証言とつながり
「お、おそれながら、しょ、少々お時間を、よろしいでしょほか!」
……でしょほか?
あ、噛んだのか。と言うか、声が裏返ったというか。
そんな誰かの声に呼び止められて、私は振り返った。今は、古王国大使館を訪問しての帰り際。
私が見返った先には、一人の男性が体をぷるぷるとさせながら突っ立っていた。なんか、ガチガチに緊張してる様子だ。
立派な制服を着てる、というより、むしろ制服に着られてる感じで、まだ少年と言っても通りそうね。顔に幼さが残ってる、とまではいわないけど。
えっと、確か彼は、この大使館を訪れた時に私たちを取り次いでくれた大使館員さんだ。
「はい、何か?」
私は少し首を傾げて彼を見つめた。途端、彼はさっと頬を赤らめ、慌てて視線を逸らす。
なんか初々しい反応。やっぱり少年っぽいな。
そう思ってよく見たら、丸みを帯びた彼の顔には厳しさや鋭さと言ったものがあまりなく、若々しい瑞々しさに溢れていた。
最初にちらっと見た時はもう少し年上かなと思ったけど、それは多分、彼が頑張って生やしている髭のせいだったかも。まだまばらで、あまり整ってはいないその髭は、彼が背伸びして大人の真似をしてるようで、なかなか微笑ましい。
そういえば、さっき会ってきたフォジョン駐留官さんも、亡くなったムグディフ外務卿も、髭を生やしていたっけ。古王国の男性はみんな髭を生やす慣習があるのかな。外務卿の髭は見事に整えられた立派なものだったけど、フォジョン駐留官の髭はあまりお似合いではなかったかしらね。
「何でしょうか?」
私が改めてもう一度問い直すと、彼はもじもじとしながら、つっかえつっかえ答えた。
「そ、その。ま、誠に厚かましいお願いとは存じますが、聖花の摘み手の御方、そして聖王の御子孫の方に、しゅ、祝福をお与えいただけないでしょうか!」
祝福? きょとんとする私に、彼はなおも言い募る。
「聖花の摘み手の御方と聖王のご子孫にお会いできる光栄を得られるのは、誠にその、得難き機会と存じまして! 無作法とは承知しておりますが、その、できればと!」
私はちょっと呆気にとられ、次いで苦笑した。
聖花の摘み手がとても尊敬されるものだというのは聞いてたし、いろんな場面で実感もしてたけど、祝福をお与えくださいときたか。
アンジェはともかく、私みたいなポンコツに与えられる祝福なんてどんな意味があるんだろうとは思うけど、まあ青少年の夢を壊すような真似はしない。
「私なんかでよければ。あなたの上に塔の御加護と祝福がありますように」
恥ずかしいというかくすぐったいというか。そんな思いに囚われながらも、一応請われた通り、私は彼に祝福を与え、続けてアンジェも私に倣った。
「あ、ありがとうございます! 故郷の両親もさぞ喜んでくれるものと!」
大仰に喜んでくれる少年の姿を見ると、まあそれなりにいいことをしたなという思いも湧いてきたりはする。
しかし少年は、すぐに自分でも気恥ずかしくなったようで、慌てて姿勢を整えた。
「も、申し訳ありません、お見苦しいところを。御弔問にいらっしゃった方にお願いすることではありませんでした。どうぞ、ご容赦ください」
「いえ、いいのよ。亡くなられた外務卿閣下もお許しくださるでしょう。豪放磊落な方だったようにお見受けしたもの」
私が掛けた言葉に、少年は少しだけほっとしたような微笑を浮かべた。
「はい。閣下はおっしゃるように豪快なお方でした。強い意志と行動力、そして何よりも故国への強い愛情と誇りをお持ちで……多少、その、強引と申しますか、頑固なところもございましたが」
ふうん。私の抱いていた外務卿の印象とはちょっと違うかな。でも、見方によってはそんな感じになるのかも。がさつで図々しいというのを言い換えれば、豪快で行動力がある、ともいえるわけか。
何にせよ、少年の言葉はうわべのお世辞ではなく、割と真面目に外務卿を称揚している様子がうかがえた。それなりに人望はあった人なのね。
「お国でも、外務卿閣下を支持なさっている方は多かったのでしょうね」
私が向けた言葉に彼は頷く。
「はい。僕なんかには難しいことはわかりませんが、閣下は王国の一つの派閥の領袖であらせられたとか。帝国に対して強い態度で望むべきだと考える方々の」
「なるほどね。確かに、私がお会いした時も、そんな感じだったわ」
強い態度というかムキになってるというか。
政治的思想でどうこうというよりは、あれはただ感情的に、帝国なんて新参者だから嫌い! っていうだけだった気もするけどね。
