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異世界くじと神々の塔  作者: 天樹
77/84

彼らの未来と私たちの将来

 ある、のどかで和やかな食事時。

 日射しは暖かく陽光はきらきらと踊り、食べ物は美味しく飲み物は爽やか。仲間たちとの会話は楽しく弾み、最近は殺伐とした事件もなく、登攀は順調。

 要するに、何の問題もない安らいだ日々のひとときだった。

 ……その瞬間までは。


「ねえ、ご主人さま」

「なあに、メイア?」


 のんびりとお茶を飲みながら、私はメイアの声に何気なく応えた。

 

「あのね、僕、お願いがあるんだけど」

「メイアのお願いなら喜んで聞くわよ。何?」

「ほんと?」


 メイアは心から嬉しそうに満面の笑みを浮かべ、私に言ったのだった。



「僕、ご主人さまのお嫁さんになりたい!」



 ぶーーーーっ。

 私自身も含め、その場にいたほぼ全員がお茶を噴き出す音が綺麗にハモる。

 ……みんなの顔と食卓が大変なことになったんですが、いきなり何を言い出すのよこの子は。


「お、お嫁さんって、なんだかわかってる、メイア!?」


 声を上ずらせて尋ねる私に、メイアは唇を尖らせて応える。


「知ってるよ。結婚すればお嫁さんになれるんでしょ? ……あれ、お嫁さんになれば結婚できるんだっけ? まあどっちでもいいや。とにかく、ご主人さまと結婚すればいいんだよね!」

「いやそれはその、ですわね……私たちの場合、それには微妙かつ複雑で深遠な諸問題を解決する必要性に迫られるのですわ、メイア」


 さすがにテュロンも冷や汗を流しながら懸命になっている。その横で、アンジェがイッちゃった眼をして「まさかメイアに先を越されるとは、一生の不覚でした……」とか呟いている。いやアンジェ、あなたも戻ってきて! 遠くに行かないで!


「まあ、つまり、あれでしょ」


 キュリエナがびしょびしょになった顔を拭きながら、肩をすくめた。


「このあいだの式を見たから、影響されたんでしょ、メイア?」

「うん、すっごく綺麗だったんだもん! 僕もああなりたい!」


 素直に頷いたメイアに、私たちは納得した。

 ああ、あれか。あのことがきっかけなのか。





 それは、少し前のこと。

 『塔』への登攀から帰ってきた私たちは、街の雑踏の中で一人の背中を見つけた。

 小さな、メイアよりもさらに背の低いその姿は一見するとまるで子供のよう。けれど、「彼女」は立派な大人であり、それどころか登攀者としても今は中堅どころに位置するキャリアを持っていることを、私たちは知っている。


「久しぶりね、ペカ」


 私が掛けた声に、振り返ったペカは驚きと嬉しさにころころとした顔を輝かせ、ぺこりと頭を下げた。


「おんやまあ、ラツキさんでねえですか。まんず、御無沙汰しちまってる間に、ずんとご立派になられで。ラツキさんだちのご活躍のお噂はいっつも聞いてますだよ」


 そう、彼女の名はペカ。小さな体の矮霊族出身の登攀者だ。そして、彼女とその相棒のガイモンは、私とアンジェが初めて『塔』に登った時の案内人を務めてくれた人でもある。

 だが、私はペカが振り返って私の顔を認める直前、その表情が苛立たし気に曇っていたことを目に停めていた。


「……どうしたの、ペカ? 何かあった? 表情が冴えないようだったけど」

 

 尋ねた私に、ペカは眉をしかめ、きまり悪げにあらぬ方向へ眼を逸らせた。

 

「まあ、その……内輪のことですだで、ラツキさんに心配してもらうほどではねえですだが……」

「あー」


 その言い方で、私はピンときた。いつも二人でいるガイモンがこの場にいなくて、そしてペカの機嫌が悪い。ということは。


「……ガイモンとケンカしたのね?」

「……へえ、まあ」


 恥ずかしそうにうつむく彼女に、私も苦笑する。

 ガイモンとペカは、しょっちゅう口喧嘩程度はしていた、いわゆるケンカするほど仲がいい関係だった記憶がある。だが、どうも、いつものケンカとは違い、結構本格的にやらかしてしまったらしい。


