ボクっ子と自由
「ご主人さま、ご主人さま……お目覚めください、ご主人さま」
うつらうつらとしていた私の耳元にささやきが聞こえる。
むにゃ。えーと。
うん、いつもながら可愛い、アンジェの声だ。毎朝、この子の小鳥みたいに可憐な声で起きられるって、贅沢よね、私。
半分とろんとした頭で、私は手を伸ばす。アンジェの細い肩を抱いて、ぐいと抱き寄せる。
「きゃっ、ご、ご主人さま!?」
「……むにゃ……んもう、朝からおねだりなんて、いけない子ね、アンジェ……」
寝ぼけながら唇を寄せていく。まあアンジェが欲しがるなら、キスだけじゃなくて……。
「ち、違います、ご主人さま! あ、あの!」
だけど、なんかおかしい。アンジェが慌てたようにぺちぺちと胸元を叩いている。なんだろ。少しずつ意識を明確化させていく。
「あ、あの子が、意識を取り戻したんです、ご主人さま!」
「……むにゃ?」
えっと、なんだっけ。
あの子……?
――あー。あーそうか。
ようやく頭がしゃっきりとする。
昨夜、お屋敷の近所で倒れていたあの少女のことか。
美少年――と見まごうばかりの、凛とした端麗な顔立ちをした少女。
意識混濁状態だった彼女をあちらこちら連れまわすことも憚られ、また既に夜だったこともあって、私たちはいったん、彼女を屋敷の中に運び込んでいた。
空き部屋の中の一室に少女を休ませ、アンジェに応急的に痛み止めの魔法を掛けて貰ってから、私たちは交代で彼女に付き添っていたんだった。おかげであまり十分には眠れていなかったから、つい寝ぼけちゃった。
自分の頬をぺちんと叩いて気合を入れ、頭を振りながら起き上がると、目に差し込む太陽の光が眩しい。もうすっかり日が昇っているようだった。
と、その時、後ろから悲鳴が上がる。
「きゃーっ! テュロン、違います、違いますから!」
あー。アンジェ、テュロンを起こしに行って、そこでも襲われたのか。総受け体質だなあ。
まあ確かに、テュロンはあの怪力だから、寝ぼけられるとなかなか抵抗できないんだけど。
「きゃーっ! 駄目―っ! そこは駄目ですーっ!」
……そろそろ助けに行こうか。
と、朝からバタバタしながらも、私たちはようやく顔をそろえた。
「えーと。アンジェ、それで、あの子の様子は?」
赤い顔をして乱れた髪と衣服を直していたアンジェは、私の問いに、困ったような表情を浮かべる。
「はい……あの子の苦痛は、誓刻の制裁によるものです。そしてそれは、奴隷の身分でありながら逃亡したという事実によって喚起されているものですから……」
「……逃亡という事実が変わらない限り、根本的な解決にはならない、というわけね」
「はい。多少は痛みを抑えてあげてはいますが」
ふむ、と眉をしかめた私に、縦ロールを整えつつ、テュロンも言う。
「ご主人さま、それに、逃亡奴隷を匿うことは聖殿法に触れますわ。昨夜は仕方がありませんでしたが、今朝は奴隷商を探すなり、聖殿に報告するなりするべきだと思いますわ。あの子の痛みも、そうしない限り消えませんもの」
むー。
それはまあ、私にしたって、別に縁もゆかりもないあの少女を、ムキになって匿おうというつもりはない。そんな資格もないし、その立場にもいない。
基本的にはやっぱり、彼女はあるべき場所に帰るべきなのだろう。それに、テュロンの言う通り、そうしなければ彼女自身の誓刻の痛みも続くのだし。
「わかったわ。じゃあとりあえず話を聞いてみましょう。それくらいはできる状態よね?」
アンジェに様子を確かめ、彼女がこくんと頷くのを確認してから、私たちは揃って少女を休ませている部屋へと向かった。
そっと戸を開け、室内に入る。
寝台に横たわっていた少女は、ゆっくりと首を擡げて、私たちを見つめた。
切れ長の眼差しは、深い湖の色合いを映すように、信じられないほど透明で澄み渡り、長い睫毛がその縁を彩っている。
細く鋭い眉は、高い鼻梁と、きゅっと結んだ唇と合わせて、彼女の凛然とした面持ちを強く印象付けていた。
