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異世界くじと神々の塔  作者: 天樹
32/84

淀みと変身

「わ、私の輝く知性が認識も把握も理解もできませんわ……! あれはいったい何ですの!?」


 戦慄したテュロンの声が響く。生臭くじっとりと湿った風に乗って。

 テュロンだけではない。この場にいるすべての者が、眼前に蠢く「それ」の存在を受け止めることができなかっただろう。



 いずこからとも知れない空間から滲み出し、滴り落ちた、腐汁のようなもの。それは、不自然に宙にとどまって凝縮し、形を成した。

 視界を圧して膨れ上がったその体躯は、不恰好に歪んだ大小さまざまな球体を、いくつか連結させたもの。

 節くれだった長さの不揃いな細い突起が何対も生えて、その巨体を支えていた。――それを「脚」などと呼べば、動物学に対して冒涜になるだろうけれど。

 体幹の先端部には、どんよりと濁って輝くいくつもの球体。それらがひっきりなしに蠢くさまは、まるで周囲を睥睨しているかのようだった。


 獣でも鳥でも魚でも虫でもなく、無論人でもない。いや、生き物かどうかさえ分からない。

 そんな異形の「何か」が、ゆっくりと動き始めたのだ。紛うことなき醜悪で穢れた空気だけは、明確に振り撒きながら。



「守護獣!? い、いえ、そんなはずは」

「そ、そうです! 塔の守護獣はもっと高貴で美しいもの。こんな化け物のはずはありません!」


 アンジェとラフィーネさんも、口々に押し殺したように呻く。

 確かに、『塔』の中にも、超自然の存在である守護獣がいる。守護獣もまた、はっきりとした戦意をもって登攀者に対し襲い来るものだ。登攀者の中には守護獣に命を奪われるものも多い。

 だが、守護獣の姿はすべて、純白の輝く姿を持ち、神々しい美に包まれていた。何よりも、守護獣は、歪んで捻じれたような目の前の怪物とは正反対の、凛然とした気高さを有しているものだった。


 だから、わからない。目の前のこいつの正体は、誰も理解できない。



 ――私以外は。




「くっそ。そういうことね、あのクソ電飾……!」


 口の端に苦い笑みを浮かべ、私は小さく吐き捨てた。

 そもそも、私がこの世界を訪れた理由は何だったか。そのことを思い出して。

 私自身の人生のやり直しのため? ――うん、否定しない。だがそれはあくまで、私個人の主観的な問題に過ぎない。

 「私にとっての理由」ではなく、別の世界からこの世界へ人を送り込む、その本来的な、本質的な理由を、あの何とかシステムというクソ電飾は語っていたはずだ。


 曰く――



『それぞれの世界は一つの閉じた「系」になっておりマス。その系の内部で完全に循環し自己維持を続けることができマス。基本的にはデス。……しかし、いつまでも閉じた系の内部だけで自己維持を続けていては、そのうち淀み、ひずみ、歪みが出てきマス。水槽の中身をいつまでも変えなければ水が淀むようにデス』