「閣下が国を愛しておいでだったことは事実ですし、それについては尊敬申し上げているのですが。正直なところ、僕も国にいるときは閣下の御考えに近かったのですけれど、聖都に赴任して、ここで暮らしているうちに、もう少し帝国と融和的に接してもいいのかもしれない、などと思い始めています。フォジョン駐留官さまもそのようにお考えのようです」
おや、少年は外務卿を讃してはいても、無条件に信奉するというわけではなかったようだ。なかなか理性的な子ね。聖都の自由で明るい雰囲気が、少年の感覚を変えたのかな。
まあ確かにこの聖都は、あらゆる国のあらゆる種族が入り混じって活気に満ちた共同体を作り上げている国際都市だ。そんな街で暮らしていれば、自然にものの考え方も変わるだろう。
「駐留官さんは反帝国派というわけではないの?」
「はあ、詳しくは存じ上げませんが、帝国の方々と駐留官さまはお親しくなさっていらっしゃるご様子ですね」
少年は少し思い出すように視線をさまよわせて、口に出した。
「帝国の駐留官、レグダー男爵とご一緒のところを、一度遠くから拝見したことがありましたし」
微かに、しかし確かに、私たち全員が鋭く息を吸う。
何気ない彼の言葉だった。だがその一言は、私たちに緊張を与えるのには十分すぎた。
――レグダー男爵とフォジョン駐留官がつながっている?
この事件の関係者の中に、男爵が登場してきた……?
……いや、もちろん、お互いに聖都の駐留官同士だ。そしてフォジョン駐留官は反帝国派でもないということなら、役職上の付き合いがあっても不思議ではないし、むしろそれが当然なのかもしれない。
けれど。そう理屈ではわかっていても、レグダー男爵という名前の響きは、どうしようもなく私たちに警戒心を起こさせる。
「……へえ。どこで、その二人を?」
これまで黙って私たちの話を聞いていたキュリエナが、さりげなく尋ねた。
少年はちょっと不思議そうに彼女を見たが、素直に答えてくれた。
「ええっと、確か東河門の近くだったと思います。蒼の二番通りの」
「そう。ありがとう」
キュリエナはにこっと妖艶な微笑を彼に向けて流し、少年は真っ赤になって慌ててうつむいてしまった。彼女は相変わらず自分の美貌の使い方をよく知ってるなあ。
「も、申し訳ありません、僕、そろそろ仕事に戻らないと! あ、ありがとうございました!」
あたふたとした様子で、彼は取って付けたように敬礼をすると、ぱたぱたと逃げ出すように立ち去ってしまった。キュリエナ、罪作りな女。
あとに残された私たちは、誰言うとなくお互いに顔を見合わせる。
今得られた情報を、どう判断すべきなのだろうか。
キュリエナとテュロンは、それぞれ何かを考え込むように眉根を寄せていた。
「一応考慮しておかないといけないけど」
と、屋敷に帰った後、私はみんなに確認しておいた。むしろその言葉は、気が逸る私自身を落ち着かせるためのものでもあったが。
「男爵の名が出てきたからと言って、すぐさま、あいつがこの事件に何か関わってるんじゃ、なんて思いこむのは早計だとは思うわ。あいつの役職から考えれば、各国のお偉方と付き合いがあるのは当然でしょうし、それに、そもそも、あの少年の証言だけで、裏付けも取れてないし……」
「もちろんですわ、ご主人さま。ですが」
と、ギラリと肉食獣のように目を煌めかせたのはテュロン。まあ、うん。彼女はこういう話に食いつくよね……。
「ですが、我が輝ける知性の導きに従い、今回の事件で最終的に得をしたのは誰か、という基本的な考えに立ち戻ってみます。それは結局、帝国なのですわ。いえ、正確には、男爵というべきでしょうか」
「そう……なの、テュロン姉さま?」
メイアがきょとんとして尋ねる。テュロンはびしっと人差し指を高く上げ、薄い胸を張って得々と言う。相変わらずのコミカルなオーバーアクトだが、それが彼女には不思議とよく似合う。
「古王国内の反帝国派の急先鋒にしてその派閥の首魁である外務卿が急死したことにより、四か国会議の風向きもまた変わりますわ。
何分急なことですし、会議自体をいつまでも延期はできません。古王国としては、とりあえずの取りまとめはフォジョン駐留官が代行するしかございませんでしょう。
そして駐留官は、親帝国派、とまではいわずとも、外務卿ほど強硬な反対派ではないとのこと。もちろん、あからさまに帝国にすり寄るような態度は取れませんでしょうけれど、帝国の意見に強い反対はしない、という程度なら可能でございましょう。
しかも、古王国のみならず、調整役の聖殿もまた同じ態度を取るとしたなら、その行動にも一定の説得力は生まれますわ」
同じ態度?
