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異世界くじと神々の塔  作者: 天樹
82/84

到達とそこに待つもの

 スキル。

 便利なものだ。何も、守護獣や悪党たちと戦ったり、『塔』の危地を乗り越えたりするために必要なばかりではない。危険や冒険の場面とは異なる、日常の中、穏やかな風景の中でも役に立つことが多い。まあ会話スキルなんかもそれに含まれるんだけど。


 ……私はそんなことを改めて思いながら、自分の腕の中を見つめた。

 可憐に、安らかな寝息を立てて夢の中にいるアンジェの姿がそこにある。

 夜の闇の中で、彼女の姿がまじまじと見えるのも、私のスキル──『ノクトビジョン』の効果だ。この世界では元の世界とは違い、夜の夜中に目が覚めたからちょっと軽く明かりをつけよう、なんてことはできないのだから。


 でも。

 私はちょっとためらった後、『ノクトビジョン』の効果を切ってみた。

 途端に真っ暗な闇がのしかかるように私たちを覆う。

 けれど、しばし時間が経つうちに、次第に目が慣れてきた。

 薄く開けた鎧窓の外には月があり、星がある。このお屋敷は森の中にあって、あまり空の光が深く煌々と差し込んでくるようなことはないのだけれど、それでもためらいがちに、おどおどと覗き込んで来るようなささやかな銀色の月光が優しく部屋の中に沁み込んできていた。

 月だけではない。星の光。今宵は、なんだか降るような星々のさんざめく輝きが妙に美しい。一つ一つはささやかで可憐な瞬く星々も、それが満点に飾られれば光の奔流のように鮮やかだ。

 スキルをつけたままなら、こんな優しい光の穏やかさに気づくこともなかったかもしれない。そう思いながら、私はもう一度アンジェの寝顔を見る。


 清楚な眠り姫の愛らしい顔は、幸福に満たされた静謐の中に安らいで揺蕩っているようだ。……ほんのつい先刻まで、熱い喘ぎと蕩けそうな吐息の中、狂おしくその美しい肉体を舞い踊らせていたとは思えないほどに。

 そのアンジェの、豊かに盛り上がった白い胸元に、私は目をやる。

 そこには、小さな印があった。

 誓刻。

 アンジェが私のものであるという証であり、彼女の誓いを示した紋章だ。

 私はそっと指を伸ばし、なぞるようにアンジェの誓刻に触れる。


「……ん……!」


 アンジェが艶めいた微かな吐息を漏らし、身じろぎした。目を覚まさせてしまったかと一瞬思ったが、どうやらまた眠りの中に入ったらしい。ふう、危ない。相変わらず敏感な子。

 ──アンジェは、ここ最近、ひときわ激しく、熱に浮かされるように私を求めてくるようになった。もともとは恥ずかしがり屋で控えめなため、燃え上がるのに時間のかかる子だったけれど。


 その変容の理由はわかっている。

 ……幻だ。

 『塔』の中で、アンジェがあの謎の美女によって見せられたという幻影。

 ──私を殺すという幻影。

 思っても見なかった光景を見せられ、アンジェはその恐怖に囚われていた。ただの幻だと、意味のない虚偽だと、そう自分で十分に言い聞かせ、また私からもそう慰撫されても。

 私を殺すというおそれは執拗にアンジェを追いつめて離れようとしなかった。

 その昏い怯えから逃れようと、アンジェは私にすがりついた。私との肉体のつながりをよりどころに心を支えたいと。言わずとも語らずとも、その行動がすべてを示していた。

 そして私もアンジェの不安を掻き消してあげたいと、彼女の想いに精一杯応えたのだけれど。

 ……でもやっぱり、アンジェの、自分自身に対する疑念を完全に消し去ることまでは出来ていないのかもしれない。


 私は小さく息をついた。

 改めて、アンジェの胸元の誓刻を見つめる。

 アンジェが私を傷つけるようなことなどない、と私が確信しているのは、もちろん彼女を愛しているからだし、同時に彼女の愛を信じているからでもある。

 が、そういった精神的な問題とは別に、この誓刻がもう一つの保証でもあるのだった。

 奴隷が主人に対して害を為そうとした場合に発動する、苦痛を生み出す術式。それがある以上は、アンジェが私に危害を加えることは……殺すことはできないはず、だ。

 

