祝祭と花火
「当たった! また当たったよ、ご主人さま!」
ぴょんぴょんとメイアのちっちゃな体が嬉しそうに飛び跳ねる。天真爛漫な笑顔が弾けそうなくらい活き活きと。
はあ、可愛いなあ、この子は。まるで、全身で飼い主に撫でて撫でてとアピールしてくる子犬みたい。
私は思わず口元を綻ばせて、メイアの頭をわしゃわしゃと撫でた。眩しそうに見上げてくるメイアの目線がさらにまた愛らしい。
傍らのアンジェとテュロンも、蕩けそうにほわわーんとした和み顔で、そんなメイアの楽しそうな様子を眺めている。
だが、それに対して。
「も、もう勘弁してくださいよ、姐さん方……」
私たちと正反対に泣き出しそうな顔で言ってきたのは、露店の店主のおじさんだ。
「こ、これ以上は商売あがったりですぜ」
がっくりと肩を落とした店主の姿に、私たちは顔を見合わせて苦笑した。
盛り上がりを見せた聖王祭も今日が最終日。
私たちは聖花の摘み手競争に出場して疲れきっていたために、お祭りの全日程を十分に堪能することはできなかったけれど、せめて最終日くらいはと、こうして繰り出してきている。
色々な見世物、出し物を見て回り、珍しい大道芸や派手な飾り物で目と耳を楽しませ、食べ物の露店をハシゴして舌とお腹を喜ばせる。
そんな楽しいひとときを過ごせたのは、やっぱりみんなでわいわいと騒ぎながらそぞろ歩くことができたからだと思う。どんな賑やかなお祭りも、一人で回ったら味気ないものね。
でも、今は周りに私の愛する少女たちがいてくれる。それが、一層お祭りの楽しさを私に感じさせてくれていた。
そして、先程からの私たちは射的場にいる。
小さな玩具っぽい弓矢を使って的を射て、当たったら駄菓子とか玩具とか安い装飾品とかがもらえる仕組みだ。
一見簡単そうに見えたけど、この「小さな玩具っぽい弓矢」というのがなかなか曲者で、大人にとってはかえってうまく扱い辛いのよね。まあ、だからこそ商売にもなるんだろうけど。
私はお菓子を二個、アンジェは木彫りの人形を一個手に入れ、テュロンは一度も当てられずにむくれていた。「おかしいですわ…私の輝く知性による計算では……」とかなんとかぶつぶつ言ってたけどね。
だがここに、思いがけないダークホースが現れたのだ。
メイアである。
彼女は一度も外すことなく立て続けに的に当て、どんどんと景品を積み上げていき、ついには客寄せの看板であっただろう多少高級っぽい髪飾りまでもらってしまった。
で、お店のおじさんが泣きついてきた、という流れ。
まあ別に私たちもお店のおじさんを虐める趣味があるわけではない。楽しませてもらったことだし、ちょっとだけ心づけを渡して、お店を後にした。
メイアは、両手で景品の入った大きな袋を抱えて、零れそうな笑顔だ。中身は安い駄菓子とかちゃちな玩具ばっかりだけど、それでも嬉しいものよね。
「メイア、あなた、弓が上手なのね」
私は声を掛けた。
メイア自身の体が小さいから、小さな弓が扱いやすかったということもあるんだろうけど。でもそれだけじゃなくて、彼女は体の力の入れ方や構え方が、とても素直で自然体なのよね。彼女自身の性格をそのまま映したように。
だから変に力んだりせず、まっすぐ矢が飛んでくれるのかな。
「えへへ。あのね、僕、前にちょっとお話したように、里で暮らしていたころに、部屋の前に大きな木があったんだ」
メイアがにっこりと答える。
ああ、そういえばそんなこと言ってたっけ。小鳥を巣立つまで見守っていたという話だった。
「それでね、一人でいるのつまらないから、よくその木の葉や実を射て、退屈を紛らわしていたんだ。もちろん、おもちゃの弓だけど。それで、慣れてたのかな」
「なるほどね。確かに上手なはずだわ」
私は納得する。でもそれは、メイアがどれほど寂しさの中にあったのかということを示してもいた。腕前が上達するほどの時間ずっと、彼女は一人で弓を射ていたということなのだから。
ある種の痛ましさを持ってメイアを見つめた時、私は彼女がちらりと上目遣いで私を見たのに気付いた。小さな唇が微かに開き、何かを言いたそうに見える。
なんだろう、とメイアに問いかけようとしたが、それより先に、前方から声が掛かった。
「やあラツキ、お祭りを楽しんでるかい?」
目を遣った私は一瞬ぎょっとする。そこにいたのは、カボチャのような半ズボンと金の鎖をぶら下げた上着を着こみ、先端に鈴のついた鍔広の帽子を被った、大きなひげの男だった。
