第四話:見えざる根源への道標
地球全土を覆った未曾有の危機――後に「サイレント・ジェネシス」と呼ばれることになる月詠朔による惑星規模の防衛現象――から数日が経過した。
世界は、まだその衝撃と、そして突如として訪れた静寂の余韻の中にあった。
各地で散発的に出現していた怪異の反応は完全に途絶え、人々は、恐る恐るシェルターから顔を出し、破壊された街の復興と、失われた日常を取り戻すための活動を、少しずつ再開し始めていた。
その全てが、たった一人の、誰にも知られざる「守護神」の力によってもたらされたものだとは、まだ誰も気づいていない。
一方、月詠朔は、自らの「神域」と化した六畳間で、膨大な情報処理と分析に没頭していた。
「サイレント・ジェネシス」は、確かに地球上の怪異を一掃したが、それはあくまで対症療法に過ぎないことを、彼女は理解していた。
問題の根源――あの「見えざる侵食者(亜)」の本体、あるいは少なくとも地球へのエネルギー供給ルートを断ち切らない限り、この戦いに終わりはない。
そして、今の彼女には、それを可能にするだけの「力」と「情報」が集まりつつあった。
(……「システム」からの情報と、今回の戦闘で得られた膨大なセンサーデータを照合すれば…あるいは…)
朔の並列思考は、地球上のあらゆるセンサーネットワーク(その多くは彼女自身が秘密裏に構築したものだ)から送られてくる情報をリアルタイムで解析し、同時に、「システム」が断片的に提供してくる高次元の観測データを統合していく。
それは、もはや人間の脳が行える処理能力を遥かに超えた、超々規模の演算作業だった。
彼女の瞳には、無数の数式と幾何学模様が、まるで星雲のように明滅している。
「システム」は、朔のこの試みを静かに見守り、そして、必要な情報を的確なタイミングで提供していた。
彼らにとっても、「見えざる侵食者」の活動は、宇宙のエネルギーバランスを乱す望ましくない現象であり、もし朔がその根源に迫れるのであれば、それは彼らにとっても有益なことなのだろう。
あるいは、彼らは、朔がこの「課題」をどうクリアするのか、その「成長」を興味深く観察しているだけなのかもしれない。
『…対象個体:TSUKIYOMI SAKUによる、侵食因子(コードネーム:亜)の地球接続ポイント特定シーケンスを承認。関連情報、及び、高次元探査リソースの一部アクセスを許可します』
「システム」からの新たな「感覚」と共に、朔の脳裏に、これまで見たこともないほど複雑で、そして美しい、宇宙の構造図のようなものが展開された。
そこには、我々の知る三次元空間だけでなく、無数の高次元が複雑に絡み合い、そして、その次元の狭間を縫うようにして伸びる、「見えざる侵食者」のエネルギー吸収ルートが、まるで血管のように可視化されていた。
(……これだ…! 地球に繋がる「根」は、複数あるように見えるけど…その中でも、最も太く、そして活発にエネルギーを吸い上げている「主根」とでも言うべきものが…)
朔の意識は、その高次元マップの中を、光速で駆け巡る。
そして、ついに、一つの特異点へと辿り着いた。
それは、地球の物理的な位置とは直接リンクしていない、異次元空間に存在する、巨大なエネルギーの渦。
そこから、無数の細い「根」が地球の様々な地点へと伸び、そして、地球の生命エネルギーを吸い上げ、さらに高次の「本体」へと転送しているように見えた。
(……ここが、地球における「亜」のハブ、あるいはゲートウェイか。ここを叩けば、少なくとも地球へのエネルギー供給は大幅に遮断できるはず…いや、それだけじゃない。もしかしたら…)
朔の脳裏に、大胆な、そして途方もない計画がひらめいた。
ただ「蓋をする」だけではない。
このエネルギーの奔流を、逆流させることはできないだろうか?
「亜」が地球から吸い上げているエネルギーを、逆に「亜」から奪い取り、それを地球の防衛と再生のために利用する。
そして、究極的には、「亜」そのものを、地球にとって無害な、あるいは有益な存在へと「調教」してしまう。
(……ふふ、面白くなってきたじゃない。まさか、私が「侵略者」の立場になるとはね)
朔の口元に、いつもの不敵な笑みが浮かんだ。
それは、もはや「守護神」というよりも、もっと狡猾で、そして野心的な「何か」の笑みだったのかもしれない。
彼女の視線は、すでに、その異次元に存在するエネルギーの渦――「亜」の地球接続ポイント――へと、まっすぐに見据えられていた。
「システム」は、朔のこの大胆な発想を、特に肯定も否定もせず、ただ静かに観測している。
彼らにとって、結果として「見えざる侵食者」の活動が抑制され、宇宙のバランスが保たれるのであれば、その手段は問わないのかもしれない。
月詠朔の、次なる「ゲーム」のターゲットは定まった。
それは、もはや地球上の怪異ではない。
高次元に存在する、星を喰らう「見えざる侵食者」そのものだ。
そして、その戦いは、これまでの物理的な戦闘とは全く異なる、次元を超えた、壮大な情報戦とエネルギーの奪い合いになるだろう。
ひとりぼっちの神様は、今、その最初の「一歩」を踏み出そうとしていた。




