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異世界くじと神々の塔  作者: 天樹
39/84

掛け率と競争開始

「ちょーっと目を離してた隙に、まーた可愛い女の子引っ掛けてますね、ラツキさん」

「……人聞きの悪い言い方しないでくださいよ、ラフィーネさん」

「だって、ほんとじゃないですか」


 うぐ。

 まあ客観的には事実なんだけどさ。メイアと出会ったのは、ラフィーネさんと別れたその晩だったし。

 彼女からすれば、たった一日半会ってない間に、いつの間にか私の身内に、メイアが増えていたわけだ。


 最初にメイアを見た時、ラフィーネさんは素っ頓狂に叫んでくれたものだ。


「ラツキさん! とうとうお稚児さんにまで手を出したんですか!?」


 ……ほんと酷いよねこの人。もちろん突っ込んであげたけど。物理的に。

 メイアが女の子だということをようやく理解すると、今度は今度で、ラフィーネさんは冒頭のようなことを言い出したわけだ。


 腰に手を当て、やれやれと言った感じで私を見ているラフィーネさん。仮面で表情は見えないけど、ジト目になっているだろうことは声の調子でわかる。

 私の隣ではアンジェ、テュロンが苦笑しているが、メイアはきょとんとした顔。


 今、私たちは聖殿に来ている。

 思えば、聖務官相手に変な話だけど、ラフィーネさんと聖殿で会うのって結構珍しいかも。いつも彼女と一緒におやつ食べたり、ご飯食べたりするのは、大体街のお店とか私の家だったものね。

 

 で、今日聖殿に赴いたのは、私の掛け率を見るためだ。そこでたまたまラフィーネさんに出会え、これまでの事情を説明したところです。

 ……したんだよ? ちゃんと、説明。それなのに、なぜこんな呆れられるのよ、もう。私悪くないのに。

 よし、ちょっと逆襲してやろう。

 私はにやりと口元に笑みを浮かべ、ラフィーネさんに言ってやった。



「あ、もしかして、妬いてるんですか? ラフィーネさん」

「ええ、妬いてますよ?」



 ラフィーネさんはあっさりと肯定して……って、えっ?

 いや、あの。なんでそんなさらっとカウンター返してくるんですか。私の方が一瞬虚を突かれて言葉を失ってしまった。

 棒を飲み込んだような私を置いてきぼりにして、ラフィーネさんはさっさと話を進行させていく。


「で、賭け率ですね。こちらに掲示されていますよ。どうぞ」


 いや、その。もちろんそれも大事なんだけど。

 えっと。今のは冗談だった……んだよね?

 ラフィーネさんは、女性を愛する女性という私のような在り方を容認してくれているけれど、彼女自身はそうではない……と、思う。多分。いや確認したことはないんだけど。

 彼女は文字通りの意味での私の友達……友達、よね。大事な友人で……友人のはず、なんだけど。

 頭の中をふにゃふにゃと混乱させながら、私はラフィーネさんの後をついて行った。




 メガックさんの巨額の支払いを補うためには、私に賭けてもらって万馬券を当てる必要がある。

 私が出場登録をしたのは昨日だけど、すぐには倍率出ないものね。私が出場するということが公示されて、他の人々がどのくらい私に賭けてくれたか、ということで、今日の時点での倍率が出る。


 出場者の名、そしてその賭け率は、聖殿の入り口横に大きく掲示される。今も、多くの人々が鈴生りになって掲示板前に詰めかけ、口々に勝者を予想しながら論じ合い、わいわいがやがやと賑やかだ。

 その人込みをかき分け、私たちは前に出て、自分の名前を探す。出場者自体、相当な人数がいるから、見つけるのも大変だ。


 えーと。

 つらつらと眺めていくうち、私はちょっと破顔した。知った名前を、そこにいくつか見つけたためだ。

 ガイモンとペカ。それにフォン=モウン。彼らも出場していたのね。

 ガイモンとペカは、私たちが最初に塔へ入った時に、その案内人を務めてくれた矮霊族の人たち。そしてフォン=モウンは、塔の五階層で私とアンジェが命を落としそうになった時に、その窮地を救ってくれた青年だ。