――あ。
……そっか。
「私の……私と光芒剣についての議題……ですね」
アンジェが声を固くし、その可憐な玉貌を蒼褪めさせて呟く。
そうだ。
猿人の聖務官のジメインさんが私に夜会への招待をしに来てくれた時、彼は言ったのだった。
聖殿は、帝国の提案する議題に反対はしないと。
それはもちろん、アンジェのこと。
アンジェを奴隷身分から解放し、帝国貴族に叙すという話だ。
聖王の子孫であるアンジェと、その象徴である光芒剣を帝国に帰属させるということは帝国の勢力と威信を拡大させることにつながる。
だから他の国々や、調整役である聖殿はそれに反対するだろうし、帝国もまた、各国や聖殿の不興を買ってまでこれを強行するつもりはないのではないか、というのが、森の熊さんこと帝国皇太子の見方だった。
だが。
聖殿は既に、おそらく男爵の威圧の前に、アンジェに関する帝国の議案に反対しないことを決めている。『黒の聖務官』と『秘法』に関する情報をバラされたくなければ、という奴だ。
それに加えて、今回、古王国までも帝国の議案に反対しないとなれば。
その議案は――通る可能性が高い。
今度は逆に、議案に反対するであろう新王国や都市連合の方が劣勢になってしまうからだ。
「で、でも、あの皇太子さまは、そのお話に反対なんでしょう?」
メイアがアンジェの服の袖にきゅっとすがり、心配そうな顔つきで彼女を見上げる。大事な「お姉さま」がどこかへ行ってしまうのかもしれない、そんな不安を抱えた貌で。
「ええ。ですがそれは、あくまでも、帝国が強硬に議案を主張し、その結果として各国や聖殿の反発を買ってしまうのは、今後の国際関係を考えた時、帝国にとって逆に不利益だから、という理由ですわ。
けれど、聖殿と古王国の了承が水面下で合意されたとなれば、無下にアンジェを貴族に叙するという案に、皇太子と言えどもうかつに反対は出来なくなります。それは帝国に利益をもたらすこと自体は間違いないのですもの」
私たちの間に静寂が広がる。
そう考えれば、確かに、つながる。
アンジェの問題。そして今回のラフィーネさんの問題。
その二つが、――つながる。
男爵の思惑という一点で。
「でもそれって、フォジョン駐留官が何らかの形で男爵の手先になったということ? いくら反帝国派の外務卿と派閥が違うからと言って、まさか自国の閣僚を手に掛けたりするかしら」
首を傾げた私に、キュリエナがくすりと笑う。
「ま、それに関しては、直接調べに行くのが一番手っ取り早いんじゃないかしらね。『蒼の二番』に」
蒼の二番?
あ、さっきの大使館の少年が言っていた、蒼の二番通りって場所か。
でもそんなとこに行ったからって、何がわかるというのだろう。通りにぼんやり突っ立っていれば手掛かりがやってくるとでも?
頭上にクエスチョンマークを浮かべている私に、キュリエナが言う。
「ラツキたちはまあ知らないでしょうね、キレイな世界の人だもの。でも、東門近くの蒼の二番通りの中に、特にその隠語で呼ばれる場所があるの。知る人ぞ知るっていう意味では有名なところよ――モグリの賭場としてね」
「賭場? ああ、そういえば」
私は思い出す。フォジョン駐留官はギャンブルにハマっていると、夜会の時、外務卿が言っていたっけ。
てっきり、聖殿公認の公式な賭けのことかと思ったけど、モグリの賭博場もあるのか。
そんな場所の近くで賭け事好きの人の姿を見かけたとなれば、確かにその賭博場に行った可能性は高い。
そういういかがわしい……こほん、裏の世界の情報に関しては、さすがにキュリエナの知識と情報は頼りになるわね。
「わかったわ。じゃあ、案内してもらえる、キュリエナ? みんな、行ってみましょう」
時間が惜しい。ぐずぐずしていたらラフィーネさんも断罪されてしまうし、会議が始まったらアンジェに関する問題も男爵の思い通りになってしまいかねないのだから。
私たちは決意に満ちて頷き合うと、席を立った。
棍棒を振りかぶって殴りかかってきたのは、上半身素っ裸のムキムキな巨漢。この賭場の用心棒ってとこかしら。
うーん。私、お話聞かせてくれないかしらって言っただけなのにな。ちゃんとお礼もするわって言ったんだよ?