誰だこのトンチキな道化は!? と引きかけたが、やや遅れて、その姿に見覚えもあることに気付く。
「……ユーゼルク。あなたのその仮装も、無駄にならなかったようでよかったわね」
そう、それはユーゼルクの仮装だった。私が彼に、競争への出場を頼みに行ったときに、この衣装合わせをしていたっけ、と私は思い出していた。
彼は滑稽な付け髭の下から爽やかな笑顔を送り出す。
「ああ、客に会ったりしてここ数日は忙しかったんだけど、せっかく用意したものだから、最終日くらいはと思ってね。君も、何か仮装してくればよかったのに」
「私はあんまりそういうのは……」
と口を開きかけたが、ユーゼルクは長身を曲げて私の方に寄せ、少し小声になって言う。
「お祭りの時だけじゃなく、今後も、何か用意したほうがいいかもしれない。君はもう、摘み手の優勝者なんだ。僕たちと同じようにね」
「え?」
きょとんとしたが、ユーゼルクが目配せで周囲を示したのに気付いてきょろきょろと見回し、気づいた。
周りの人々が、遠巻きにだが私たちに注目し、囁き合い、目を輝かせていることに。
……そっか。優勝した私たちの姿は映像で中継されていたこともあり、多くの人々の意識に登るようになったわけだ。
ただでさえ私たちはアンジェやテュロン、メイアと言った美少女たちが揃っていることもあって衆目を集めやすかったのだけど。これからは、それこそユーゼルクたちのように、帽子やヴェールで素顔を隠す必要も出てきたりするのかな。
「まあ、仕方ないさ、ラツキ。君は美しいばかりじゃなく、今回の活躍は本当に目覚ましかったからね。人々が憧れても無理はない」
「やめてよ。……それに、今回活躍したのは私じゃなく、私の仲間たちだわ」
「ははは、それを言ったら僕たちの隊だって、最後に大樹に登ってくれたのはバートリーだし、それを補助してくれたのはエレインで、僕は何もしていないさ」
ユーゼルクは楽しそうに笑い、帽子に付けた鈴をシャランと鳴らした。
「だけど、そういう頼れる仲間たちを束ね、導くのが僕の仕事で、それは誇るべきことだと思ってるよ。君も同じさ。君の素晴らしい仲間たちをしっかり導いたことこそ君自身の功績だ。それは素直に受け止めていいと思うな」
透き通ったユーゼルクの黄金の瞳が、涼やかに私に向けられる。
「ラツキ。君は大した力を持っているのに、そんな君自身について自信がなさそうに見えることがある。もっと胸を張って力を振るっていいんじゃないかな。それは傲慢や不遜とは違うものだと思うよ」
「……胸に留めておくわ」
私は肩をすくめて頷いた。まあ正論かもだけど、言われてそれができる人とできない人はいるわけでして。
ただそれはそれとして、ユーゼルクが私を案じていてくれるのは伝わったから、それに対しての素直な感謝の念はあるが。
「じゃあ、僕はそろそろ行くよ。君たちも、これからお参りかな? 最終日だし、早めに行った方がいいかもしれないね」
「え、ええ。それじゃあ」
挨拶をかわし、ユーゼルクは人ごみの中にその長身を紛れさせて立ち去って行った。
「いいかたですよね、ユーゼルク様って」
「あー……そう、ね」
アンジェがその後姿を見送りながら言い、私は曖昧に同意した。
まあ、うん。
ユーゼルクが、いわゆる「いい人」なのはわかる。とてもよくわかるんだけど。
……「いい人」すぎないかな、彼。
私のように、内側にドロドロでネガネガしたものを抱えている人間としては、ユーゼルクのように、快活で明るく爽やかで誠意と善意に満ち溢れた人間の存在って、なんだか変な……変といったら失礼かもだけど、不思議なものに見えてしまう。
たとえば、私たちの中でも、アンジェなんかはとっても綺麗な心の持ち主だけれど、そんな彼女だって嫉妬に燃えて暗黒モードに入ることはある。
純真無垢なメイアにしても、初めて出会った時は、心を閉ざして冷たいお人形のようだった。
そんなふうに、誰でも負の面ってあると思うのよね。でも、ユーゼルクってそういうの、なさそうに見えるんだよなあ。
まあ、私は別にユーゼルクとプライベートで親しいわけではない。だから知らないだけで、もしかしたら彼にも、何か抱えているマイナスの部分はあるのかもだけどね。
「それでご主人さま、これからお参りに行かれるのですか?」
考え込んでいた私にアンジェが声を掛けた。別れ際にユーゼルクが言ったことだ。