 ガイモンたちもモウンも、しばらく会っていなかったけど、どちらも、以前はまだ10階層に登り切れずに苦しんでいたっけ。でも、出場しているということは、今は到達できたのね。私は何となく嬉しくなった。みんな、それぞれ頑張ってるんだな。

 微笑んだ私の顔が、その直後に固まった。今度は、私の名前を見つけたためだ。


「あ、ありましたね、ラツキさん。えーと、……うわ、掛け率25倍だ。凄いですね、これはぜひ私も賭けさせてもらいますよ。儲けさせてくださいね?」


 のんきに言うラフィーネさんだったが、私のほうはそれどころではない。



「……25倍、ですか?」

「ですねー。すごく高い……」

「低いです」

「え?」



 ラフィーネさんはぽかんとして私を見つめる。だが、低い。25倍では低いのだ。

 私たちはここに来る前にメガックさんのところへ寄り、詳しい事情を聴いていた。そして絶句。

 メガックさんの巨額の支払いを、彼の現有の手持ち金でカバーするためには、少なくとも50倍の掛け率が必要だった。……50倍って。

 私は自分の金銭感覚がちょっとズレてるのは自覚してるけれど、その私が目を剥くくらいの金額だった。



 もちろん、いかに聖都商工会議所の理事であるメガックさんと言えども、それほどに大規模な取引なんか、そうそうあるものではない。というよりも、生まれて初めての規模だと言っていた。

 メガックさんはどちらかと言えば博奕打ちのタイプではないと思う。その彼が、生涯初めてというほどの巨額の取引に手を出した理由。それは、取引相手が帝国の宮廷だったためだという。


 宮廷で働くための高級奴隷を大量に納める。メガックさんはそのために手を尽くして、容姿・才能に優れた奴隷を選りすぐってかき集め、彼らを一時預かるための仮施設まで借りて、準備していた。

 その多数の奴隷購入費や準備費用は莫大なものになったため、借入金に頼らざるを得なくなったが、帝国からの支払いが受け取れれば、問題なく清算できたはずだった。

 帝国相手の商売なら、規模が大きくなるのも自然だし、その取引が失敗する恐れもないし、また何より栄誉なことで、箔がつく。そのためにメガックさんは、帝国相手のその巨大な取引を受けてしまったのだそうだ。


 だが、メイアの事件で、メガックさんは奴隷商としての業務資格を一時停止させられてしまった。しかも、清算期日はすぐそこに迫っている。

 奴隷売買ができないとなれば、自腹を切って清算しなければならない。だがそれは、メガックさんほどの大商人であっても、即座には出てこない額だった。



(帝国、ねえ……)


 私は苦い思いでそのメガックさんの説明を聞いていた。

 そういえば、あのクソジジイは……レグダー男爵は、聖都駐留の帝国の外交官だったっけ。

 男爵の名前は直接表には出ていないようだったが、どうせ男爵が手を回してこの取引を持ち掛けさせたのだろうということは容易に想像がつく。――私を潰すために。どんだけ歪んでるんだ、あの死にぞこないは。

 

 ……ともあれ。

 25倍という掛け率は確かに大きいが、それだけではメガックさんの支払いには届かないわけだ。

 取引内容の詳しい部分は私も知らないけど、もしかしたら全額ではなくても、一定の額を支払えば、少し待ってもらえたりはしないのだろうか。……いや、男爵が私を沈めるための罠だったのだから、そんな抜け道は用意しているはずもないか。


「えっと、でも、ラツキさん。25倍ですよ? 凄いですよ?」


 驚いて言うラフィーネさんに、私は問い直す。


「ラフィーネさん。私に、どれくらい賭けてくれます?」


 そう聞いたのは、もしかしたら足りない分をラフィーネさんから借りられるかも、という考えがちょっとあったためだ。だが、彼女の返答を聞いて私は諦めた。


「そうですねえ……ようし、ここは思い切って、金貨一枚いっちゃおうかな!」


 金貨一枚が、ほぼ一般庶民一か月分の生活費相当。それを考えればラフィーネさんの掛け金は確かに大枚だ。というか、一か月分の生活費全部賭けちゃうとか、ちょっと破滅型ですよ、ラフィーネさん。あなたはギャンブルやっちゃいけないタイプの人じゃないかな……。

