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異世界くじと神々の塔  作者: 天樹
37/84

財政危機と聖花の摘み手

「ふむ。なるほど。そちらの事情については理解いたしましたぞ」



 重々しい響きを伴う声で、私の眼前に座っている猿人の聖務官さんは言った。

 がっしりとした体躯とのっそりとした挙措は、鈍重というよりも謹厳な印象を与える。

 三等聖務官のジメイン、と、彼は名乗っていた。ラフィーネさんが四等聖務官だったはずだから、ジメインさんは彼女より偉い人か。直接の上司かどうかはわからないけど。


 小さめの部屋に、ジメインさんの巨体はきちきちで、一層の圧迫感を受ける。

 窓の外から漏れ聞こえてくるお祭り前の街のざわめきが、なんとも場違いなほどにいかめしい雰囲気。

 ――私は今、聖殿に赴いている。

 まあ、任意同行という奴だろうか。


 献納奴隷のメイアがメガックさんのお店から逃亡し、私がそれを匿っていた件についてだ。

 匿ったって言っても一晩だけだし、しかもその時メイアは意識を失っていたんだから、仕方ないんだけど。

 

 いったんメイアをお店に返し、その後メガックさんに頼んで、メイアに一日だけ自由行動を許してもらえばいい。そのように、比較的気軽に考えていたところがあることは、認めざるを得ない。

 でも、私たちが考えていたより、事態はもっと深刻だった。

 



「そんな……だって、期日は変わったって……明日の朝になったって、僕は確かに聞いたのに……!」



 ――あの時のメイアの悲痛な悲鳴はまだ耳に残っている。

 彼女は、聖殿に献納奴隷として引き渡される期日の前の一日だけ、その一日だけのつもりで逃げ出したのだ。

 だが、帰ってきてみたら、既に刻限は過ぎてしまっていたのだという。 

 メイアも、メガックさんも、ジメインさんも、そしてもちろん私も。誰もが、何がどうしてどうなったのか全く理解できず、その場は混乱の極みだった。

 そんな状況だったから、私たちが聖殿に同行を求められ、事情を聴かれたのは、やむを得ないことだったかもしれない。

 


 聖務官のジメインさんはいかつい外見に似合わず、その言動は丁寧だった。ちょっと堅苦しい感じは受けるけれどね。

 昨夜からの経緯を、かなり根掘り葉掘り聞き糺されはしたけど、そのこと自体は仕方ない。別に私を犯罪者扱いなどするようなこともなく、きちんと話を聞いてくれたのは、むしろ感謝すべきかも。

 まあ実際、私とメイアとはこれまで何の接点もなかったし、意図的にメイアを逃亡させたりしても何のメリットもない。ましてや、こうやってちゃんとお店に返しに来てるんだし。その辺に関し、ジメインさんはちゃんとわきまえてくれてはいる。仮面越しでも怖い顔してるけどね。




