会議と決戦(中)
真冬の夜更けにそっと降りる霜の音さえ聞こえるような。
そんな凍てついた空気が場に満ちた。
私の弾劾の――いや、断罪の言葉によって。
静寂の中、ただ私の鼓動だけが孤独に、やけに大きく会議室の中に響く。
もちろん、そう感じているのは私だけだけれど、そんな緊張感を抱いていたのは事実だった。
この時、この場で、このように発言することは、私にとっても結構な賭けだったからだ。
出席者たちは、何も言わずにただ私を驚愕の視線で見つめていた。
ムグディフ外務卿を殺害したのはラフィーネさんではない。その首謀者は、レグダー男爵だ。
……そんな爆弾発言を唐突に聞かされても、もちろん反応に困るだろう。
その静寂を真っ先に打ち破った声がある。しかし、その声の持ち主は、私に犯罪者と名指しされたレグダー男爵ではなかった。
「何を……言うのかね! そ、そのような……根拠もない……!」
感情の高揚を現すかのようにやや裏返った、震えの入った声。それは、フォジョン駐留官の声だった。
細い枯れ木のように立ち上がって私を睨みつけている彼は、顔色を蒼褪めさせ、眼を充血させていた。
密かに私は胸中で頷く。レグダー男爵のように図太い男は、こんな挑発にもそうそう乗りはしないだろうと思ってはいた。だが、神経の細かそうな駐留官なら釣れそうだ、とも。
私は他者が口を挟むより早く駐留官に向き直り、声を張った。
「おや、どうなさったのですか、フォジョン駐留官? 他ならぬあなたのお国のムグディフ外務卿を殺害させた犯人についての話なのですよ。つまりあなたにとっては重要な話のはず。興味関心を持っていただけるのが普通だと思うのですが、なぜあなたがその話を頭から否定なさるのです?」
「そ、それは……」
口ごもった駐留官の怯んだ様子に、私は畳みかける。
「それはつまり。真犯人を口にしてほしくないのはあなたも同じだからですね。なぜなら、あなたもその犯行に加担していたのですから」
ぴしり、と鋭い刃のような声で私は次なる矢を放った。ひっ、と駐留官は息を飲み、その青白い顔から脂汗を滴らせる。
だが、私が重ねて言葉を発しようとした時、ふん、と鼻を鳴らす音がたったひとつ。それだけで、私が支配していた場の空気は崩れた。悔しいが、奴の纏う雰囲気にはそれだけの重みと存在感があったのだ。――レグダー男爵の、余裕を持った傲慢さには。
奴は呆れたように首を振りながら、ゆったりと言い放つ。
「議長閣下。どうやら、ラツキ殿は何やら錯乱しておいでのようだ。そもそも、この会議場で持ち出す話題でもありませんな。場違いにもほどがありましょう。誠に残念ですが、彼女には退場していただくほかありますまい」
感情を表に出さないように無表情の仮面をかぶりながら、しかし私は内心で臍を噛む。背筋に嫌な汗が流れ落ちるのを感じた。
男爵の指摘はまさに私の致命点なのだ。この会議はあくまで四か国間の政治向きの議題を論じる場であり、裁きの場ではない。持ち出すべきではない管轄違い。
もちろん、そんなことは、私だって最初から分かっている。だからこそ、内心で焦りながらも、なんとか勢いで話を持って行こうとしていたのだ。
この会議が終わってから改めて聖殿に告発する? いや、会議をそのままにしてしまったら、アンジェを私の手から取り上げるという議案はおそらく通ってしまう。聖王の子孫を奴隷のままにしていいのか、という大義名分論はあまりにも重く、アンジェと離れたくないという私ひとりの感情論だけでは抗しきれない。
かといって、私たちの手に、現時点ですべてのカードが揃っているわけでもない。だから、会議の前に告発するということもできなかった。
つまり、今しかないのだ。今、勝負に行くしか。
しかし、議長の老聖務官は、男爵の言葉の方に頷いた。
「ラツキ殿。確かに、レグダー男爵のおっしゃるとおり、ここは司法の場ではありませぬ。何らかの告発をなさりたいのであれば、会議が終わった後に改めて正規の手続きをなさっていただきましょう」
くそ。私はぎりりと奥歯を噛みしめる。わざと見ないようにしていた視界の隅で、しかし、男爵がにやりとほくそ笑むのが見えた。