 ……だが、所詮それは個人の掛け金として大きいという話であって、メガックさんの取引のような巨額の商業的なレベルには到底及びもつかない。


 ……くそ。私は唇を噛む。考えが甘かっただろうか。

 でも、やっぱりこんな低いのはおかしくないかな。私、10階層に上がったばっかりのペーペーの新人なのに。

 そうラフィーネさんに言うと、彼女は、つん、と私のおでこを人差し指で突っついた。


「ラツキさん、ご自分の出した記録、忘れてますか? 5か月で10階層に到達したって、滅茶苦茶すごいことなんですよ。そんなラツキさんが出場するんですから、新人って言っても人気になりますよ」


 ……あー。

 しまった、その視点は抜けてた。

 5か月という私の10階層到達記録は、ユーゼルクたちに次ぐ二番目。それは確かに、注目はされてしまうよね……。

 なら、そのくらいの掛け率にはなってしまうというわけか。


 どうすればいいのだろうか。私は穴のあくほど、掲示板上の自分の名前を見つめたが、それで何が変わるわけでもない。

 焦燥に身を焼いていた私の肩を、その時アンジェがそっと叩いた。



「ご主人さま。……あの方たちは、出場なさっておられないようですね」

「え?」


 言われて、私は慌てて掲示板全体を見回す。

 そういわれれば、確かに。

 彼らの名前は、どこにもなかった。

 うん、アンジェが気の付く子で助かった。私はどうも、一つのことが気になると視野が狭くなってしまうかもしれないな。

 彼らがいないというならば。なんとかなるかも、しれない。

 私は、こくんと力強く頷いた。







 聖殿前大広場に面した背の高い建物。

 彼らの自宅、というか宿舎は、聖都にいる誰もが知っている。実際、遠巻きにその建物を取り巻き、好奇と憧憬の目を向けている人々は多い。


 それでもその見物人たちが宿舎の中に押しかけないのは、ちゃんと扉の前に二人の守衛さんたちが立っているからだ。

 若い人と、ベテランっぽい少し年老いた人。だがどちらも体格はよく、眼光は鋭い。剣を帯び、斉眉棍せいびこんを手にしているが、その姿も堂に入っている。なかなかの腕のようだ。

 彼らの私費で雇われているという。さすがに有名人だなあというか、そういう人がいないと確かに大変だろうしね。


 その守衛さんたちが厳しい面持ちで立番をしているところへ、私たちはつかつかと歩み寄った。

 じろりと私を見た守衛さんたちのうち、若い方の人がさっと顔を赤らめ、どぎまぎしたようにちょっと目を逸らす。

 ……ああ、そういえば、私、美少女なんだった。アンジェたちのようなガチ美少女といつも顔合わせていると、つい自分自身のことを忘れちゃいそうになるけど。

 もう一人の年を取った守衛さんも、少し目を見開いて私たちを見たが、特にそれ以上反応を見せず、私に向かって声を掛けた。


「何か、御用ですかな」

「ええ。お手数ですけれど、ユーゼルク……さんはいらっしゃいますか。今御在宅ならば、お会いしたいのですけれど」


 そう。私は、ユーゼルクに会いに来たのだ。

 私のその返答に、老いた方の人だけでなく、若い方の守衛さんも私に向き直る。


「失礼ですが、お約束はございますかな。お約束のないかたはお通しできませんが」

「約束はありません。でも、ラツキが会いに来た、と伝えてもらえれば、多分会ってくれると思います。伝えてくれるだけでもお願いできませんか」


 守衛さんたちは二人して顔を見合わせた。

 んー、こういう言い方をしてユーゼルクに無理やり会おうとするファンも多いのかもしれないなあ。ラフィーネさんにお願いして、聖殿の紹介を受けたとして来ればよかったのかも、と今更ながらに思いつく。追い返されたらそうするか……。