 でも、たとえ丁寧に扱ってもらえてるとはいえ、お役人に呼び出されて取り調べられるのは、やっぱり楽しい時間とはいえない。それに……。


 ……それに。

 両脇の寒さを、私は感じていた。

 いつも傍にいてくれた温かみがない、寒さを。



 アンジェもテュロンも、今ここにはいないのだ。

 二人は今、私とは別々の部屋で、それぞれ聴取を受けている。

 もちろんそれは当然のことで、調べる側としては、関係者は一人ひとり個別に事情を聴くものだろう。


 でも。

 思えば、私がアンジェと離れたのは、彼女を買ってから初めてかもしれない。

 それは、アンジェがレグダー男爵に狙われている、という事実があったためだ。男爵の手からアンジェを守るために、私はアンジェを片時も傍から離さなかった、……のだけど。


 けれど、今、離れ離れになって、思う。

 アンジェの可憐な優しさに。テュロンの前向きな行動力に。

 守られていたのは、私の方だったんだ。


 だらしないな、って我ながら思うけど。

 なんだかやっぱり、少しだけ、心細い、かも。




 ふう、と小さく息をついた私に気付いたのかどうか。手に持っていた大きな本をしばらくぱらぱらと調べていたジメインさんは、やがて四角い顎を撫でて、ふむと頷いた。

 その本、最初に出会った時からずっと小脇に抱えていたが、法律書だろうか。そんなものをいつも後生大事に持ってるって、真面目というか堅苦しいというか。


「では、ラツキ殿にお聞きすることはさしあたってここまでのようですな。控えの間の方でお待ちくださいますかな」

「……はい」


 穏やかで、しかしそれゆえに有無を言わせぬ威厳がジメインさんの声にはある。このあたり、やっぱりラフィーネさんよりは格上って感じかしら。

 ジメインさんに促されるままに、聴取を受けていた部屋から出て、控えの間に向かう。そこには、すでにアンジェとテュロンが待っていた。メイアとメガックさんはまだらしい。



「ご主人さま、いかがでしたか」


 ととっ、と駆け寄ってきたアンジェが心配そうに私に問う。

 うん、この素直に案じてくれるアンジェの気遣い、ほんの1時間ほど離れていただけだけど、やっぱり胸の奥にじんわり来るなあ。

 私は思わず笑みを浮かべ、アンジェの黄金の髪をそっと撫でた。


「大丈夫よ。いろいろ細かく聞かれたけどね……あなたたちは?」

「はい、私は一通りの事情をお話ししただけでした。私は奴隷ですので、あまり重点を置いては調べを受けなかったのだと思います」

「そうなの?」


 首を傾げる私に、テュロンが指を一本立てて説明する。


「私たち奴隷には誓刻が打たれておりますものね。主人の意に反した証言はもともと引き出しにくいですし。それどころか、もし主人に嘘を言えと命令されましたら、それに従うしかないのですわ。ですので、奴隷の証言は、一応の補助材料として以上の意味はあまり持ちませんの。……もっとも」


 テュロンはちょっと言葉を切り、得意げに薄い胸を張った。


「聖殿に協力するのは民草の義務ですから、私はじっくりたっぷりねっとりと事情をお話しさせていただきましたわ。それはもう微に入り細に入り……。ですが、不思議なことに、最後の方ではお相手の聖務官さまは泣きそうなご様子に見えました。何故でしょうかしら」


 ……あー、うん。

 テュロンのあの立て板に水的なガトリングガントークを、差し向かいでがっちり聞かされたら、そりゃまあ泣きそうになるかも。光景を想像して、私は担当の聖務官さんに同情しつつも、ちょっと苦笑した。


 その時、扉が開き、メイアとメガックさんが入ってきた。二人とも当事者だし、私よりさらに長い間事情を聴かれていたようだ。

 メイアもメガックさんも、双方ともに疲れた顔をしてうなだれている。私は立ち上がっていって、メイアの小さな肩をそっと抱いた。


「メイア。大丈夫だった?」

「うん……でも、やっぱり、すごく大変なことをしちゃったんだね、僕。どうすればいいんだろう……」


 もともと透き通るような白い肌のメイア。その顔がさらに血の気を失って、いかにも頼りなげに震えていた。

 思わず支えてあげたくなるけれど、かといってあまり力を込めて抱きしめたりすると壊れてしまうのではないかと思えるような。そんな儚さが、彼女にはあった。


 何か言葉を掛けてあげないと、と思う間もなく、続いて数人の聖務官さんが入室してきた。先頭はジメインさん。大きな体をのっそりとうごめかせて、彼は慇懃に私たちへ着席を促した。




「さて。では皆様には一通りのお話を伺ったことになりますな。その上で、聖殿としての判断を申し上げましょう」


 ジメインさんの、野太くもよく通る声が部屋に響く。他に声を発する者はいない。


「まずは、登攀者のラツキ・サホ殿。意図的に奴隷を逃亡させた疑いはないようですな。ですが、逃亡奴隷を発見しておきながら通報を怠った過ちは認められますな」

「いえ、ですからそれは、夜だった上、この子……メイアが気を失っていたからでしたし、目が覚めたらすぐにお店へ連れて行ったと申し上げましたが」

「聖殿は夜間でも人がおります。奴隷本人を動かせずとも、まずは一報を聖殿に届ける、それだけでも事態は変わったはずですな」

「……それは……まあ……」


 私の抗議は通らない。確かにそれはジメインさんの言う通りだが、ここまで重大事に絡んでいると、あの時点で私に予想しろというのも酷じゃないかなあ。

 不満げに唸る私をなだめるようにジメインさんは分厚い手を上げ、続けた。


「ま、ただいま申し上げたように、ラツキ殿の故意は認められません。あくまで過失ですな。また、ご自分でも仰ったように、奴隷の目が覚めたらすぐに行動をしている点も適切な点ですな。その点を考慮いたしまして、過料銀貨15枚が妥当ですな」


