砂嵐と愛
「さーて、どうするのかしら、ラツキ?」
細い指を頬に当てて、面白そうにニヤニヤしているキュリエナ。そんな彼女を睨みつけてから、私は改めて眼前の景色に目を遣った。
赤茶けた荒涼たるパノラマが視界いっぱいを覆って展開されている。
砂漠。
周囲の環境は、今や、岩地から砂漠地帯に移り変わっていた。
『登攀者殺し』かとも疑われる、あの謎の事件の犠牲者が出たところも砂地だったけど、歩を進めるごとに砂地の割合は大きくなっていき、ここに至って完全に移漠になっている。
「ここを突っ切る? それとも迂回する?」
「うるさい。考えてるんだから少し黙んなさい」
「あらごめんなさい。じゃあ私の口、塞いでくれる? あなたの唇で」
「拳で塞いであげましょうか。それとも蹴りがいい?」
……だからそんな馬鹿話してる余裕はないんだってば。
聖務官さんたちに足止めされていた各出走者たちは、事件に関する一通りの調べが終わると、順次再出発を許された。
聖務官さんたちの顔付きを見ると、仮面に隠れているとはいえ、浮かない表情をしているのがわかった。おそらく、何の手がかりもつかめなかったのだろう。
それはお気の毒に思うし、私たち自身としても問題が解決していないのは気がかりなのだけど、今はとにかく先へ進むことが大事だ。
出走者たちは公平を期すために、全員同じ時間だけその場にとどめられ、この場に来た順番通りに再出発することになる。
私の順番は、先頭から三番目だった。時間的には、先頭の出走者が出発してから、ロウソク半分の時間を置いてのスタート。前の世界の感覚で言えば、約30分と言ったところだ。
30分か。多少ペースを上げれば、追いつき追い越すことは可能ね。
でも、私たちが競っているのは、この付近にいる出走者たちだけではない。塔の全周囲から同時に塔の中央を目指してスタートするというこの競争の特色上、他の地域の出走者たちがどれだけ中央に近づいているかはわからないのだ。
だから、油断はできない。一分でも一秒でも早く、塔の中央へ――聖王の樹へ近づかなければ。
おそらく、他の出走者たちの先頭には……あのユーゼルクもいるのだろうから。
で、勢い込んで再スタートした私たちは、しばらく走った後、この砂漠にぶつかったというわけだった。
「半日ほどこの砂漠地帯をまっすぐ突っ切れば、もう聖王の樹は目の前よ。時間と距離の大幅な短縮になるわね。……ただし、」
と、相も変わらず私たちについてきているキュリエナは面白そうな表情で言う。
「ただし、危険が多い地帯でもあるわ。環境的にも厳しいし、天候も急変しやすいわね。守護獣に襲われても身を隠したり逃げ込んだりする場所もないし。だから、普段の登攀なら砂漠を回避して大きく迂回していく人が多いけど、今の場合、迂回していくと大きく時間を損することになるわねえ」
ガサガサと地図を広げて地形と見比べていたテュロンが、そのキュリエナの言葉に、残念ながらと言った表情で頷く。キュリエナの言は正しいようだ。
キュリエナの、チェシャ猫みたいな笑顔が私たちを舐め回す。
「私としては、どっちでもいいのよ。あなたたちが、危険の多い砂漠地帯にあえて挑んで失敗してくれてもいいし、安全策を取って遠回りして失敗してくれてもいいし」
「お気の毒だけどあなたの希望には添えないわね。失敗するのはあなたの『お仕事』の方よ、キュリエナ。私たちの気力も体力も、今は充実してるし……」
と、そこまで言いかけて、私は苦い顔をした。
……また彼女に嵌められたのか。
今言ったとおり、私たちはみんな、十分な元気がある。半日程度なら、砂漠地帯を強行して越えていくことが選択肢に入る程度には。
そして、なぜ私たちが元気かと言えば、それは……。
キュリエナのくれた栄養剤を飲んだからだ。
もしアンジェやメイアが疲労したままだったら、さすがに砂漠を突っ切るなどということはできなかっただろう。やむを得ず迂回路を通ったかもしれない。
だが、今の彼女たちの様子を見る限り、飛び込んでしまいたくなる。危険だとわかっている道だとしても。
キュリエナの狙いはそこにあったのか。あえて私たちの体力を回復させることで、危険なコースを選ぶという誘惑に勝てなくさせることが。
「……私たちに砂漠の道を選ばせるようにしたというわけ?」
「それを決めるのはあなたたちよ、ラツキ。さっきも言ったとおり、私はどっちでもいいんだもの。それに、上手く転べばあなたたちに有利なのは確かでしょ?」
平然とした顔で言うキュリエナ。多分、彼女にとっては本当にどちらでもいいのだ。私が悩み、そしてどちらを選ぶか、それを見てみたいという興味と楽しみがキュリエナの動機の一つになっている。
彼女が、私にある種の好意を抱いているというのも、まあ『四分の三くらいは』本当なのかもだが。でも、だからこそ余計にめんどくさいというか……。ぶっちゃけ性格悪いだけよね、この子って!