 私にはわかってしまう。私だけには。そのために異世界ここに来たのが私なのだから。

 そう、こいつが。目の間にそびえる巨大なこの醜悪で悍ましい異形が。

 ――「世界の淀み」だ。「淀み」が形を成したものなのだ。


 だけどまさか、それがこんなに具体的な、そして物理的な姿を取るものだったとは。もっと概念的というか抽象的な話だと思ってたよ、くそぅ。



 だが、愚痴るのはあとだ。今、この場をどうするか。私は素早く周囲を見渡す。凍り付いたように硬直したアンジェたち。そして……。

 そして、伯爵夫人が。

 まるで虚空の中にすべての表情を置き忘れたような顔で。ふらふらと、「淀み」に向かって歩き出していた。夢の中を歩くような足取りで、両腕を差し伸べて。


「ミュシア……あなたはミュシアなのでしょう? だって『秘法』を使ったのですもの、そうに違いありません。母様にそのお顔を見せて頂戴な。ねえミュシア……」


 うわごとのように呟きながら近づく伯爵夫人を、粘つくような光を放つ「淀み」の頭部がぎろりと見据えた。

 不器用にぎこちない動きで、しかし確実に。「淀み」の細長い「脚」が、宙に振り上げられる。

 その真下には、伯爵夫人。


 濁った瘴気を巻いて、「淀み」の足が振り下ろされる。

 無慈悲に、無造作に。

 その動きはまるでスローモーションのように、私の目に映った。

 鋭敏に研ぎ澄まされた感覚に、だが肉体は追随できず、足に根が生えたように身じろぎもできないまま。あまりにもあっけなく、伯爵夫人を「淀み」が叩き潰す光景を見ているしかなくて……。


 いや、まだ、いた。

 私たち以外にも、その時動ける人が一人。



「――奥様っ!!」



 魂の削れるような絶叫と共に、まるでぶつかるような勢いで、一人の人影が伯爵夫人に跳びかかり、彼女を押し倒していた。その直後、天空から振り下ろされた「淀み」の足が大地を深々と叩き割る。

 緑色の髪をなびかせたその人影は、リアンディートだった。


 宙に咲いた赤い花を私たちは幻視する。それはリアンディートの背中から噴出した血煙。

 網膜に焼き付く鮮烈な紅が、私の、いや私たちの神経を蹴り飛ばした。弾かれたように、私たちは同時に走り出す。語り合う間もなく、いや目配せさえすることもなく、それでいながら各々のやるべきことを瞬時に理解して。



「『真紅に装いし炎の乙女たちよ』――っ!」


 空気を引き裂く魔法の詠唱はラフィーネさんの声。その腕が空に舞い、艶やかな光の軌跡を描く。煌めく光は燃え上がり、紅蓮に渦巻く業火となって、「淀み」に向かって叩きつけられた。

 轟と逆巻いた火柱が「淀み」の頭部を包んで荒れ狂う。


 SYHAAAAAAA!!


 「淀み」は鉄片を擦り合わせたように甲高い不快な音を立てて、一瞬たたらを踏んだ。

 のたうつ灼焔が「淀み」を一瞬食いちぎったかに見えた。が、大きく体躯を震わせ、「淀み」はその炎を振り払う。


 しかしそこには一瞬の隙。滑り込んだのは私だ。

 手には既に抜き放った聖剣・陽炎と魔剣・不知火。その双剣が、黄金の光を放ち、漆黒の影を揺らめかせて唸りを上げる。


 疾――!


 煌めく二重の剣閃は一つに重なり、「淀み」の長大な脚を一本、両断して斬り捨てていた。


 SHYAAAAAA!!


 鼓膜を貫くような凄まじい高音は悲鳴か怒号か。それと共に、「淀み」はぐらりと巨大な体を揺るがせた。

 ……だが。

 じゅるりと、禍々しい粘液が切断したはずの脚から滲み出す。

その腐汁はしゅうしゅうと蒸気を上げながら滴っていき、滴りながら形を作り、やがて再び、最前と同じような脚を作り出したのだ。

 私とラフィーネさんは愕然とし、ぎりりと奥歯を噛みしめる。


「そういうインチキなことを……!」


 スキル持ちの私が他者に言えた義理ではないけれど、思わず吐き捨てずにはいられない。というか少なくとも私は回復や再生のスキルなんかは持ってないぞ。


 けれど、なんとか時間は稼いだ。……アンジェがリアンディートと伯爵夫人を、テュロンがウィジィくんを、それぞれ救い出す時間を。

 転ぶような勢いで、テュロンがウィジィくんを抱え、走り戻ってくる。


「まだ息はございますわ!」


 必要最小限の報告を端的に。テュロンは輝く瞳で私を見つめ、頷いた。一応はほっとする、けれどウィジィくんの顔は蒼白で、体もぐったりとしており、意識はないようだ。早く手当てしないと。