それでも対抗しようと口を開きかけた時、しかし、別の人物が手を挙げた。
「待たれよ。議長、本当にラツキ殿の話はこの場にそぐわぬものであるだろうか」
太く声量豊かな、良く響く低音。その声の主は、がっしりした体格に丸い目、丸い鼻。森の熊さんのような、そう、帝国の皇太子だった。
皇太子のその言に、レグダー男爵は僅かに身じろぎし、鋭い眼光を向けた。だが、皇太子は知らぬ顔でちらりと私を見、その人懐こそうな眼だけで微かに笑いかけてから、続ける。
「今、ラツキ殿は、この場にいる二人の人物に重犯罪の嫌疑がある旨を申告した。そのような重大な犯罪を、もし仮にその者たちが本当に犯しているならば、その者は法の外に置かれることになるゆえに、当然この会議に出席する権利を持たぬ。そして、権利を持たぬ人物が出席した会議の議決は、これも当然、その効力の正当性を失うことになりかねぬ。
すなわち、ラツキ殿の話は、この場に相応しくないどころではない。むしろ逆に、この会議の成立要件に関する、最も重要な問題ではないかな」
そ、そうそう! それよ、私が言いたかったのは! 皇太子が私より上手く言ってくれて助かった。
キュリエナが皇太子を私に引き会わせた時に、皇太子との個人的な伝手を作っておくのは悪いことではない、と言っていたけど。ほんとにそうだったかも。
もちろん、皇太子が私に対する親愛だけで味方をしてくれたなんて思うのは、お花畑な考え過ぎるだろう。
皇太子と男爵は政敵というか、男爵の勢力が拡大することを帝国の皇室は快く思っていない、という話は聞いていたしね。だから皇太子としては、男爵を叩けるきっかけができたなら、すかさずそれを利用しようとして行動に移したということもあったんだろうな。
だがそれはそれとして、私に追い風が吹いたのは確かだった。
議長さんは皇太子の言葉に長いひげを捻りつつ考え込んだ。出席者たちもざわざわと、互いにささやきかわし、頷き合う。
彼ら各国の出席者からすれば、帝国内部の内輪もめに見えるのだろう。それで会議の主導権を帝国から奪取できるのなら、各国ともにやはり、私の話を否定する理由はない。
いわばさっきとは一転、男爵の方が四面楚歌の状況に追い込まれたのだ。
男爵はそんな様子を唇を歪めて苛立たしげに見廻し、何事かを述べようとしたが、それより早く、議長が断を下した。
「確かに、皇太子殿下の仰せもごもっともですな。ではラツキ殿、お話を伺いましょう。レグダー男爵及びフォジョン駐留官殿には後程抗弁の機会をさしあげます。なお、先ほども申しましたように、明確で説得力のあるお話でなかった場合は、ラツキ殿にとってもいい結果とはならない可能性があることをご承知いただきたい」
「もちろんです、議長閣下。まずは……」
額に太い血管を浮き上がらせ、眼を血走らせた男爵を見やりながら、私は唇を湿し、語り始めた。
心情的にはここで思い切り男爵を罵倒してもやりたいけれど、感情的に論難しては、議長をはじめとした出席者たちには逆効果だろう。なるべく客観的に説明するようにしないと。
「男爵が武器武具の収集家として名を馳せているのは皆様ご存知かと思われます。その収集家が最後に手中に収めたいと願うものがあれば何か。歴史に名を残した偉大なる剣、光芒剣に他なりません。そのことは、男爵ご自身がかつてお屋敷に私を招待なさり、その場で直々におっしゃったことでもあります。まさか男爵、それまで否定はなさらないでしょうね」
「……酒の上の戯言まですべて本気で受け取られてはたまりませんな」
「戯言ですか。まあいいでしょう。しかし、なぜかあなたの元用人が私を襲い、アンジェリカを強奪しようとしたことについては?」
「そのことについてはあ奴が勝手に行ったこと。聖殿の記録にも私とは関係がないと残っておるはずですぞ」
「そうでしたね。あなたが光芒剣をお望みになった時とほぼ同時期に、あなたの元用人が偶然にも、アンジェリカを襲ったのでしたね。ええ、偶然に。恐ろしいですね、偶然とは」