聖王祭は聖王アンジェリカのためのお祭り。なので、聖殿に赴き、聖王に祈りを捧げるというのが元々の目的のイベントなのだ。露店とか見世物とかはあくまでその付録なわけで。
……うーん。
私の考えが正しければ、多分聖王アンジェリカって、私と同じ異世界転移者、それも私と同じ世界からの転移者なのよね。
私にとっては、同郷の先輩ではあるかもしれないが、別に特別に聖なる存在とかいうわけではない。そんな人にお祈りする、というのも、なんだか変な気分ではある。
とはいえ、転移者であることは秘密なのだから、そんなことを言うわけにはいかない。
それに、私自身にとって意味がないと感じているからと言って、アンジェたちの大事にしているもの、尊敬しているものを否定するような馬鹿な真似はもちろんするわけがないし。
「そうね。お参りに行きましょう。聖王陛下は、どうやら本当にアンジェのご先祖様でもあるみたいだしね」
「そうなるんですよね……なんだか私、まだ全然実感がわかないのですけど」
困ったように微笑むアンジェ。確かに、この世界でこれほど盛大なお祭りが繰り広げられるほどにあがめられている人物の子孫だということになったら、戸惑いもするだろうな。
光芒剣を受け継いでいるという客観的事実によって、聖王がアンジェのご先祖様であるということはほぼ証明されたと言っていいと思う。以前レグダー男爵にそう言われたときは半信半疑だったけれどね。
ということは、異世界転移者もこの世界の人と子供が作れるんだな、とふと気づく。
……まあ、女性を恋愛対象にしている私には関係のないことだけど。
「アンジェを幸せにしないと、聖王陛下の罰が当たっちゃいそうね」
「それなら大丈夫です、ご主人さま。私、聖王陛下に堂々とご報告できます。誰よりも素敵な、愛しいご主人さまに巡り合えたことを」
今度はにっこりと衒いなく言いきるアンジェの言葉に、私の方が照れて視線を外してしまった。んもう、この子は恥ずかしげもなく。
……でも、どうなのかな。聖王は本当に怒らないかしら。
確かに待遇や境遇はいいかもしれない、私を愛してくれているかもしれない、でも。
でも、今のアンジェは――奴隷という身分なのだ。
そのことについて、聖王が生きていたらどう思うんだろう。
考えても無意味なことではあるんだけど、ね。
人、人、人の海。
聖殿前広場は大群衆でごったがえしていた。
単に人数が多いだけじゃなく、この世界では人間族じゃない種族も多いわけで、体格の大きな種族や獣人さんとかもそこら中にいるから余計に大変だ。逆に、体格の小さな種族の人にぶつかったりしないようにも気を付けないといけないしね。
そういえばラフィーネさんは、短時間だけど空飛べるんだよなあ……こういう時便利だろうなあ。
「みんな、はぐれないように気を付けてね!」
特にメイアが心配な私は彼女の手をぎゅっと握りながら、もう片手はアンジェと繋いで、人の波をかき分け進む。アンジェはテュロンと手を繋いでいるはずだ。
聖殿と塔に向かって拝し聖王に祈りを捧げるのは、このお祭りの本来の目的だ。だから、もちろん人は多くて当たり前なのだけど、それでも、いつもの聖王祭ではこれほどに大混雑はしていないのだと聞いた。
では、なぜ今回はこれほどに混雑しているのか。
その答えを、私はようやく群衆をかき分けて進んだところで目にする。
大型の水晶板に、大きく映し出された聖王の樹。
それは今も変わらず、嘆息するほど美しく咲き誇った花々を枝いっぱいに付け、威容と威厳に壮麗さと荘厳さを加えて屹立していた。
本来ならば、競争を中継するためだけの水晶板だったが、この聖王の樹の美しい変容を多くの人々に見てもらうために、聖王祭の期間中は映像中継を切らないでおいているのだそうだ。
人々は、この映像を一目でも見るために群がっているというわけね。
水晶板の手前には大きな箱が置かれている。まるでお賽銭箱のように。……いや、事実、それはお賽銭箱なのだ。この聖王の樹を拝した参拝客が、御報謝としてお金を献じていくための、それは箱だった。お金以外にもお花などの供物が山盛りになっている。
しかしまあ、これだけの大人数だ。一人一人の献金は石貨一枚などの微々たるものでも、積もり積もって恐ろしい金額になっているだろうな。太っ腹に金貨を奉じていく人も少なくないようだし。
……で、そこから賭けの支払い金が充当されるのだそうだ。
私とユーゼルクが同時優勝したことで、払い戻しはどうなるのだろうとも思ったが、ちゃんと確定した倍率通りに支払われて一安心。
