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ひとりぼっちの最終防衛線(ラストライン)  作者: 輝夜
第三章 ひとりぼっちの神様

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第一話:守りたい笑顔と小さな決意

日本政府との「契約」以降、月詠朔の日常は、表面的には以前と変わらなかった。

相変わらず六畳間の「聖域」に引きこもり、ネットを巡回し、そして時折訪れる「システム」からのお告げに従って、淡々と「掃除」を繰り返す。

ただ、その「掃除」の範囲は、もはや日本国内に留まらず、時には「システム」からの緊急要請(という名の、高報酬クエスト)に応じて、海外の危機的状況にも、気まぐれに、そして誰にも気づかれずに手を貸すようになっていた。

彼女の力は、もはや人間という枠組みを遥かに超え、その影響力は地球規模に及びつつあった。

そして、その力の源泉とも言える、膨大な「活動資金」と「リソース」は、彼女の「研究」と「趣味」を際限なく加速させていた。


そんなある日、朔はいつものように、自室のメインコンソールで、新たに建設が始まった「怪異災害孤児支援基金」による、最初の孤児院の進捗状況をチェックしていた。

場所は、〇〇市南々東エリアの、かつて彼女が「お茶会」と称して小野寺と会った公園の近くだ。

モニターには、真新しい建物と、そこで遊ぶ子供たちの笑顔が映し出されている。太陽の光を浴びてキラキラと輝くその光景は、まるでこの荒廃した世界に灯った、ささやかな希望の灯火のようだった。

それは、彼女が日本政府に「要求」したことの、数少ない目に見える「成果」の一つだった。


(……まあ、ちゃんとやってるみたいね、小野寺さんも。子供たちも…楽しそうじゃない)


朔は、その映像を、特に何の感情も示さずに眺めているつもりだった。自分の行動が、誰かの役に立っているという実感は、まだ希薄だった。合理的だから、そうしただけ。そう割り切ろうとしていた。

だが、モニターに映る、無邪気に笑い、駆け回る子供たちの姿を見ているうちに、無意識のうちに、彼女の口元には、ほんのわずかな笑みが浮かんでいた。

それは、喫茶店でケーキを前にした時のような、刹那的な喜びとは少し違う。もっと穏やかで、胸の奥がじんわりと温かくなるような、そんな種類の笑み。

それは、彼女自身もまだ気づいていない、心の奥底で静かに育ち始めている、新しい感情の萌芽だったのかもしれない。かつて自分が失った、温かい日常への、無意識の憧憬。


その時、だった。

部屋の空気が、ピリッと緊張した。

これまでとは比較にならないほど強烈な、そして不吉な「感覚」が、朔の脳髄を直接揺さぶった。まるで、氷の針で突き刺されたような、鋭い痛みと警告。

同時に、部屋中の全てのモニターが、けたたましい警告音と共に、一斉に緊急警報の赤色に染まる。警告メッセージが、網膜に直接焼き付くように明滅する。


『警報!! 超高エネルギー反応、世界各地で同時多発的に検知! 脅威レベル、測定不能! これは、これまでのいかなる襲撃とも異なる、組織化され、かつ知性を持った敵性存在による、惑星規模の総攻撃である可能性、極めて高し!』


「システム」からの警告は、もはやいつもの冷静さを失い、明らかに焦燥と危機感を滲ませていた。それは、まるでシステムの奥深くで、何かが悲鳴を上げているかのようだった。

モニターには、地球上の至る所に、巨大な赤い警告アイコンが、まるで悪性の腫瘍のように、おぞましい速さで広がっていく様子が映し出される。その一つ一つが、人類の文明を根こそぎ薙ぎ払うほどの、絶望的なエネルギー量を示していた。

そして、その赤い浸食の波は、容赦なく、今まさに朔が見ていた、あの孤児院のある〇〇市南々東エリアをも、真っ赤に染め上げていた。


(……孤児院が…!?)