はあ、と私はため息をつく。
いずれにせよ、私には選択肢が提示されてしまった。『やむを得ず』という言い訳を許さない状況。アンジェたちが疲れているからやむを得ず安全な道を行く、と自分に理由を付けることができないのだ。
どちらかの道を、私は選ばなければならない。自分で考えて、自分で判断して、自分で責任を取らなければならない……。
私は視線を泳がせた。その先はアンジェとテュロン、そしてメイア。
何も言わない。お互いに語らない。けれど。
アンジェは可憐に優しく、こくりと。
テュロンは自信たっぷりに、毅然と。
メイアは緊張を漂わせつつも、決意に満ちて。
それぞれ私の目を見て、頷いてくれた。
繋がった感覚が、ある。
気持ちや心……いや、もっと深く、繊細な、何かが。
私もまた頷き返し、決断を下した。
「この砂漠を越えていくわ。そしてそのまま、勝つわよ、みんな!」
「はい!」
異口同音に、私の仲間たちは応じてくれた。
背筋に痺れるような感覚が走る。けれどそれは、恐怖や不安ではなく、高揚。奮い立つような昂ぶりが、私を掴んで未来へと投げ出していく。
私たちはもうためらいもせず、まっすぐに、砂漠の中へと駆け出して行った。
守護獣の蹄が熱砂を蹴りたてる。巻き上がった砂塵は瞬く間に後方へと流れて消え、寂寞とした砂丘に物悲し気な足跡だけを残す。
さらさらの砂地は守護獣といえども上手く踏みしめるのが難しいようで、多少ためらいがちな足取りになってはいる。けれど、全速ではないとはいえ、今までのところは順調に進んでいた。
守護獣は頑張って走ってくれているが、問題は私たちの方だ。
乾いた空気と照り付ける太陽が容赦なく肉体を虐めてくる。一応フード付きのマントを用意しては来たので、私たちはそれを着込んではいるけれど。
何より、これまでは点在した岩場がここでは見当たらず、日陰を作ってくれるような場所がない。休もうとしてもどこで休んでいいものか。
アンジェの風で涼を取りたいという考えに何度か襲われたけれど、今、騎手として手綱を取っている彼女にそれ以上を望むのは負担が過ぎるだろう。
結局のところ、強引に突っ走るのが一番だろう。それほど広大な範囲の砂漠ではない。地図の上でも、半日ほど走り抜ければもう突破できるのだ。幸いにして、方向を見失う恐れはない。行く先、つまり塔の中央部上空には、常に光が輝いている。
「みんな、もう少し頑張って。この調子なら……」
私が声を掛けた……いや、掛けようとした時。
それを遮って、二つの鋭い叫びが木霊した。
「ご主人さま、風の乙女たちが騒いでいます!」
「ご主人さま、何か大きな波が来るよ! すごく強くて大きくて怖い波が!」
アンジェとメイアの、それぞれ鬼気迫る声。その意味合いを考える間もなく。