 でも。

 アンジェが私を殺すなんて話は問題にしないとしても、だ。

 ──病気や不慮の事故など、他の何らかの要因で、私だけが死ぬことはあり得ないわけではない。アンジェやみんなを置いて、私だけが死ぬ、ということは。

 今まであまり意識したことのなかったそんな単純なこと。それを私は、アンジェの不安を解消してあげようとその問題に取り組むうちに、今更ながらに考えるようになっていた。

 私が死んだ時のこと、か……。

 私は少しの間沈思したが、やがてアンジェを起こさないように、軽く寝間着を引っ掛けてそっとベッドから抜け出した。




 

『相変わらず行き当たりばったりな生き方をなさっておいでデスネ。羅槻らつきサンの辞書には計画性という言葉はないのデスカ』


 一面の白い闇の中、ぼうっと浮かび上がるどぎつい色の電飾が文字列を形作る。

 ここには私しかいない。いつも通りの、あの空間だ。なんとか……システム。私をこの世界に送り込んだあいつがいる場所。


「そう言うあんたの辞書には学習という言葉がないみたいね。私はこういう人間なんだっていい加減に慣れなさいよ」

『うわあ開き直りマシタヨこの女。自分の進歩のなさを棚に上げて他者に逆ギレとか、救えないにもほどがありマスネ』

「うるさい。いいからスキル見せなさい。あんたの価値なんてそれだけなんだから」

『そういう御自分の価値がどの程度だと思っていやがりなさるのデショウネー……』


 いつものようにいつものごとく、私と電飾野郎は言葉で殴り合いながらスキルの選定に入る。

 まあ、最初の頃はこのクソ電飾の態度にムカつきもしたが、今となっては形式的にきつい言葉を使っていても、本気で怒るほどのこともない。かといって別に楽しいというわけではないが。


『しかしデスネ、いくらなんでも適当といいマスか、漠然すぎるではないデスカ。……戦闘用でも、情報収集用でも、日常生活用でも、御自分のエロエロな欲望を満たすためでさえない、なんかいいスキルがないか、トハ』

「だって私にだって上手く言えないんだから仕方ないじゃない。ただ……今までのとは違う、何かこう……大切な、大切なものに関するスキルが欲しいって。そう思ったのよ」


 まあ電飾の言うことの方がもっともだ。もっともなんだけど、でも。

 今、私に必要なものは、利便性や都合のよさや欲望や、そういうためのものではなくて。

 ……なんだろう。やっぱり上手く言えないんだけど、何かが、欲しい。

 アンジェの想いに応えてあげられるような。彼女の不安に応えてあげられるような。

 私の心を伝えられるような。

 そんな、何かが。


 私は虚空に浮かんで無数に表示されるスキルの輝きを、落ち着かない気持ちで見回した。

 それぞれ、有用な効果効能を持つスキルが幾つも並んでいる。

 けれど、私の欲しいものはその中にはない。

 無限に収納できる異空間のスキルも、体を変化させられるスキルも、触れたものを黄金に変えるスキルも、見つめた相手を魅了するスキルも。

 今の私の欲しいものではなかった。

 何を求めているか自分でもわかっていないのに、探しようもないのだけど。


 ……と、その時。

 目を泳がせていた私の視界に、一つのスキルが飛び込んできた。

 夜空の星のように無数に並んでいるスキルの中で、今まで気づかなかったような、ちょっとした死角にそのスキルは配置されていたのだった。じっくり見始めるような上方でも、眼を止めて見直すような下方でもなく、視点を滑らせているうちに、すらっと見逃してしまうようなその中間の位置に。


 私はそのスキルの効果を黙したまま読んでみた。

 二度、三度。

 目をつぶり、自分の中でその効果の意味を考え、咀嚼し、反芻してみる。

 そして、決めた。


「……このスキルを、買うわ。……いくら?」

『……やはり物好きデスネ、あなたは』


 チカチカと電飾が煌めく。面白がっているように。


『いくら頭の空っぽな羅槻サンでもさすがにわかっているとは思いマスガ、何の意味もないスキルですヨ、それは。何一つあなたに有利な効果を生み出しマセン。それでもいいのデスネ?』