「余計な口出しかもしれないけど、早く仲直りしたほうがいいわ。もしよかったら、私、仲に立ってもいいわよ?」


 普通の人ならともかく、同じグループの登攀者同士がケンカするのは、即、『塔』の中での危険に繋がりかねないものね。もちろん知人だから放っておけないということもあって、出しゃばりかなとは思いつつ、私は仲裁を申し出た。

 幸せな人は一人でも多いに越したことはないしね。特に私は、先日、一人の知人を救えなかったという痛みがまだ残っているから、なおさらそう思う。

 が、


「せっかくのお話ですけんども、あったらろくでなし、もうどうでもいいですだ!」


 あー、まずい。ペカの目が尖る。思い出し怒りに拍車をかけてしまったみたい。頭からぷすーって蒸気が出る勢い。

 

「ま、まあまあ、落ち着いて。そもそも、いったい何が原因なの?」


 私たちはペカをなだめつつ、近くの食事処に彼女を連れ込み、詳しい話を何とか聞き出した。

 ……で、割と満場一致で「そりゃガイモンが悪いわ」となってしまったのだった。

 その話によると。



 ガイモンとペカは、故郷の村を救うために、暴れ川の治水工事を行うことを目的として、『塔』に登りはじめた登攀者だ。

 随伴奴隷を買うこともできて戦力を増強した最近は、17階層から19階層あたりで安定して守護獣を狩れるようになっているそうで、そこで稼いでいるという。

 確かにガイモンたちの実力でそのあたりの階層なら、さほど危険を犯すことなく、収入を得続けることができるだろう。

 つまり、彼らの、村を救うという計画にも、ひとまずは先の見通しが立ったわけだ。


 そこまでは良かった。

 が、今後に一応の目途がつき、ある程度の余裕が出来てきたことが、かえって問題を引き起こしてしまった。

 いや、問題と言うと失礼なのかもだが。

 つまり、


「その……まあ、なんですだ。そこそこ、村を救うっちゅう話も無謀な夢じゃなくなってきたかと思いましたで。もちろん、それでも何年も先の話になるんですだが、一応、最初の区切りにはなったかと思いましてだ……」


 ペカはもじもじしながら、丸い愛嬌のある顔を赤らめて、言った。


「あん男は気が利かねえから、おらの方から言うべえと思いまして。……その、言ったですだよ。……そろそろ、嫁っ子にしてけねえか?って」


 わーお。

 逆プロポーズかあ。そういうのも素敵な話よね。

 ところが、ガイモンはむっとした様子でそのお願いを撥ね付けてしまったのだという。


「『今がどんだけ大事な時が、分がってんだか? そったらことは後にしろでばよ』って言ったですだよ、あの男。んで、おらもムカッとしちまって、『そったらこととはなんちゅう言い方するだ、この甲斐性なしが!』って言い返したら、またそれでガイモンもカーッと来ちまったようで……」


 で、後は売り言葉に買い言葉。お互いの言葉はどんどんヒートアップしていき、とうとうペカはカンカンになって、ガイモンの元を飛び出してきてしまったのだという。

 まあ、ね。

 同じ女性として考えても、ペカにとっては、一生のかかった大切な言葉。これまでの思いのたけの詰まった言葉だったわけで。

 それを『そんなこと』呼ばわりされたら、頭に来ても仕方がないかなって。

 

「女性にとってはほんとに勇気のいることですし、そして大切なことですものね。ガイモンさんも口が滑ったのでしょうけど、ちょっと言いすぎです」

「男性は得てして夢を見たがるものですわ。もちろん私自身分かっておりますが、夢も大切です。ですが、今の大切さを想うことを、そのために忘れてしまいがちですわね」


 アンジェとテュロンの口調もちょっと険しい。その辺はやっぱり彼女たちも乙女なんだなって感じだ。

 一方、キュリエナとラフィーネさんのちょっと大人組は、


「まあ、気持ちはわかるけど、男なんて、バカなものだから。いちいち怒ってたら、今後、身が持たないわよ」

「はいはいって適当に受け流していくのを覚えないとですねー」


 と、ちょっと達観した感想。ラフィーネさんは色々と適当に流しすぎで生きてる気がしますが。

 話がよくわかってないようできょとんとしてるメイアを除くと、ガイモンが悪い、という結論自体はみんな同じね。

 確かに、これからが大事な時なんだから、っていうガイモンの考えもわからなくはないんだけど、彼も可哀想に。その辺はこの場に女性しかいないので、バイアス掛かっちゃって自然にそうなっちゃうってこともあるんだろうけど。