でも、駄目だって。
まあ、ほんとなら、ちゃんと顔を繋いである人の紹介が必要なんだそうだ。だからいきなり訪ねてきた私たちが歓迎されなかったのも仕方ないと言えば仕方ないんだけど。
でも、いきなり殴りかかってくることはないんじゃないかしら。
とか思いつつ、私は用心棒さんの外側に体を捌きながら、ついと手を上げ、人差し指と中指を揃えて彼の腕を突っついた。
「うぅっ!?」
彼は棒立ちになってすくむ。
ナントカ秘孔を突いた。お前はもう死んでいる。……なんていうほどたいそうなものではない。ただの肘の麻穴。
まあぶっちゃけ、よく椅子の肘掛けのとこに肘を勢いよくぶつけると、びりっとくる場所があるじゃない? あそこを突いたっていうだけ。彼は上半身裸だったから、突く場所がとってもわかりやすかったのよね。
よっぽど強く突かなければ、体にダメージが特に残るような場所ではない。でも、誰でも体験上わかるような、あのびりっという痺れが腕を襲い、彼は思わず棍棒を取り落とす。
落ちてきたところに、私は後ろ脚を上げる。踵で落ちてきた棍棒を跳ね上げると、その棍棒は持ち主さんの元へ跳ね上がり、彼の四角い顎にしたたかにぶつかった。
「あがっ……!」
顎を押さえて彼はうずくまる。そのおでこに、こん、と軽く拳を当てた。
ケンカしに来たわけじゃないし、彼に恨みも何もないんだから、剣を抜いたりしないのはもちろんだし、怪我だってあんまりさせたくない。
アンジェとラフィーネさんの身の安全が掛かったこの事件の真相を調べるのは急務。だから、いざとなればどんな手段だって選ばない覚悟と決意はある。でも逆に言えば、いざということにならなければ無駄に争う必要もないわけで。
なるべくなら、これでおとなしくなってくれるといいんだけどな。
「……ってこと、あなたたちも、ちゃんとわかってるでしょうね?」
「ご心配はご無用ですわ、ご主人さま。手加減は心得ております」
「そこまで気を使う必要あるのかしらね。ぶっ飛ばしちゃってもいいんじゃない? それもこの人たちのお給料のうちなんだから。ラツキ、変なとこで善人っていうか小心者よね」
振り返った私の視線の先では、テュロンとキュリエナもそれぞれ一人ずつ、デカい用心棒を組み伏せていた。
むー。失礼な。小心者なんじゃなくて、単にこれ以上面倒な大騒動を起こしたくないだけだし。……それを小心者というのかもだけど。
アンジェは魔法を使う体勢を取りながらメイアを庇っている。が、彼女の魔法の出番はなかった。あっという間に三人を制圧した私たちに、賭博場の男たちはすっかり毒気を抜かれてあんぐりと口を開けており、それ以上攻撃に出ようとする者はいないようだった。
「ラ、ラツキ? あんたまさか、聖花の摘み手のラツキなのか?」
あ、もう。キュリエナが名前呼んだりするからバレちゃったじゃない。
一応フード付きのコートを用意して、顔を隠してきたのに。聖花の摘み手である私と、聖王の子孫であるアンジェがモグリ賭場なんかに堂々と出入りするのはまずいかなと思ってさ。
「あんただと知ってりゃ、何も手向かいはしなかったぜ。あの競争では、こっちも儲けさせてもらったしな」
顎を押さえながら、最初の用心棒がのっそりと起き上がって、ばつが悪そうに言う。
ありゃ。正直に名乗ってた方が、余計な騒ぎにならずに済んだのかしら。
でも、あの競争で儲かったって?