 続いて、アンジェの姿。アンジェはリアンディートたちを支えつつ、同時に魔法を行使し、リアンディートの背中の傷をふさごうとしていた。

 リアンディートの顔にも血の気はない。だが、息を荒くしつつも、その眼はしっかりとした光を保ち、片手で伯爵夫人の手を握りしめている。

 その伯爵夫人は、弱々しい声を口中で幾度も繰り返しながら、「淀み」の方を振り返って視線を泳がせていた。


「ミュシア……ミュシアが戻ってくる……そのはず……そのはずなのです……離して……離しなさい……」


 リアンディートの手を振り払って「淀み」の方へ戻ろうとする伯爵夫人。

 無論、ふらふらに虚脱した今の夫人の力では、そんなことはできはしない。それなのに何度も、夫人は抗おうとするのだ。

 夫人の痛々しく哀れな姿に私たちは声を失う。だがその時。

 

 ぱん、と乾いた音が鳴る。

 それはリアンディートの掌が出した音。伯爵夫人の頬を張って、出した音だった。


「――!」


 息を飲む私たち。伯爵夫人も、頬を抑え、驚愕した顔でリアンディートを見つめている。

 微かにだが、その一瞬の衝撃は、伯爵夫人に、正気を取り戻させかけたようだった。

 リアンディートはそのまま、夫人の肩に手をかけ、激しく揺さぶった。重傷の人間とは思えない荒々しい仕草で。


「しっかりなさってください、奥様! あれが、あの化け物がお嬢様に見えますか! お嬢様は亡くなったのです! 今は清らかで安らかな場所においでなのです! あんな化け物で、お嬢様の魂をお汚しにならないでください!」


 深緑の瞳は濡れて光っていた。リアンディートの片手は、自らの胸を苦しげに押さえている。

 主人に暴行を働いたことによる、誓刻の制裁反応だ。だが、そんなことなど知ったことかと言わんばかりに、リアンディートは叫ぶ。



「奥様! ――愛の亡骸を墓地から掘り返さないで!」



 痛切な絶叫。哀しみと怒りと、そして何より愛情に満ちた悲痛な叫びだった。


「リアンディート……」


 ぽつりとつぶやいて、伯爵夫人はがくりと小さな肩を落とす。糸が切れた操り人形のように力を失って。それは体のみならず、心の糸が切れた姿でもあった。


「私が間違っている……それは知っていました……けれど……過ちを知っていると思っていたこと、そのものが私の過ちだったのですね……」

 崩れ落ちそうになる伯爵夫人をリアンディートが支える。傷を負った身でありながら、しっかりと。


「……ねえ奥様。また、あのお菓子をみんなで食べましょう。甘くて柔らかくて、そして奥様と私とウィジィさんがいて。それがきっと、幸せということですもの」

「リアンディート……」

 

 優しく囁くように言うリアンディートに、伯爵夫人は潤んだ瞳を向けた。

 そのまま、二人は抱きしめ合う。

 まるで、まるで本当の母娘のように。





「ご主人さま、あ、『あれ』が、こちらへ来ます!」


 鋭い声が走った。焦りを含んだアンジェの声。

 アンジェは今まで、光と風の魔法を駆使して、「淀み」から私たちの姿と音を隠蔽していたのだ。

 しかし。

 アンジェの声に私たちが顔を上げると、「淀み」はゆらりとその巨体をうごめかせ、おぼつかなげな足取りで、しかし確実に、私たちの方へと向かってきていた。



 あーもう。やっぱり、か。

 私は小さく舌打ちする。

 私が「淀み」の正体を一目で看破したように。

 おそらく――「淀み」もまた、私の存在を察知する。

 それは物理的な視覚や聴覚といった知覚に頼るものではない、より根源的な、互いの存在そのものを把握する感覚なのだろう。



「アンジェ、テュロン、ラフィーネさん、リアンディートたちを守って逃げなさい!」


 陽炎と不知火を「淀み」に向かって構え直し、私は言い放つ。


「ご、ご主人さまはどうなさるんですか!?」

「まあ……どうにかなさるわ」


 喉の奥に何かが詰まったようなアンジェの言葉に、私は冗談めいて軽く笑って返す。

 別に、自己犠牲とか英雄気取りとかいうわけではない。そんなかっこいい存在に私はなれないし、興味もない。

 ただ、「淀み」を、倒すかどうかはともかく、最低限、足留めくらいをしておかなければアンジェたちは脱出できないだろうし、それができるのは多分私だけだろうというだけの話だ。

 だから、アンジェたちを逃がして……。



「嫌です!!」



 そう、嫌です。って、え?

