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異世界くじと神々の塔  作者: 天樹
68/84

彼と彼

 暖流と寒流が、滔々とした海の中、交わりもせずに共に淡々と流れているような。

 そんな奇妙なまでに捻じれた空気を、私はまるで他人事のように俯瞰していた。


 無論、伯爵夫人やリアンディートたちは、今の伯爵夫人の言葉にどんな意味を持つかなど知らない。知るわけがない。だから、彼女たちは、先程のまでの楽しいお茶会の温かさをそのまま抱き続けている。


 一方、私たちは。

 ──私たちは、伯爵夫人の発したその言葉の意味を図りかね、それでありながら底知れない凍てつく恐怖をも同時に感じ、体の深奥から凍結させられたような戦慄を味わわされていた。





 フォン=モウン・ディス・ユーゼルク・フェルゲイン。




 その名が何を意味するのかさえ、今の私たちには想像もできない。


 ユーゼルク。すべての登攀者の憧れの的であり、頂点。高い戦闘能力とカリスマ、そして善良で快活な人の良さを持ち、多くの人に慕われている。

 

 フォン=モウン。かつて、私とアンジェの危機を救ってくれた登攀者。しかしその体格は貧弱で、力量も乏しく、そんな自分を羞じて、酒場で孤独に嘆きの日々を送っている青年。


 私はその二人を知っている。二人ともに、確かに知っているのだ。

 ……それなのに。いや、それだからこそ、理解ができない。


 感情と感情表現は異なる。だから、嬉しくなくても、楽しくなくても、面白くなくても、表情筋が笑顔の形を取ってしまうことはあるのだと私は知った。それは笑顔というよりも、むしろ痙攣や引き吊りに近いのかもしれないが。

 ああ、いや。むしろ、どこか、面白いのかもしれなかった。だって。


 曙光が雲海に煌めくような透き通るほどの輝きを持つユーゼルクの髪と目は黄金そのもの。一方私たちの知るフォン=モウンの髪と目の色はくすんで輝きを持たず、翳りさえ帯びた黄色に近い色。

 だけれど、それでもどちらも金。すなわち、共に天使族を示す色だったじゃないの。


 年齢も、20代半ばくらい。同じくらいだったじゃないの。


 そして、共に、裕福な名門の家柄、武門の誉れ高い一族に生まれていると聞いていたはずじゃないの。


 そして。

 私は意思に反してひくひくと蠢く唇を押さえようとしながらうつむく。

 私は、フォン=モウンを初めて見た時、何と思ったか。

 ……「ちょっと強い風でも吹いたら吹き飛んでしまうのではないかと心配になるほど」。

 そして、かつて、ミカエラが幼少時のユーゼルクを何と評したか。

 ……「ちっちゃい頃はやせっぽちでふらふらしてて、ちょっと強い風が吹けば飛んで行っちゃいそうだったんだから」。




 ええ、そこまでは。わかった。

 ユーゼルクとフォン=モウンの共通点はそこまではわかった。

 私は半ば自棄になりながら頭の中で問いを繰り返す。


 ──で? だから、何だというの?


 この二人に、なんらかの関係があるというの?

 そんなの、偶然の一致。同じような名前を持った全くの別人。

 そう考えれば簡単だ。

 たまたま同じ種族で、同じ年代で、同じような家柄で、小さいころの体格が同じっていう他人だっていたっていいじゃない……。


 ──ああ。わかってるわよ。無理。無理よ。

 そこまでの偶然の一致を考えることでさえ、相当無茶に無茶を重ねているのに。

 ましてや──

 フェルゲイン。


 絶対、そこで引っかかる。


 フェルゲイン公爵家は聖王の直系の家系として尊重されており、「別人だけどたまたま名前が被った」なんてことはあり得ない。

 もちろん、私は、フォン=モウンの実家の名前、姓を知らない。彼の名字を尋ねれば、なーんだ、他人だったね、で済むのかもしれない。

 けれど、──本来は魔法行使者の適性がある天使族の中にあって、珍しく武門の家柄で名を知られている代々の名門貴族、っていうフォン=モウンの家の情報は、それだけで十分すぎるほど、ユーゼルクの実家……フェルゲイン家を思わせてしまう。


 

