悔しがれ!! 怒れ!! 地団駄を踏め!! 絶望を、知れ!!」
セラフィーナの叫びが、ガンガンと頭に響く。
言葉をトンカチにして、頭を殴られているみたいだ。
それでもリエトに阻まれて動けないあたしの前に、文字通り髪の毛を逆立てたヒビキが歩み出た。背中を丸め、まるで獲物に飛びかかる寸前の肉食獣みたいなフォルムになって、彼はうなる。
「絶望するのは、貴様らさのほうだ。八つ裂きにしてやる……粉々になるまで粉砕して、血と泥をぐちゃぐちゃに混ぜたものに浸してやる!!」
「――じゃあ、私は、粉砕されても、痛みだけは感じられるよう、死の風をせき止めてあげますね」
そう言って前に出たのは、死神のマリカだった。今まで見たことがないほど青ざめた無表情をした彼女は、いつもとは違ってお人形めいた美人に見える。
あたしは、正直……「やっちゃえ」と、思った。
やっちゃえ。やっちゃっていいよ。
セラフィーナも、配下の騎士も、それくらいされていいくらい、ひどいことをした。
だから……やっちゃえ。殺しちゃえ。めちゃめちゃにしちゃえ。ぐちゃぐちゃにしちゃえ。苦しくしちゃえ。わからせちゃえ。やられっぱなしなんか嫌だよ。あたしのランドウを刺したんだから、それくらいの痛みは背負ってよ。苦しんでよ。
絶望、してよ!!
あたしはリエトの腕の中で体を固めたまま、ランドウと騎士を凝視していた。
騎士は震えている。
ランドウは。
ランドウは……唇を、動かした。
そして、言う。
「やめろ……」
「嘘……」
あたしは思わずつぶやく。
聞き間違いだといいと思った。
でも、違った。
ランドウは槍を突き刺されたまま、どうにか足を踏ん張って続ける。
「唯一無二のランドウが……魔族から人間への……一切の……攻撃、を、禁じる……」
あたしは目の前の世界がぐにゃりと歪むのを感じた。
今にも倒れそうなショックを受けながら、必死に叫ぶ。
「ランドウ……どうして? このままじゃ、死んじゃうよぉ……!!」
「そうだ……このまま、俺が死ぬところを、みんなに、見せてやってくれ。俺は……一切の抵抗をせずに、死んだと……」
ランドウはつぶやき、ごぽりと血を吐いた。
あたしの頭は真っ白だったけど、あたしを抱いているリエトには、すべてがわかったらしい。彼は険しい表情でランドウを見つめながら言う。
「――なるほど。魔王があくまで無抵抗のまま殺されれば、圧倒的に非は人間にある。そのことが広まれば人間軍の士気も落ちるだろうね。そもそも、まとめる者がいなくなった魔界をすべて制覇することなんか、誰にもできないだろうし……戦争はすみやかに泥沼化して、収束する……」
「あらあら、こざかしいですこと」
頭が真っ白のあたしに変わって、セラフィーナがリエトの話に反応した。
彼女はこんなときでも優雅に扇子をひらめかせ、あたしを見て微笑む。
「こざかしいけれど……私は、ディアネットのその顔を見られて満足ですわよ。戦争なんか、もはや二の次ですわ。ねえ……ディア。あなたでは、どうにもならなかったでしょう?」
どうにもならなかった。
そうかもしれない。
あたしは、指輪の力を使ってまで死を回避して、恋をしようとした。
でも、その恋の相手は、今、目の前で死のうとしている。
そして、それを、あたしに見ていろという。
そうすると、世界にとっては、いいらしい。
セラフィーナは、さらに叫んでいる。
「あなたの恋、なんにもならなかったでしょう? なにも残らなかったし、なにも解決できなかったでしょう? 恋なんて、無力でしょう!?」
――そうだね。
そう。
恋じゃ、なんにもできない。
ランドウが絶え間なく血をこぼしながら、あたしを見る。
その目はひどく悲しそうで、もどかしそうで。
言いたいことがいっぱいあるんだろうに、百分の一も言えてないような目で。
ランドウは囁く。
「すまなかった……ディア」
たった一言の、謝罪。
それが、あたしの胸の中に転がって。
ころり、ころりと転がって。
ぱたん――と倒れて。
そして……。
燃え上がった。
「すまなかったで…………すむかあああああああ!!!!」




