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異世界くじと神々の塔  作者: 天樹
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こころとからだ

「ごめんなさい……ラツキさん……ごめんなさい……!」


 苦しげに嗚咽するラフィーネさんの声が震える。

うつむいた彼女の顔は見えないが、その真紅の髪が一筋、はらりと流れて私の胸に堕ちた。……まるで血の涙のように。


「いいんですよ、ラフィーネさん。いいんです……」


 私はそんな言葉をつぶやきながら、ただ彼女の背を抱きしめ続けることしかできなかった。

 ラフィーネさんのその素肌は、熱く昂ぶった温もりと同時に、冷たい拒絶をも、私に伝えてきていた。





 私とラフィーネさんとは、この間の事件をきっかけにし、友人としての関係を踏み越えていた。

 お互いにいつしか魅かれていたその気持ちを確かめ合い、受け入れ合って、私たちは一歩ずつ、歩み寄ったのだ。

 ラフィーネさんは仮面の下の素顔を私に捧げてくれ、そして吐息と共に私たちの唇は重なった。

 

 あの時は事件の真っ最中だったから自分の気持ちを堪能することはできなかったけれど、すべてが終わってみれば、陶酔するような喜びと幸福感に、私は包まれていた。

 ラフィーネさんの唇はしっとりと潤って柔らかく、微かな震えが愛おしくて。

 

 けれど。

 やっぱり、私もラフィーネさんも、その、大人なのだし。

 キスだけで、心も体も、止めておけるものではなかった。

 そのさらに先へ進むときが、近いうちに来る、ということは、二人ともしっかり意識はしていたのだと思う。


 ――そして、そんな夜が、来た。

 アンジェたちが気を効かせてくれて、二人きりの時間を私たちに用意してくれたのだった。

 嬉しい反面、何というか、すごい照れるのだけど。純粋に見守ってくれるのはメイアだけで、アンジェとテュロンは生暖かい視線を向けてくるし、キュリエナはニヤニヤと好色そうな笑みを浮かべてるし。

 それでもまあ、せっかくの御好意を、ありがたくお受けして、私とラフィーネさんは私の部屋へと引き下がらせてもらったのだった。

 けれど、思えば、アンジェは以前、私とラフィーネさんのことで強い嫉妬を抱いていたことがあったっけ。そのアンジェが祝福してくれるというのは、うん。恥ずかしい一方で、やっぱり、嬉しい、かな。


「え、えと。その、よ、よろしくお願いします」

「は、はい、こちらこそ」


 耳朶を真っ赤に染めたラフィーネさんがもじもじと、けれど幸せそうに言うのに、私も思わず照れながら頷いた。


「私、その、初めてなので。年下のラツキさんにこういうのもアレなんですけど、その。……や、優しくしてください、ね?」


 ……うわ。うわぁ。そういうのって、すごくズルいんじゃないかな! なんかもう、頭の中がカーッてしちゃったよ!

 思わずそのまま押し倒しそうになるのをぐっと堪えて、ラフィーネさんの頭に手を伸ばし、あの時のように、仮面の飾り紐をほどく。はにかんだ素顔を顕したラフィーネさんを抱き寄せ、そっと、寝台に横たわらせた。