「伯爵夫人、その、……その、フォン=モウン・ユーゼルク様には、御兄弟はいらっしゃったのですか?」

「え? いいえ、一人っ子でしたよ。だからかしらね、私の娘やミカエラさんたちと妙に気が合って仲が良くてね」



 まず最初に問うべき、そしておそらくそれ以外に可能性のない質問も、それであっさりと終了を告げた。

 まあ、今更聞くまでもない。ミカエラの話を何度か聞いていたが、彼女は幼いころのユーゼルクと一緒に伯爵夫人の家に遊びに行ったという話はしても、「それ以外の誰か」の存在については匂わせもしなかったから。

 ……ミカエラと伯爵夫人の娘さんと、そして『もう一人の男の子』は、常に「三人」だったのだ。



 では、誰なのか。その、「もう一人の男の子」は。



 私やキュリエナだけでなく、アンジェもテュロンもラフィーネさんも、そして幼いメイアさえも、驚愕も戸惑いも表に顕すことなくそのお茶会を終わらせることができたのは、一見驚嘆すべき話だが、別にそれは自己制御能力に長けていたから、などという話ではないだろう。

 単に、どんな反応を示していいかを各人が理解できていないままだったから、と言うにすぎない。それだけのことだった。




 伯爵夫人宅を辞した後、私たちは当然のように、真っ直ぐユーゼルクの宿舎へと足を向けた。

 この間の戦いで私がぶっ壊した宿舎の最上部は今まさに修復工事中だったが、そんなことを気にする余裕もなく、私たちはユーゼルクに面会を乞うた。名目はお見舞い。便利よね、この言い訳って、色々使えて。


 幸いなことにというか、彼の体調もかなり良くなってきており、いつもの薔薇色の頬の色が戻ってきていることからもそれは察せられた。もう数日休んだら、塔に登ることもできるだろうという。


「最近はもう『アレ』も起きていないしね、ラツキ、君のおかげだ。でも、それはそれとして、なるべく頑張って塔に登らないと、君たちに追い越されてしまいかねないしね」


 そう言ってユーゼルクは晴れやかに笑う。

 ──いや、言い直そう。「ユーゼルクと呼ばれている、目の前の男」は、と。

 だが、本当にユーゼルクは彼なのか。彼でなければ誰がユーゼルクなのか。彼がユーゼルク本人だとすれば、彼が「ミュシア・ミカエラと一緒に遊んでいた三人目の男の子」だと考えていいのか。


 それを、今、ここで、彼本人に尋ねるべきなのかと私は逡巡して……。


 そして、やめた。

 彼はいかなる意味においても隠しごとのできるような男ではないと私は判断したためだ。

 もし何か、重大かつ異常な過去が彼の記憶の中に実際にあるのならば、彼はそれを隠蔽したりはせずに、まっすぐ私たちに、とっくの昔に言っていただろう。少なくとも、何かを隠しているようなそぶりを見せただろう。


 だが、そんな言葉を聞くことはなく、そんな気配を感じることもなかったということは、「隠すべき何か」などは存在しない──と少なくとも彼自身は思っているということ。つまり、「彼自身何も知らない」可能性が高い、と。


 裏表がない。一般的に考えれば、それは彼の美点であり魅力なのだろう。

 だが、見方を変えれば、それは……それは、ある意味、不気味な話でもある。

 いつだったか、私はこう感じたことがあったのを思い出す。

 確か、聖王祭の最終日、花火の日のことだっただろうか。


 ──「彼は、いい人すぎる」と。


 その私自身のかつての言葉が今、恐ろしさと戦慄きを友として帰ってきた、そんな、過去に襲われる実感が、私の眼前に迫ってきていた。

 善良で勇敢で公平で男らしく情義に厚く優しさと凛々しさを併せ持った、一点の翳りもない「誰か」。

 それは言葉を換えれば。


 人として、あまりに、異質なのだった。


 


 「ユーゼルク」に別れを告げた私たちは、途中までミカエラに見送られた。

 というよりは、重要な情報源である彼女を私が上手く連れ出したと言ったほうが正確だろう。


「ねえミカエラ」


 と、私はさりげなく言いながら彼女を軽食に誘ったのだ。


「今日、イェンデ伯爵夫人のお茶会に呼ばれたのよ。もうずいぶん御身体も良くなっていらしたわ」

「えー? 何で呼んでくれなかったのよ。……って、まあこっちはこっちでユーゼルクの体調があんな調子だから、まだ行けなかったでしょうけど……でもご一緒させていただいて、色々お話したかったな」