正式な裁きの場ではなく、この会議の場を決着の舞台として選んだのは、これも一つの要素だ。正規の裁判では、今私が言ったようなことは証拠になりにくい。実際、あのネズミ男の襲撃事件に関しては男爵が裏から手を回し、表向きは完全に男爵と関係が切れている。それを言い立てても、正規の裁判では意味がない。
だが、この場では別だ。一つ一つの事件を述べていくことで、それは足し算ではなく掛け算の効果を生み出し、男爵がいかにアンジェと光芒剣に対して執着していたかを、心象として出席者たちに刻み込むことができる。まあ印象操作と言えば聞こえは悪いが、私だってなりふりかまってはいられないんだ。
「ですがラツキ殿。それが今回の事件とどうつながるのですかな」
議長さんが厳めしい顔をして言う。私はそれに答えた。
「もともと、アンジェリカを帝国貴族に叙するという今回の議案については、そのままではおそらく通る可能性は低かったと思われます。ですが、帝国に対して強硬的な態度を取っておいでだったムグディフ外務卿が亡くなることで潮流が変わりました。男爵の思惑としては、外務卿を弑することで議案を通し、アンジェリカを貴族にしたのちに自分の妻に迎え、そのことで結果的に光芒剣を掌中にしたいという狙いがあったものと思われます。帝国内にそのような発案があったことは、皇太子殿下が証言してくださるでしょう」
私が顔を向けると、皇太子は太い首を微かに動かして頷いた。
「しかし、今回の事件は外務卿の傍にいた聖務官が犯人の可能性が高いと聞いていますがね」
口を挟んだのは、黒い肌に三つの目を有する種族の人。確か、都市連合の代表の人だ。
私は彼の言葉に激しく首を振り、鋭く返す。
「いいえ、あの聖務官はこの事件とは関係がありません。直接手を下したのは、フォジョン駐留官です」
電撃に撃たれたように、フォジョン駐留官が体を震わせた。
わななく唇で、彼は弱々しく抗おうとする。
「な、何を言うのです。私はあの時、外務卿閣下を救おうと……」
「はい、介抱をなさっていましたね。ですが、それこそが仕掛けでした。あなたが夜会の会場で常に手にしておられた手巾、あれこそがね」
息を飲んだフォジョン駐留官の細い喉から突出した喉仏がごくりと蠢いた。
その面相からは既に汗が滝のように流れている。その姿に一種の憐れみを感じながらも、私は言った。
「駐留官殿。あなたはそのように、多量の汗をかく体質でいらっしゃいますね。ところで、あなたはあの夜会の場では常に手袋をしておいででした。本来なら、食事会の際に手袋など、おかしな話ですよね。なぜあなたは手袋をしていらしたのです? ……それは、あなたの汗で、手巾が濡れてしまうのを防ぐためでした。その手巾には、いったん毒をしみこませ、それを乾燥させて会場に持ち込んでいたのですね」
声にならないざわめきが漣のように広がっていく。
そう。それが、テュロンの想定した今回の事件のからくりだった。
外務卿の遺体から検出されたサンキアージュという毒は、飲み物の中に仕込まれていたのではない。フォジョン駐留官が手巾にしみこませで持ち込んだものだった。
夜会の時の厳しい身体検査と言えども、手巾一枚ならば持ち込むことができる。
その手巾を、駐留官は外務卿を介抱する時に口もとへと運び、酒に濡れた口を拭くことで溶けださせ、毒を付着させたのだ。遺体の検査の時に検出された毒はその時のものだった。
サンキアージュという毒の特性として、水分によく溶けだすということはテュロンが指摘していた。その特性を利用したのだし、事件の実行前に汗で溶け出ないように手袋をしていたというわけだ。
盃の中から検出されたというのも、同様だろう。人々が騒然としているうちに、盃を調べるようなふりをして、手巾を残り酒の中に浸せばいい。後は毒が溶け出して残留してくれる。
もとより、テュロン自身も言っていたように、それはただ頭の中で考え出した理屈に過ぎない。だが、私はテュロンの考えが正しいことを確信していた。眼前の駐留官の蒼白な顔つきによって。
だが、地獄の猟犬のように荒々しく唸り声を上げたのは男爵。駐留官一人ではもはや抗しきれないと見たか。