「意味の有無を決めるのは私。買うのも私。売るのはあんた。いくらなの?」


 電飾は瞬きをするようにゆっくりと光を明滅させた。

 そしてぽつんと短い答えが表示される。


『1ポイントデス』

「……1?」

『1デス』

「……ふうん」


 私と電飾はしばらく見つめ合った。いや、変な言い方だけどね。そもそもこいつに眼なんかないし。だから客観的にはただ私がぼうっと電飾掲示板を眺めてたってだけだけど。

 でも、私の気持ち的には、そうだった。

 しばらく見つめ合って、それから私は、にやりと笑んだ。

 もちろん、そんなはずはないのだけど、でも何となく、私は、こいつも同じように笑っているようにも思えた。


「そ。じゃ、1ポイント。これで貰っておくわ」

『まあお好きにどうぞとしか申し上げられマセンネ。しみったれたお買い物を毎度ありがとうゴザイマシタ』

「どういたしまして、ケチくさい売り主さん」


 いつも通りの、そして、なんとなく安心できる、お互いに歯に衣着せぬ物言い。それをぶつけ合いながら、私は白い世界を後にした。

 手に入れたものは、一つの新しいスキル。

 電飾の言う通り、私には何の効果も生み出さない。

 それどころか、このスキルを使うような事態が今後あるのかどうかさえ疑わしく、また仮に使ったところで私にはそれを確かめようがない、どうしようもないスキル。

 それを大事に胸に抱くように感じながら、私はアンジェたちの世界へと帰ってきた。





「……ご主人さま?」

「わ」


 で、帰ってきた途端にばったりと廊下でアンジェに出会ったりする私。

 彼女の指先に灯る光魔法が、裸身にローブを羽織っただけのその美しい肢体を艶めかしく照らし出している。

 そうっと部屋を抜け出してきたんだけど、起こしちゃったか。

 

「ア、アンジェ。えっと……」


 単に、お手洗に行ってたのよ、とか言えばいいだけなんだけど、自分が異世界転移者だと口外してはいけない掟があるために、過度に意識して私は口籠ってしまった。

 けれど、アンジェはにこっと微笑んで、小鳥のように小首を傾げた。


「星、ですか? ご主人さま」

「え?」

「窓から見えた星が、とても綺麗だったので」


 アンジェは柔らかいまなざしを私に向けた。彼女の黄金の瞳そのものが、闇の中で輝く星のように私には思えた。


「ですので、ご主人さまも、星を見にいらしたのかなって」

「あ、ええ、そう、ね」


 曖昧に頷きながら、私はアンジェの手元を見る。

 神秘的な光を灯すその指先は、微かに震えていた。

 それはそうだ。さっきまでアンジェは、不安の中で必死にその気持ちを押し殺し、私にしがみついていたのだから。それなのに、目が覚めたらその私がいなかったのだから、怯えもするだろう。

 私はきゅっと胸の奥を掴まれるような思いに囚われて、アンジェのその指先を自分の掌で包み込んだ。

 魔法の光に熱さはない。けれど、アンジェの温もりが、彼女の存在そのものの温かさが、私にそっと伝わってくる。


「……ご主人さま?」


 きょとんとしたアンジェの顔に、私は微笑み返した。


「じゃあ、一緒に見に行きましょう、星を」





「あら」

「あれ?」


 で、中庭に出た途端に、ばったりとメイアに出会ったりする私たち。

 メイアは中庭の東屋にちょこんと小さな腰を掛け、寝間着に軽く上着を羽織っただけで、星空に遠い視線を投げかけていた。

 彼女の透き通った清らかな瞳に、遥かな光の瞬きが映り込んで煌めいていた。

 その顔を傾けて私とアンジェの姿を認めると、メイアは椅子から飛び降り、とことこと私たちの元へと走り寄ってくる。そのままの勢いで私の腕の中に飛び込んで、メイアは嬉しそうに尋ねた。


「どうしたの、ご主人さま、アンジェ姉さま? こんな夜遅くに」

「それはこっちのセリフよ。あなたはもうとっくに寝てなきゃダメでしょう」

「またそうやって子ども扱いするんだから」


 メイアはぷくっと小さな頬を膨らませて私を睨む。その後、くすっと悪戯っぽく笑って、彼女は上を見た。


「えへへ。ほんとは、ついさっき目が覚めたんだ。星の光が綺麗でさ。それで、なんか、わくわくしちゃって、出てきちゃった」

「そう……ふふ」

 