私とユーゼルクの同時優勝だったんだから、胴元としては損が出てるんじゃないかしら……と思ったけど、もしかして「複数人の同時優勝」に賭けてた人なんかいないから、胴元が総取りしたってことなのだろうか。
うわ、さすがにあくどいな。というか同時優勝でちゃんと両者の分を支払った聖殿の方が優しすぎるのかもだけど。
「聖花の摘み手においでいただけるとは光栄ですな」
賭場の奥からゆらりと影を引いて、一人の長身の男が現れた。用心棒たちとは違って整った服装を隙もなく着こなしており、鋭く油断のない目つきと、狡猾そうなぴんと張った髭を持った、貫禄のある男だ。
彼が胴元っぽいわね。
「しかしですな。いかに聖花の摘み手とはいえ、腕ずくで来られてお客様の情報を漏らしたとあっては、我らの面目が立ちません。こういった裏の世界だからこそ、大事なのですよ、信頼がね。それはお分かりいただけますかな」
「わかるわ。でもこっちにも引けない理由があってね」
私と胴元の間で一瞬、ばちりと視線が火花を散らす。
だが、私はすぐに微笑んで、言った。
「だから、私と賭けをしない? 私があなたの客になるわ」
「ほう。どのような賭けを?」
胴元が興味深げにきゅっと目を細める。アンジェたちもきょとんとした顔で私を見た。
まあ、割と行き当たりばったりでここまで来たので、十分な打ち合わせはしてなかったのよね。
「――塔の百階を最も早く超えるのは誰か。私は私に賭けるわ」
ほ、と、胴元の薄い唇が歪み、鋭い目が光を増した。
同時に、メイアとキュリエナもぎょっとした顔で私を見る。一方、アンジェとテュロンは比較的平然。温度差があるわね。
「あの聖王陛下でさえ、百階へ到達したのみなのです。その百階を「超える」と仰いましたかな?」
皮肉気に、しかし侮蔑の含まれた調子はなくむしろ楽しげに、胴元は尋ねた。
メイアとキュリエナが驚いてるのも、まあそこが理由だろう。
アンジェやテュロンには、私は最初から、塔の頂点を目指すと言ってある。だから彼女たちはそんな私の広言にも慣れたものなのだろうが、メイアとキュリエナはまだ知らなかったかな。
でも、私の武器って、結局それなのだ。塔の頂点を目指す。その意思と決意こそが。
胴元は射すくめるような眼光を無遠慮に放って私を貫く。
しばしの沈黙の後、彼は口ひげを捻ってニヤリと笑った。
「なるほど。その場しのぎの苦し紛れというわけでも、根も葉もない妄想というわけでもないようです。本心から塔の頂上を目指すと志し、そしてその実力もあると考えておいでだ。……面白い御方ですな」
「なら、受けてくれるかしら?」
挑発的に言った私の言葉に、胴元は楽しげに笑った。
「どうも最初から私どもの負けになる賭けのような気もしますな。ですが、一方で、これは確かに歴史に残る賭けになりましょう。この地下賭博場最大の賭けに。胴元冥利に尽きるものと言えますかな」
ほっとして、私は長い髪を払った。心なしか、空気が少し軽くなった気がする。
「だったら、その賭けにあたって必要なものがあるわ。いえ、必要な人が。私が塔を極めるために必要な人たちがね。その人たちが揃うことで私の方の条件が整う。賭けを成立させるためにはその人たちを助けるための情報が必要。だからあなたは、その情報を私に提供してくれないといけないのよ」
我ながら無茶というか、かなり、いや相当強引な論法だというのはわかってるんだけど。でも、こういうのは勢いだ、勢い。場の流れってやつだ。
案の定、胴元は苦笑しながら頷いてくれた。
「かしこまりました。それで、何がお聞きになりたいと?」
彼の言葉に、私はアンジェを手招いた。これからの手順については打ち合わせしてある。
アンジェは私たちの元にやってくると、魔法を起動させた。光の渦がぼんやりと膨れ上がって空中に広がり、やがて人物像を形作り始めた。
アンジェには、光魔法を使って、いわばモンタージュを作ってもらっているわけだ。最近の、魔法精度の上がったアンジェだからこそできること。
以前だと、なんか抽象画みたいなのが出来ちゃってたけどね。今なら、写真のような、とまではいわないまでも、十分肖像画として使える映像を映し出すことができる。
やがてアンジェの魔法は、二人の男の姿を虚空に作り上げた。
胴元はその男たちの姿を見て、頷く。