「馬鹿馬鹿しい。自分の言っておることがおわかりなのかな。その妄想は、外務卿が倒れた後の工作でしかない。なぜそのような手間暇のかかるようなことをする必要があるのですかな。そしてそもそも、外務卿を殺害した手口そのものは全く説明できておらぬ」
男爵の鬼気迫る指摘に、しかし私は軽く両手を上げてなだめるように答えた。揶揄するような表情を浮かべて。
「工作をした理由ですか。もちろんそれは、出席者以外のものに嫌疑が掛かるようにするためです。
そもそも、サンキアージュというその毒は、ある程度大量に摂取させないと致死量には至りません。人の命を奪いたいなら、他にももっと少量で死に至らしめる毒はいくらでもあるのに、なぜその毒を使ったのか、ということ自体が不思議でした。
しかし、致死量が多い、ということ自体が、サンキアージュを使った理由だったのです。そんな多量の毒物を、厳重な身体検査をくぐって持ち込める可能性のある者は、聖務官しかいないわけですからね。そこで、夜会の一般出席者は容疑から消えるというわけです」
私は一息ついて、続ける。
「ですが、今申し上げたように、サンキアージュ自体はただの工作でした。ほんの僅かな量を、後から遺体を調べて検出できるように口や盃に付着させておけばいいだけのこと。その程度の量なら、手巾に沁み込ませて持ち込むくらいで十分ですからね」
何かおかしいなあ、と思ったのは、ムグディフ外務卿の遺体の状況を聞いた時だ。
キュリエナの報告、そして弔問に訪れた時にフォジョン駐留官の口からも聞いたことだけど、外務卿の遺体は綺麗なもので、傷の一つもなかった、と。
その何がおかしいのか、私にはすぐにわからなかったけど。でも、考えてみれば、簡単。
遺体が綺麗で傷一つない、ということは、外務卿の遺体は詳しい検視をされていなかった、ということだ。
ちゃんとした検視を行えば、あるいは外務卿の死因はサンキアージュによるものではない、と分かるのかもしれない。私はこの世界の法医学の技術がどの程度のものなのか知らないけどね。
でも、それはこの世界と私のいた世界の違いでもあるのだろうが、外務卿という貴人の遺体に刃を入れて、お腹の中を詳しく調べる、などということは憚られることなのだろう。ましてや、はっきりとわかりやすく、サンキアージュという毒が口元から検出されたとなれば、なおさらだ。それ以上突っ込むことなく、サンキアージュが死因だと断定されてしまっても仕方がないかもしれない。
男爵はそれを利用したのだ。
「そして、実際に外務卿を殺害した手口ですが……皇太子殿下」
私は不意に皇太子に顔を向けた。急なことに、熊さんのような顔をきょとんとさせて、彼は丸い目をぱちくりとさせる。
「何かね? ラツキ殿」
「殿下はとても素晴らしい美髯をお持ちでいらっしゃいますね。私などは女ですのでよくわからないのですが、そういった殿方のお髭というものは、どのようにお手入れをなさるものなのでしょうか?」
私と試合をした時の皇太子は、お忍びということもあってか、もじゃもじゃの野人のような髭だった。けれど今は、公的な場なのだし、もちろんきちんと綺麗に整えられた髭をしている。彼本来の姿はもじゃもじゃのラフな姿の方なんだろうけどね。
皇太子は私の問いに、その髭を捻りながら、不思議そうな子をしつつ、それでも答えてくれた。
「あ? ああ……私が用意するわけではないのでよくは知らぬが、おそらく蜜蝋や木蝋に香油などを混ぜているもので整えるのではないかな」
「そうでしょうね。高貴なお方は、ご自分のお使いになる整髭料の内容をよく吟味はなさらないでしょう。たとえその内容に何かを混入されていたり、すり替えられていたりしても、すぐにお気づきになる方は少ないかもしれません」
私の言葉に、皇太子ははっとした顔でその髭を撫でた。
「……そうか。髭か」
「はい。亡くなった外務卿閣下は見事な口ひげをお持ちでした。さぞかしたっぷりと整髯料をお使いになったのでしょう。一般の整髯料でさえ、ややもすれば汗などで溶けやすく、それが口に入ることもあると聞きます。ましてやその内容がさらに溶けやすいものにすり替えられ、……そして今度こそ、少量でも死に至らしめるだけの猛毒が混入されていたとしたら」