 だが、老いた方の守衛さんが頷いた。


「かしこまりました。ではお伝えしてまいります。少々お待ちください」


 老いた守衛さんが若い人の方を促すと、彼はすぐに屋内に入っていった。

 あら、結構融通が利くのね。と思ったら、守衛さんが教えてくれた。


「ラツキさま……でしたか。主人の口から、ちらとそのお名前を伺ったことはございます」


 そっか。それで取り次いでくれたのね。何を言ってたんだか知らないけど。

 あまり待つこともなく、若い守衛さんが戻ってきた。相方に頷いて、彼は私に言う。


「主人は喜んでお会いするとのことです。こちらへどうぞ」


 私たちは彼について屋内へ入る。行きすぎながら、さりげなく老いた守衛さんの手に銅貨一枚渡そうとしたら、少し笑って拒否されちゃった。お堅いのね。

 若い守衛さんに案内されて廊下を行き、一室の前に立つ。

 彼が声を掛けると、すぐに中から応答があった。快活な声と共に扉が軽快に開かれる。



「やあ、ラツキ。君が訪ねてきてくれるなんて嬉しいよ。さあ、入ってくれ」

「ユーゼルク、会ってくれて礼を言うわ。……って、何やってるの」



 私は用件も忘れて思わず呆気にとられた。

 いやほんと、何やってんの。

 部屋の中にはユーゼルクとその仲間たちが集っていたが、その装いは、これが登攀者の頂点にして人々の憧れかと言いたくなる姿だった。


 金銀の装飾が施された真っ青なドレスに、羽飾りのついたつば広帽子を被り、バタフライマスクをつけているのはミカエラか。エレインは長い青銀の髪を天井近くまで高々と結い上げ、いくつもの髪飾りをクリスマスツリーみたいに差し込んでいる。

 バートリーは見事な白髭を三つ編みにしてリボンを編み込み、襟や袖口にレースを飾り付けたラメ入りの長上着を着こんで得意げにふんぞり返っており、ロッグロックは恥ずかしそうにしながらも、その巨体をパリッとした執事スタイルに包んでいた。ルーフェンはやや不機嫌そうにしつつも、紅白の派手な装束を身に纏っている。


 そしてユーゼルク本人は、かぼちゃのように膨らんだ半ズボンにぴったりとした白いソックス、白い上着に鈴の付いた金の鎖をジャラジャラと下げ、同じく先端に鈴の付いたとんがり帽子を被っているものだから、動くたびにシャランシャランと音を立ててやかましい。挙句の果てに、鼻の下に、先のくるんと丸まった大きな付け髭を付けている。


 総じて、どこのサーカスか見世物小屋から抜け出してきた一団かという感じだ。


「いいだろう? 聖王祭用の仮装衣装さ。これを着込んでたっぷりとお祭りを楽しもうと思ってね。前々から発注しておいたのが出来て来たから、今みんなで試着していたんだよ」

「仮装ねえ」


 呆れた私の隣で、「ぷっ、くふふっ」と妙な声。横目で見ると、アンジェが背を向けてがっくんがっくんと震えていた。笑い上戸な彼女のツボに入ったみたい。

 それに気づいたかどうか、ユーゼルクはともかく私に席を勧めてくれ、自分も座に就いた。続いて、彼の仲間たちも着座する。

 アンジェたちは私の背後に侍立。メイアに位置を教えてあげているアンジェの姿がちらっと視界の隅に見えて、微笑ましい。


「……まずとりあえずは、この間の事件のお礼を言うわね。あの時は助かったわ」


 仮装集団の真ん中で、なんか自分だけまともな恰好してるのがかえっておかしいのではないかというような倒錯した感覚に陥りながら、私は話を切り出した。

 マスクを取りながら、ミカエラがにこやかに答える。


「何言ってるの、ラツキ。お礼を言うのはこっちの方だわ。あなたのおかげで、伯爵夫人は御無事で済んだんですもの。ねえユーゼルク?」

「え? ……ああ」


 ユーゼルクも付け髭を取りながら頷いた。

 そういえば、以前にもちらっと聞いたけど、伯爵夫人と幼いころに知り合いだったってことは、ミカエラとユーゼルクも、元は帝国の貴族なのよね。目の前のトンチキ仮装した二人を見ていると、とてもお偉いお貴族様には見えないけど。