白く清楚なうなじが見えるほどのショートヘアは瞳と同じ澄んだ水の色。だが、右目の部分だけがぱらりと垂れて、片目を覆っている。
一瞬気後れしてしまうほどの綺麗な子。
でも、どこか人形のような感覚も受ける。それも、ガラスでできた人形――綺麗で透明で、けれど壊れやすい芸術品。そんな不思議なイメージを、私は彼女から与えられていた。
「……あなたたちが、僕を助けてくれたの?」
少女は静かに唇を開いた。
うわ。ボクっ子だ。ボクっ子だよ。
うん、でも、なんか、似合ってる。変なキャラ付けとかじゃなくて、とても自然。
少女がさらりと口にした「僕」という言葉は、それ以外の一人称が割って入れないほどぴったりと、彼女に寄り添っているように聞こえた。
水晶の玉を転がすような透き通った声は、きっと清らかな聖歌を歌い上げるのが似合うだろうな、なんて変な考えを抱いてしまう。
「……え、ええ。あなたは、私の家のそばに倒れていたのよ。私はラツキ、登攀者。こちらの二人はアンジェリカとテュロン。私の随伴奴隷よ」
「そう。登攀者なんだ。そして……奴隷なんだね」
少女はまじまじと私たちを見つめた。というより、アンジェとテュロンを、かもしれない。二人ともそれに気づいたようで、少し不思議そうな、そして何となく居心地の悪そうな顔をしていた。
しかしすぐに少女はふっと視線を逸らし、薄く眼を閉じた。そのまま、彼女はつぶやくように言う。
「僕の名は――メイア」
メイア。可愛い名前ね。
ボーイッシュな彼女の姿とはちょっとミスマッチで、でもそれが不思議な魅力を導き出してもいる感じがするな。
「じゃあ、メイア。お話を聞かせて貰ってもいい?」
私たちは寝台に近寄り、椅子に掛けて、彼女の顔を覗き込む。しかし、メイアは横たわったまま、わずかに視線を逸らし、天井を虚ろに見据えた。
「話を聞いてどうするの。いずれにせよあなたたちは、僕を奴隷商の元に戻すだけなんだろうし。話に何か意味があるのかな」
冷えた声音に一瞬固まる。それはどこか物悲しい響きを宿した口調だった。
だが、彼女はすぐにはっと気づいた表情になり、私たちのほうに向きなおって弱々しく微笑んだ。
「……ごめんなさい。助けてもらった人たちに、こんな言い方をしちゃいけないよね。それにまだ、ちゃんとお礼も言ってなかった。ありがとう」
少し空気が和らぐ。多分この清楚で繊細な彼女の方が、本来の姿なのだろう。
「いいのよ。それで……」
「うん。と言っても、特に話すこともないけど……」
メイアは細い手を掛け布団から出し、そっと自分の髪に指を這わせた。顔の半分を覆っていた右側の前髪に。
ゆっくりとかきあげる。そこから現れたのは、やはり同じように美しい顔。だが、たった一点、左側と異なっていた部分があった。
思わず、あっ、と声が出そうになる。
それは、瞳。
左目では澄んだ水色の瞳が、右目では濃厚な紫色に輝いていたのだ。
「まあ……綺麗」
「これは……虹彩異色相ですわね。初めて拝見いたしましたわ」
アンジェとテュロンも驚いた表情になる。
オッドアイとかヘテロクロミアとか言われてるあれか。前の世界ではネコとかに多いと聞いたけど。
単に左右の眼の色が異なるから珍しいというだけではない。この世界の人々は、髪と瞳は同じ色をしている。アンジェは金髪に金の瞳だし、テュロンも栗色の髪と瞳。この世界に来てからは、髪と目の色が異なる人には出会ったことがない。
そういう意味でも、メイアのこの瞳の色には驚かされたのだ。
「僕が自分で言うのもなんだけど、貴重なんだって聞いたよ、こういう目は」
ふう、と息をついてまた髪を戻しながら、メイアは言う。
「だから、生まれてからずっと、僕は大切に育てられたんだ。……聖殿への献納奴隷になるためにね」
何それと思う間もなく、アンジェとテュロンはそれぞれ頷いていた。
「なるほど、わかりますわ」
「ご郷里の方々もご名誉なことでしょうね」
……そうなの? と頭の中がぐるぐるするけど表には出さずに、私ももっともらしく頷いてみる。その隙に検索スキルを起動。
えっと。献納奴隷。