 一瞬、心臓を握り掴まれたかのような感覚が私を襲う。

 そうだった、もしミカエラや、ましてや「ユーゼルク」のいる場所であの話題が持ち出されたら、それは爆弾発言どころの話ではなかっただろう。

 念のために、いくつかの質問を世間話に紛れさせながらしてみたが、やはりミカエラの記憶は以前と同じ。伯爵夫人のお嬢さんのミュシアさんとミカエラと、「もう一人の男の子」の「三人」で共に遊んだと、それだけだった。


 だがミカエラはふと気づいたように、私を興味深そうに見つめた。


「ラツキ、この間もそうだったけど、あなた、私とユーゼルクが幼馴染ってことにすごく興味あるみたいね」


 一瞬、どきりとして、私は周囲を伺う。

 私は、「この超人的な力を得た代償として記憶が曖昧だ」とアンジェたちには説明しているのだから、過去を忘れているはずの私が幼馴染という単語に反応するのは不自然かもしれない。

 とはいえ、今は、「ユーゼルク」の問題に関して幼馴染の正体を調べる必要がある、という理由は一応あるので、みんなも特に不思議には思っていなかったようで、私はほっとした。


「え、ええ。昔は、その、ユーゼルクって、今みたいな逞しい身体じゃなかったって、この間聞いたでしょ。いつから今みたいになったのかなって」

「ああ、それね」


 ミカエラはその気の強さを表している、美しいけれどまっすぐで鋭い角度を持った眉をしかめた。


「忘れもしないわ。彼の8回目の祝日の時よ。ほら、8回目の祝日って大事じゃない?」


 うわ。なんか久しぶりに、私の知らないこの世界の習慣が当たり前のように話題になったぞ。私は曖昧に頷きながら、急いで検索スキルを起動。えーと、なになに。

 

 8回目の祝日ってのは、8歳の誕生日ってことか。そういう呼び方をするのね。

 で、赤ちゃんが生まれてからその8歳の誕生日を迎えるまでは、その子は天からの、というか、星からの授かりもの、という考え。以前もメイアが、流れ星がお母さんのおなかに宿って赤ちゃんが生まれるんだ、なんて話をしてたわね。

 けれど、その8歳の誕生日を機に、「天から預かった」存在ではなく、きちんと大地に愛をつけて自分自身で歩きはじめると考えられる。いわば、正式な、というとおかしいけど、「人」として扱われ始められるみたい。


 私の元いた世界でも、確かそんな風習があった。七歳くらいまでは神様からお預かりしてる、みたいな考えね。それがこの世界では8歳の誕生日までということなのか。



「だからね、私、彼のその祝日に行きたかったのよ。それまでは毎年彼の祝日にはお祝いに行ってたんだし。でも、フェルゲイン公爵家では、一人息子の大事な8回目の祝日だから、一族の内だけで特定の儀式を行うのが決まりだ、って。そう言われて、確かその年の夏の間中だったかな、一族そろってどこか行っちゃって、会えなかったのよね」


 ミカエラは今でもそのことについて納得していないようで、貴族らしくなく、ずずっと音を立てて運ばれてきた飲み物をすすり込んだ。


「でも、その夏が終わって、帰ってきたときに、彼を見てびっくりしたわ。もちろん、今みたいにいきなりムキムキになってたわけじゃないわよ。でも、以前に比べれば、かなりしっかりした体つきになっていたの。顔つきも、別人ってわけじゃなかったけど、自信というか余裕を持った、それまでとは違う感じの彼になっていてね。夏の間、改めて鍛え直したんだって、おじさま……フェルゲイン公爵はおっしゃっていたわ。そこから少しずつ、何年かかけて、今みたいになったのよ」


 ──ひと夏の間、「ユーゼルク」はミカエラの前から姿を消していたことがある。

 そして、帰って来てから、逞しくなり始めた。

 ……その期間に、「何か」があった……?