 驚いて私は振り返る。

 アンジェが胸を押さえ、鬼気迫る形相で私を睨みつけて仁王立ちしていた。思わず気圧されるほどの眼光で。

 私の言葉に逆らったから、誓刻の痛みが走っているはずだ。それなのに。


「ご主人さまだけを置いて行ったりはできません! 私も、お供いたします!」

「お、落ち着きなさい、アンジェ。別にここで死のうとかそういう話じゃないわ。ただ適当に時間を稼いだら、私だって逃げるわよ」

「でしたら! 時を稼ぐだけでしたらなおさら、私の魔法で惑わせることも有効です!」


 いやまあ、そりゃそうかもしれないけど。

 アンジェほど綺麗な子に、目を怒らせた表情で本気で食って掛かられると、ものすごい迫力がある。ちょっとたじたじだ。


 アンジェ、こんなに頑固だったっけ? と一瞬惑う。

 だが、……ああ、そういえば頑固だったな、と苦笑する。この子をオークションで買った時のやり取りを思い出して。あの時もアンジェは私の言葉を全然聞いてくれなかったんだっけ。

 というか、テュロンに寵愛を与えるように私に迫った時も、結構強引だったなあ。

 そしていつも、アンジェに押し切られるのが私なのだった。

 ……惚れた弱み、なのかな。



「お二方。残念ながら、ご相談の間はないようですわ――あれを」


 その時掛かったテュロンの声が、私たちの話を中断させる。

 緊迫したその声に顔を向け、私は思わず胃の底をぎゅっと掴みあげられたような感覚に陥る。

 虚空からどろりと滴る滴が、もう一か所。いや二か所。

 悍ましい空気を纏った「淀み」が、さらに二体、その姿を現しつつあった。

 しかもその位置は、私たちと洞窟の出口とのちょうど中間。


「あはは。こりゃあ、ただ逃げるだけってわけには、ちょっと行きませんねえ」


 ラフィーネさんが乾いた声で笑って、肩をすくめた。

 ふう、と吐息をついて、彼女は自らの法衣に手を掛ける。パチンパチン、とリズミカルに留め具を外して、ラフィーネさんは法衣を握りしめ、勢いよく脱ぎ捨てた。


 ばさりと法衣が宙を舞い、大きく見張った私の目に飛び込んできたのは、大きく背中の空いたレザーのビスチェとショートパンツ姿のラフィーネさん。

 うわ大胆。いつも法衣の下にはそんなエロい恰好してたのか。

 というか、モコモコの法衣着てたから知らなかったけど、ラフィーネさん、かなり凄い体つきだ。上から、おっきくて、締まってて、そしてまたおっきい。砂時計みたいなぼんきゅっぼんのナイスバディ。


 そんなえっちい肢体をいきなり惜しげもなく衆目に晒して、何をし始めたのか、と思った次の瞬間。

 彼女の真紅の髪が輝きを増し、暴風の中にいるかのように荒れ狂った。

 その様は、まるで炎。


 いや、それだけではない。

 彼女の大きく空いた背中から、眩い光がほとばしり、大きく立ち上ったのだ。ラフィーネさんの髪と同じ、それは鮮やかな紅の輝き。燃え立つ炎の色だった。


「焔翼族……だったのですね、ラフィーネ様」


 息を飲むテュロン、そして私たちに、ラフィーネさんは微笑を送る。


「聖務官は、自らの種族も含めて俗世を捨てなければならないので、今までお話ししていませんでした。でも、そんなこと言ってる場合じゃないようですね!」


 気勢とともに、ラフィーネさんの翼と髪が翻り、逆巻く。天を衝くほどに燃え盛る炎そのものを、今や彼女はその身に宿していた。


「では私も……参りますわ!」


 改めてテュロンも「淀み」に対して身構える。その額の両端から角が伸び、瞳孔は細く変じて蛇形を為す。彼女の身に纏う空気さえも分厚く重々しく変じる。山をも穿つ剛力をもって鳴る地龍族たるテュロンの『真態』だった。