私は鋭い一瞥をフォジョン駐留官に投げかけた。彼の眼は零れ落ちそうなほどに大きく見開かれ、しかしその瞳には何も映し出されてはいないようだった。
……いや、違う。虚無と絶望が、彼の目には映っていたのだろう。
「亡くなった外務卿のお飲み物の召し上がり方を、ご存知の方も多いかと思います。私も拝見しましたが、外務卿は、盃をぐいっと一息に、煽るように勢いよく奥に流し込むような飲み方をなさる方でした。
そして、事件の起きた食卓に用意されていたのは、他の卓とは違い、口の幅広い盃。
そんな形状の盃で、勢いよくお飲み物を流し込んだら、口髭はすっかり濡れてしまうでしょう。そこで溶けだした毒が口の中に流れ込む……」
この回答にたどり着いたのはもちろんテュロンだけれど、その契機になったのはメイアだった。
テュロンが考えあぐねて、無意識に自分の縦ロールヘアを乱してしまった時に、メイアがその髪を整えてあげた。髪を整える、というその行為がきっかけで、テュロンは、髭を整えるときにはどうするのか、という考えにたどり着いたのだった。
出席者すべての視線が、いまやまっすぐにフォジョン駐留官に収斂していた。岩をも穿つような強い視線が。
ムグディフ外務卿の整髯料をすり替え、その中身に毒を盛ることができたもの。外務卿の独特な飲み物の飲み方を周知していたもの。そして何より、外務卿の遺体に対して工作をしたもの。
そのすべてが、フォジョン駐留官という一人の人物を指し示す。
だが。
大仰なわざとらしい拍手が、その視線を打ち消した。
レグダー男爵の拍手。
「なかなか面白いお話ではありましたな、ラツキ殿。あなたは登攀者よりも、吟遊詩人になればよろしかった。さぞかしいい詩を作れたものと思われますぞ。子供には喜ばれるような類の、ですがな。
しかし、現実は詩とは違いますからな。あなたの言われたそのおとぎ話が事実だというのならば、それを証拠立てるものが何かございますかな?」
証拠ねえ。
テュロンは確かに、そこで一度詰まってしまったのだ。物証が何もないのは事実だったから。
私の元の世界だと、昔は、どうしても白黒つかない争いの時は、決闘とかしてたみたいだが。正しい人間には神の加護があるから、決闘して勝ったほうが正しいってやつね。
この世界でもそういうのあるのかな。だったら、私が決闘してぶちのめせばいいだけだから、凄い簡単なんだけど。
ま、そういうわけにもいかないだろう。
私が延々と、今までこうやって演説してたのは、何も名探偵を気取っていたわけではない。
わかりやすく出席者の人たちに事情を説明しなければならなかったということもあるが、もう一つ。時間を稼ぎたかったのだ。その証拠がここに到着するまでのね。
……で。間に合ったみたい。
その時、扉を控えめにノックする音が聞こえ、重く大きな戸を開けて、入室してきた人たちがいる。
「何かね、ジメイン三等聖務官。今は会議中だが」
議長さんが不審な目をその相手に向ける。彼の言葉通り、そこにいたのは猿人のジメインさん。そしてもう一人、傍らに立っていたのは、銀髪をなびかせて瞳を楽しそうに煌めかせる魅惑的な美女。そう、キュリエナだった。
キュリエナは私の顔を見て、パチリ、と片目をつぶってみせる。
「申し訳ございません、議長閣下。ですが、今回の件に関し、重要な申し出がございましたため、参上いたしました」
ジメインさんは相変わらずの堅苦しい態度で申請した。それに引き続いて、彼が持ち出したのは、二つの包み。
「手袋と、整髯料の残りを発見したしました。簡易検査の結果、整髯料からは猛毒が検出されております」
「何っ!?」
「そ、そんな……!?」
鋭い声と、悲鳴にも似た声。レグダー男爵とフォジョン駐留官から迸った声だ。
「それを、どこで見つけたのかね、ジメイン聖務官?」
議長さんの下問に、ジメインさんは重々しく答える。