文字通り、聖殿へ献納されるための奴隷のことだ。聖殿の奥深くで、様々な庶務や、秘儀を執り行う聖務官の助手などを務めるのだという。そうした秘儀秘跡の詳細は、一般には漏らしてはならない事柄も多いために、奴隷を使うのだそうだ。
献納奴隷は、奴隷ではあるけれど、そのように聖殿のために働き、秘儀に従事し、また聖務官に身近く仕えるということから、一般の奴隷よりもはるかに身分は高い。待遇も篤いらしいし、自由民の人々からも、一種の敬意を向けられる。
それほどの特殊な地位だから、献納奴隷には、生まれながらに非常に高い魔力を有しているなど、特異な存在でなければ選ばれないのだそうだ。
メイアのオッドアイは、多分そうした条件に適合するものなのだろう。
うーん、それにしても。いくら特殊で身分の高い奴隷と言ってもやっぱり奴隷は奴隷なわけだし。
アンジェやテュロンのように事情があって奴隷になるのではなく、生まれながらに奴隷になるべく育てられるって、ちょっと私には想像できなかったな。
「そうだね。僕も、名誉なことなのはわかってるんだ」
メイアは自分に言い聞かせるように言った。水色の目が少し細められる。
「里のみんなも、ずっと良くしてくれた。そのことには感謝してるし、みんなの期待にこたえたいとも思うよ。でも」
小さな息が震えて漏れた。水色の髪が一筋、はらりと垂れて落ちる。
「でも僕は、小さいころからずっと、外を駆けまわったことがない。虫取りをしたり泥んこ遊びをしたり、木登りをして池に落ちたりしたことがない。……友達と遊んだことがないんだ」
私たちは言葉を交わすこともできず、ただ顔を見合わせる。
小さな村里の掌中の珠として大切に大切に育てられてきた少女。それゆえに息が詰まりそうになっていた少女の姿がそこにあった。
メイアの村里の人々は、本当に好意と善意、そして期待から、彼女を大事にしてきたのだろう。その善意がわかっているからこそ、メイアも精いっぱいそれにこたえようとしてきて。でも。
「明日の朝が、暦で選ばれた定めの時なんだって。その時が来たら、僕は聖殿に入る。そして――そのまま、今度は一生、聖殿の奥で過ごすんだ」
一瞬言葉を切って、メイアはきゅっと唇を噛んだ。
「……大事で尊い仕事をさせてもらえるっていうのはわかってるよ。だけど、その前にちょっとだけでいい。ちょっとだけでいいから、……自由ってどんな感じなのか、知りたかった。それだけだったんだ」
痛むような沈黙が部屋の中に流れた。
屋敷の外で楽しげにさえずる小鳥の声が、場違いに明るく聞こえてくる。
私はいたわるように唇を静かに開いた。
「……それで、逃げてきたのね」
「うん。もちろん、明日の朝が来る前には戻るつもりだったよ。一日だけのつもりで……。でも、結局はこの通り。あなたたちにも迷惑をかけちゃったね。改めて、ごめんなさい」
横たわったまま、小さくメイアは頭を下げた。疲れたように。
私は小さく息をつき、軽く眼を閉じた。左右からの視線は感じている。アンジェとテュロンからの、もの問いたげな視線を。
やや考え込んだ後、私は瞼を開いた。
「メイア、あなたの逃げてきた奴隷商はどこの、なんというところ? やっぱり、まずそこにすぐお知らせしないといけないわ。そのお店もきっと、とても困っていると思う」
「うん。そうだよね。僕が我儘すぎたんだ」
だが私は首を振り、メイアの肩に手を掛けた。
「たった一日の自由を求めることが我儘だなんてはずはないわ。でもね、やり方はちょっと、やっぱり間違ってたかな。きちんとしたやり方なら、もっと良くできると思うわ」
メイアはおずおずと私を見上げる。
「きちんとした……?」
「ええ。まずお店に戻って、ちゃんと謝るのね。そして、改めてそのお店の人にお願いしたらいいわ。これからだと半日だけになってしまうだろうけど、外出させてほしいって。もしかしたら、誰か付き添いの人と一緒だろうけど、許してもらえるかもしれない」
だが、メイアは沈むように目を伏せる。
「僕も、もちろん最初はお願いしようかなって考えたんだよ。でも、お店の人に聞いたんだ。そのお店のご主人はとても厳しくて、きっとそんなお願いは許してくれないだろうって。だから」