もちろんそれでは払い戻しのためのお金が足りなくなるのだけど、不足する部分は一時的に聖殿の財産から拠出し、後からこの献金で穴埋めするのだとラフィーネさんから聞いた。
いいのかな、と思わなくもないが、まあこのお賽銭は聖樹と聖花に捧げられたお金なのだから、その聖花を取ってきた競争の優勝者に関連する事業に充当されても悪いことはないのかな。
ようやく聖殿前に出られた私たちは、塔を遠く拝することにする。
いつも登ってる塔だし、私自身には塔に対してそれほど尊崇の念とかはないのだけど、やっぱりこの世界の人々にとっては大切だし、神聖なものなのよね。
ちらと周囲を見回すと、アンジェたちも敬虔に祈りを捧げている。……と、ふとテュロンと目が合った。
テュロンの御祈りはそれほど長くはなかったみたい。あんまり願い事とかしないのかな。
なんだか、テュロンの目が悪戯っぽくきらっと光っている気がする。
だがその時、人ごみの中、後ろから声がかけられた。
「メイア! おお、ここで会えるとは、まさに塔のお導きじゃ」
「……里長!」
振り返ったメイアが驚いたように、そして嬉しそうに答える。
メイアの視線の先にいたのは、彼女と同じような空色の髪をした数人の人たち。声を掛けてきたのは、その中心にいた、貫禄のある老人だった。
「ご主人さま、僕の里の人たちだよ!このひとが里長! 長、この人が僕のご主人さま、ラツキ様だよ」
弾んだ声でメイアが紹介してくれる。
そっか、メイアの里の人たちもお参りに来ていたのね。さっきのユーゼルクといい、お祭りという日だから、いろんな人に出会うな。
いつまでも人ごみの真ん中で立ち話してるわけにもいかない。私たちは、メイアの里の人たちと一緒に、ちょっと広場から外れた横道に入った。
「しかし驚いたぞ、メイア。献納奴隷をして奉じたはずのお前が、なぜか登攀者の随伴奴隷になっておるとはの」
「あ……ご、ごめんなさい」
しゅんとしてメイアは目を伏せ、うなだれた。私も思わずドキッとする。
確かに、メイアの里の人たちにとっては、彼女の境遇の変化は文字通り青天の霹靂だっただろう。
メイアもそのことを気にしていたし、正式にメイアの里へ報告をした方がいいのだろう、とは私も思っていたところだった。
だが、里長さんはにっこりと笑ってメイアの髪を撫でた。
あ、やっぱり。メイアって、撫でたくなる雰囲気あるものね。
「驚きはしたが、しかし聖花の摘み手の一人となれたのは素晴らしいことじゃよ。里にとっても名誉じゃし、何よりも……」
と、里長さんは柔らかく優しく、メイアの頭をぽんと叩く。
「何よりも今のお前はとても楽しそうじゃ。里にいた時はあまりそんな顔を見られなんだからのう。わしらは、お前を大事にしてきたつもりじゃったが、大事にしすぎて、窮屈な思いをさせてしまっていたかもしれん。すまんかったの」
「そ、そんな。僕、長も里のみんなも大好きだよ!」
慌てたようにメイアが答える。ぶんぶんと手をふり回して、全身でアピールする姿は、必死なのはわかるだけに、ちょっと微笑ましくもあった。
里長さんや里の人たちも、そんなメイアを好感の籠った眼差しで見つめている。
私はほっと安心し、息をついた。
メイアを献納奴隷から随伴奴隷にしてしまったことで、彼女の里の人から反発されたらメイアが可哀想だものね。それはメイアの責任じゃないんだから。
でも、ちゃんと、メイアの里の人たちは優しい人たちだったし、理解もしてくれていた。
「それで、メイア。これからもお前のご主人さまと一緒に?」
里長さんの言葉に、メイアがはっきりと頷いた。
「うん。僕、塔に登るよ」
……え、ちょ、ちょっと待ってメイア。
それを聞いて、今度は私が慌てた。
今回は仕方なかったけど、でもメイアをこのまま塔に登らせることについては、実は私はあまり肯定的ではなかったのよね。
彼女には「眼」の力があるし、それはとても役に立つとは思うのだけど、でも彼女は武術を修めているわけでもないし、小さな体で、これから上の階層を目指すのはきついのではないかと思っていたのだ。
私たちが塔に登っている間、メイアには家の留守番をしてもらおうかな、寂しがるようならリアンディートの家にでもお世話になって……などと考えていたんだけど。
でも、メイアの意思は違ったらしい。
「メイア待って、そのことについては……」
言いさした私をメイアの真っ直ぐな目が止める。