空の端がどす黒く暗転したかと思うと、暗雲を切り裂き引きちぎって剣のような閃光が私たちの目を射た。それとほとんど同時、轟いた大音響は、低く高く唸りを上げる魔物の痛哭のよう。
目を見張った私たちの目前に、砂漠そのものを天空に巻き上げて吹き散らさんばかりの凄まじい勢いで、巨大な竜巻が巻き起こっていたのだ。
砂嵐。そんな一言で片づけてしまっては、私たちが遭遇したその現象の十分の一も伝えきれまい。巨大な壁がそそり立ち、その壁自体が生き物、それも荒れ狂った怪物のように獰猛に叫びながら、猛烈な勢いで獲物を食らいつくさんと驀進してくる。そんな光景だったのだから。
天候が急変しやすい――先ほどキュリエナの言った言葉が脳の片隅を走り抜けたが、そんな情報を今吟味する時間はない。
馬首を巡らして逃げる間もなく、私たちは、まともにその砂嵐に飲み込まれていた。
悪意を持ったかのような暴風が、砂の形を取って私たちを殴りつける。目を開けることも、いや、顔を上げることさえ至難の状態で、守護獣を操ることなど到底不可能だ。
息もできず、声も上げられない。私はただ、必死にメイアをかき抱いて、小さな彼女が飛ばされて行かないように堪えているのみだった。しかし。
私とメイア。人二人が乗り、大きな荷物を持ち、さらに小柄とはいえ守護獣自身の馬体重も加わっていれば相当な重量になるはずだ。もちろん守護獣自身も必死に足を踏んばって、耐えてくれている。
だが、それだけの重量が、まとめて、揺らいだ。
ふわりと、一瞬確かに。
宙に、浮いたのだ。
その刹那。恐怖と焦燥と絶望が私を鷲掴みにしていた。
これまでのどんな戦いのときよりも、その瞬間、死が私の身近にあった。
このまま天空に巻き上げられ、この砂嵐の勢いそのままに地面に叩きつけられれば、肉塊に変じる以外の末路が私に許されているだろうか。
私だけではない。アンジェもテュロンもメイアも、みんなここで一緒に血の花を咲かせるのか。
狂おしいほどの激情が私の体内を奔る。よりによってこんな死に方を、私の選択のせいで、愛する彼女たちにさせるのか……。
だが、私の脳髄が荒れ狂う感情で焼き切れようとした時。
不意に、僅かにだが、風の勢いが弱まるのを、感じた。
気のせい? いや、違う。守護獣はしっかりと大地に足をつけ直したし、私に降り注ぐ砂の瀑流もその勢力を減じていた。
一体、何が。
何が起きたのかと、私は、ぎゅっとつぶっていた瞼を微かに開ける。
そこには。
陽射しを遮って猛威を振るう砂嵐の闇の中で、ぼうっと浮かび上がるように光り輝く「何か」があった。
「何か」……いや、違う、
――「誰か」、だ。
弱まったとはいえ、いまだ砂粒が激しく私の顔を叩きつける中では、十分に目を見張ってその光の中を見極めることはできない。
だがそれでも、その光が、人の姿に近しいものであることだけは認識できていた。
すらりとした肢体と気品ある美しさを感じさせる、おそらく女性……?