「昨夜発生した王国大使館での火災につきまして、本日未明、大使館付近で不審な行動をとっていた人物がレグダー男爵邸に逃げ込んだとのこと、こちらのキュリエナ殿からの訴えがございました。捜査に赴きましたところ、邸宅からキュリエナ殿がおっしゃった人物が現れ、尋問したところ、これを所持しておりました」
これで決まったようね。
キュリエナは、私の仲間たちの中で唯一、私の奴隷ではない。奴隷であるならその証言の証拠価値は低いのだけれど、自由民であるキュリエナは単独で聖殿へ訴えができる。
私たちは昨夜、大きな声で話し合って、あえて男爵にその会話を盗み聞かせた。
その会話の内容は、
「明日の午前中、改めて王国へ弔問い行こう。埋葬される前にもう一度、とか適当に理由を付けて。そしてその折に、棺の中を調べてみよう。もっとも探される恐れのない場所こそが、おそらく隠し場所のはずだから」
――というものだった。
男爵はそれを聞き、危機感を覚えた。証拠が出てくれば終わりだから。だから、部下に命じ、小さな火をつけて騒ぎを起こし、その隙に証拠を盗み出したのだ。
しかし、それこそがこちらの狙い。闇に隠れて見張っていたキュリエナが男爵の配下を発見し、後をつけ、男爵邸に入っていくところまでを確認した上で、聖殿に訴えたのだ。
「な、なぜあなたがそれをお持ちだったのです、男爵!?」
地の底に飲み込まれるかのようなひび割れた叫び。それは、フォジョン駐留官の自白にも等しいものだった。そして、レグダー男爵がそれに関与していることも。
男爵は悪鬼のごとき形相でフォジョン駐留官を睨みつける。だが、そんな男爵自身が、既に驚愕と憤怒に満ちた一同の目に晒されていた。万の刃で斬り裂くような視線に。
「男爵に代わり、私がお教えしますよ、駐留官殿」
私は静かに口を開く。キュリエナの言葉を思い出しながら。
「それは、男爵があなたを信じていなかったからです。あなたが男爵を信じていなかったのと同様にね……」
そう、証拠がなければ出させればいい、と言ったのはキュリエナだった。その話を聞いた時、罪を犯した証拠の品がまだ残っているなどとは、私も最初は信じられなかった。
「まあ、普通はそうよね。すぐにでもそんな証拠は始末されてしまうものでしょう。でも、今回に限っては、あの駐留官の立場と性格を考えてみると、残ってる可能性が高いと思うのよ」
キュリエナはあの時、皮肉な微笑を艶めいて揺蕩わせながらそう言ったのだった。
「駐留官自身は別に外務卿を殺したいような何らかの動機があったわけじゃないわよね。ただ弱みを握られて、男爵の手駒に使われてしまっただけ。……それに対して、何らかの含むところがないはずなんてないわよね。駐留官だって人間ですもの。自分をハメて、操って、殺しの手伝いをさせた男爵に対して。
そして同時に、この殺人を犯すことで、駐留官はさらに新たな弱みを男爵に握られた。このまま一生男爵の操り人形として生きていかざるを得ないほどのね。
だったら、と、駐留官のような、繊細で小心な人は考えるはずよ。今後もまた、無理難題を押し付けられ、自分の負担が限度を超えてしまいそうなときが来るかもしれない。いや、きっとくる。その時のために、男爵を逆に脅せる材料を握っていた方がいい。これがあれば、最低限、男爵を自分の罪の道連れにできるから、と」
そのキュリエナの読みは的中した。駐留官は自分のたった一つの、そして最後の武器として、毒殺に使用した道具をあえて処分せずに手元に残しておいたのだ。
一方、それを知った男爵は、その証拠の品々を秘密裏に奪い取ろうとした。それが男爵の手に渡れば、さらに局面が反転し、男爵は駐留官を脅かし続けることができる。それは帝国だけではなく、古王国の外交をも自分の思う通りに動かしうるということを意味する誘惑だった。
――だが、その結果がこれだ。
男爵を脅そうと証拠の品々を手元に残していた駐留官。そしてその品を逆に奪って、完全な傀儡を作り上げようとした男爵。
その二人の思惑が皮肉に絡み合い、今この場で、彼らの罪は白日の下に晒されることになったのだ。
ちょっとだけ、恥ずかしい言い方をさせてもらうなら。