 私とアンジェは顔を見合わせて破顔した。

 思えば、以前メイアを仲間にした時も、流れ星の話で盛り上がったっけ。なつかしいな。

 あれからメイアはずっと、私たちの心の癒しだった。


 そんなことを思いながら改めて星を見ていると、


「あら……皆さま、お揃いで」


 今度は後ろから声がかかる。

 ふわり、と栗色のドリルヘアを涼し気に夜風に靡かせた、それは、テュロンだった。


「なぜこのような時間にこのような場所に……いいえ、仰るには及びませんわ。我が輝ける知性が見事にその謎を解き明かしてご覧に入れましょう!」


 謎って。

 相変わらず大袈裟なテュロンの言葉に、私たちは思わず苦笑する。それこそ「こんな時間」なのに、それでもいつものハイテンションなのが彼女らしい。


「まず第一に、ご主人さまもアンジェもメイアも、皆、軽装。夜着を纏っただけのお姿ですわね。と言うことは、予定をもって外出なさったわけではなく、衝動的に外に出てこられたのだということが推察されます。同時に、計画性が否定されたことから、ご主人さまたちとメイアが事前に示し合わせてこの時間にこの場所に集ったというわけでもないことが導き出されますわ。そして最後に、皆さま私が声を掛けるまで空を見上げておいででした。以上のことから、あまりにも星が綺麗だったためにそれぞれ外に出てきたところ偶然出会った、ということになりますわ。いかが?」


 ドヤヤア! と縦ロールをふぁさりと払いながら決めるテュロン。

 うん、いやまあ、その通りなんだけど、そんな気合入れて推理するようなことかな!?

 でも、そんな、空回りと隣り合わせのバイタリティもテュロンの魅力だ。初めて会った時から、ずっと。


「そういうテュロンは何しに出てきたのよ?」


 含み笑いを押さえながら尋ねると、彼女は薄い胸を張ってにやりとほくそ笑んだ。

 ──あ、しまった。これ、この子のスイッチだ。

 アンジェとメイアが両側から、笑顔を浮かべたまま私の脇腹を無言でドンと小突く。

 うう。ごめんよお。もう付き合い長いのに、なぜ私はわざわざ地雷を踏みに行ってしまったのか……。

 しかし後悔する暇もなく、彼女の口から言葉という名の弾丸が速射砲のように飛び出してくる。


「よくぞ聞いていただけましたわ。塔の上階層に関する手がかりへの探求を、私は諦めたわけではございませんのよ。丹念かつ入念に聖王七書の検討を重ねた結果、聖王は星に対する言及が多かったことに気付きましたの。それもこの季節のですわ。これはもしや、星座、天球、星の形などに仮託して、なんらかの塔の情報が秘匿された暗号ではないかと私は深遠なる閃きを天啓のごとく受け、いざその秘密を明かすべく……」


 と、そこまでテュロンが熱弁を振るいかけた時、まさに天からの助けのごとく、扉の外から、夜気に響く能天気な鼻歌が聞こえてきた。


「あ、帰ってきたんだ!」


 メイアが真っ先にとっとと駆け出していく。私とアンジェもそれに追随し、語り足りなそうなテュロンもやむを得ずと言った様子で後に続いた。

 

「らーらーらーららららー! ……あ、あれ? 皆さん、どうしたんです?」

「なあに、豪勢なお出迎えね、うふふ」


 指の先に灯した炎を元気にぶんぶん振り回しながら帰ってきたのは、ラフィーネさんと、彼女と腕を組んでいる、これもいい気分そうなキュリエナ。深夜にご機嫌なことだ。

まあ、このあたりには近くに他のお家はないから、迷惑はかからないし、いいんだけどさ。

 二人の眼もとはとろんとほの紅く染まり、唇から漏れる息はあからさまに酒臭い。

 夜中に塔から帰ってきたり出かけたりする登攀者も多いことから、街中には、こんな時間にも営業している彼ら目当ての酒場も幾つか、あることはある。夜行性の種族もいるわけだしね。


「まーた、お酒飲んできたんだね、キュリエナ、ラフィーネさん?」


 腰に手を当てて、メイアが「めっ」と可愛らしく睨む。


「こんなに遅くまで飲んでたら、体に悪いんだよ。……って聞いたよ。それにそんなに酔っぱらって、塔に登るときに気持ち悪くなってたりしたらダメなんだからね。今は大事な時期なんだよ」