「で、わざわざそれを言いに来てくれたのかい?」

「それもあるけど、もうひとつ。実は、昨日出場登録したばかりだけど、私、今年の聖花の摘み手に立候補したのよ」

「へえ、そうなのか。じゃあ応援させてもらうよ。君ならいいところまで行けるんじゃないかな」


 朗らかに笑うユーゼルクに対して、私の表情は硬くなる。

 少し黙った後、私は唇を開いた。



「ユーゼルク。あなたは立候補しないの? 聖花の摘み手に」


 

 そう。アンジェが、立候補者を告示していた掲示板の中に見出せなかった名前というのは、ユーゼルクたちのことだった。

 調べたところ、ここ数年連続でユーゼルクたちは出場していたはずだし、そして無論、そのすべてで聖花の摘み手に選ばれてもいた。いわば鉄板、ガチガチの大本命だったのだ。

 その彼らが、今年は出場していない。


「ああ……確かに聖花の摘み手に選ばれるのはとても名誉なことだけど、もう何年もその栄光をいただいているからね。そろそろ、他の人にも機会を譲るべきかなと考えたんだ」

「それに、どうせ拙者たちが選ばれるのに決まっているのでは、競う意味がない。つまらぬだけよ」


 ユーゼルクが穏やかに言う声にかぶせるように、ルーフェンのぶっきらぼうな言葉が続いた。

 まあ、どちらも真実だろう。実際、彼らの競争相手になり得るようなものは存在しないし、緊迫感もないと思う。ならば、既に功成り名遂げた今、後進に道を譲る決意をしたということなのだろう。


 ――だが、それでは私は困るのだ。



「あのね、ユーゼルク。率直に言うわ。……出てくれないかしら?」



 私の声に、ユーゼルクたちは一斉に不審な表情を浮かべた。

 それはそうだろう。私が今、出場すると言ったばかりだ。ならば、普通に考えれば、競争相手は少ないほうがいいはず。ましてや選出候補の筆頭である相手などいないほうがいいはずなのだから。


「どういう意味だい、ラツキ?」

「隠し事はしないわ。私、ある事情でお金がいるの。だけど、今の私の掛け率ではそれに届かない。でも、もしあなたたちが出場してくれたら、人々はこぞってあなたに賭けるでしょう。そうすれば、私の賭け率は高くなる」


 ユーゼルクの目に険しい光が宿った。穏やかな口元が引き締まる。射すくめるような鋭く強いまなざしで、彼は私を見つめた。


「……失礼なことを聞くが、許してくれ。君はまさか、僕たちに、出場した上でわざと君に負けろと言っているわけではないだろうね?」


 冷えた声が部屋に響いた。道化のような恰好をしている彼から発せられたアンバランスさは、しかし逆に不思議な迫力を生み出す効果を有していた。

 私は思わず気圧されそうになりながら、それでも強いて唇に薄笑みを浮かべる。先ほどの彼と私の表情とは反対になった形だ。

 

「……まさか。あなたにそんなことを頼む気はないわ。それはお互いにとって侮辱だし、名誉ある競技を汚すことになる。だいたい頼んだって聞いてくれないでしょう」


 その答えに、ユーゼルクの表情は幾分和らいだ。だが、すぐに別の強張りが彼の顔に走る。

 ある意味、先程よりもっと、ユーゼルクを煽る結果になってしまったかもしれない。

 私は八百長してくれと言っているわけではない、……ということは。

 つまり。

 ――実力でユーゼルクに勝つと。今、私はそう宣言したことになるからだ。




 小さく息を吸う音がユーゼルクの口から漏れた。

 一瞬の溜めの後、大きくその息が吐き出される。


「……ラツキ。戦いにおいては、君は強い。僕たちの中の誰よりも、多分ね。それは否定する気はないよ。

 だけど、登攀者としての優秀さというのは、単に武力の優劣だけで決まるものじゃない。天候を読み、道を見極め、効率的な日程を組んで、全行程を見通した体力を配分する。どんな装備を用意し、どこでそれをどの程度使うか判断する。……細やかで注意深い行動と、何より経験が求められる。