 太い指で器用に法律書のページを繰りながら、ジメインさんは結論付けた。

 むー。罰金かー。

 個人的にはなーんかまだ微妙に納得いかないけどなあ。

 ……といっても、一応私に落ち度があったのも認めざるを得ない。

 それに、別に目の玉の飛び出るほどの高額を吹っ掛けられたわけでもないし、払って全部済むならそれでいいや、と割り切っちゃうべきかしら。

 まあ銀貨15枚、つまり金貨一枚半って、一般の家族の一か月分以上の生活費ではあるけど、私にとってはそれほど問題になるような金額ではないしね。



「続いて、奴隷のメイア君。君は献納奴隷として聖殿に捧げられるための刻限を破り、逃げたのですが……」

「ご、ごめんなさい! 本当に、いけないことしちゃったって思ってます! でも、わざとじゃないんです! 僕……」


 ジメインさんの声を遮るように、メイアは勢いよく叫んだ。震えながらではあったが、その眼には必死な色が浮かんでいた。

 ジメインさんはしかし動じず、ゆっくりと手でメイアの動きを制する。落ち着いた穏やかなその動作には威厳が感じられた。


「その申し立ては聞きましたぞ。確か、メガック殿のお店の方に話を聞いたということでしたな。その方は、刻限が変わったので、一日余裕ができた、と言われたとか」

「そ、そうなんです!」

「そ、そんなことはございません!」


 ジメインさんの言葉に、肯定と否定の声が同時に上がった。

 肯ったのはメイア。そして頭を振ったのはメガックさんだ。

 ジメインさんは視線でまずメガックさんを静め、先にメイアの話を続けさせた。




「そ、そのひとは、綺麗な銀色の髪と目、そしてつやつやした褐色の肌をした、とても綺麗な女の人でした……」




 どもりながら、しかし懸命な様子で、メイアは話し始めた。

 その話によると。

 献納奴隷という特別な存在であるメイアには、メガックさんのお店に来た後、個室が与えられた。そこで身支度を整えながら聖殿への引き渡しを待っていたメイアの元に、身の回りの世話だと言ってやってきたのが、その女性だったという。

 メガックさんのお店の制服を着ていたこと、そして何より、あまりにも何気なく自然な雰囲気を身に纏って訪れたことで、メイアはその女性の身元について何ひとつ疑いをさしはさまなかった。


 その女性はメイアに対して気さくに優しく語り掛け、長旅を気遣ってくれるなどして、すぐに打ち解けた。そして弾む話の中で、その女性は、もう間もなく聖王祭が行われることを告げた。

 目を奪うような色とりどりの美しい飾りつけや、面白可笑しい仮装行列。見たこともない奇妙な出し物や見世物。驚くような珍味や甘いお菓子の露店……。

そんな話を流れるように聞かされ、メイアはうっとりとそれに聞き惚れてしまったのだという。


(……配慮足りないわね、その人)


 私はメイアの話を聞きながら、眉を顰めた。

 友達と遊ぶことさえなかったほどに箱入りで大事に育てられたメイアが、そんな賑やかで楽しそうな話を聞いてしまったら、心が浮き立ち、魅了されてしまうのは当然だろう。メガックさんのお店の人なら、そこは考えてあげるべきだったのに。


 案の定、メイアは思わず言ってしまったという……「行ってみたいなあ」と。

 その女性はにっこりと笑うと身を寄せ、甘い声で、囁くように言ったそうだ。




「実はね。聖殿にあなたを引き渡す刻限が変わったの。明日じゃなく、明後日の朝になったのよ。つまり……一日、余裕ができたの」




 だから、一日だけなら、外に出てもいいのではないか。それくらいなら許されるのではないか、と、その女性はとても優しい笑みを浮かべて、言ったのだ。


 それでも、もちろんメイアは悩んだ。せめてメガックさんに直接お願いし、外に出してもらえないかと頼もうとした、というのはその時のことだ。

 だが、その女性は首を振った。メガックさんはとても厳しい人で、そんな頼みを聞くはずはないと。しかし、もしメイアが本当に望むなら――店を抜け出すために、自分が力を貸しても良い、と。