 で、私自身はと言えば。

 みんなとはちょっと違ったところに思いを馳せていた。

 もちろん、ペカにとってはとても大事な問題であり、軽んじてはいけない話だ。

 けれど、同時に。

 私は、──羨ましく思ってもいた。

 「結婚」について、悩めるということ自体に。

 これまでの私の恋の行く先には、それは最初から存在しないものだったから。女性しか愛せない私には。

 だからちょっとだけ。ちょっとだけ、いいな、なんて、思ってしまう。

 彼女の深刻さも、もちろん理解してはいるんだけど、ね。

 私は少しそんなふうに心を揺蕩たゆたわせた後、ペカに微笑みかけた。


「でも、それはそれとして、いつまでもケンカしてても仕方がないわ。これっきりで終わりにしちゃう、って思ってるわけでもないんでしょ?」


 私の問いに、ペカも黙り込む。そして、しばしの後に、重い口を開いた。


「……まあ……そうですだね……ガイモンがきちんと謝ってきたら許してやってもいいですだが……」


 私たちに愚痴を吐き、そして私たちもそれに賛同してあげたことで、多少はすっきりしたのだろう。それに、なんだかんだで、お互いに好きあっていることは確かなんだろうしね。

ただ、ガイモンに謝らせるってのもちょっと大変っぽいなあ、こりゃ。





「ペカがきちんと謝ってきたら許してやってもいいですだが……」


 あー。やっぱりそうなるかー。

 ガイモンにも男の意地があるもんねえ。男の人にとっては、プライドとか誇りとか、そういうの大事なんだろうなってのは、私も人生経験上、ある程度は知ってる。だから、そう簡単に折れるわけにもいかないんだろうけどさ。


 私はペカをいったん私たちの屋敷に連れて行き、みんなに彼女の世話を任せ、その後、ガイモンの宿舎に彼を訪ねていた。

 もちろん、何も高圧的に、ペカに謝りなさい、とか言ったわけではない。むしろなるべく彼の感情を荒立てないように、と考えつつ、穏やかに物柔らかに、仲直りを勧めたんだけどね。私一人で来たのだって、集団圧力って感じにならないためにだったし。


「けんども、謝りに来るどころか、ラツキさんを利用して自分は隠れてるとかいうのは気に入らねえですだよ!」

「ち、違うのよ。落ち着いてガイモン」


 うわ、やば。ペカとガイモンをいきなり会わせるのはまたケンカになっちゃうかなと思って、あえて彼女を残してきたんだけど、逆効果だったかな。


「とにかく、ペカに伝えてくだせえまし。自分で直接謝りに来て頭下げんだら、特別に許してやるだ、と。んだば、おらはこれで。ギーヴォ、ラツキさんをお送りしてくんろ!」


 語気荒く言うと、ガイモンは私を締め出してしまった。後には、私と、ギーヴォと彼が言った随伴奴隷がぽつんと残される。

 

 その随伴奴隷は、ユーゼルクの仲間のロッグロックと同じ岩人族の若者だった。ロッグロックよりも一回りくらいは小さな体だけれど、それでも、一般的な種族から見れば十分に巨大な体躯を備えている。ましてや、矮霊族のガイモンやペカから見れば、雲突くほどの大きさだろうな。

 以前のガイモンとペカは、自分たちが小さな体なので、その歩調に合わせられる仲間を探すのに苦労していた。

 だが、逆転の発想で、巨大な奴隷を買ったのだそうだ。で、彼の肩に乗っけて貰って移動することにしたのだとか。確かにそれなら歩調に苦労する必要はないし、怪力で知られる岩人族なら、二人の小さな体を荷物ごと運ぶのも苦にはならないだろう。


 ギーヴォは、その迫力ある巨体を申し訳なさそうに縮め、私にぺこりと頭を下げた。ロッグロックもそうだが、岩人族は見かけの威容に比べて、気は優しい人が多いようね。


「申し訳ねえっス。旦那さん、普段はあんなじゃないんっスけど」

「わかってるわ。まあ、今日は仕方ないわね。また出直してくるわ。あなたからも、ガイモンに機嫌治すように言ってくれるかしら」

「へえ……でも旦那さん、おかみさんとケンカしてから、ずっとなんか思いつめたようでしてね。ただムキになって怒ってるってわけでもねえようなんっスよ」


 ふうん……?