……結局、信頼なんだ。
この事件のもつれた糸をほぐしたのはテュロン。彼女に発想のきっかけを与えたのはメイア。そして裏社会の事情を教えてくれ、また行動してくれたのはキュリエナ。
私は何もしていない。だが、聖花の競争の時にユーゼルクがいみじくも言ったように、そういう、信じられる、頼れる仲間たちを束ねることも、また力なんだ。
私は、仲間たちを信じ、仲間たちはそれに応えてくれた。だが男爵は、最後まで、自分以外を信じようとしなかった。
それが。彼の破滅を招いたのだ。
「フォジョン駐留官、及びレグダー男爵。何か、抗弁がございますかな」
重いギロチンの刃が落ちるような、冷ややかで厳かな議長の声が部屋に響いた。
一気に十も二十も老け込んでしまったような駐留官が、壊れたようにわめく。舌をもつらせ、つばを吐き散らし、汗を振り撒きながら。
「わ、私じゃない! 私ではなく、あの男! レグダー男爵が私を唆したんだ! 私はただ利用されて!」
「……わかりました。ではこれ以上は、場を改めた正式な裁きの席でお話を伺うことといたしましょう。男爵もそれでよろしいですな? ……誰か、お二方をご案内せよ」
議長は微かに首を振りながらそう宣告した。その声に応じた数人の警備官が現れ、見苦しく、そして弱々しく抗おうとするフォジョン駐留官を取り押さえながら、連行していく。
一方、レグダー男爵は、不気味な死神の石像のように黙りこくり、微動だにせず、ただ座り込んでいた。
うつむいたその顔には影が濃く落ち、表情がうかがえない。
駐留官に引き続き、警備官たちが男爵も連行しようとした、――だが、その時。
漆黒の旋風が渦巻いた。それは男爵の翻した黒衣。風を裂くような、そして怪鳥の羽ばたきのような音と共に、レグダー男爵は瞬時に躍動していた。
不用意に近寄ってきていた警護官の顎を掌底で突き上げると、肘を折りたたんで胸板を撃ち、怯む警護官に飛び掛かると、その腰から剣を引き抜いていたのだ。
慌てて他の警護官が男爵を取り押さえようとする。だがそれより早く銀の剣閃が虚空に描かれ、何人かが滴る血を押さえながら慌てて飛び退いた。
男爵は、ただのイカレた偏執狂の陰謀屋ではない。塔の47階層まで到達した、まぎれもない凄腕の登攀者だった。その事実を、私はうっかり忘れていた。
入室前に厳重なボディチェックが行われており、この場に武装した人間は警護官しかいない。男爵はその剣を狙っていたのだ。
「見苦しいぞ、レグダー男爵。無駄に足掻いたところで、この場から逃げられるものではない。せめて帝国貴族らしく、覚悟を決めよ」
臣下たちに庇われながら、冷静に言葉を投げたのは皇太子。
だが男爵は狂気じみた笑いを漏らしながら、答えようともせず剣を構える。その眼球は焦点が合っているのかいないのか、虚ろな、けれど強い光をギラギラと宿していた。
彼は足を悪くして登攀者を引退したはず。また、聖遺物の過度の使用により、その肉体は憔悴していたはずでもあった。
だが、高揚の為せる業か、それとも燃え尽きる前の最後の輝きなのか。その動きは敏捷かつ獰猛な野獣そのものだった。狂った手負いのケダモノ。
男爵を中心に人々が大きく輪を作り、迂闊に手を出しかねる状況が生まれた時。
「ご主人さまっ!」
私の隣のアンジェが鋭い声を発しつつ、同時に背からまばゆい光翅を展開した。
……そうか。
この場にある剣は、警護官のものだけではなかった。
どんな厳重な身体検査も意味がない剣が、もう一振り、あったのだ。
アンジェは背に手を回し、それを引き抜く。
彼女の体そのものを鞘とする剣を。光り輝く伝説の刃を。
――光芒剣。
「ご主人さま、これを!」
アンジェの声とともに、光芒剣が宙を舞い、私の手に収まる。
「借りるわよ、アンジェ! 皆様、おさがりを!」
私は光溢れる聖剣を構え、男爵に対して歩み寄る。
口説に頼り、舌を振るい、知恵で争うなんて似合わないことするよりも、最後はよっぽど私たちらしい決着の舞台が回ってきたというわけね。
……さあ、それじゃ。ケリを付けましょうか。レグダー男爵。