「ご主人さま、僕、行きたいんだ。ご主人さまたちと一緒に。さっきも、それをお願いしようとしたんだよ。危ないのも大変なのも今度の競争でよくわかってる。僕自身の力が足りないのも。でも、それでも僕、ご主人さまたちと一緒にいたい。みんなの力になりたいんだ」
「メイア……」
私はためらった。
大切にされ過ぎ、箱入り娘になりすぎて一人ぼっちだったメイアにとって、私たちは多分、初めてできた友人であり、仲間なのだろう。その私たちと離れたくないというのはわかる。私たちを大切に思ってくれており、その私たちのために自分も、という気持ちも伝わってくる。
いや、私だって、感情だけで言えばメイアと一緒にいたいとも思うし。
でも、そんな感情だけで決めていいことだろうか。
塔に登るのは、仲良しこよしの楽しい旅行とは異なるのだ。
メイアがそれをわかっていないというわけではないだろうけど、でも……。
「ラツキ様。どうか、メイアの願いを聞き届けてやってはもらえませぬか」
逡巡している私に、里長さんが口添えしてきた。
「わしらは、登攀者のことはよくわかりませぬ。ですが、この子がこれほどに強く自分の意思を出したことはございませんでした。いつも必要以上に「いい子」だったメイアの、初めての我儘なのです。どうか、それを汲んでいただきたく思います」
頭を下げる里長さん。メイアもそれに並んで叩頭する。
うーん。そういう言われ方をしちゃうと、弱いなあ。
「ご主人さま、私からもお願いいたしますわ。我が輝ける知性が判断しますに、メイアは、多分ご主人さまがご案じになっているよりも強い子だと思いますわよ」
「私もそう思います。それに、どうしても危惧なさるなら、下の階層からもう一度登りなおしてもいいと思います。それでメイアに経験を積ませても遅くはないのでは」
テュロンとアンジェも続く。
……な、何か、私だけが反対してるような感じになっちゃったぞ。別に私だって絶対ダメって言ってるわけじゃない。メイアと行きたいのは私も同じ気持ちなんだし。
それにアンジェの言う通り、何も無理していきなり11階層からメイアを連れていかなくてもいいわけか。もし上の階層が無理なら、最初は下でメイアを少し鍛えるということもできるわよね。
はあ、と吐息を付いて、私は笑いかけた。
「わかったわ。メイア、一緒に行きましょう。これからも、頼りにさせてもらうわね」
ぱあっと、太陽が昇るように輝く笑顔がメイアの頬を染める。
「あ、ありがとう、ご主人さま! 僕、頑張るよ!」
まあ、うん。この可愛らしい笑顔を見せられると、承諾してよかったな、とは思っちゃうのよね。
里長さんやアンジェ、テュロンと、メイアが飛び跳ねんばかりの喜びを分かち合っているのを見て、私の顔もほころんでいた。
里長さんたちと別れて、私たちは道具屋さんへ赴いた。
メイアが一緒に塔に登ると決まった以上、彼女の装備も、改めてきちんとそろえなければならない。
メイア自身の希望もあり、彼女の主武装は弓にすることになった。
もちろん、おもちゃの弓が巧く射られるからと言って、実戦でそれが通用するなんて言う単純な話ではないだろう。
でも、私にはスキルコピーの能力があり、ラーニング・エンハンスの能力もある。
メイアが、初歩の初歩のそのまた初歩程度ではあっても弓術の技能を身に付けているなら、それを私のスキルを使って成長促進させてあげることは可能なわけだ。
アンジェは元貴族だけに、弓術に関する知識も多少はあるらしいので、彼女に弓を選ぶアドバイスをしてもらうことにした。道具屋さんの中であれこれ相談しながら弓を選んでいるアンジェとメイアの姿は、どちらも絶世の美少女なだけに、まるで一幅の絵画のように鮮やかなものだった。
「よかったですわね、メイア。里の方々に喜んでもらえて」
アンジェとメイアに見惚れていた私に、隣のテュロンがふと呟いた。いつもより、少しだけ静かなトーンで。
「そうね。心配していたけど、大丈夫だったわね。やっぱり、故郷の人に喜んでもらえるっていうのは……」
と、そこまで言いかけて、私ははっとする。
思わず見つめたテュロンの横顔は、穏やかで落ち着いており、どこか大人びて私の目に映った。
――故郷。
そうか。
テュロンは、自分の家族も故郷も友人も、すべてを捨てて塔に登っているんだった。
メイアは無事、里の人たちに喜んでもらえたけれど、それを見たテュロンの胸中には、小さなさざ波が立ったのかもしれなかった。