 とくんとくん、と、お互いの心臓の鼓動が聞こえてくるような、濃密な静寂が部屋に満ちる。

 ラフィーネさんの纏った法衣に手を掛け、ゆっくりとそれを広げていく。震えているのはラフィーネさんの身体だけではなく、私自身の指もだった。


 友人。親友。

 大切な友と、私は今、最後の一線を越えようとしている。

 親友と愛し合う、という行為は、とても背徳的な妖しさを持って、私の頭を痺れさせる。多分、ラフィーネさんも同じだろう。

 しゅるりと静かな音を立てて法衣が滑り落ち、ラフィーネさんの豊かな胸をわずかに覆ったビスチェが空気に触れる。鼓動が彼女の乳房をためらいがちに揺り動かしていた。

 私はそっと、指先で彼女の体の輪郭をなぞっていこうとして――



 けれど、そのとき。



「……だめ……!」



 ほんの僅かに、私の胸に添えられた、ラフィーネさんの掌。しかしその掌は、明確に、示していた。

 ――拒絶の、意思を。


「……ラフィーネさん……?」


 驚いて身を起こした私を、ラフィーネさんははっとした表情で見据え、そして自分の行動に自分で初めて気づいたように、己の掌を見つめた。

 愕然とした面持ちで、彼女は私にもう一度視線を向ける。


「ちが……違うんです、ラツキさん、私……私……!」

「ラフィーネさん、あの、怖いんなら、いいんですよ。不安なら。いつだって私は構わないんですし、無理にというようなことでも……」


 なだめるように言った私だったが、ラフィーネさんは激しく首を振った。


「そ、そうじゃないんです! 私だって、その、ラツキさんに……ラツキさんに、捧げたいって、思ってるんです! 心はとっくに決めてて……決めてるはずで……!」


 激情が迸るような口調。その眼差しはあまりにも必死で懸命で、けれど、それゆえにとても危なっかしく見えた。


「で、ですから。あの、ラツキさん、……私、大丈夫なので。だから……」

「……はい、ラフィーネさん」


 今度は、彼女をなるべく怯えさせないように、細心の注意を払いながら、私はラフィーネさんの肌に唇を寄せていこうとした。

 

 ……けれど。

 ひくっ、と息を吸い込む音が彼女の口から漏れる。その音色は決して甘くもなく切なくもなく。

 むしろ、否定と拒絶を、改めて語ったものだった。

 ラフィーネさんの堅く閉ざされた眼差しと食い縛った唇が。蒼く血の気を失った容貌が。

 ――私は彼女には触れられない、触れてはならない、というその事実を冷徹に告げる。



「あ……あれ……? ど……どうして……?」


 ラフィーネさんは自分自身のその言動に呆然とした様子で、大きく見開かれたその赤い瞳からは輝きが失われていた。

 

「ラフィーネさん……」

「わ……わかんない。わかんない、です、ラツキさん。私、どうして……? どうしてダメなの……? わかんない……!」


 震える小さな肩を自分自身で抱きしめ、彼女はわなないて繰り返す。わからない、どうして、という意味のない言葉を。

 私はそんなラフィーネさんに、ただ、言うしかなかった。いいんですよ、と、意味のない言葉を。



 

 人が愛し合う、という行為は繊細で不思議なものだ。

 欲望のままに突っ走ってしまうこともできるような荒々しい強引さを持つ半面、心の、ほんの些細なずれや引っかかりが元で、自分で自分が制御できなくなることもある。

 私も以前、アンジェと、上手く愛し合えない夜があった。あの時は、私が精神の安定を欠いており、嫉妬に蝕まれて、心の焦りと肉体のためらいを一致させられなかったからだ。


 ……今度の場合は、どうなのだろう。

 ラフィーネさんにとっては、私と過ごす初めての夜。いや、私とに限らず、他者と肌を寄せ合う初めての時間。しかも、相手は同性で、親友だ。不安と緊張で、自分で自分がコントロ-ル出来なくなっても不思議ではないかもしれない。


 ……でも。それだけの単純なこと、なのだろうか。

 なにかまだ、他に理由があるような。そんな気がした。ラフィーネさんは確かに、直前までは私を受け入れようとしてくれていたし、そのことに対して、恥じらいもあったけれど、幸せそうにも見えていたのだから。