朔の表情から、いつもの余裕が、まるで仮面が剥がれ落ちるように消えた。血の気が引いていくのが分かる。心臓が、嫌な音を立てて早鐘を打つ。

次の瞬間、孤児院のライブカメラ映像が、激しい揺れと共に、ノイズまみれになり、そして途切れた。最後に映し出されたのは、空から降り注ぐ無数の黒い影と、それに気づき、恐怖に顔を引きつらせ、声にならない叫びを上げる子供たちの姿だった。

その小さな顔、恐怖に見開かれた瞳が、朔の脳裏に焼き付いて離れない。


「…………っ!!」


朔は、息が詰まるような感覚と共に、言葉にならない声を上げ、ベッドから転がり落ちるように飛び起きた。

間に合わないかもしれない。

いや、間に合わせなければならない。

あの笑顔を、あの無邪気な声を、この手で守ると決めたばかりなのに。それを、こんな理不尽な形で、消させてたまるか!


彼女の脳裏に、フラッシュバックのように、かつてのトラウマが蘇る。

両親を失った時の、世界から突き放されたような絶望感。

信頼していた家政婦に裏切られた時の、人間そのものへの不信と無力感。

そして、何よりも鮮明に、あの燃え盛る孤児院の光景が――。炎の熱さ、煙の匂い、助けを求める声、そして、何もできなかった自分の、小さな手のひら。

あの時、誰も助けてくれなかった孤独。世界でたった一人ぼっちだと感じた、あの凍えるような夜。

もう二度と、あんな思いを、誰にもさせたくない。

特に、あの子供たちには。あの子たちの笑顔は、かつての自分が失った、かけがえのないものそのものだったから。守るべき存在を見つけてしまった今、それを失う恐怖は、かつての比ではなかった。


(……面倒くさいとか、関係ないとか、そんな悠長なこと言ってる場合じゃない!)

合理性? 効率? そんなものは、今、どうでもいい。

ただ、守りたい。それだけが、彼女の全てを突き動かす、唯一絶対の衝動だった。


朔の瞳に、かつてないほど強い、そして純粋な光が宿った。

それは、怒りでも、恐怖でもない。

ただ、純粋な「守りたい」という意志の光。この星の全てを守り抜くという、絶対的な決意。

その決意が、彼女の魂を、まるで鍛え上げられた鋼のように、強く、そしてしなやかに変えていく。


彼女は、アタッシュケースに手を伸ばすよりも早く、メインコンソールに向かい、凄まじい速度でキーボードを叩き始めた。その指先は、もはや人間の動きを超えていた。

モニターには、地球全体の立体地図と、そこに展開される無数の青い光点――彼女が秘密裏に構築し、そして「システム」からの膨大なリソースで強化し続けてきた、地球規模の防衛ネットワークシステム――が、禍々しい赤に浸食されつつある様子が映し出される。

それは、まだ未完成で、いくつかの重要な機能はロックされたままだった。全世界をカバーするには、まだ彼女自身の「演算能力」と「エネルギー供給」が、圧倒的に足りていなかったのだ。


(……足りないなら、引きずり出せばいい! 私の奥底に眠ってる力を! 私の全てを! そして、あの『システム』からも、根こそぎ!)

彼女は、もはや躊躇しなかった。失うことへの恐怖よりも、守れないことへの絶望の方が、遥かに大きかったから。


朔は、目を閉じ、意識を深淵へと沈めていく。

彼女の周囲に、目には見えない膨大なエネルギーが渦巻き始め、六畳間の空気がビリビリと震える。それは、まるで小さな宇宙が、この六畳間に出現したかのようだった。

それは、彼女がこれまで無意識のうちにセーブしていた、あるいは「システム」によって段階的に解放されてきた、彼女自身の潜在能力の、真の覚醒の兆しだった。

そして同時に、彼女は「システム」に対し、これまでにないほど強大な「要求」を、魂の奥底から発信した。その声は、もはや懇願ではなく、命令に近い、絶対的な意志の奔流だった。


――私に、この星の全てを守る力を寄越せ!――


その絶叫にも似た意志が、高次元の彼方へと放たれた瞬間、部屋を満たすエネルギーの密度が、臨界点を超えようとしていた。世界が、彼女の意志に応えようとしているかのように。

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