 メイアはためらい、逡巡し、けれど。

 けれど、結局は、その女性の言に、乗ってしまったのだ。





「で、ですから、そのようなことはございません!」


 そこまでメイアが話した時、メガックさんが大汗を拭くことも忘れ、青い顔でたまらず叫んだ。


「私どもの店に、そのような容姿の店員はおりません! 刻限が変わったなどということがないことも店の者皆知っておりますし、ましてや黙って奴隷を逃がすものなどおりましょうか!」


 

 一瞬、場を静寂が満たす。

 メイアとメガックさんの言い分は異なっている。どちらかが偽りを言っているか、さもなくば。

 ――さもなくば、どちらも正しいかだ。

 つまり、……メガックさんのお店に、店員を装って入り込み、言葉巧みにメイアを誘って脱走させたものが、……いる。

 だが、何のために?



「ふむ。正体不明の人物による逃亡の教唆と幇助ですか。しかし、そのような者がいたということ自体、証拠はありませんな」


 低く言うジメインさんに、メイアはすがるように言葉を発する。


「ほ、本当です! 本当にその人が……」

「本来このようなことを言うべきではありませぬが、個人的には君の言を信じたく思う。だが、君は奴隷。奴隷である以上、その証言の証拠力は低いのですな。すなわち、君の証言だけで聖殿が動くわけにはいかぬ。それが聖殿法なのですな」


 謹厳なジメインさんの言葉に、メイアは口をつぐみ、うなだれてしまった。

 

「従って、現状得られている事実だけで処分を決定せねばなりませぬ。では申し渡しますぞ」


 ジメインさんは軽く咳払いし、改めて私たちに向き直った。


「奴隷、メイア君にはすでに献納奴隷としての資格を喪失しておりますな。従って一般の奴隷扱いとなりますな」


 はっと息を飲み、メイアは顔を上げた。ふわりと髪が暴れ、紫色の右目が現れる。驚愕と怯えの色を宿した目が。


「そ、それでは、里のみんなが僕に掛けてくれた期待が全部無駄になってしまいます! 献納奴隷という名誉ある地位に付けるために、みんなは僕をずっと大切にしてくれたのに!」


 メイアは絞り出すような悲鳴を上げてジメインさんを見つめる。


「僕はどんな罰も受けますから! ですから、どうか里のみんなから誇りを奪わないでください!」

「勘違いしないでいただきたい。聖殿は何も君を処罰するというような意味で資格を剥奪したわけではないのですな。聖殿の奥深くに努める献納奴隷という尊い職務に就くためには、それゆえに綿密に観測された暦法に基づき、厳密に定められた儀式を執り行って聖別しなければなりませぬ。君はその儀式の時機を逃してしまい、ゆえに資格を失ったのですな。つまり、仮に聖殿の方から君を献納奴隷として得たいと望んだとしても、やはりかなわぬのですな」


 茫然として我を失ってしまったようなメイアを、私は見ていられずに、ぎゅっとその手を握りしめる。だがメイアからの反応は返らず、そこにはただの綺麗なお人形が放置されているだけのようだった。


「続いて、奴隷商、メガック殿。管理不行き届きにより献納奴隷の仲介という奴隷商としての名誉ある職務を全うできなかった責任はぬぐえませぬな。諸般の事情を考慮しますが、奴隷商資格15日間停止が相当と考慮いたしますぞ。その期間は一切の奴隷商としての業務を行いませぬように」


 今度はメガックさんが悲鳴のような声を上げた。資格停止15日って、そんなに大変なのだろうか、と私は一瞬疑問に思ったが、すぐにその不審は解けた。


「お、お待ちください! 10日後に大きな取引があるのです! そ、その取引ができねば、巨額の支払いが滞ることになり、私どもは!」

「それは……間が悪いことで、お気の毒には思うのですな。されど、個別の事情で法を曲げるわけにはまいりませぬ」


 にべもないジメインさんの言葉に、メガックさんは頭を抱えてうずくまってしまった。まるで法律書そのものが生きているようなジメインさんには取り付く島もない。

 うわごとのようなメガックさんの切れ切れの声が、私の耳に届く。


「は、破産だ……私は破産だ……」


 