「……この方々のことでしたか。確かに、存じております……」
大使館の少年の言葉は裏付けられた。
もちろんそれは、レグダー男爵とフォジョン駐留官の姿だったからだ。
彼らがつながっている、というのは、あの少年の証言だけによるものではなく、これで確かめられたというわけだ。
胴元の言によると。
男爵はこの賭場の、いわば常連だったという。といっても、
「最初は面倒なお客様でしたがね……何せ、信じられないくらいにこちらの手を読んでしまわれるお方で」
胴元が肩をすくめる。まあ、そりゃそうよね。男爵は遠隔視能力を持っている。賭け事の種類にもよるだろうけど、ハマれば敵なしだろう。
だが、それだけではただの賭場荒らしだ。男爵はそうやって自分の実力を認めさせると、今度は自分がむしろ新しい客を仲介というか斡旋する側に回ったようだ。
男爵が自分の人脈を広げていく一つの手というわけね。
そうやって連れてこられた人たちの一人が、フォジョン駐留官。
フォジョン駐留官は、最初のうちは大勝ちすることが多かったらしい。主に男爵の助言によってだ。
だが、それは長く続かなかった。
次第にフォジョン駐留官の勝負は負けが込むようになっていった。しかし、最初に勝ちの美味を覚えさせられた彼は後戻りすることなく、どんどんと深みに嵌っていってしまったらしい。手元に金がなくなると、賭場に金を都合させてまでも。
「こう申し上げては何ですが、賭け事には向かないお方ですな。次は勝てるかもしれない、次こそは、と根拠のない希望的観測にすがってしまわれる。まあ、そういうお客様がいてこそ、私どもも儲けさせていただけるのですが」
胴元が酷薄に笑む。当然ながら、別にこの胴元もいい人というわけではない。裏の世界の人間、カタギを食い物にする側の人間なのだ。明言はしなかったが、おそらく男爵と組んで駐留官をハメたのだろう。
そのようにして、気づけばフォジョン駐留官の債務は恐るべき額に膨れ上がってしまっていたらしい。
闇賭場で巨額の借金を作ったなどという事態が古王国に知られれば、もちろん彼は終わりだ。古王国は体面を重んじる国柄。許されはしまい。身分だけではなく、ことによっては命までも失いかねない。
もちろんそれが、レグダー男爵の狙いだった。
青くなった駐留官に対し、男爵は親切ごかしに、その借金を肩代わりしようと持ち掛けたらしい。
……つまり。
そのようにして、出来上がったわけだ。
男爵の傀儡としての駐留官が。
「と申しましても、あくまで状況が推察できたというだけにすぎませんわね」
屋敷への帰り道、テュロンが呟く。
確かに、ここまでつかめたのは、男爵とフォジョン駐留官との関係、そして男爵の目論見だけだ。それも、単なる推論に過ぎない。
ラフィーネさんを救うためには、やっぱりラフィーネさん自身の口からも、事件の際の詳しい事情を聴きたいところなんだけど。
でも、聖殿に身柄拘束されてる彼女と会う手段なんてどうやったら……。
思い悩みながら帰った私たちが、屋敷の扉を開けた時。
「あら、お帰りなさい」
「あ、ただいま……って、え!?」
迎えてくれた人がいた。
――いや、誰!? 見たことない人だよ!?
真っ黒い法衣に身を包み、黒い仮面をした女性なんて、私の知り合いには……って。
そこまで見て取って、ようやく茫然としていた意識がしゃんとする。
黒い法衣と、仮面。
……黒い聖務官。
まさか、目の前の彼女が、そうなのか。
あの伯爵夫人の事件の時、まさにこの屋敷の地下洞窟で、私は彼女の声を聴いている。
もっとも、あのときの声は、山彦の術だか木霊の術だかとやらで、反響が酷かったから、今この場にいる彼女の声が同じなのかどうか、よくわからないけれど。
しかし、声よりも。
私が改めてその目の前の女性の姿を見て思ったのは。
似ている、ということだった。私が知っているあの人に。
もちろん彼女は仮面をつけているし、だぶだぶの法衣を着ているのだけど、全体的な雰囲気、そして。
そして――真紅の髪が。
「あなたは、もしかして――」
問いかけた私の言葉に、彼女はふわりと微笑んで、答える。
「私の名前も素性も、もう、とうの昔に捨てたものです。ですが……おそらくラフィーネは、まだ私を呼んでくれるでしょうね。――姉と」