 なんだろう。

 でも、今のガイモンにそれを尋ねるわけにもいかないか。

 私は、ギーヴォにお屋敷の場所を教え、何かあったらここに連絡してくれるようにと頼んで宿舎を後にした。

 ……で、帰って報告をしたらしたで、やっぱりペカもまた目を三角にして怒っちゃった。

 うーん、今は、二人とも冷却期間を置いた方がいい時期、かな。個人的には冷却期間ってのもあんまり勧めたくはないんだけどね……いい方向に進まないことも多いし。経験的に。いや私の話はどうでもいいけど。


 ──とかなんとかで長期戦を覚悟していたら、不意に事態は展開した。



 深夜。

 ドンドン、と、ノッカーでも呼び鈴でもなく、扉を直接慌ただしく叩く音に驚いて、私たちは眠りを破られた。テュロンが取次に出てみると、そこに立っていたのはギーヴォだった。岩人族の巨大で太い指には、ノッカーも呼び鈴の紐もちょっと小さすぎたようだ。

 アンジェを腕の中に包んで眠っていた私も、テュロンの知らせを受け、素肌にローブを引っ掛けて、急いで玄関ホールへ向かう。


「よ、夜の夜中に申し訳ねえっス」


 ギーヴォは相当急いで走ってきたのだろう、息を荒げさせ、逞しい肩を波打たせている。


「どうしたの、そんなに慌てて」

「へえ、それが、実は」


 ギーヴォは、少し遅れて出てきたアンジェが用意した水をごくりと一口飲むと、何かを探すように周りを見回す。目をこすりながらその時出てきた一人の人影を彼は見出し、彼女に向かって早口でまくしたてた。


「ぺ、ペカのおかみさん! 旦那さんが、ガイモンの旦那が、怪我をなさったんっス! おいらと二人きりで塔に登って、それで……!」

「な、何言うてるだ!? 二人きりでだど!?」


 ペカは蒼白になってギーヴォに詰め寄る。その迫力は、巨体のギーヴォと矮躯のペカの大きさがまるで正反対になったよう。ギーヴォは思わずたじたじとなって、その巌のような体を縮こまらせた。


「す、すんませんっス。おいらも、御止めはしたんス。二人きりで20階層は危ねえっスから、おかみさんが帰ってくるのを待つか、せめて17階層くらいにしとかねえっスか? って。でも旦那さんにどうしてもって言われたら、奴隷のおいらは従うしかなくて」


 20階層……?

 ガイモンとペカの今の主な狩場は17階層から19階層くらいだったはずだ。

 三人隊でその階層が彼らの実力的にちょうど釣り合っている場所だったのに、一人少ない状態で、しかも初めての20階層に挑んだのか、ガイモンは。一体どういうつもりで……!?


「と、とにかく! ペカ、早く行ってあげて! 私たちも後からすぐ行くから!」

「へ、へえ、ラツキさん、すまねえですだ!」


 私の言葉にせわしなく頷き、ペカはギーヴォの肩に乗ると、夜の闇の中に消えていった。彼女の目は真っ赤に充血し、その身体は震えていた。

 私たちもバタバタと手早く身支度を整え、夜の街に飛び出し、彼女たちの後を追う。

 もしかしたらアンジェの治癒魔法が必要になるかもしれない……と思い、私は眉をしかめる。しまったなあ、今夜はちょっとアンジェを可愛がり過ぎた。こんなことなら、さっき、あんまりアンジェの体力を消耗させなければよかったかも……。



 ガイモンの宿舎に到着すると、私たちは先を争うように中へと入った。

 そこで見たものは、片腕を包帯でぐるぐる巻きにし、頭にも包帯を巻いたガイモンの姿だった。

 だが、ガイモンの顔はやや血の気を失っていたものの、眼の光は力強く、腕と頭以外には特に大きな怪我もしていないようだった。彼は私たちの姿を見ると慌てて寝台から身を起こし、頭を下げる。