 私の目には、果てしなく深い破滅の淵にかろうじて立つ二人の人間の姿が映っていた。

 メイアとメガックさんは、いずれも限りなく危ういバランスで、奈落の深淵に落ちずにいる。だが無論、いずれ無残に転げ落ちるだろう。いや、今まさに落ちているその瞬間なのかもしれない。

 ――私が手を伸ばさないのならば。

 


 瞬時の思考が幾重にも反響して私の頭の中を駆け巡る。

 だがそれは奇妙な感覚だった。私の中で、既に答えは見えていたのだから。その答えにたどり着くための道標を、私は探していたにすぎない。崖の向こうにあって、見えているのに届かない答え。そこへの道は、道は……。

 結局私は、……その崖を、跳んで超えた。道とか、もういいや。




「メイア」


 私は、虚ろな目つきのメイアに呼びかけた。のろのろと、すべての希望を失った少女が顔を上げる。


「里の人たちはみんなあなたに期待していた……みんなの名誉と誇りがあなたの肩にかかっていた。そうね?」


 多分耳にはろくに入っていないだろう。それでもメイアはこっくりと頷く。私は、濡れた手でクリスタルの器を扱うようにそっと注意深く、メイアに語り掛けていく。



「名誉と誇りは、献納奴隷になれば得られたはずだった。でも、もうそれは届かない。……だけど、メイア。それと同じくらい、名誉ある地位に付けるとしたら、それなら里の人々は喜んでくれるんじゃないかしら」

「え……?」


 僅かに、メイアの目に生気が戻る。だが、その顔にはまだ訝しげな表情。




「あのね、メイア。……もし仮に、私が今年の、「聖花の摘み手」に選ばれたとしたら。すべての登攀者の憧れのその地位に付けたとしたら。そして、……あなたがその私の隊の一員だったとしたら。それはやはり、とても名誉なことじゃないかしらね」




 その言葉がメイアの中に沁み通っていくのには幾許かの時間を要した。だが、メイアの磁器のように白い頬にはうっすらと赤みが差し、ガラスのように見えていた瞳には輝きが戻り始めていた。

 メイアだけではない。アンジェもテュロンも、ジメインさんさえも。僅かに身じろぎ、あるいは目を瞬かせて、私のその言葉を聞いていた。




 聖花の摘み手。

 なるべく目立ちたくない私にとって、そんな注目が集まるイベントに出場するなどということは望ましくない、そう思っていた。

 だけど、逆に考えることもできるかもしれない。

 私はいずれにせよ塔へ登り続け、いずれは頂点を極めるつもりだ。つまり、嫌でもそのうち私の存在は人々の耳目を集めることになる。

 そうなったとき、こう思われるかもしれない。――「なぜあれほどの登攀者が、聖花の摘み手の競争に出場しなかったのか?」と。

 それはそれで、やはり不自然なことだと思われるのではないだろうか。どうせいずれ注目されてしまうなら、むしろさっさと聖花の摘み手の競争に出場することの方が、妥当な選択ではないだろうか。


 ……とまあ、そこまでは一応取って付けたような屁理屈だ。

 いやまあ屁理屈も理屈のうち、なんだけど。

 本音は。正直なところは。

 やっぱり、私は、メイアとメガックさんを助けたかったのだ。


 自分にできること、できないこと、やっていいこと、いけないこと、それは見極めなければならないけれど。

 でも、ちょっとだけ手を差し伸べれば、落ちていく人を救えるかもしれない。確実ではないけど、無駄に終わるかもしれないけど、でも可能性はあるかもしれない。そんな状況なら、私は手を出したいと思う。

 前の世界にいた頃の私なら、手は差し伸べなかったかもしれないな、とも思うけど。でも、かつての私がそうだったからこそ、今のこの私は、そうしたいと思ったのだ。



 私の言葉に、メイアは深く息を吸い込んで、私の目をじっと見つめた。湖水のような深く澄み通った瞳で。

 