砂嵐の中でも、その光の中の誰かは凛とした姿を崩さない。私たちに背を向け、腕を大きく広げて、まるで砂嵐から私たちを庇ってくれているかのように見えた。
そしておそらく、それは事実。
その光の中の誰かが、何らかの力、そして何らかの意図で、砂嵐の威力を部分的に弱めてくれている……そのように、私には感じざるを得なかった。
「だ……誰……?」
途切れがちに零した私の言葉に、その光の中の姿は微かにこちらを振り向いた。
小さな笑みが、その口元にたたえられている。
優雅で可憐、清楚で柔和なその微笑みを、私は見たことがあるように思う。
そう、……毎日のように。
「アン……ジェ……?」
茫然として呟く。
砂塵に霞む視界の中に、それでも艶やかに浮かび上がるその姿は、確かにアンジェに見えたのだ。
だが、そんなはずはない。アンジェは私の傍で、同じように砂嵐に耐えているはずだ。
ならば一体、……と惑乱しかけた私の脳裏に、一瞬よぎった記憶がある。
アンジェにそっくりな、誰か。同じように光の中に朧げに立つ誰かの姿を、私は以前にも一度目にしたことがある……。
けれど、その残影を追う間もなく、今一度吹きすさんだ砂嵐が私の顔に浴びせられた。思わず顔を背け、よろけた私が再び目を開けた時、眼前にその光は跡形もなく掻き消えていた。
勢いがかなり衰えたとはいえ、そのあともしばらく砂嵐は荒れて逆巻いた。
沖天高く吹き飛ばされるほどではなくなったとしても、やはり私たちがその中でまともに行動することはできなかった。それどころかあちらこちらと激流の中の木の葉のように漂い、風のまにまに押しやられ突き飛ばされて、ようやくひとごこちを付いたのはかなり後のことだった。
気が付けば、私はうずくまった守護獣の上でメイアを抱きしめ、砂まみれになっていた。
空は最前のような明るさを取り戻し、空気も落ち着いている。
ようやく嵐は過ぎ去ったらしい。
ぶるる、と首を振り、たてがみを振り回して、守護獣はよろよろと立ち上がる。ごめんね、無理させちゃったね。
「メイア、大丈夫?」
腕の中でぎゅっと目を閉じていたメイアの白い頬を軽く指先で撫でて、私は彼女の耳元で囁いた。
ぴくん、とメイアの体が動き、それから恐る恐ると言ったように青い目を開ける。
「ご……ご主人さま。もう、平気なの?」
「ええ、もう問題ないわ。あなたが無事でよかった。アンジェとテュロンも……」
言いかけながら周囲を見渡して、そのまま私の言葉と表情が凍り付いた。
私の目に映ったのは、ただ渺茫と広がる無人の砂地のみ。
……いない。
どこにも。
――アンジェとテュロンが。
いなかった。
乾いた熱い風がからかうように私の髪を弄んで走り去る。
彫像のように動きを止められていた私は、その瞬間、弾かれたように守護獣から飛び降りた。
血相が代わっているのが自分でもわかる。体内の血が一瞬にして全部煮えたぎっているような感覚に襲われながら、私は声を限りに絶叫した。
「アンジェっ!! テュローンっ!!」
だが私の声はただ乾いた砂の丘に吸い込まれていくのみだった。
がくがくと膝が震え、立っていられなくなって、私はよろよろと座り込む。
自分自身の魂の半分……いやほとんどすべてを削り取られてしまったかのような、恐ろしい喪失感が、私をすっぽりと包み込んでいた。
いない。
アンジェが。テュロンが。
私の愛する少女たちが。いない。……いない? なぜ。
いないわけはない。いつも一緒だった。これまでもこれからも、ずっと一緒だったし、一緒のはずなんだ。
だからこれは嘘だ。嘘。
嘘で……
「ご主人さま……!」
メイアの声に、はっとして私は我を取り戻した。
泣き出しそうな顔で、彼女は私の目を覗き込んでいる。
宝石のようなメイアのその瞳に映った私の顔は、あまりにも空虚で、無力な人形のようだった。
こくり、と乾いたのどにつばを無理やり飲み込んで、私は細く長く息をつく。
落ち着け。落ち着け落ち着け落ち着け、私。