「ラツキさん、どうも済まねえですだ。夜にお騒がせしちまって。何、ちょっと腕を折っちまっただけですだで、てえしたことはねえですだ……痛ててて」

「それはいいのよ、大丈夫なの? どうしてそんな無茶をしたの」


 私は意外と元気そうなガイモンの姿を見てほっと安堵するとともに、なぜ彼が二人で20階層に挑むなどということをしたのかの理由を問うた。

 言葉を発しながら、ちらりと部屋の隅で侍立しているギーヴォを見ると、彼はこちらの視線に、ニヤリと片目をつぶってみせる。

 あー。ペカに戻ってもらうために、わざと大袈裟な報告したのね、彼は。

 ガイモンの傍らで、やはり安心のためにだろう、気が抜けたようにぺたんと座り込んでいたペカが、その私の言葉を聞いてはっと我を取り戻したようにガイモンを睨みつける。


「どうせ、おらを見返そうとか思ったで、二人でも先に行けるとこ見せたかったんだべ。下らねえ意地なんぞ張るからそういう目に遭うだ。たまにゃあいい薬だで」

「……そったら理由じゃねえ。つまり……」


 ガイモンはペカの厳しい言葉に少し目をさまよわせると、むー、とやや唇を尖らせ、少し迷った様子を見せる。が、やがて決心したように折れていない方の腕で枕の下をごそごそと探すと、何かを引っ張り出した。


「……運が良かっただ」

「何が運がいいだ。そんな怪我ぁしといて」

「20階層に行ってすぐに見つけられただからな」


 ガイモンは握った手をそっと開いて、ペカに差し出す。

 そこには、虹色に輝く宝石が一つ、誇らしげに輝いていた。

 ……守護獣を倒した時に遺される聖遺物だ。


「……これ……」


 ペカはその美しい光を見て、ただでさえ丸い目をさらに丸くする。

 それは、単に美しく高価な聖遺物を目にしたから、と言うだけの驚きではないようだった。


「ガイモン、それは?」

 

 私の問いに、ガイモンは恥ずかし気に顔を赤くし、照れて頭をかこうとして、折れた腕の痛みに顔をしかめる。


「あいたた。……えっと、これはですだね。……おらだちの村の地方で、その、……申し込むときに使われるものですだ。幸運と、その。誓いっちゅうか、そういうものを意味する石ですで。もちろん聖遺物だで、本物はそう簡単には手に入らねえですから、普通は似せて作った物を使うんですだがね。……おらはどうしても本物が欲しくて、そんで20階層まで行ったですだ。20階層より上でねえと落ちねえものですだで」

「『申し込むときに』……って」


 ああ。

 そっか。

 私は、ペカを見やった。彼女も、顔を真っ赤にして、その聖遺物に見入っている。

 その目の輝きには歓喜と羞恥と幸福感が満ち満ちていた。素朴で愛嬌のあるペカの丸い顔を、私はその時、美しいと思った。

 ガイモンはペカに、声を改めて、向かい直す。まっすぐな視線、真摯なまなざしで。

そして彼は、はっきりと、言った。


「ペカ。……おらの嫁っ子になってけろ。この聖遺物は、その証しだで」

「そ、そげなこと、いきなり……だったらなんでおらが言った時断っただ……」

「こういうのは男から言うもんだべ。それに、今もラツキさんに言ったように、本物の石がおらは欲しかっただ。だからもう少しだけ頑張って20階層に行こうと思ってただのに、おめが先走って自分から言うもんだで、おらも言い出すきっかけが無くなっちまっただよ」


 なるほどね。

 ガイモンもペカも、思うところは同じだったのか。

 お互いに同じこと考えながら、ちょっとしたタイミングのずれでケンカになっちゃってたんだ。

 それにしても、怪我してまでプロポーズに使う聖遺物を取りに行くって。

 冷静に考えたら、危ないし、バカなことなのかもしれない。でも、私は、少し微笑ましい思いでガイモンを打ち眺める。

 包帯だらけの彼は、……ふふ。ちょっと、カッコよかった。

 うん。いいじゃない。男の子の意地っていうのも、さ。

 二人して真っ赤になりながら固まってるガイモンとペカを、私たちは暖かい目で見守っていた。

 


 ガイモンとペカの結婚式は、それから間もなく執り行われた。

 塔の案内人も務めていた二人には知り合いも多かったようで、結構な人数が参列し、二人を祝福してくれた。

 その人々の輪の中で、凛々しく着飾ったガイモンと、美しい花嫁衣装に身を包んだペカが、満ち足りた笑顔でお互いを見つめ合っている。ペカの胸元には、あの聖遺物の宝石が絢爛と輝いていた。