テュロンは強い子だし、覚悟を決めて行動してきている子だけれど、それでもすべてを捨てた辛さや寂しさはあるはずだもの。
最近は慣れていたかもしれないが、さっきの光景はテュロンにとって、鈍い痛みを蘇らせたのかもしれなかった。
「……テュロン」
押し殺すようにそっと呼びかけた私に、テュロンは振り向き、栗色の縦ロールをふわりと靡かせて微笑んだ。
その笑顔はとても優しく、そして優しさの中に強い意志を秘めたものでもあった。
「ご心配なさらないで、ご主人さま。我が意思は常に不屈にして不退転、そしてわが夢は不羈にして不壊なのですわ」
「……そっか」
私も小さく微笑む。
故郷の人々に理解されなかった辛さや痛み自体を、テュロンは否定していない。
けれど、それでも。それでもテュロンは笑うのだ。無理な笑みではなく、自然に。
それが彼女。テュロンという少女の在り方なのだった。
「そうね。あなたならきっと、夢を叶えられるわね。さっきの御祈りでも、それを願ったの?」
「いいえ、ご主人さま。神聖なるものは敬い尊ぶべき対象であり、すがったり頼ったりするべきものではありませんわ。夢の数々はあくまでも、おのれの力で成し遂げるものですし、私はそれを為すつもりでおりますわ」
そういうことをさらっと言ってくれるから、テュロンはすごいんだよなあ。そして、それが荒唐無稽に聞こえないところが。
……あれ、でも、今、テュロンは夢を複数形にした?
「あなたの夢って、塔に登ることよね。まだ他にあったかしら?」
「ええ、最近ですけれど、もう一つ。これもなかなか手ごわいものですが、それゆえに挑み甲斐がありますわ」
首を傾げて尋ねた私に、テュロンはきゅっと唇の端を上げて意味ありげに笑う。
「へえ。聞いてもいい?」
「申し上げてもよろしいですか?」
む。なんか、からかうように問いを重ねられた。何だろう。
きょとんとしている私の顔を覗き込むように、テュロンは答えた。
「ご主人さまに、最初に名を呼んでいただけるようになること、ですわ」
「……え?」
意味が呑み込めず、思わず聞き返す。だがテュロンは、楽しそうに続けた。
「ご主人さまはいつも、アンジェの名を先にお呼びになりますわね。アンジェ、テュロン、と。……いずれ、その順番を逆にしてご覧に入れます。
私、アンジェのことは大好きですわ、ご主人さま以外では多分、世界で最も。ですが、それとは別に、いずれご主人さまの一番に。それが私の、新しい夢ですわ」
「あ……ご、ごめんなさい。もしかして、気にしてた?」
不意に胸をえぐられたような感覚になって、私はたじろぐ。そういえばそうだ。確かに私はアンジェの名を基本的に先に呼ぶ。でもそれは、テュロンを傷つけることだったのかもしれない。
「いいえ、今の時点では仕方がないと思っておりますわ。この間の、伯爵夫人の事件の後、ご主人さまが私たちにお尋ねになったことがございますわね。自分が道をたがえた時にどうするか、と」
「ええ、覚えてるわ、もちろん」
頷く私に、テュロンは小さく肩をすくめた。
「その時に、ああ、これはまだかなわないな、と思ったのです。アンジェの答えを聞いて。アンジェはあの時、ご主人さまの御命を縮め参らせると答えましたわね。……それは、私には出せない答えでしたわ。そこまでの覚悟が、まだ私にはないと」
うん。正直あの時、私も驚いた。
アンジェは、私を殺してくれると言ったのだ。私が間違った道を選んだなら。それが、私が本当に望んでいることのはずだからと。
まるで鋭い刃を突きつけるかのような愛し方、というものを、私はその時に感じたのだ。
「でもテュロン、あなたが言ってくれたことも、私は嬉しかったわよ。あの時の答えに優劣や上下はないと思うわ」
「ありがとうございますわ。ですが、答えの内容というよりも、その背後にあった覚悟の強さの問題で、私はまだ及ばないと思ったのです。……ですから、今はまだ、素直に、アンジェの方が私より上だと思っておりますわ。そのことについては本当に讃嘆しておりますのよ。アンジェはすごい子だ、と」
テュロンはそこまで物静かに語っていたが、不意にぎらっと目を輝かせ、ぎゅっと拳を握りしめた。口元に、不敵な笑みが浮かぶ。とても楽しそうに、嬉しそうに。
「うふ、うふふふ。可愛い、素敵な、私の大好きなアンジェ。ですが、それゆえにこそ燃えるというものです! 乗り越え甲斐がありますわ!