大丈夫。アンジェもテュロンもきっと大丈夫。
暴風に吹き飛ばされたわけではない。風はあの謎の光のおかげで弱まっていたんだから。
ただ、風の勢いに押され、砂に視界を塞がれて、よろけ彷徨っているうちに、はぐれてしまっただけだ。
それなら、きっと彼女たちは大丈夫だ……。
「ご主人さま、アンジェさんとテュロンさんは……」
か細い声を振るわせたメイアの肩を、私は抱きしめ、笑って見せた。自分でもわかるくらい、ぎこちなく、無理やりな笑顔だったけど。
「心配しないで、メイア。あの子たちはきっと大丈夫。少し道に迷ってしまっただけよ」
「じゃ、じゃあ、探しに行こうよ、ご主人さま!」
私は急には返事を返せなかった。
砂を踏んで近づく一頭の守護獣、そして一人の人影があったからだ。
アンジェたちか、と一瞬期待したけれど、すぐに私の顔は渋面に変わる。
「そうよラツキ、探しに行った方がいいんじゃない?」
さも心配そうな顔をしてわざとらしく言ってきた、その相手はキュリエナだったからだ。
さすがに彼女もあちこち砂まみれになっていたが、顔色は良く、表情もいつも通りの余裕たっぷりとした微笑。
「キュリエナ。あなたも無事だったのね。……残念、とまでは言わないけど」
「あら酷い。さっきの砂嵐は別に私のせいじゃないわよ? ……それで、探しに行くのなら手伝うわよ、あなたの可愛い奴隷たち」
私は少し黙り込む。
もちろん。もちろん、今すぐにでも全力で駆け出し、アンジェとテュロンを探しに行きたい。当然だ。
けれど。それはここで時間を消費することを意味する。
すぐに見つかればいいが、そうでなければ、延々とお互いを探し求め続け、すれ違い続けてしまうことだってあり得る。
そうなれば私は競争から脱落だ。そしてもちろん、キュリエナの狙いはそれだろう。
私は、胃が握りつぶされるような感覚を味わっていた。
今の目的。聖花の摘み手。競争の勝利。アンジェ。テュロン。
切れ切れの単語が私の頭の中でぐるぐる回る。
だがそれも一瞬。私は、自分でも驚くくらいに早く、結論を下していた。
「いいえ。このまま聖王の樹へ向かうわ」
「ご主人さま! だって、それじゃ……」
目を見開くメイアの頭を、私はぽんぽんと優しく叩いて、天空に輝く光を指差した。
道しるべとなる光。あの光の下に中央天移門があり、その傍らに聖王の樹がそびえているはずだ。
「私たちの目的地は聖王の樹、それははっきりしているわ。そして、方向も明確にわかっている。だとすれば、むしろこのまま進んだ方がいい。行き先が同じなんですもの、下手に探し回ってお互いにすれ違うよりも、このまま進んでいった方が、アンジェとテュロンに会える可能性が高いわ」
そうだ。アンジェとテュロンも、きっと同じ選択をしてくれているはずだ。あの子たちは賢い。私なんかよりも。
「でも……心配だよ、僕……」
沈んだ声のメイアを、私は励ます。
「大丈夫。あの子たちは強いわ。多分、私たちの中で、一番心が弱いのは私だもの、ふふふ。だからきっと、聖王の樹へ向かう途中で会えるはずよ」
半分以上は自分に言い聞かせる言葉でもあった。それでも、偽りではない。あの子たちならそうしてくれるはずだという感覚が私の中にはある。
この砂漠に入ることを決断した、先刻のあの時。無言のままに心がつながった、あの感覚。それが今の私の拠るところになっている。
「なあんだ。意外に悩まなかったわね、ラツキ。まあ、あなたにとってはそれが正解だろうと私も思うけど。きっとすごく取り乱して、彼女たちを探しに行くと思っていたわ。そしたら私のお仕事もほぼ成功したようなものだったのにな」
肩をすくめてキュリエナが言う。まあ、彼女の言う通りだ。きっと、パニックを起こしてアンジェとテュロンを探しに行っていただろう――昨夜以前の私なら。
つまり、『彼女たちにとって主人に相応しい自分』などという、実体のない概念に憑りつかれていた時の私ならば、だ。