「あ、あはは。すいません、メイアさん。私はついキュリエナさんに誘われて仕方なく」

「ちょ!? なに平気で裏切ってるのよラフィーネ、あなたそれでも聖職者なの!?」

「事実ですしー。もう一軒付き合いなさいよって言ったのキュリエナさんですしー」

「うっわ。その前の店で、もっと飲んでいこうって言ったのあなたでしょ!」

「ふ・た・り・と・も!」


 メイアが髪の毛を上げ、澄んだ右目で二人を睨みつけた。彼女のその目は秘められた力を見透かす浄眼。宝石のようなその目で睨みつけられると相当の迫力がある。

 おー、怖い怖い。あの子の右目、そんな使い方があったのね。

 ラフィーネさんはしゅんとなって萎れてしまい、キュリエナも居心地悪そうに苦笑を浮かべている。

 ふふ。人をからかうことが得意で怖いものなしのキュリエナも、のんびり屋で物事にこだわらないラフィーネさんも、純粋無垢なメイアは天敵みたい。

 私たちの中では年上組のあの二人が、一番年下のメイアに怒られて困ってる姿は、なんか、可愛いな。


「ねえ、ご主人さまからもなんか言ってあげて」

「そうね」


 メイアがお姉さんぶったしかめっ面を作って振り返った姿に、私は微笑した。


「確かに、メイアの言う通りだわ。私たちは、もうすぐ、『到達』する」


 私の言葉に、みんなの顔色が一瞬改まった。

 そう。

 次の登攀で、私たちは98階層をおそらくクリアできる。

 そうしたら次に待つのは99階層。そして……

 そして、聖王アンジェリカでさえそこまでしかたどり着けなかったという100階層だ。

 私たちは生けるこの身のままで、伝説に並び、そして、越えようとしている。

 その眩いばかりの高揚感は、異世界から来た私でも実感している。まして、この世界の住人であるみんなにとって、どれほどのものだろうか。


「……あー、その、ラツキさん。私たちは別にその、決して浮かれて羽目を外しているとかいうわけではなくて……いやちょっとはそうかもですが……」

「ええ、だから、嬉しいの」


 気まずそうに言い訳を始めたラフィーネさんに、私は笑いかけた。きょとん、とした顔で見返す彼女たちに、続ける。


「いつも通りのズボラでいい加減なラフィーネさんでいてくれることが。いつも通りの自分勝手なキュリエナでいてくれることが。いつも通りの強引でとんでもない方向に爆走するテュロンでいてくれることが。いつも通りの可愛いメイアでいてくれることが」

「あー! 最後にメイアさんだけひいきしましたねラツキさん!」

「だってしょうがないじゃない、事実だし。……でもね、そういういつも通りのみんなが嬉しいのよ」


 私は星空を振り仰いだ。

 このままさかさまに天に向かって落ちていきそうな錯覚を覚えるほどの深い星空。


「大事な、大切な時期だからこそ、変に気負わないで普通でいてくれることがね」


 うん。

 伝説に並ぼうとしていることは決して誇らしいことばかりではない。それは目も眩むほどの重い歴史を背負うことだ。計り知れない重圧が目に見えぬ枷となってみんなを縛り付けていてもおかしくはなかった。

 事実、聖都に暮らす人々……いや、この世界に住むほとんどすべての人々が、今、私たちに注目していると言ってもいい。

 90階層くらいまでは、道を歩けば声を掛けられ、手を振られ、握手を求められる、そんな大騒動だった。

 けれど、そこを越えてからは、他の人々の反応が変わってきた。

 息を殺し、手に汗を握り、あまり傍に寄ろうともせず、ひっそりと遠くから私たちを見守るような感じになってきたのだ。

 下手に騒ぎ立てて、大記録に挑戦しようとしている私たちの邪魔になっては、という気づかいだったのだろう。だが、聖都全体に緊張感のようなものが充満し、どこか重苦しい雰囲気に包まれてもいたのだ。


 ──けれど、そんな中でも、みんなはいつも通りでいてくれた。

 多分、それが一番重要なのだろう。自然体でいられるということが。

 なんだか、嬉しい。

 示し合わせたわけでもなんでもない、ほんとに偶然に、私たちはこの鮮やかな星空のもとで集えている。

 一つ屋根の下で暮らしているのだし、そんなこともあるだろうと言ってしまえばそれまでだ。でも、やっぱり私は、ここにいるみんなと、同じ場所にいられるということを素敵だと思うし、それがかなえられたこの瞬間が素晴らしいとも思っていた。