「聖花の摘み手の一員……そうなれたら確かにすごいよ、ラツキさん。献納奴隷と同じくらいか、それよりもっと名誉なことだと思う。里のみんなも、きっと喜んでくれる。……でも、できるの? そんなことが」

「もちろん、絶対になれるとは言わないわ。難しいことでしょうからね。失敗することも覚悟しておいてもらう必要はあるわ。でも、少しでもその望みがあるなら、やってみたいとは思わない?」


 メイアがきゅっと唇を噛み、形の良い眉をきりりと引き締めた。その相貌には、砕けかけた望みを懸命につなぎ合わせ、蘇らせようとする強い意欲があった。


「……うん、僕、やってみたい。ラツキさんが力を貸してくれるなら」

「ええ。決まりね。……そして、メガックさん」


 今度はメガックさんに、私は声を掛ける。彼は憔悴しきった表情で、しかし応じてくれた。


「……なんでしょうか、ラツキ様」

「今の話の通り、私は聖花の摘み手の選抜競争に出るつもりです。ですから――メガックさんは、私に賭けてください。できるだけ大きく」


 ここに来てようやくメガックさんは大きく眼を見開いた。私の意図を理解してくれたようだ。


「な、なるほど……それなら、あるいは」

「ええ。私はしょせん10階層に上がれたばかりのド新人ですからね。私に賭ける人なんか、ほとんどいないでしょう。つまり、倍率は大きいはず。その私が選ばれれば、巨額な払い戻しがあるでしょう。それなら、メガックさんの支払金を充当させることができるんじゃないでしょうか」


 メガックさんのつるつる頭にまた汗が浮いた。しかし、それはこれまでのような冷や汗や脂汗ではなく、興奮と高揚のもたらすものだった。


「ラツキ様。確かに、あるいは、それならば私の店も破産を免れるかもしれません。もちろん、失礼ながらうまくいかないかもしれませんが、それでも構いません。座して破産を待つよりは、多少なりとも可能性のある方に賭けましょう。……それに、うまくいけばラツキ様の御資産も無事で済みますしな」


 え? ああそっか。

 私、メガックさんにずいぶんお金を投資していたから、メガックさんが破産すると、私の財産も同時にほとんど溶けちゃうのか。確か積もり積もって、今はもう金貨200枚くらい預けていたかな。

 と言っても、私はまたあのクソ電飾のところへ行ってポイント残額を変換すればお金は作れるので、危機感は持っていなかった。


 でも、考えてみれば、私も相当危ないところだったのね。お金を作り出せば、その出所についての説明が必要になるんだから。この世界に初めて来た時の金貨100枚だって、うまく理由をつけるのに色々手間をかけたんだし。

 私は密かに胸をなでおろしながら、ジメインさんの巨体に向かい直した。


「聖殿としては、今の私の発言に、何か問題はあるでしょうか?」

「いえ、問題はありませぬな。メイア君に関しては、メガック殿以外の他の奴隷商にいったん預け、そこから改めて買い取るという形式を踏んでいただくことにはなりますが、それに関しては聖殿が口をききましょう」


 そっか。メガックさんは奴隷商の資格を停止されるから、メガックさんのところからメイアを買うわけにはいかないのか。めんどくさいけどしょうがない。ジメインさんはそういう規律を絶対曲げない人だというのは、ここまでの話でもよくわかったし。


「……なお、賭けについては、聖殿としては別に推奨しているわけではなく、あくまで、やむを得ず容認しているだけという形なのを忘れないでいただきたいですな。あまり厳しく取り締まると地下に潜ってしまい、かえって風紀を乱しますから、特に許しているだけでありますぞ。本来ならば栄光ある聖花の摘み手を賭けの対象にするなど好ましくはないのですからな」


 ……うん。こういう堅苦しい人だというのもね。言わずもがななことなのに、わざわざ渋面で一言付け加えちゃうあたりとか。石頭だけど、なんだかそれがちょっとユーモラスに見えるかも。

 

「……はい、気を付けます」


 私は肩をすくめて苦笑しつつ頷いた。その私の態度に、ジメインさんはまたちょっと口を曲げていたようだったけど。ごめんね。





 