 そしてアンジェはとっくの昔に光輪と光翅を現した魔法行使態勢。

 私の周り、変身する人ばっかりか。


「仕方ないわね……」


 私は苦笑し、陽炎と不知火を取り直す。その笑みは、けれど、高揚と歓びの笑みでもあった。この愛しい仲間たちと共に戦える悦びの。


「行くわよ、みんな!」


 大地を蹴って、私たちは猛然と走り出す。世界の淀みが姿を取った、その禍々しい異形をめがけて。




「『炎の乙女たちよ――』!」

「『風の乙女たちよ』!」


 二人の魔法行使者の声が重なる。

 ラフィーネさんの焔翼が轟と燃え上がり、周囲の空気ごと焼き尽くさんと、真紅の焔渦となって「淀み」へ殺到した。

 その炎を煽り、勢いを増して狂乱させたのは、アンジェの起こした一陣の旋風。

 炎は風を生み出し、風は炎を励まして、「淀み」の身体を包み込み荒れ狂う。それはまさしく地獄の業火。


 SYHAAAAAAAAAAAAAAA!!!


 確かに大きくぐらついた「淀み」は、しかし、次の瞬間再びその炎さえも振り払う。だが、大きく踏み込んだテュロンの鉄拳は、相手の崩れた体勢を見逃さなかった。


「せええりゃああ! ですわっ!!」


 「淀み」の巨体の下に潜り込み、抉りこむように打ち放った跳躍しながらのアッパーが、まともに炸裂する。テュロンの細い腕と小さな拳から放たれた戦慄すべき衝撃は、さしもの「淀み」の巨体さえも文字通りに宙に浮かせ、地響きを立てて大地に転倒せしめた。


 だが、「淀み」は一体だけではない。

 技の打ち終わりで、自らも宙に浮いたままのテュロンをめがけ、その時。もう一体の「淀み」の脚が唸りをあげて叩きつけられようとした。


「テュロンっ!」


 走りこんだ私の魔剣・不知火が虚空に軌跡を描き、迫る脚を寸断する。

 呻くように空気が軋む音を上げ、よろめいた「淀み」に、私は聖剣・陽炎の黄金の刀身を深々と突き込んだ。

 そしてそのまま――発動。


「『フレイムオーラ』っ!!」


 聖・光・炎。三属性の効果を備えた金色の炎が陽炎の刃から爆発的に放たれる。それはEXアイテムとしての陽炎に付与していた能力の一つだ。

「淀み」の巨体は内部から輝き、一瞬膨れ上がって、弾けるように爆散した。

 ……いや、まだか。砕け散ったのは、「淀み」の身体の三分の一……四分の一ほどか。相手はまだ蠢いている。だが、もう一撃加えれば!


 私が不知火を構え、「淀み」に叩きつけようとした時。

 ふわり、と重力がなくなったように私の身体が宙に浮いた。

 振り返ると、ラフィーネさん。彼女が私を後ろから抱きかかえて焔翼を羽ばたかせ、飛翔していたのだ。

 その次の瞬間、たった今まで私がいた場所を、三体目の「淀み」の脚が深く抉っていた。硬い石床を軽々と破砕し、周囲に瓦礫を散乱させるほどの勢いで。


「あぶなっ……ありがとう、ラフィーネさん。っていうか、飛べるんですね」

「ちょっとですけどね。っていうか、来ますよ!」


 「淀み」の脚は息つく間もなく、空中の私たちを追撃して伸びる。だがその脚めがけ、


「『風の乙女たちよ』!!」


 アンジェの声と共に巻き起こった烈風がその矛先を鈍らせた。

 だが、アンジェの風は、単に「淀み」の動きを制するだけの目的で放たれたものではない。

 同軸線上、竜巻に乗って宙空高く跳躍するテュロンの姿があったのだ。


「せぇぇぇぇいっ! ですわ!」


 アンジェの風の力を自らに加え、高速回転したテュロンの渾身の廻し蹴りが「淀み」に叩きつけられる。天が崩れ大地が哭くような凄絶な一撃は、「淀み」を正確に捉えて、その巨体をぐしゃりとひしゃげさせていた。