負けるつもりはございません、アンジェにも、メイアにも、キュリエナにも、……そしてあの方にも」
「……あの方……?」
煌めくようなテュロンの強い眼差しに気圧されながら、しかし私は不審な言葉を聞きとがめた。
アンジェとメイアはわかる。キュリエナも、まあ、分からなくはない。でも、彼女たち以外に、テュロンが想定している人って……?
「あら、お気づきではありませんの、ご主人さま? それとも、気づかないふりをなさっておいででしょうか、うふふ。……まあ、でしたら私がこの場で名を挙げるべきではございませんわね」
含み笑いを残したまま、テュロンはお店の方へ向き直った。アンジェとメイアが、品物を決めたらしく、こちらに手を振っている。
むー。
まあ、全く全然毛ほども見当がつかない、……なんていうほど、私もバカみたいな鈍感ではない、つもりなのだけど、ね……。
やっぱり、その。そういうこと、なのかなあ。
もうすでに、夜の帳が聖都を包み込んでいる。
朧な月と瞬く星々が、聖都の天空にその貌を現して、まだこんなに人がいるのか、と驚いているようだ。
今年の聖王祭も、いよいよもう終わり。その掉尾を飾るのが、これから打ち上げられる花火なのだ。聖殿前広場にも多くの人々が集って、それを今や遅しと待ち望んでいる。
花火と言っても、私の前の世界のように、火薬を調合して打ち上げるものではない。魔法を組み合わせて空を彩るもののようだ。だから、前の世界の花火のように、ドーン! というような派手な音はあまり響かないらしく、それが元日本人としては若干寂しくもあるのだけどね。
花火を待っているみんなを残して、私は一人、聖殿の裏手へと向かっている。
この時間、この場所で、と約束した相手がいるからだ。
「待ってたわ、ラツキ。ふふ、愛しい人を待つ時間は気にならないものだけどね」
流れる銀髪と艶やかな褐色の肌。挑むような妖艶な微笑。その美貌は、やはり闇の中でこそ一層の存在感をもって際立つ。
キュリエナが、闇に抱かれるように、そして影を抱くように、そこに立っていた。
「うふふ、いいお返事だと嬉しいのだけど」
自分を雇ってほしい、と求めてきたキュリエナの言葉に対する返事を、私はここですることになっている。
「その前に、キュリエナ。一つ聞きたいわ。……あなた、なぜ私に雇われたいの?」
問いかけた私に、キュリエナは心外そうな表情になる。
「あら、それは言ったじゃない。私の仕事がなくなったから、それで……」
「だったら登攀者に専念すればいいわよね。あなたなら一人でも稼げるでしょう。何も人に雇われる必要はないんじゃないの。それなのになぜ私に、と聞きたいのよ」
むー、と、キュリエナは唇を突き出す。そんな仕草さえエロティックだ。
「意地悪な人ね、ラツキ。私の口からはっきり言わせたいの? ……あなたに惹かれているからよ、って」
くるん、とキュリエナは後ろを向いて、夜空を見上げた。
「そうね。今は……十分の九くらい、あなたに心、持って行かれてるかな」
「どうしても全部とは言わないのね」
苦笑した私に、またくるんと向き直ってキュリエナは笑う。
「ふふふ。あなたになら、私を百分の九十九まであげられるかもしれない。でも、全部ってことにはならないと思うわ。私の心の全部は誰にもあげない。全部あげたら私が私でなくなっちゃうもの」
キュリエナらしい言い方だ。
彼女は恋に溺れても、溺れ切るということは決してないのだろう。どこかで必ず自分自身を残している。それも、強固で明確な自分という砦を。
多分それは、私にはできない生き方だ。
「でも、こんなこと、言わなくたって分かっていたでしょう? それを言わせるなんて、ちょっと無粋よ、ラツキ」
「悪かったわね、無粋で。でも、本音を隠されたまま仲間になんてできないわ。すべてを明かせとは言わないけれど、大事なことについてはきちんと言葉にしてもらわないとね」
小さな笑い声が、軽やかに踊るように、夜の中に響いた。
「ふふ。あなたらしいわ、ラツキ。真面目なのね。ねえ、私が聖花の競争の時、聖樹が見える直前に、あなたに声を掛けたの覚えてる?」
「え? ……ああ、何か言ってたかしら、そういえば」
アンジェやテュロンと一時はぐれたまま、聖王の樹へ向かっていた時に、キュリエナが何か言いかけてたことがあったっけ。
「あの時言おうと思ってたのはね、ラツキ。あなたって、人を想う気持ちを、少し大事に……まあ大事なのは確かだけど、重たく考えすぎてるんじゃないかしら、ってことだったのよ」
「……何が言いたいのよ」
目を細めて少し声を尖らせた私に、キュリエナは続ける。
「ねえラツキ、私とあなたは、同じでしょ。気持ちが女性にしか向かない。だから、わかるの。……これまで、恋をするたびに苦しんで、辛い思いをしてきたんじゃない?