だが、今の私は既にそんな妄執から解き放たれている。
ならば、為すべき最善の手を打つだけだ。
「言ったはずよ、キュリエナ。失敗するのはあなたのお仕事の方だってね。……さあ、行きましょ、メイア。逆にアンジェとテュロンの方が先に聖王の樹に着いているかも。そしたら私たちの方があの子たちに叱られちゃうわ」
私はキュリエナに対してはにべもなく言い捨て、一方メイアに対しては優しく諭して、メイアと共に再び守護獣にまたがった。
後ろからキュリエナの、少し呆れたような声が追いすがる。
「大したものね、ラツキ。あなたの、奴隷たちへのそれは、信頼っていうのかしら」
「信頼? それもあるけど。でも一言でいえば」
私はキュリエナを振り返り、微笑みを送って、言った。
「愛、かな」
「……うっわあ。恥ずかしげもなく良く言うわね……」
キュリエナは天を仰ぎ、ぺちんと額を叩いて苦笑した。
うるさい。だってそれが本当なんだから仕方がない。
アンジェとテュロンがいない今、心細さと寂しさと怖さが今も私の心を捉えているのは事実だ。アンジェの優しい微笑みが、テュロンの自身に満ちた笑顔が、一時的にでも失われてしまうことが、これほどに私の心を苛むとは。
けれど。キュリエナが呆れるのも無理はないが、何の根拠もない確信が私の中にはあるのだ。
すぐに会える。彼女たちは同じ道をたどり、私と同じ目的地でまた会える。当たり前だ。理由なんか知らない。でも、それが当たり前なんだ。私と彼女たちならば。
そんなふうに思えるこの気持ちは、多分。
――愛、以外に呼びようがない。
いないのに。ここにいないのに。いや、いないからこそ。
強く、感じる。
私自身の想いと、彼女たちからの想いを、共に。
それはとても理不尽な感覚で、妄想じみてもいるのだけど。
でも、私と彼女たち本人でなければわからない何かが、きっとここにあるんだ。
「まあ別に、あなたにわかってもらおうとは思わないわよ、キュリエナ」
私は言い捨てて、守護獣を走らせた。
だが、後からまたキュリエナの声が追いついてくる。
「ねえ、怒らないでよラツキ。なにも、あなたをからかったわけじゃないわ」
「怒ってはいないわよ。鬱陶しいとは思ってるけどね!」
「あ、ひどーい。まあいいわ、怒ってないっていうなら、一緒に行きましょうよ」
「だから鬱陶しいとは言ってるのに……」
キュリエナのこの厚顔さと図々しさはある意味尊敬に値するわね。
露骨に嫌な顔をしている私に構わずに、彼女は守護獣を並走させた。
「ねえ、ご主人さま」
ふと、メイアが私に呼びかける。
「何? メイア」
「僕、ご主人さまたちに、聞いたことあったよね。愛し合うってどういうことなのって。なんとなく、わかった気がするよ。ううん、本当にはわかってないのかもしれないけど、でも、わかりたいと思ったよ。凄く、素敵なものなんだなって」
メイアの言葉に、私は破顔する。
もちろん、素敵なことばかりではない。愛の素顔は、時として、どろどろして、醜く悍ましいものであったりもする。メイアはまだ知らないことだろうけれど。
けれど、やっぱり愛するということの本質は、メイアが夢見るような輝くものであっていいと思う。
素敵ではない部分もあるからこそ、素敵な部分を大切にしたいと思うもの。それが愛なのかな、……なーんて、ね。
ふふ、まさにキュリエナに言われたように、恥ずかしげもなく良く言うわね、ってやつだけど。でも、そう思うのも、本当なのだった。
「ラツキ、思ったんだけど、あなたって……」
何か言いかけたキュリエナの言葉が不意に途切れ、眼差しが遠方の一点を見つめた。
まさかまた砂嵐の兆候が、と一瞬身構えたけれど、そうではなかった。
キュリエナの視線の先には、緩やかに砂漠から再び岩地に移り行く地形が見える。
そしてその向こうに、天高く聳え立つもの。
それこそが、――聖王の樹。
私たちの目的地が、そしてこの競争のゴールが、雄々しく姿を現していたのだった。