「なんか、流れでこうなっちゃったけど。少しの間、我慢してね、メイア」


 私の奴隷として、メイアの正式な登録が完了した。ついでにさっさと聖花の摘み手への出場登録も済ませてしまう。


 メイアに関しては、メガックさんの知り合いの奴隷商さんに形式的に彼女を引き取ってもらい、その直後に私が買うという、まあ書類を右から左に動かすだけの実体のない手続きだった。

 なんだかなーという気はするが、まあ決まりなら仕方ない。その奴隷商さんは、事実上名義を貸すだけで仲介料取れるわけだから、喜んで応じてくれたし。

 そういった特殊な状況だったからということもあり、メイアの代金は金貨10枚という破格の安さだったけどね。

 

「我慢って?」


 不思議そうにきょとんとメイアが私に尋ねる。


「えっと、私の奴隷になるの嫌かもしれないけど、ちょっとだけ我慢してねって意味。でも、聖花の摘み手になれたら、そのあとはあなたを解放してもいいから、そこは心配しないで」

「そんな! 僕、ラツキさんの奴隷にしてもらえて、感謝してるよ! だって僕を助けるためにいろいろなことしてくれて、……それだけじゃない、夕べからずっと、僕、ラツキさんに助けてもらいっぱなしだったもの。だから、今度は僕がラツキさんに恩返ししたいんだ」


 手をぎゅっと握り、一生懸命な調子でメイアは訴える。飼い主に対して、きゅんきゅんって頑張って鳴いているわんこみたい。その一途な様子が微笑ましく、可愛らしくて、私は彼女の頭をわしゃわしゃと撫でた。気持ちよさそうに、メイアは目を細める。


「そう。そんなふうに思ってくれるのは嬉しいわ。もしあなたが私とこれからも一緒にいたいと思ってくれるなら、私ももちろん同じ気持ちよ」

「うん! 僕、精一杯ラツキさんの役に立てるように頑張るよ!」


 意気込んでメイアは言う。そんな彼女に、テュロンが、こほん、と咳払いした。


「よろしいですか、メイア。ご主人様のお役に立ちたいというその心意気やよし、ですわ。ですがまず、ご主人さまのことは「ご主人さま」とお呼びするべきですわ」 

「あ、そ、そうだね。ごめんなさい。えと……ご、ごしゅじん、さま」


 メイアは恥ずかしそうに言った後、顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。嬉しそうに微笑みながら。


「えへへ。な、なんだか恥ずかしいな。でも、なんか嬉しい、かも」


 お、おのれ。この可愛さ全振りの子犬はどこまであざといのか。

 そんな姿を見せられたら、もっとわしゃわしゃせざるを得ない。くらえ。わしゃわしゃ。わしゃわしゃ。


「わあ、ご主人さま、やめてよ、もう! やめてったら! あはは! くすぐったいよぅ!」


 きゃっきゃと戯れ騒ぎながら、私たち四人は賑やかな聖都の街並みを歩く。まあ、のんびりしてはいられない。これから、聖花の摘み手の競争に出場するための準備など、いろいろ忙しいのだし。

 さて、まずはどこから向かおうか。メイアの装備を整えるための道具屋さんかな。っていうか、彼女のための日用品なんかも買わないと。あ、出場者の賭け率も見ておいたほうがいいよね……。


 などといろいろ考えていた時。

 笑いさざめいていたメイアの声がふと止まった。彼女は凍り付いたようにその場に立ち止まり、一点を凝視している。


「……メイア?」


 何があったのか、と、眉を顰めながら声を掛けた私に、メイアは、震える指を上げて、前方に立つ人影を指し示した。



「……あ、あの人だよ、ご主人さま。メガックさんのお店で、僕にいろいろ言ってきた女の人は、あの人だ」



 驚愕し、私たちはその相手を見つめる。

 美しく輝く銀色のロングヘアと、妖しい光を宿した銀の瞳。

 艶やかな褐色の肌に、申し訳程度の薄布を張りつかせたグラマラスなボディ。

 そして優美な曲線を描く朱色の唇の端からわずかに覗く、牙。

 妖艶にしてどこか頽廃的な雰囲気をその身に纏った美女が、私たちに向かって、挑発的に微笑んでいた。

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