だからこそ、やっと手に入れたものを、とてもとても大事にしてる。でも大事にしすぎて、愛するってことを重大に、重苦しく考えすぎるようになっちゃってるみたい」
瞬間、私の視線は明確な敵意を持ってまともにキュリエナを貫いていた。
「……余計なお世話だわ。あなたにそんなこと言われる筋合いはない」
「怒らないでよ、ラツキ。大事なことはきちんと話せっていうから話したのよ。私が心を決めたわけを」
さしものキュリエナも、ちょっとだけ上体を逸らし、私の視線をかわそうとしている。まあ、それだけの気迫を籠めて睨みつけたんだけど。でも、彼女は言葉をやめなかった。
「私があなたにここまで惹かれたのは、その時よ。あなたがあなたの奴隷たちを愛しているといった、あの時。この人は、愛をとても重く考えている。それがとても危なっかしく見える。だから、気になる、って、ね」
……うー。重い女で悪かったわね。自分でもちょっと自覚はあったよ、くそぅ。
ずけずけとよくも言ってくれるなあ。
女性しか愛せないから。だから、私が恋に傷つくことが多かったのは、それは事実だけど。だから愛が重くなっていると言われればそうかもしれないけど。
でも、今さら生き方は変えられないもの。
――まあ、キュリエナも、私の生き様を変えろと言ってるわけじゃなくて、そんな私を認めた上で、目が離せない、という言い方をしてくれてるわけだけどさ。
そこは、キュリエナの絶妙な距離感かもしれない。彼女は適当に自由に振る舞っているけれど、きちんと相手の価値観を尊重はしてくれるのだ。
「はい、これで全部話したわ。あなたのお望みどおりにね、ラツキ。それで、返事はどうなのかしら?」
「……はあ。なんか、結論を覆したくなってきたわ。これからもずっと、あなたにこうやってイジられるのかと思うとね」
頭を押さえてため息交じりに私は零す。対照的に、キュリエナはにこっと笑みを浮かべ、細い指を両手で組み合わせてぴょんと跳ねた。
……なんだその可愛っぽい仕草は。騙されないぞ。騙されないんだからね。
「じゃあラツキ、いいのね?」
「ええ。雇用条件についてはあとで詰めましょう。まあとにかく、今後、頼りにはしてるわ、キュリエナ」
やれやれ、と両手を広げて、私は結論付けた。
このことは、もうすでに、みんなとも話をして了解を貰っている。
テュロンはキュリエナの仲間入りに賛同していたし、メイアも、こだわりなく受け入れてくれた。
アンジェが少し心配だったけど、彼女も、仕方ありませんね、という表情で許してくれたのだ。
「そうなさると思っていました。考えてみれば、目に見える位置にキュリエナを置いていた方が、変な形でご主人さまを誘惑されずに済むのかもしれませんね」
……そんな言い方をして。いや誘惑って。
けれどそのあとすぐに、アンジェはこうも言ってくれた。
「それに、多分。キュリエナは、私たちには言えないことを、ご主人さまに言ってくれる人だと思います。そういう人は必要だと思います、ご主人さまのためにも」
そんなアンジェの予言は、たったいま的中したわけだ。
……みんなが言えないことを、私に言ってくれる人がキュリエナ、か。
私は少しだけ迷って、でも、キュリエナに向かい、口を開いた。
「キュリエナ。残念だけど。ええ、残念なんだけど。残念なのよ、ほんとよ?」
キュリエナの口癖をわざと使って、ちょっと心の余裕を持とうとして。けれど、見透かすようなキュリエナの微笑に、私は視線を逸らす。
「残念だけど……私も、あなたに惹かれているみたいね、百分の一くらいは」
伺うように、キュリエナの顔をそっと見つめる。
彼女の笑顔は、常のようなアルカイックなそれではなく、夜風に舞う蛍のように、どこか切ない美しさを湛えていた。
その時、夜空に花火が上がった。
彩鮮やかな魔法の光が華やかに闇の中を踊って、麗々しい煌めきの花を咲かせていく。
人々の喚声が一斉に上がり、賑やかなざわめきが遠くに聞こえた。
花火の光は、二人だけで佇む私とキュリエナをも照らし出し、大地に影を刻印する。
二つの揺れる影が、踊る光に連れて一つに重なり、またそのまま、闇の中に消えていった。