「そうなの……。でも、直接お願いしたわけではないのよね? 駄目で元々なら、やってみましょうよ」
メイアはそっと顔を上げる。その眼にはまだ迷いと諦観がある。だが、それでも彼女は微かに頷いた。
「……わかったよ。もう一度、頼んでみる」
「ええ。それで、あなたの逃げてきたお店なんだけど」
「えっと。なんて言ったかな。お店のご主人は、とても目立つ外見をしていたんだけど」
メイアは考え込みつつ、ぽつりぽつりと呟く。
「そのご主人は……卵みたいにつるつるの頭をしていて」
……はい? なんかどっかで聞いたような。
「お鼻の下に、面白いちょび髭があって」
えーと? なんか明確にイメージ出来てきたんですが。
「ああ、確か、お名前は、メガ……メガックさんとか言う人だったよ」
ですよねー! だと思いましたー!
何とも私はメガックさんに縁があることだ。アンジェとテュロンもそれぞれ変な笑みを浮かべている。
……だけど、考えてみると、なんだかおかしいな。メガックさんは、私の知る限り、結構鷹揚で融通がきく人のはずよね。この間のウィジィくんの事件の時も、彼にいいように計らってくれていたし。
もちろんメガックさんはただの人情親父ではない。商人、それも辣腕の商人だから、一定の打算と駆け引きで行動はする。
でも、献納奴隷という特殊な立場の子が望む、付き添い付きのたった一日の外出さえ許さないような人かな。ちょっと私の中のメガックさん像とは結びつかない感じだ。
変、と言えば、そもそもメガックさんのお店から、そう簡単に逃げ出せるものなのだろうか。
メガックさんのお店は聖都でも有数の大きな奴隷商。それだけに店構えはきちんとしており、奴隷の管理も行き届いているはずだ。対して、メイアはどう見ても世間知らずの子。そのメイアが、メガックさんのお店から、逃げようと思ってあっさり逃げられるものなのかな。
様々な違和感を覚えながらも、私はメイアの肩をぽんと叩いた。
「メイア。私もそのメガックさんという人は知っているわ。大丈夫、きっと頼めば許してくれる人よ。私も口添えしてあげるわ」
「ほ、ほんと?」
「ええ。私、メガックさんのお得意さんなのよ。この子たちはそこで買ってるし、お金もいっぱい投資してるわ」
悪戯っぽく笑いかけた私に、メイアは目をキラキラと煌めかせて手を取った。誓刻の痛みがまだ疼いているはずだけど、そんな痛みなど吹き飛んだかのように、ぱあっと輝く笑顔が咲き誇る。
今まで沈鬱な表情だった彼女の、無邪気で嬉しそうな顔が、私の胸をずきゅんと打ち抜いてくれた。
か、可愛い。なんかこう、警戒していた子犬が初めて手を舐めてくれたような嬉しさを感じる。
「あ、ありがとう、ラツキさん! 僕、僕、嬉しいよ!」
ぱたぱた。メイアに尻尾があったら、ぶんぶん振り廻してるような勢い。思わず私の口元からも、くすっと笑みが零れてしまう。
「僕、実はちょっと不思議だったんだ。そちらの二人、奴隷なのに、なんだかあまり、堅苦しいというか、窮屈な感じがしなかったから。でもわかったよ、ラツキさんが素晴らしいご主人だから、奴隷の人も幸せなんだね」
そっか。さっきメイアがアンジェとテュロンに不思議な視線を向けていたのは、同じ奴隷としての境遇を推し量っていたからか。これから奴隷になるという不安が、メイアを押し包んでいたのだろう。
いやー、でも、照れるなあ、えへへ。私、そんな素晴らしい主人なんかじゃ……。
「……素晴らしいかと言われますと、多少疑問がございますが」
――って、ええ!? なんかテュロンが小首を傾げながらいきなり爆弾落としてきたんですが。
「ご主人さまは、あまりお行儀はよろしくありませんわよね。起き抜けやお風呂上がりに、いつまでも下着姿でうろつかれるのは、はしたないのでやめていただきたく思いますわ」
「あ、あと……お食事の好き嫌いが多めなのも、お直しになったほうがいいかなと……」
うわっ、アンジェまで後ろから撃ってきた!?