「だから、ありがと。そして、よろしくね。いよいよ、一つの区切りになるわ。ここまで一緒に来てくれて、ありがと。感謝してる」


 一瞬の沈黙があって、そして、ほぼ同時に、みんながくすりと笑った。

 キュリエナが悪戯っぽく小首を傾げる。


「なあにラツキ。急にそんな恥ずかしいこと言い出して。……でも、そうね。お礼というのなら、身体で払ってくれてもいいのよ?」

「そっちをお望み? そう」


 私をからかうつもりでそう言ったであろうキュリエナの細い腰を私は抱き寄せると、顎に指をかけた。

 え? と僅かに見開かれた彼女の瞳を覗き込みながら、私はキュリエナの艶めいた唇を手早く奪っていた。

 ん。ちょっとお酒の香り。でも相変わらずしなやかで吸い付くような柔らかい唇。美味しい。


「あー! キュリエナさんだけずる……」


 ズルい、と言いかけたラフィーネさんの肩を抱き、彼女の言葉を唇で塞ぐ。

 唇の下で、もがもがとラフィーネさんの口が動くのが分かる。歯がぶつからないよう、被せるように彼女を吸って、その感触を堪能する。


「あらあら。仕方のないご主人さまですわね。発情期ですの?」


 くすくすと笑いながら、テュロンは自分から手を広げて私に近づいてきた。そのまま、しなだれかかるように私の首に手を回した彼女を、私は抱きしめて唇を重ねた。

 小さな、細い身体。けれどその芯には鋼のような強靭さがあるテュロンの身体は、私自身を存在ごと受け止めてくれる。


「ね、ね、次は僕? 僕でいいの? ね、ご主人さま!」 


 可愛らしく眼をキラキラさせて、メイアがぴょんと跳ねる。私はかがんで彼女と目線を合わせた。期待に紅潮している少女の容貌。まだかんばせに幼さを残すメイアに禁断の味を教えてしまったことに、私は多少の背徳感と罪悪感を抱きながら、それでも唇を贈った。


「もう、どうなさったのです、ご主人さま?……まあ私たちは嬉しいですけれど」


 最後はアンジェ。照れたように微笑しながら、彼女は私の腕の中に納まった。

 満天に煌めく星々が流れるような、アンジェの黄金の髪を指先で梳きながら、私は彼女の顔を引き寄せつつ、笑った。


「……そうね。星空に、酔ったかな」


 私としては、それは素直な心情の吐露だったのだが、キュリエナが口唇を歪めてこめかみを押さえるのが見える。


「何よラツキ、その夢見る乙女みたいな台詞」


 私が言い返すより先に、私の腕の中のアンジェが言い返す。


「あら、私、ご主人さまはちゃんと夢見る乙女だと思いますよ。それはまあ、あんなことやこんなことや、色々と残念な部分もおありですが」

「……アンジェ。なんだか私、擁護されてる気がしないんだけど」


 むすっとしていう私に、みんなは軽い声を上げて笑った。

 ──星々が見守る中で、私たちは、この時確かに、幸福に酔えていたのだった。





 テュロンの宝斧が空と大地を丸ごと切り裂くような勢いで振り降ろされた。

 当然、空と大地の中間に存在していた相手──守護獣は真二つにその体躯を断ち割られる。

 それでもなお、頭だけになっても牙を剥こうとした守護獣に、アンジェの剣が突き立った。

 黄金に輝く彼女の剣──光芒剣。アンジェのご先祖様である聖王アンジェリカに由来するその聖剣は、生命力を活性化させる神秘な力を誇るだけでなく、純粋に剣としても研ぎ澄まされた鋭利な業物だ。

 守護獣は今度こそ動かなくなり、光となって消え失せていく。

 それぞれ少しの間残心して、テュロンとアンジェは私たちを顧みた。私たちも頷いて、彼女たちの姿と、その先の光景を見る。

 視線の行く末には、朧な光を放つ巨大な門。この階層の中央天移門だ。

 私たちは、ついに98階層を突破したのだ。


「いくわよ、みんな。次は99階層。どんな場所かわからないけど、用心は怠らないでね」

「はい、ご主人さま」


 緊張と、しかし決意に満ち溢れて、みんなは自分自身を見直し、装備を確認し直す。

 無理せず、注意深くこの階層をたどってきたこともあり、疲労はそれほどでもない。アンジェやラフィーネさんの魔力もまだ十分。それぞれの武器や防具に、目立った傷や毀れもない。