 私たちは結局、その夜は、そのまま朝まで共に過ごした。同じ臥所ではあっても、恋人としてではなく、友人として。恋人になることはできないままに。

 朝、目が覚めた時、ラフィーネさんは既に仮面をつけてしまっていた。だから、彼女の表情は見えない。いや、彼女も、顔を見られたくなかったのだろう。


「あ、おはようございます、ラツキさん! 今日もいい朝ですね!」


 そんな明るい挨拶がかえって痛々しく、私は思わず目を伏せてしまった。

 視線を外した向こうで、ラフィーネさんもまた、辛そうに唇を噛んでいる雰囲気が伝わってきていた。





 幾度か、試した。

 その夜だけではなく、他の夜にも。

 私だけではなく、ラフィーネさんの方からも必死になって、私と愛し合いたいと熱望してくれているのがわかる。

 けれどやはり、私が触れようとすると、ラフィーネさんの心と体はそれに拒絶反応を起こしてしまう。


 もちろん、強引に私がラフィーネさんを導こうとすればできるのだろうけど。そしてそれも、時と場合によっては一つの解決手段なのかもしれないけど。でも、そんな無理やり体を開かせるようなやり方は、取り返しのつかない破局を招く可能性もあるのではないだろうか。私にはその手段を取る勇気がなかった。

 しかし、何度も私に謝りながら涙ぐむラフィーネさんを、ただ為すすべなく見守っているのもやはり心が苛まれるようで、私はどうしようもない袋小路に立たされた心境だった。



 

 私とラフィーネさんの間のそんなぎこちない空気は、当然みんなにも伝わらないはずはない。

 もちろん私と彼女の間のことをみんなに打ち明けたわけではない。でも、最初の夜に私たちを送り出した時のような生暖かいまなざしはもうなく、今はどこか、息が詰まるような、腫物に触るような雰囲気が充満している。

 ……気の合った、愛しい仲間たちと過ごせる心地いい空間だったはずなのに。


 何日かが過ぎた、そんな、ある夜。

 私たちは食卓を囲み、夕食を取っていた。表向きはみんな揃った、いつもの楽しい食事。でも内面は、お互いに暗中で手探りをしながら、距離を恐る恐る測っているような、そんな危うい食事だった。

 

「あ、アンジェ。そっちのお皿、取ってくれる?」

「はい、ご主人さま」


 私の求めに応じ動こうとしたアンジェだったが、その皿には、僅かにアンジェよりも近い人がいた。


「あ、私、取りますよ、ラツキさん。はい……あ」


 それはラフィーネさんだった。彼女は皿を取って私に回そうとし、けれど、その手が、差し伸べた私の指と微かに触れた。

 ――刹那。

 ガシャン、という甲高く冷たい音が響いた。

 それは、ラフィーネさんが皿を取り落とした音だった。


「あ……ご、ごめんなさい、私……私……ごめんなさい……!」


 立ちすくんで動けないラフィーネさんを即座に庇って、アンジェとテュロンが席を立ち、皿を片付ける。

 私は、暗澹たる思いでその光景を見つめていた。

 ……私に触れたからか。

 私に触れる、触れられるということへの過剰な反応が、ここまでラフィーネさんの精神を緊張させてしまっていたのか。

 重く鈍い熱さを持った塊が私の中に詰まって、息をさせないかのようだった。





「ふう……」


 熱い湯に肩までつかりながら、私は水圧の力を借りてようやく息をつく。

 お屋敷の大きなお風呂は、私たち全員が入れるほどの広さを持つし、実際みんなで入ることも多い。

 だが、今は一人だけだ。私一人で入りたいから、とみんなに断わって、私は今、一人の時間を使わせてもらっている。

 熱いお風呂にゆっくりつかることで心身をリフレッシュさせようと考えるのは、元日本人としての習慣かもしれない。でも、残念ながら、あまり効果は出ないようだった。ラフィーネさんとの関係をどうすればいいのか。いい案は出なかった。


「どうすればいいのかな……」


 ぼうっと風呂場の天井を仰ぎ見ながらつぶやく。その言葉がやけに響いた。


「そうねえ、ラツキにできることやれば?」


 ふいに帰ってきた返事にぎょっとして私は視線を下に降ろす。そこには、のんびりと湯につかっている褐色の肌と白銀の髪の美女がいた。


「キュリエナ!? あなた、何でここにいるのよ!?」

「入るわよってちゃんと言ったわよ? あなたが聞いてなかったのはあなたの責任で、私のせいじゃないわ」


 くっ、どーせすっごい小さな声で言ったんだろう。

 それにしても、ほんとに気配を察知したり隠したりといった能力に関して、キュリエナの実力は恐ろしいものがある。いくら私がぼけーっと気を抜いていたにしたって、ここまで気づかないってのは。