目を白黒させている私にかまわず、私の可愛い奴隷たちの十字砲火が続く。
「私たちが家事をしております際に、べたべた纏わりつかれますのもね。いえ、私も嬉しくないわけではありませんが、仕事の効率を考えますと、端的に申し上げて邪魔ですわ」
「あの、ご就寝なさっているときの寝相も……私、何度か寝台から落ちそうに……」
「休日でも一日中ごろごろしていらっしゃるのはいかがかと存じますわ」
「着替えているときに見つめられるのを、少し控えていただければ……その、結構、視線ってわかるので……」
もうやめて! 私のライフはゼロよ!
白目を剥いて打ちのめされた私を眺めて、メイアはきょとんとしていたが、やがて声を上げて笑い出した。涼やかで軽やかな、そして心底楽しそうな声。
「あはは! そうなのか。それでも、なんだね」
「はい、それでも、です」
「ええ、それでも、ですわ」
ころころと笑うメイアに合わせて、二人も笑う。笑いながら、声をそろえた。
「それでも、私たちが、心からお慕いするご主人さまです」
……そ、そんな言葉でだまされないんだからね! 二人とも後でお仕置きだから! 主にベッドの中で!
アンジェとテュロン、そしてメイアまで加わって、不貞腐れた私をなだめすかす。
まあ、メガックさんのお店へメイアを返すのがとりあえず重要だ。いつまでむくれてても仕方ないので、二人への詰問は後回しにする。手早く身支度を済ませて、私たちは屋敷を後にした。
メガックさんのお店は聖都の都心部にある。つまり、賑やかな街・聖都の中でも、最も喧噪に満ちた場所を通っていくことになる。
まして、もうすぐ聖王祭という時期だ。ただでさえ活気に満ちた街並みが、さらに騒がしくも忙しく、そして浮き浮きとした雰囲気に満ち溢れている。
色とりどりの旗や吹き流しなどの飾りつけが目に飛び込んできて目も眩むほど。その鮮やかな彩りの下を、老若男女、そして種族も多種多様な人々が、こぞってそぞろ歩いている。
聖都の住民や登攀者たちだけではない。各国からこの聖都のお祭りを見物に来る人も多く、そうした人たちを目当てに、ただでさえ多い露店や行商、大道芸などがさらに増えていくという循環だ。
「すごいね! 僕、こんな賑やかなところは初めてだよ! ねえラツキさん、あれは何!?」
「ああ、あれは剣の演武を客寄せにして、お薬とか売ってるのね」
「じゃあじゃあ、あれは!?」
「講談かな。物語とか伝説を面白おかしく聞かせているのよ」
逃亡を辞めてお店に帰るという行動をとっているため、メイアの誓刻の痛みはかなり落ち着いているようだ。
私たちもつい、街に漲るこのテンション高い空気に飲まれてしまいそうになる。ましてや、見るもの聞くものがすべて、メイアにとっては初めての経験なわけだ。彼女は文字通り全身を耳目にして、周囲の情報を残らず吸収しようと、顔を輝かせて貪欲に食いついている。
ほんとに子犬みたい。リードでも付けてないと、どっかに飛んで行っちゃいそうね。
もちろん、今はあちらこちらの露店や見世物に引っかかっている暇はない、というのは、メイア自身もちゃんとわかっているようだ。涎をたらしそうな顔をしてきょろきょろしてはいるけど、足は止めずにしっかり歩みを続ける。
やがて、メガックさんのお店が視界に入ってきた。
遠目からでも、その不穏な空気が伝わる。
多くの人々がひっきりなしに足早に出入りし、声高に何やらやり取りし合い、顔つきには焦燥と苦慮の色が浮かんでいるためだ。