 行ける、と私は胸中でGOを出す。

 もちろん、決して周囲を見ずに猛進するつもりではない。私にとって大切なのは何よりもみんなの存在だ。もし次の階層が、今の私たちをもってさえ脅威に満ち、危険が及ぶような場所なら、躊躇なく引き返す。

 けれど同時に、歩みださなければ先へは進めない、それも事実だ。

 私はもう一度みんなを振り返り、頷くと、中央天移門へと足を踏み入れた。


 神秘的な青白い光が周りを包む。

 次なる舞台、99階層へと私たちを導く光。

 この『塔』そのものについても、結局よくわからない神秘的な存在というまま、ここまで来てしまったな、と私は一瞬考えたが、すぐに意識を外界に向ける。

 99階層の景色が見えてきたのだ。

 次第に蒼い光が薄れ、転移が終わって──



「……うわあ……綺麗……」


 

 メイアが感に堪えぬように呟く。私たちも皆、同意見だった。

 転移が終わってそこに見たものは、一面に広がる花畑だったのだ。

 赤、青、黄色、白、黒、紫。

 色とりどりの鮮やかな花々が、柔らかで温かい風に揺られ、かぐわしい香りを送り届けてくる。

 はるかな地平線の彼方までその美しい花々が咲き乱れ、眼も眩むほどの極彩色が私たちの視野を埋め尽くしていた。

 楽し気に舞う蝶やさえずる小鳥たちが、私たちをからかうように通り過ぎていく。

 唖然として、私たちはその景色にしばし見惚れていた。

 想像していたような峻険な地形でも過酷な環境でもない、まるでどこかの王侯貴族の庭園か何かのような、そんな階層だったことに驚嘆して。


 目の前に一筋、まるで来客を迎えるような可愛らしい道筋が見える。私たちはそれに沿い、夢の中をさまようような気持ちで、花の中を蹌踉そうろうと歩きだした。

 一応警戒をしなければならないとも思い、無理に意識を奮い立たせて武器に手を掛けてはみる。

けれど、この楽園のような景色の中で刃を構えることの無粋さのようなものが、私たちの気迫を鈍磨させていた。

 そして事実、守護獣をはじめとして、何らの危険にも遭遇はしなかったのだ。


 色と香りに惑わされながら歩み続けて、どのくらい経っただろうか。

 やがて眼前に、大きく開けた広場のような場所が見えてきた。

 花に覆われた華麗なガーデンゲートをくぐり、私たちはゆっくりと歩を進める。

 広場の中央には、白亜の小さなガゼボが可憐な姿を現していた。尖った屋根を数本の装飾柱に支えられた休息所のようなものだ。


 そこに、一人の人影が佇んでいた。


 私たちの足が止まる。

 ──足だけではなく、息も、止まる。


 輝く光が流れて落ちるような黄金のロングヘア。

 長い睫毛に縁どられた、心を見透かすような金色の瞳。

 見事なまでに均整がとれたしなやかな身体を金糸で彩られた白いロングドレスに包み、透き通るような白い肌は真珠を思わせる。

 艶やかな唇は蠱惑的に色づき、微かにたたえられた微笑は見るものの心を融かすほどの魅力を備えていた。


 ああ、だけど。

 私たちが驚愕したのは、その相手の美しさにだけではない。

 その美しさを、私たちは既に知っていたからだ。


 ……アンジェ。


 私は眼前の相手から視線を外せないまま、けれど気配で隣にいるはずのアンジェの存在を感じ取ろうとする。

 アンジェは隣に、確かにいた。私と同じように、息を飲みながら。

 ならば。

 ならば、今、この目の前にいる人は。



 ──アンジェと酷似した、けれど少しだけ年上に見える容貌を備えるこの人は。


 

 

「ようやく、おいでいただけましたね」


 目の前の相手は、静かに口を開き、小鳥のように可憐い小首を傾げて、言った。

 その、銀鈴を鳴らすように響く美しい声までも、アンジェと同じ。


「お待ちしていました。ずっと、長い間」


 そう微笑む相手に、私は震える唇を無理に開いて、掠れる声で、尋ねた。


「……あなたは……あなたは、まさか」

「はい」


 眼前の美女はこくりと頷き、典雅な動作で一礼する。

 ゆっくりと頭を上げて、彼女は、答えた。




「──私はアンジェリカ。……皆さまが、聖王と呼んでくださるものです。お礼を申しあげます、私の剣を持ってきてくださって」




 静かな風が一陣舞い、花園が微かに、揺れた。


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