「……私は今夜、一人で入りたいからって言っておいたでしょ」

「ふふっ、私はあなたの奴隷じゃないんだから、あなたの命令を守る必要はないもの。私がお風呂に入りたければ私が勝手に入るわよ」


 ……いや、このお屋敷を借りてるのは私の名義なんだけどな。

 でもまあ、言い争う気はない。キュリエナも、何か言いたいことがあってここに来たのだろうというくらいはわかるし。


「で、何よ? さっき、何か言ってたわね」

「あなたのできることをやればって言ったのよ」

「私のできることって、何よ」

「知らない」


 おちょくってるのかこの子は!

 睨みつけた私に、キュリエナはくすくすと上機嫌に笑う。


「知らないけど、何かできることがあるんでしょ、ラツキ。でも、あなたはそれをやりたがっていないのよね?」

「な……」


 私は一瞬、言葉を失う。

 そんな私を、キュリエナの銀の瞳が見透かすように煌めいた。


「あなたがやりたがらないそれが何なのかは私にはわかんないわ。でもラツキ、できることがあればやればいいじゃない」

「……簡単に言ってくれるわね」


 私は湯煙の中に視線をそむけた。

 ――そう。

 方法は、あった。


 私の有するEXスキルのうちの一つ――『パーソナル・リサーチ』。

 これを使えば、心の中を覗くことができる。

 かつて、奴隷にする前のアンジェの内心を、それとは意図してなかったけれど、知ることが出来たりもした。

 今回も、このスキルを使えば、ラフィーネさんの内面を探り、何が彼女の障害になっているのかを知ることができるかもしれない。


 けれど、それにはためらいがあった。

 人の心を、それも、おそらくとても繊細な部分を、私が勝手に土足で踏み入って調べ上げるような真似をしてもいいものなのだろうかと。

 それに、スキルを使って原因が必ずわかるとも限らないし、もしわかっても解決法までつかめると決まったわけでもない。その場合は、意味もなくただ人の心を覗くという結果が残るだけだ。


 その思いが私の脚を止めていて。――けれど。

 ぱしゃん、と水音が跳ね、飛沫が私の顔に降り注いだ。


「ちょ!? 何するのよ、キュリエナ!」


 キュリエナが私に向かってお湯を掛けたのだった。ころころと、彼女は面白そうに笑っている。


「うふふ、ラツキ、変に思いつめた顔してるからおかしくって」

「あのねぇ……」

「ラツキ、よくわかんないけど、つまり自分が汚れたくないのね?」


 噛みつこうとした私の声を遮って、キュリエナの声が通った。その言葉に、私ははっとした思いで息を止める。


「あなたが何をためらってるのかは知らないけど、できることがあって、でもやらないってのは、自分の中にその行為を許せない何かがあるんでしょう。それはつまり、あなたがラフィーネのことよりも、自分が綺麗でいることを望んでいるということかしらね」

「そ、そんなことないわ! 私は……」

「なら、すればいいじゃない。ラフィーネのために、汚れてあげなさいよ。あなたにとって彼女がどれくらい大切なのか。自分が汚れてもいいくらいなのか。つまりはそういう話でしょ」