 降り注ぐ陽光と舞い散る祝福の花の中で、一幅の絵画のように、その光景は鮮やかで、艶やかで。そして何より、幸せそう、だった。





 で、今。

 メイアがいきなりお嫁さんになりたい、なんて言いだしたのは、その式が終わってすぐのことだったわけだ。


「ね、ペカさん、すごく綺麗だったよね。僕も、ああいうふうに綺麗な服着て、ご主人さまのお嫁さんになりたい!」

「そ、そうね。綺麗だったけど……えーと」


 ……いや、だからね。

 メイアに私たちのことをどう説明すればいいものか、ちょっと困る。

 私たちは女性同士で。で、その、何人もいて。

 そういう、ガイモンとペカとはまた異なった問題が色々とあって。って、どうメイアに答えればいいんだろ。

 私が泣きそうになっていると、先程からただ一人、特に驚いた様子を見せていなかった人がおもむろに口を開いた。


「メイアさんはまだ年齢が足りないですからねー。もうちょっと経ってからですね」


 そうのんびりと応じたのは、ラフィーネさんだった。

 そ、そっか、年齢か。上手い言い訳を考えてくれた、という思いで私はラフィーネさんに感謝の視線を送る。

 が、彼女の表情は真面目だった。


「……え?」


 思わず声に出した私に、ラフィーネさんも「え?」という顔で向き直る。


「あの、えっと、ラフィーネさん? それって……?」

「どうしたんですか、ラツキさん? それに皆さんも……?」


 ラフィーネさんのきょとんとした、不思議そうな声が耳に届く。

 え、まさか。



「あれ、ご存じありませんでしたか? 皆さんは登攀者ですから、聖殿法にのみ拘束されます。……で、聖殿法では、婚姻に関して、年齢以外に特に条件は付していないんですよ。──性別も、人数も」



 しばしの後。


「えーーーーっ!?」


 私たちの驚愕の声が一斉に響き渡った。



 結婚、婚姻は、それによって家を立て、子を為すためのもの、というのが、基本的なこの世界の考え方だった。

 家は国が国民を管理する基本単位であり、子を増やし家を増やすことは、国を富ませ、産業を興し、兵を強くするために必要でもある。

 だから、そういった、「国の強化」に直接つながらない、同性同士の婚姻というものは、古風な古王国はもちろん、進歩的な帝国であっても、認められてはいなかった。同性間の単なる恋愛が許容されるかどうかと、結婚が許されるかどうかとは、本質的にまったく異なる、別の次元の話なのだ。


 けれど、私たちは聖都に暮らす登攀者だ。どの国家にも所属しておらず、したがって「国」を基本とする考えに縛られることもない。

 考えてみればそれは当たり前のことだったのかもだけど、ラフィーネさんに言われるまで、私たちは全くそれに思い至っていなかった。


「じゃ、じゃあ、私たち……」

「まあ、当事者同士の合意と聖殿の形式的な承認が必要ですけどね、もちろん。それに、今言ったように、メイアさんの年齢もありますし。ただ、可能性というか、できるかどうかっていう話なら。……できますよ、結婚」


 ──うわ。

 うわあ。


 なんか、えっと。

 急なこと過ぎて、考えが追いついて行かないぞ。

 結婚……結婚、できるんだ。

 もし私が、それを望めば。そして彼女たちが、それに同意してくれるなら。

 ちょっと、気持ちの整理ができてなくて、私は半分パニクってる。

 

 ずっと、夢見ていた……いや、夢にも見たことのない、それは資格だった。

 日本で暮らしていた頃、他の国での同性婚の映像や報道を見て、きゅっと胸を掴まれるような苦しく切ない思いに幾度となく囚われたことを、私は覚えている。

 手を伸ばしても私には届かない、それは遥かな高みの光であるはずだった。遠い煌めきであるはずだった。

 でも。今は、違う、のか。


 アンジェたちも、動揺を隠せない感じだ。お互いにお互いの顔を見合わせ、そして頬を赤らめ、胸をどぎまぎさせた様子で、そっと私の顔を伺っている。

 う、ちょっと、待って。

 だからその、心の準備がね。


「あー、こほん」


 私は場を取り持つように、無意味に咳払いし、間を繋ぐ。


「えっと、その。まあ、そのことは、今後、みんなでゆっくり、考えていきましょう。大事なことだし、その。……大事なことだし」

「同じこと二回言ってるよご主人さま」


 メイアの無邪気なツッコミが痛い。うう、だから私の心の中も、今、大変な状態なんだってば。

 なんとなく、いたたまれないような。でもそれが不快なわけではない、不思議な恥ずかしさと幸福感に満ちた、それはひとときだった。

 塔に登って、頂上を極めて、その後。

 その後、私たちは。

 ……もしかしたら、多分。きっと。

 そんな想いが、私たちの心を一つに繋いでいた。言葉にせず、語らず、問わずとも。


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