 けれど。

 他の「淀み」の個体、先ほど打倒されたものが起き上がり、とどめを狙ったテュロンのすぐそばまで接近していた。


「邪魔をなさらないでくださいませ!」

 

 苛ついたようにテュロンは吐き捨て、「淀み」が破壊した石床の破片を蹴り飛ばす。彼女の剛力で蹴り出された岩石は巨大な城砦をも粉砕するだろう。

 さらに、空を裂く砲弾となって飛んだ石礫を紅蓮の業火が包む。ラフィーネさんが舞わせた炎だ。緋焔を纏った石塊は、天地をどよもす響きと共に「淀み」に叩きつけられ、打ち砕いた。


 が、再生はすぐに開始される。他の個体もぎこちなく再動し始めたさまを見ては、テュロンも忌々しげに舌打ちをしつつ、いったん距離を取らざるを得ない。




 リアンディートたちを背後にかばう位置取りで、私たちは再び一か所に集結していた。

 というよりは、一か所に追い込まれたというべきか。

 私たちの連携攻撃は、不出来なものではなかったはずだ。事前に何の相談も打ち合わせもせずに、ただ感覚とセンスと、何より信頼関係で繋がった攻撃の数々は、確かに「淀み」たちに対して効果的にダメージを与えていたはずだ。



 だが。

 手数が足りない。

 強力な再生能力を有する「淀み」を追いつめ仕留めるための、決定的な最後の一手を打ちきれない。

 「淀み」たちをリアンディートたちの方へ行かせないために、動きが制限されたということはあるけれど、それよりもやはり、相手とこちらの数的差の問題か。


 現状をどう打開すればいい。私は慌ただしく思考を巡らせる。

 私にはEXスキル『ブースト』がまだ残っている。……残ってはいる、が。

 今回の事件では、今までの流れだけでも、結構無理をして、私の能力の一端を使ってしまっている。アンジェたちがそれに気づいているか、それとも事態の推移に気を取られて見逃しているかはわからないけれど。

 それに加えて『ブースト』まで使ってしまったら、もう言い逃れは厳しくなるかもしれない。

 けれど、ここで座して死を待つのは最も愚かな選択だろう。悩むのは今を切り抜けてからだ。


 私は意を決して、陽炎と不知火をだらりと下げ、突っ立った。

 二天一流「有構無構うこうむこう」とか、柳生新陰流「無形のくらい」や「西江水せいごうすい」とか、私の中のスキルが色々と伝えてくる。

 が、構えの名前なんかはどうでもいい。結局、言わんとするところは同じ。剣の極致は構えや技ではなく、とにかく、相手が来たところをぶった斬る。ただそれだけだ。

 陽炎の『フレイムオーラ』と不知火の『フリーズオーラ』、そして『ブースト』を使って、一気に殲滅。

 ――その覚悟で、迫りくる「淀み」たちを見据えた時。




「『殲煌雷刃せんこうらいじん』――っ!!」




 裂帛の気合と共に、突如迸った閃光と紫電が、私たちの視界を奪う凄まじい勢いで炸裂した。

 それはまさにいかづち――天の怒槌いかづち

 その雷撃の奔流が、「淀み」をまとめて打ち据え、焼き払う。


 SYHAAAAAAAAAAA!!!!


 絶叫にも聞こえる高音を上げてのたうちまわる「淀み」は、焼け爛れた巨体を痙攣させて、僅かに、しかし確かに後ずさった。

 すぐに負った傷の再生が始まる。が、その僅かな時間は、彼らが駆け付けるに十分だった。



「ラツキ! 大丈夫か! 伯爵夫人も、御無事ですか!」



 大剣を引っ提げ、洞窟内へ躍り込んできた男と、それに続く一団。

 殲煌雷刃。

 それはその男の剣の銘であり、その男自身の二つ名であり、そしてその男が率いる隊の名誉ある呼称でもあった。

 ユーゼルクと呼ばれる男の。


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