 私は押し黙った。

 キュリエナの言葉はいつもながらムカつき、しかしそれゆえにぐさりと心に突き刺さってくる。

 ぴちゃん、と、水滴が天井から申し訳なさそうにおずおずと落ちた。

 私はしばらく、湯煙の中を透かすようにキュリエナを睨みつけていたが、やがてほっと息をついた。


「キュリエナ。あなたってほんとに……」

「嫌な女、かしら? うふふ」

「いいえ」


 私はにやりと笑って、告げてやった。


「いい女だわ。私が惚れただけのことはあるわね」

「――な!?」


 今度はキュリエナが言葉を失って目を見開く。その褐色の肌がほんのり桜色に染まった。

 ふふん。いい感じの不意打ちになったかな。まあ、たまには私だってキュリエナに逆襲させてもらうわよ。

 ――本音でも、あるんだけどね。





 風呂からあがって自室に向かうと、扉の前に所在なげに立つ人影があった。

 紅い髪に濃い影を落とさせてうつむき、消え入りそうに儚く見える雰囲気のそれは、ラフィーネさんだった。


「ラフィーネさん……」

「……ラツキさん」


 ほぼ同時に声を掛け合った私たちは、一瞬お互いに見つめ合う。

 彼女の表情は悲しげに曇り、私の胸には斬り裂かれるような痛みが走った。


「あの、ラツキさん。……私、聖殿に戻ろうと思うんです」

「……えっ!?」


 彼女が唇を噛みながら言い出した言葉に、私は思わず声を上げてしまう。

 ラフィーネさんは、けれどすでに意を決したように、言い募った。


「このままここにいても、私のせいで皆さんの……ラツキさんの御迷惑になるだけな気がして。……いいえ、それは取り繕った嘘ですね。本当は、私自身が辛いんです。……もちろん、お仕事は続けます。だから、塔に登る時だけはご一緒しますけど、それ以外のときは……」

「待ってください、ラフィーネさん」


 私はラフィーネさんの手を取った。びくり、と彼女の体が震えるが、私は力を緩めない。

 ここまで思いつめたこの人を、一人になんかさせておけるもんか。

 辛いと言われようが、知らない。私はこの手を離さない。

 

「その前に、今夜だけでいいです。私と一緒に過ごしてくれませんか。ただ一緒にいるだけです。大切なあなたと、同じ時間を過ごしたいだけ。駄目ですか」

「……ラツキさん……」


 ラフィーネさんの声は潤み、風の前の細い灯火のように揺らいでいた。

 こくん、と彼女は小さく頷く。

 まるで幼女のような、その素直な姿が、私には愛おしく思えた。



 その夜、私たちは、一つの臥所の中で、けれどお互いに一指も触れることなく、色々な話をした。初めて出会った時からの、色々な話を。

 レグダー男爵邸に招待された食事会の時のことや、伯爵夫人の事件の際に共に戦ったことなど、共に危地を潜り抜けたことも何度かある。そんな危険や冒険の日々も、今では懐かしい記憶だった。


 けれど、もっと話が弾んだのは、他愛もない日常の思い出。いつもの甘味処で、笑い合いながらお菓子をつつき、世間話や噂話に興じた時のこと。一緒に街で買い物をしたり、お屋敷に招待して遊んだり。軽口を叩き冗談を言い合ってふざけ合った日々のことだった。

 私のこの世界での色彩には、いつもラフィーネさんの朱があった。彼女の真紅の髪の毛が、楽しそうに活動的に揺れている光景があった。それを、改めて思う。

 月が傾いていくまで、私たちは語らい続けた。静かな心地よい疲労が眠りに導くまで。



 すやすやと寝息を立てるラフィーネさんの顔が星明りに照らされて浮かび上がっている。久しぶりに見る彼女の穏やかな表情だった。

 私は、そんな彼女の顔を見ながら、息を整える。

 心は、もう決まっている。

 ――EXスキル『パーソナル・リサーチ』。


 このスキルは人の個人的な情報や内心を覗くことができる。

 その起動条件は、相手の自我防衛意識が低下していること。

 明示または黙示で、自分の心を覗いてもいいと言ってくれたり、あるいは怒りなどで我を忘れていたり……あるいは、眠っていたり、などだ。

 今のラフィーネさんのように。


 私はスキルを起動し、対象をラフィーネさんに設定する。

 もちろん、これで、ラフィーネさんが何故過剰な拒絶反応を起こしてしまうのか、についての原因がわかると決まってはいないのだけれど。でも、やれることは、やろう。

 集中した私の意識に、ラフィーネさんの内心が流れ込んでくる……。



「……そっか」



 私は小さく呟いた。


「それで、だったんですね。ラフィーネさん」


 そのつぶやきに、ラフィーネさんの寝息が微かに応えてくれた、ような気がした。




 翌朝。

 軽やかな光が差し込んで、ラフィーネさんの紅い髪がルビーのように燃え煌めく様子に、私は見惚れていた。


「……ふにゃ」


 そうこうしているうちに、大きく伸びをして、彼女も目を覚ます。ぽけっと周囲を見回して、私が見つめていることに気付き、彼女は寝ぼけ眼をこすりながらも、明るく微笑んだ。