その光景を目にしたメイアは、見る見るうちに穴の空いた風船のように、しゅんとして下を向いてしまった。
「みんな、困ってるんだね。僕のせいで……」
整った顔が泣き出しそうに歪んでいる。私はその小さな肩を抱いて、励ました。
「そうね。でも、やってしまったことは仕方がないわ。心からきちんと謝るの。幸い、期日は明日の朝なのよね? なら、まだ致命的なことにはなっていないでしょうし」
「うん……僕、ちゃんと謝るよ」
少し震えている足を鼓舞するように、メイアは自分自身に言い聞かせる。
その彼女を支えて、私たちはゆっくりとメガックさんのお店に近づいて行った。
ちょうどお店から出てきた店員さんが一人、私に気付く。顔見知りの店員さんだ。
「あ、ラツキ様。これはようこそのお越しを。ですが申し訳ないのですが、私共は只今、非常に立て込んでおりまして、その……」
言いかけて、その店員さんはひょいと私の隣に気付く。おずおずと顔を上げたメイアの姿を。
途端、店員さんの声が止まり、目が見開かれる。ぽかんと開いた口がわなわなと震えていた。
ややあって、やっとのことで店員さんは声を絞り出す。
「ラ、ラツキ様。そ、その者と、その、どうしてご一緒に……」
「あ、ああ、事情があるんです。それをご説明しようと……」
だが、私に最後まで言わせもせず、店員さんは店の中に駆け込んでしまった。
「ご、ご主人さま! あの者が、メイアが帰って参りました!」
大声で呼ばわる店員さんの言葉がお店に響き渡り、途端に店の奥から大勢の人々がわっと現れ、私たちを取り囲んだ。
その人込みをかき分けて、メガックさんの卵のような頭が覗く。彼の表情は驚愕と絶望に塗りこめられていた。
私たちもまた、予想以上の反応に、言葉が出ない。
確かに、メイアが逃亡したというのは大ごとだろう。だけど、ここまで大騒ぎになり、また人々がこれほど真っ青な顔になるようなことなのだろうか。だって、まだメイアを聖殿に引き渡す期日は来ていないはずなのに……。
「ラ……ラツキ様。これはいったい、どういったことなのでございましょうか」
震える声で、メガックさんが滝のような汗を手巾でふき取りつつ、せわしなく尋ねる。
気圧されつつ、私もやや早口で答える。傍らのメイアがぎゅっと身体を固くしているのを感じながら。
「えっと、この子、昨夜、私の家の傍に倒れていたんです。それで介抱してあげて。意識を取り戻したのがつい先ほどで、事情を聴いた後にこちらへ」
「さ……さようでございますか……先ほど意識を……さようで……」
メガックさんはがっくりと道に膝を付いてしまった。
「ど、どうしたんですか、メガックさん。この子のことは聞きましたが、期日は明日の朝なんですよね?」
彼を助け起こそうとしながら尋ねた私に答えたのは、その時人ごみの奥から現れた、別の人物だった。
「何か勘違いをなさっておいでのようですな。献納奴隷を聖殿に引き渡していただくべく、暦法による厳正な選別の結果定められた期日は、本日の払暁。すなわち、刻限は既に経過しております」
唖然として、その人物を見上げる。
それは、聖務官。巌のような巨体をし、小脇に大判の分厚い本を抱えた、猿人の聖務官だった。
「そんな……だって、期日は変わったって……明日の朝になったって、僕は確かに聞いたのに……!」
メイアの悲鳴のような声が、静寂が支配した場の中、痛切に響いていった。