「そういえば、その時からかな。自分のことを「ユーゼルク」って呼ばせ始めたのも。8歳の儀式で貰った名前なんだって。だからこれからはそう呼んでくれって言ってたわ」



 私はそのさらりと言い放ったミカエラの言葉に一瞬息が詰まった。

 呼吸が荒くなりそうなのを必死で隠して、ミカエラに問い返す。


「そうなの? じゃあ、それまでは、彼、なんて呼ばれていたの?」

「『フォン=モウン』よ。珍しい名前でしょ? 他の人で同じ名前の人なんて聞いたことないわよね」


 あっさりと、ミカエラは返した。残酷なくらいあっさりと。

 私は自分の嚥下する唾液が、液体ではなく個体ででもあるかのような感覚を味わっていた。


「ふふふ、ユーゼルクに、今でも時々、意地悪してそう呼んであげると、きょとんとした顔をするのよ。誰か別の人の名前を呼ばれたようにね」


 和やかな空気を演出しながら、アンジェはその指先が震えているのを隠すように、膝の上で堅くきつく握りしめていると私は気づいていた。

 アンジェだけではない。メイアはうつむいたままだったし、ラフィーネさんの仮面の奥からは一筋の汗が伝い落ちていた。あのキュリエナでさえも、微かに白い牙をきゅっと噛みしめていたのだ。

 テュロンは……まあ、テュロンだからみんなとは違うけど。目をキラキラさせて、それでいいのかって感じもしなくもないが、それでも彼女なりに真剣な顔つきで話を聞いていたのは確かだ。


 しかし、そうか。伯爵夫人が「ユーゼルク」の名を聞いても、すぐにはピンとこなかったのはそのためか。

 それは8歳の祝日の時に与えられた名前であり、そしてそのすぐ後に伯爵夫人のお嬢さんは流行り病で亡くなってしまったのだから、必然的に会う機会も減って、「ユーゼルク」と呼ぶこと自体がなかったから、だろう。


 

「昔の彼……ふふふ、「フォン=モウン」だった頃の彼と遊んだ時にね」


 と、一人、ミカエラは楽しそうに、懐かしそうに話しだす。


「冒険しよう! って森の中を歩いてたら崖があってね。そこを降りようってことになったのよ。……ああ、崖って言っても、小さい子から見た場合の崖よ。実際の高さは、せいぜいこれくらいだったと思う」


 と、ミカエラは胸くらいの高さを平手で示した。


「まあ子どもって言っても、二、三歩ほど注意して降りて、そこから勇気出して飛べば、なんてことない高さだったわけよ。実際、私はそうやって降りられたしね。ところが彼ときたら」


 くすくす、とミカエラは笑う。その笑みにはからかうような調子と共に、慈しみを感じさせる響きも同時に合わせ備えていた。


「一歩降りたら、そこから上がることも降りることもできなくなって、どうしようもなくなって泣き出しちゃってね。それ見て私は呆れちゃうと同時に、変な気持ちにもなっちゃって。あ、この子は私がついていてあげないと駄目だ、って」


 ミカエラの眼差しには、遠い懐かしい光景を愛おしむ優しい光が宿っていた。いつもはきつい顔つきの印象があるミカエラだが、そんな彼女の面差しはどこか母性的で、優美だった。

 が、そんな表情を一変させ、彼女は衝撃を顕すように両手を胸の前で打ち合わせた。


「ところがよ。彼が8歳の祝日を終えて、「ユーゼルク」になってから、同じように森に遊びに行ったことがあったのね。その時、今度は私がほんとに足を滑らせちゃって、崖から落ちそうになったことがあったの。今度は子供から見た崖じゃなく、本物の高い崖よ。落ちたらただじゃすまなかったと思うわ。でも」


 ミカエラは、その白い頬をほんのりと朱色に染め、夢見るような目つきになって、続けた。


「とっさにユーゼルクが手を差し伸べて、私をしっかりと掴まえてくれたの。そのまま必死に私を引っ張り上げてくれてね。最後は二人とも何とか崖の上に転がり込むように倒れ込んじゃって、泥んこになったんだけど、私は無事で済んだってわけ。その時彼は言ってくれたの。「大丈夫、これからも、僕が君を守るよ、ミカエラ」って」