「ふわぁ……おはようございます、ラツキさん。昨夜は、楽しかったです。とっても」

「私もですよ、ラフィーネさん」


 笑いかけ、私は枕元の水差しを差し出す。ラフィーネさんは身を起こしてそれを受け取り、こくんとのどを潤した。彼女の白い喉が水を流し込み、艶めかしく蠢いていくのを、私はじっと見つめていた。

 そしておもむろに、口を開く。


「ラフィーネさん。お話があるんですけど、いいですか?」

「え? ……はい」


 彼女は一瞬戸惑い、しかしすぐに表情を硬くした。

 おそらく、昨夜ラフィーネさんが言ったこと……お屋敷を出て聖殿へ帰る、ということについての話だと思ったのだろう。


「あの、今日のうちに荷物を纏めまして、それで……」

「いいえ、その話じゃありません。ラフィーネさん、私、あなたに、言っておかなければならないことがありました。あなたにとっては受け入れがたいことかもしれませんが」

「え……?」


 眉を顰めるラフィーネさん。私は小さく息を吸ってから、告げた。



「ラフィーネさん。あなたのお姉さんは、……生きています」




 ラフィーネさんの朱い瞳から一瞬光が消え、次いで燃え立つように輝き、そして最後に苦笑するように和らいだ。


「あはは……まあ確かに、姉は私の胸の中にはいつまでも生きていますよ。その証拠に、なかなか大きいでしょ、私の胸?」

「いえ、そうではなく。いや確かにラフィーネさんの胸は大きいですが、そっちではなく。……本当のお話です。あなたのお姉さんは、実際に生きていらっしゃるんです」



 今度こそ、ラフィーネさんの瞳は大きく見開かれた。紅い睫毛が炎の迸るように靡く。


「どういう……意味ですか」


 喘ぐように言葉を絞り出した彼女に、私は、自分の知っていることを語り始めた。





「……そう……ですか。嘘みたいですけど……そっか。そうなんだ……」


 ラフィーネさんは茫然とした様子で視線をさまよわせていた。色を失った唇が震えている。

 女性と愛し合ったがゆえに社会から指弾され、一度は自ら死を選ぼうとしたお姉さん。しかし彼女は、その資質を惜しんだ「黒の聖務官」の組織によって救われ、今はその一員となっている。

 だが、黒の聖務官の行動は、世界を救うためには多少の犠牲を容認するものだ。

 それは、ラフィーネさんの理想としていた聖殿の姿とは異なる……。


 彼女の胸中には、嵐のように無数の感情が渦巻いていることだろう。

 驚愕。安堵。失意。疑問。そして――悔恨。

 なるべく軟着陸をさせてあげたいと思い、いつ、どのようにしてこの事実を打ち明けるべきなのか、考えあぐねていた私だったが、結局は真正面からそのままの事実を語ることになってしまった。

 

「……でも、どうして、ですか? ラツキさん。どうしてそれを今、……どうしてなんです?」

「それがラフィーネさんの苦しみの元になっていると思ったからです」

「それは……確かに、姉のことは私、長く心に引っかかっていましたけれど……」

「それだけではなく、です」


 私はまっすぐにラフィーネさんの瞳を見つめた。



「ラフィーネさん。あなたのお姉さんは生きています。――ですから、あなたがあなたの愛を恐れ、あなたの想いから目を背ける必要はないんです」



 ラフィーネさんの表情にぽっかりと空白が生まれた。

 私が何を言っているのか、それをすぐには理解できずに。

 ……いや。わかっているはずだ。わかっていると、彼女の深層意識は教えていた。私がスキルで読み取った、彼女の意識は。



「……ラツキ……さん?」

「ラフィーネさん。あなたは、……あなたの愛は、罪じゃないんです!」



 私の声は、多分、ひび割れていただろう。

 彼女の心を茨の蔦のように締め付けていたのは、その事実だったのだ。


 ラフィーネさんのお姉さんは、女性同士で愛し合い、それが受け入れられずに、命を絶った。ラフィーネさんはそう思い込んできた。

 だが、お姉さんのそんな生き方を受け入れられなかったのは、古王国の社会だけではない。

 ラフィーネさん自身も、だったのだ。ラフィーネさん自身もまた、当時はお姉さんのそんな愛し方を理解してあげられず、応援してあげられなかったと、彼女は私に教えてくれた。