 極端な話、『ただ歩く』という行動一つを取ってみても、熟練者と初心者では、歩幅や速度、力の入れ方に対する考えや技法が違うんだ」


 彼は僅かに目を細めた。そこには強い自負と誇りがある。


「ラツキ。率直に言うけれど、僕たちはまだ、そういう総合的な登攀者としての能力では、君に劣るつもりはないよ。君だけではなく、他の誰にもね。そして、聖花の摘み手に選ばれるかどうかは、そういう部分が大きく求められるんだ」


 彼の口調はゆったりと穏やかだったが、譲れない一線がそこにあることも、同時に隠しはしなかった。

 まあ、それが自然な反応だろう。実際、私もユーゼルクの言っていることはその通りだと思うし、納得できる。むしろ私自身が考えても、私の言葉は身の程知らずだと思うし。

 でも。


「ええ、わかっているわ。あなたの言うことは正しいと思う。でも、私にはそれしか方法が思いつかないの。私、頭悪いから。できるかできないかじゃなく、やるしかない。あなたたちに出場してもらって、それに勝つことしか、ね」


 しばし、私とユーゼルクは互いに見つめ合った。

 戸惑いと迷い、多少の苛立ち、そして蠢く関心と興味。様々な色が彼の表情の上で動く。ユーゼルクは、かなりわかりやすく顔に感情を出す人だ。そういうところは、彼の飾らない人柄の表れなのだろう。

 ユーゼルクの仲間たちも、そして私の仲間たちも、互いに口を出さず、ただ黙して事態の成り行きを見守っている。


 ややあって、ユーゼルクはゆっくりと笑みを浮かべた。最初は口元だけに称えた微笑みが、漣のように顔じゅうに広がる。


「ははは。せっかく作った仮装衣装だけど、どうやら無駄になってしまったね」


 その場の全員が一斉に微かに身じろぎする。彼のその言葉の意味するところを悟って。


「わかったよ。君と腕比べをしたいという気持ちは、正直、僕にもあったからね。ただ当然のことだが、君の抱える事情が何であろうと、僕たちは一切手心を加えない。その結果として君が何か困った事態になってしまうのなら、あとから相談には乗るが、勝負自体についてはまったく考慮しない。それでいいね?」

「ええ、もちろんよ。それに、あえて言うなら、私も全力で勝ちに行くわ。違反とならない範囲でなら、どんな手を使っても、ね」

「はは、怖いな。なら、お互いに最善を尽くそう。いい勝負になることを祈っているよ」


 私とユーゼルクはそれぞれ席から立ち、互いに頷き合った。

 怖いって? それを言うのはこっちの方よ。

 割と本気で、私はものすごいプレッシャーを感じている。シンプルな戦闘能力だけでは決まらないこういった勝負に、私がどこまで喰らいついて行けるのか、見通しは不透明そのものなのだから。

 それでも、私は勝たなければならない。この目の前にいる恐るべき相手に。






「す、すごいんだね、ご主人さま!」

「きゃ!?」


 家に帰るや否や、目をキラキラさせたメイアに私は飛び掛かられた。

 むぎゅ、と抱きついてくるメイアは、驚いている私にかまわず、弾む口調で続ける。


「あ、あのユーゼルクさんとお友達だなんて! ユーゼルクさんは、僕なんかでも知ってるくらい有名だよ! そのユーゼルクさんに強いって言われるなんて、ほんとにご主人さまはすごかったんだ!」

