第二話:奔流と覚悟、そして僅かな光明
月詠朔の魂の咆哮は、高次元に座する「システム」に、即座に、そして明確に届いた。
それは、これまで一方的な情報伝達とリソース供給に終始していた「システム」との間に、初めて明確な「双方向性」と、そして「交渉」にも似た緊張感を生み出した瞬間だったのかもしれない。彼らとて、この特異な個体の、これほどまでの剥き出しの意志に触れたのは初めてだった。
『……要請、認識。対象個体:TSUKIYOMI SAKUの精神的閾値、全段階解除シーケンス開始』
『緊急を要すると判断しました。強制的に、時空を遮断し、通常空間から隔離しました(時間停止状態)』
『対象個体における、高次元エネルギー受容体の強制活性化、及び、情報処理能力の指数関数的拡張を実行』
『警告:これより先は、不可逆的な存在変容を伴う可能性が極めて高い。対象個体の自我崩壊リスク、87.3%。最終確認…は不要と判断。対象個体の強い意志、及び、セクター・ガイアの存続可能性を最優先事項とします』
「システム」からの「感覚」が、もはや単なる情報ではなく、直接的なエネルギーの奔流となって朔の存在そのものを揺るがし始めた。それは、まるで宇宙の創造と終焉を同時に体験するかのような、圧倒的な力の波動だった。
次の瞬間、彼女の意識は、まるで巨大なダムが決壊したかのような、途方もない力の洪水に飲み込まれた。あらゆる感覚が飽和し、思考は千切れ飛び、自我の境界線が曖昧になっていく。
(うわっ・・・・!なに、これ…!体が…意識が…溶ける…!)
経験したことのない情報量とエネルギーが、脳髄を焼き切り、肉体を内側から引き裂かんばかりの勢いで流れ込んでくる。
自分の思考が、感覚が、存在そのものが、バラバラに分解され、そして猛烈な速度で再構築されていく。
それは、快感などとは程遠い、圧倒的な暴力。自我を保つことすら困難な、凄まじい負荷。まるで、魂ごと鋳造し直されるような、灼熱の苦痛と、無限の可能性が混ざり合う、混沌の坩堝。
(うぐぅうっ!...ん...きゅぅぅ...くく…っ! こ、これ…! の…飲み込まれたら…私は私でなくなってしまう…! 子供たちを…守れなくなる…!)
朔は、歯を食いしばり、必死に意識を繋ぎ止める事に全神経を集中し続けた。
目の前に映るのは、今まさに孤児院を襲おうとする無数の黒い影。そして子供たちの悲鳴。その映像だけが、荒れ狂う力の奔流の中で、唯一彼女を繋ぎ止める錨となっていた。
止めなければ。その一心が、彼女を狂気の淵から力強く朔を現実へと引き戻す。
力の奔流は、依然として止まらず加速して行く。それは、まるで新しい宇宙が彼女の中で生まれようとしているかのようだった。そしてその中で、朔の意識は、奇妙な、しかし確実な変化を遂げ始めていた。
まるで、自分の意識が無限に分裂し、その一つ一つが独立した思考を持ちながらも、全体として調和を保っているかのような、そんな感覚。
並列多重思考。いや、もはや思考というよりも、存在そのものの拡張。
地球上のあらゆる場所で同時多発的に起きている怪異の侵攻。それぞれの場所の地形、敵の数、種類、動きのパターン。そして、それらを最も効率的に、最も迅速に排除するための、無数の戦術オプション。それらが、彼女の内で、光速を超えた速度で構築され、検証され、そして最適化されていく。
それは、もはや人間の知性の領域を超えた、神の視点にも似た全能感だった。
『…対象個体、第一次存在変容、安定期へ移行。身体構造の最適化、及び、細胞レベルでの恒常性維持機能(いわゆる不老不死)の付与、完了』
『高次元情報アクセス権限、レベル5(最大レベル)に移行。限定的時空間制御、物質再構築、因果律干渉(極微)、その他、多数のスキルツリーがアンロックされました。詳細は、各自のインターフェースにて確認してください』
(時空間制御…物質再構築…! どうでもいい! もっと…もっと早く、あの子供たちの笑顔を、守り切れるだけの、力を…!)
全身を苛む力の奔流は、徐々に彼女の制御下に収まりつつあった。自我は、嵐の中心で輝きを増す灯台のように、確かな輪郭を保っている。
そして、その瞳には、もはや絶望の色はない。
(……見える…全てが…! 感じる…この星の、全ての悲鳴と、そして、小さな希望の灯も…!)
朔は、目を見開いた。
その瞳には、もはや地球上の全ての脅威と、そして守るべき全ての命が、同時に、そして鮮明に映し出されていた。
もう、エリア限定の「掃除」ではない。これは、この星の全てを対象とした、「絶対的な防衛」。彼女の存在そのものが、この星を守る盾となるのだ。
「く...っふふっ……さ、てと。いいじゃない。...派手にいくわよ」
月詠朔の口元に、いつもの不敵な笑みが戻った。
だが、その笑みには、これまでとは違う、何か神々しいほどの覚悟と、そして深い慈愛のようなものが、微かに滲んでいるように見えた。
ひとりぼっちの最終防衛線は、今まさに、その身を焼くような激痛と、沸騰するような力の奔流の中で、人間という殻を破り、「守護神」へと、その姿を変えようとしていた。地球という舞台で、壮絶な神話の、最初のページが開かれようとしていた。