 けれど。

 今、ラフィーネさんは私を愛してくれている。私と愛し合いたいと願ってくれている。

 ――それは、かつての自分が否定したお姉さんと同じような愛。

 

 お姉さんの愛を否定しておいて、そしてその結果、お姉さんを死に追い込んでおいて。

 それなのに、自分だけがそれと同じような愛を享受し、幸福を掴んでいいのか。

 ……許されるはずはない。

 私は許されてはいけない。


 私の愛は、許されてはいけない――。



 それが、ラフィーネさんの心の奥底にわだかまり、彼女を蝕んでいたものの正体だった。

 意識してはいなかったけれど。心の表面には浮かび出てはいなかったけれど。

 それだけにラフィーネさんの気持ちの奥底で、私と愛し合うことへの絶対的な忌避感が彼女の精神を支配していたのだった。

 そんな無意識の抵抗が、肉体に反映し、私と結ばれようとすることを妨げていたのだ。




「私……そんな……でも……」


 震えるラフィーネさんの肩を私は抱き寄せる。


「ラフィーネさん。お姉さんは生きている。だから、怒ることも、尋ねることも、話し合うことも、謝ることも、何でもできるんです。生きているんですから。

 もちろん、話し合っても、結局は理解し合えないかもしれない。もうあなたとお姉さんの道は違ってしまっていて、だから理解し合えなくなっているかもしれない。

 でも、それでも。それでも、生きています。生きているなら、理解し合えないということを理解し合う、ってことならできるじゃないですか。死んでしまっていたら、それすらできない。理解し合えないことすら、できないんです。だから」


 ラフィーネさんの細い指が不意に伸び、私の瞼に触れてくれた。

 ……私は、泣いていた。

 私自身の過去が、私にその涙を強いていたのだった。


「……ラツキさん。ありがとう。だから、泣かないで」


 ラフィーネさんのふわりとした声が私の耳元で聞こえる。

 ……慰めてるつもりだったのに、慰められちゃってるな。

 照れて、私は泣き笑う。

 ラフィーネさんも、同様に。

 私たちは二人で、そのまま、声を出さずに二人で泣きながら笑っていた。

 そのまま静かに、影が移ろうように。

 私たちの指は、お互いの体に触れていった。 



「……聖殿には、帰しませんからね。ラフィーネさん」

「……はい。離さないでください、ラツキさん……!」



 言葉が、心とともに、蕩けて、流れた。




 やっぱり、愛し合うって、不思議なものだ。

 誰かと初めて肌を重ねるとき、幸福感とともに、いつでも不安も付きまとう。

 自分は彼女に相応しいのか、彼女の深い部分に触れていいだけの資格が私にあるのかと。

 だからこそ、なのかもしれないけど。

 そんな不安を抱いている者同士だからこそ、より相手の奥底へたどり着きたいと願い、激しく熱く溶けあおうとするものなのかもしれないけれど。


 ――どちらから求めたのかはわからない。

 私からだったかもしれないし、ラフィーネさんからだったかも。

 でも。

 まあ、どちらでもいいことだ。

 私とラフィーネさんは、こうして。こうして、本当に結ばれることができたのだった。



 まあ、朝になってからのことだったので。

 起こしに来たアンジェたちに、つまり、その。

 扉の前で、しっかり、声とか音とか、聞かれてしまったわけなんだけど。

 後でそれを知ったラフィーネさんは、髪の毛と同じくらい顔を真っ赤にして、枕の下に頭を突っ込んで悶えていた。

 えーと。

 ……これが彼女の、新しいトラウマになったりしませんように……。

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