「……それはまあ御馳走様なことで。つまりそこからずっと彼を想い続けてるってわけね」

「やだもうラツキ、そういうことは口に出して言うもんじゃないわよ、あはは!」


 バンバンと力強く私の肩を叩いて、恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに照れ笑うミカエラ。痛い痛い。

 でも、伝わってきた。ミカエラの、その幼く可憐で純朴な初恋の可愛らしさが。

 ──「ユーゼルク」に対しての。


 だが。

 ミカエラのその想いは、以前『自分が付いてあげないと駄目だ』と思った「フォン=モウン」に対しての慈しみと母性に似た気持ちと、頼れる素敵な男の子になった「ユーゼルク」との、意外で衝撃的な変容による部分があるのではないだろうか。

 「フォン=モウン」と「ユーゼルク」が、本当に同じ人間ならば、それは微笑ましいエピソードだろう。

 けれど。

 もし。もし、そうではなかったなら。

 ……もし。

 





「ラツキ、私は降りるわよ」


 帰り道、キュリエナが冷ややかに言い捨てた。

 言いたいことはもちろんわかっている。


「あなたと一緒に塔に登ることは、私とあなたの契約だから履行する。ラフィーネの冤罪を晴らすのに協力したのも、塔に登るという目的の一助だったから。そして『登攀者殺し』を、機会があれば葬り去るのも、私とあなたたちの行動目的はたまたま一致しているから、これも協力する。でも」


 キュリエナは銀色の瞳を夕闇に冷徹に光らせた。


「今回の件は私とは関係ない。ユーゼルクと、フォン=モウンとの関係がどうであろうと……それは確かにある意味興味深いけれど、首を突っ込む義理も義務は私にはない。──それに、何よりも、ヤバい予感がするのよ。この件に深入りすることはね。ラツキ、あなただって同じよ。変にこの問題に関わったって何の意味もないし、実益もないわよ」

「ええ、わかってるわ、キュリエナ。私とあなたとは、塔に登るという契約を除けばお互い自由な関係。だからあなたがこの問題に目を背けるというならそれでもいい……私は、ね」


 アンジェたちも自分がどのような立場を取るべきか決めかねているようだった。

 まあ、一人だけ、傍らでテュロンが、「こんな不思議おいしそうな謎を捨て置くなど、理解できませんわ。実に輝ける知性を刺激するではありませんの」とか何とかいってるけど、とりあえずこの子は置いておく。


「ただ、ね……」


 私は、ふう、と吐息をついて、立ち止まった。

 ここはもうすぐお屋敷という地点の林の中。茂る木々の枝のために、差し込みたがっている夕陽は無造作に遮断され、この辺りはもう夜の支配に屈しようとしている。



「この人たちが、それを許してくれるかしらね。ここまで色々と知ってしまった私たちのことを」



 ぽつりと言った私の言葉に、苦笑するような響きがどこからともなく沸き起こった。

 その相手の居場所はわからない。右からのようでも、左からのようでもあった。

 私はその技術を知っている。意図的に声の響きを乱反射させ、自身の居所を不明にする忍びの術の一つ、「山彦の術」だ。以前に使われたことがあり……そして、その相手も、おそらく知っている。



『そのように簡単に気配を読まれると、私たちも形無しですね、ラツキ・サホさん』


 私の両剣の鯉口は既に切ってあり、臨戦態勢には入っている。それでも、どこからともなく降ってきたその「声」に、私は肩をすくめて答えた。


「そりゃ、もうこれで三度目だもの。いい加減あなたたちの気配だって覚えるわ。それに、現れそうな気がしていたものね。『塔』と『登攀者殺し』の関係、そして、「ユーゼルク」と「フォン=モウン」との問題は相互に関連している──今この場であなたたちが現れたこと自体が、それを証してしまっているわね、……『黒の聖務官』さん」


 息が小さく、けれど鋭く飲み込まれる音が聞こえた。

 ラフィーネさんの、声にならない叫びだった。

 黒の聖務官。

 ……それは、聖殿の秘められた暗部を処理する組織であり、同時に──ついこの間まで、ラフィーネさんが死んだと思い込んでいた、彼女の姉が在籍する組織でもあるのだから。


「本当に、お姉さま……なのですか!?」


 ラフィーネさんの悲痛な声が、静かな林の中に哀れに響き渡っていった。


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