「あー……まあ、友達というか、なんというか、だけど」


 少し困った笑いを私は浮かべる。別に彼とは友達ではないような気がするが、まあメイアの夢を無碍に否定することもないだろうか。

 というか、そうか。メイアからすれば、世界に名を知られたユーゼルクと私が知り合いというだけでも驚くべきことだったわけよね。


「……でも、ごめんね、ご主人さま」


 急に、メイアがしゅんとした顔になってうつむく。


「僕、ご主人さまが聖花の摘み手になってくれるって言ったこと、嬉しかったんだけど、でも、ほんとにできるのかなってちょっと思ってたんだ。

 もちろん、ご主人さまはこんなおっきなお屋敷に住めて、奴隷を二人も持ってて、そんなすごい剣も持ってる人だから、強いんだろうとは思ってたよ。だけど……」


 言い募ろうとしたメイアを、私は抱きしめ返した。そのまま、髪をわしゃわしゃと撫でる。

 そう言われれば、確かにそうだ。メイアが不安に思って当たり前だった。昨日から今まで、私は自分のことで手いっぱいで、メイアの不安を具体的に取り除くような情報を与えてこなかったんだから。


 私は強い、その一事だけでも教えてあげていれば、彼女は少しは安心できただろうに。私はそれに気づけなかった。

 駄目な主人だな、私。もう何度目になるかわからないけど、そう思わされる。そして同時に、もっといい主人にならないと、とも思う。


「謝るのは私の方だわ、メイア。不安にさせてしまって、ごめんね」

「そ、そんなことないよ! それに、今はもう、大丈夫だもん!」


 一生懸命に言ってくれるメイアが健気で、愛おしい。

 そんな私たちに、テュロンが近寄り、ぽんぽんとメイアの肩を叩いた。


「メイア、気にすることはありませんわ。傍目で見れば、確かにあなたが不安に思っても失礼とは言えませんもの。……ご主人さまは、今朝も、一人で寝台から床に落っこちていらっしゃったような方ですし」


 ……うぐっ。

 そ、それはそうだけど! 私の寝相と私の頼り甲斐は関係ないんじゃないかな!


「テュ・ロ・ン! あなただってよく寝ぼけてるじゃない! 私のこと言えないわよ!」

「そ、それは、ご主人さまが夜、いつまでも眠らせてくださらないからですわ! ですから論理必然的に私は寝不足になり、論理必然的に寝ぼけることが多くなるのです! 以上、ご主人さまのせいであるということが証明されましたわ!」

「私のせいだけじゃないじゃない! いつも、もっと、っておねだりしてくるのはテュロンのほうだし……!」

「それはご主人さまがいつも焦らして……!」


「――んもう、お二人ともっ!」


 声高になりかけた私とテュロンを、もっと迫力あるアンジェの声が止めた。白い肌が真っ赤に染まっている。


「メ、メイアの前で、そういう……おねだりとか……駄目ですから! まだ早いですから!」


 ……あ。

 私たちは我に返り、話が頭悪い方向へ脱線してしまったことを自覚した。おそるおそるメイアの顔を見る。そこには、純真無垢な穢れない瞳が相変わらず煌めいていた。


「ご主人さま、おねだりって、何? どういうことなの? ごはんのこと?」


 ……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。







 なんやかんやで、数日は瞬く間に過ぎる。

 今年は出場しないのではないかと見られていたユーゼルクたちが、一転、出場を決めた、という話題は、すぐに聖都中に広まった。当然のように、人々の賭け対象は、ユーゼルクたちへと雪崩を打つように流れる。


 53倍。


 その結果として、私に付いた賭け率は、そこまで跳ね上がった。

 ……とりあえず、なんとか前提条件は満たしたわけだ。だがそれもこれも、私が聖花の摘み手に選ばれさえすれば、ということを踏まえた、いわば捕らぬ狸の皮算用でしかない。


 ――まあ、そんなことは十分わかっているんだし。

 要は、その狸を見事仕留めればいいだけのこと。

 覚悟とか決意と言えば聞こえはいいし、かっこいいが、言ってみればただの開き直りだけどね。

 だけど私はその開き直りを武器にして、迎えた。


 聖王祭の初日。つまり、聖花の摘み手の競争初日を。


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