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異世界くじと神々の塔  作者: 天樹
31/84

急転と異形

「単刀直入に聞くわ、ラツキ。あなた、イェンデ伯爵夫人とお知り合いなんでしょう? 最近、あのかたに関して、何か変わったことはなかったかしら?」


 一瞬言葉を失って、私はまじまじとミカエラの顔を見つめた。

 まさか彼女たちの口から、正に今私が直面している問題の当事者の名前が出てくるとは思わなかったから。

 傍らのエレインがやれやれと言ったふうに首を振る。


「……まったく、ミカエラは馬鹿正直にこちらの手の内を見せすぎです。……まあ、今さら仕方ありません、こちらの所用は今彼女が述べた通り。イェンデ伯爵夫人に関する情報を何かお持ちであれば、それを教えていただきたい、ということです……けど……?」


 そこまで言って、今度はエレイン、そしてミカエラが怪訝な顔をする。多分私たちの顔に浮かんだ表情に不審の念を抱いたのだろう。

 私も、アンジェも、テュロンも。そこにあるのは隠しようもない驚愕と困惑の色。

 ミカエラたちからすれば、なぜ私たちがそこまで驚くのか、と言ったところなのだろう。


「何か知っているの? ラツキ。伯爵夫人あのかたに関して、やっぱり何かがあるのね?」


 鋭く切り込んできたミカエラに、私もまたきゅっと目を細める。


「『やっぱり』? ……やっぱりと言ったわね。それはどういう意味なのかしら。こちらこそ聞きたいわ」



 しばし私たちの視線が空中で絡む。

 その時、ちょうどお店の人が飲み物を運んできた。が、私たちの様子を見て、怯えたような表情でそそくさと立ち去る。

 しかしそれが一種のを作ってくれたのだろう、ミカエラは、小さく鼻を鳴らし、唇を尖らせた。先ほども見たが、彼女の癖らしい。



「――まあ、こっちからものを尋ねてるんですものね。事情は話すわよ」


 一転、さばさばした態度で、ミカエラはくいと一口、盃に口をつけてから、唇を開いた。強引だし、礼儀正しいとはお世辞にも言えない女性だが、裏表はない人のようだ。


 ――そして、彼女の言によると。



 まず、私と伯爵夫人の関係を知ったのは、私たちが聖殿前広場で話をしている様子を見たからだそうだ。一か月ほど前、ウィジィくんと伯爵夫人を引き合わせるためにメガックさんの店に行ったとき、そしてテュロンを買いに行ったときのことね。


 そしてイェンデ伯爵夫人は、ユーゼルクとミカエラの、幼いころからの知人なのだという。ミカエラたちは夫人のお嬢様と同年代の友人で、可愛がってもらったのだとか。


 しかし、流行り病によって夫人の夫君とお嬢様は亡くなった。

 ミカエラ自身も友を失ったわけだが、その悲しみと合わせて、彼女の脳裏に刻まれたのは、伯爵夫人の慟哭。その折の夫人の痛切で悲哀に満ちた落胆ぶりは、ミカエラの幼い心にさえ忘れられない印象を残したそうだ。

 以降、夫人は堅く門を閉ざし屋敷の奥に姿を消して、ほとんど人交わりをすることはなかった。

 しかし。



「帝都にいる貴族時代の友人や知人たちに連絡を取って、いろいろ調べてもらったのよ。夫人はある時から……そうね、数年ほど前からかしら、急に外出を始めたんですって。ただ、社交界に戻ったというのではなく、高名な魔法使いや魔法学者、歴史学者を訪ねて、貪欲に知識を吸収し始めていたみたい。それこそ鬼気迫るような勢いでね……」



 周囲からは、意外性はあったものの、その頃はどちらかと言えば好意的に見られていたらしい。

 だが、次第に伯爵夫人の赴く先が変わり始めた。

 胡散臭い山師めいた商人や、他者から白眼視されている異端の説を奉じる学者などに接近をはじめ、闇市場に出入りする姿さえも見かけられるようになったという。

 伯爵夫人の知人たちは、遠まわしに、あるいはより直截的に、夫人に対して行動を慎むよう忠言や諫言を行ったものの、夫人は一切聞く耳を持たなかった。



「……伯爵夫人の顔つきや目つきは背筋が寒くなるほどのものだったそうよ。昔のお優しい夫人からは想像もできないけれど、まるで……」


 そこまででミカエラは目を伏せ、言葉を切った。

 彼女が具体的に何に例えようとしたのかはわからないけれど、およそ穏当ではないものであったのだろうということはわかる。それほどの言葉を、かつての知り合いに対して使いかけるほどのことだったのだと。


 それを聞いて、私も不審に思う。私は最近の夫人しか知らないが、私の知っている夫人の顔は、穏やかでおっとりとした気品ある老婦人のそれだからだ。

 夫人が聖都ここにやってきて、何か心が穏やかになることがあったのだ、というなら、それはいいことだけれど。



 でも。でも、もし仮に。

 ――夫人の内面が、かつてのままだったとするなら。

 そしてそんな精神状態のままで、外面だけは優しく物柔らかであったとするなら。

 ……それは、より一層恐ろしいことではないだろうか。



「そして突然伯爵夫人は帝都から姿を消したそうよ。私の友人たちが知っていたのはそこまで。

その後はもちろん、あなたも知っているわね。夫人は聖都にいらっしゃって……そこであなたと会い、それを私たちが見た」


 ミカエラは言い終えると、きらりと光る瞳で私を見据えた。強く輝く黄金の瞳。アンジェと同じ色の瞳。けれど、その同じ色が、アンジェのように優しさと高貴さだけではなく、猛々しさと苛烈さをも現しうると私は知った。



「ミカエラ。あなたはさっき、帝都の友人に夫人のことを調べてもらったと言っていたわね。そもそも、それはなぜ? なぜあなたは伯爵夫人のことを調べようと思ったの?」

「ああ……それはね」


 私の問いに、ミカエラは隣のエレインと顔を見合わせて苦笑した。


「我が親愛なる水臭い他人行儀な仲間たちのおかげです」

「ほんと、御老もルーフェンも私たちを軽んじすぎ。ユーゼルクについていくって決めた時から、こっちがどんだけ身を削って鍛錬してきたと思ってんのよ。恋する乙女の一念舐めんなっての」

「乙女? どこにいるのです? 私以外に」

「相変わらずその眼は素敵な節穴ね。もう二つ三つ増やした方が視野が広がるんじゃない? 良かったら私がブチ開けてあげるけど?」

「少なくともそんな野蛮な言辞を弄する人が乙女ではないことは確実ですね」



 ……なんかよくわからない流れで漫談が始まったんですが。私は大きく息をついて言った。


「貴重な時間を潰す価値のある、とても重要なお話をなさっているようで涙が出るわ。さあ、ご遠慮なさらずにどんどん続けて頂戴な。いつまでもね」


 ミカエラとエレインは共に気まずげに黙り込み、ずずっと杯を干した。

 その後少しずつ話してくれたことによると。


 最初に伯爵夫人と私が話をしている場を見た時は、ミカエラたちは取り立てて異変を感じたというわけではなかったらしい。 

 だがその時、彼女たちの仲間であるバートリーという老人、そしてルーフェンという剣士だけは、どうやら何かしらの違和感を覚えていたようだという。

 その際はバートリーもルーフェンも事を大きくすることなく場を流したので、周囲も気づくことはなかった。だが、


「四六時中ずっと一緒にいる人間の行動ですから。それは気づきます。いくら二人が元は裏社会の人間で、気配を絶ったり誤魔化したりすることが得意であっても、それが半月も続けば」

「ええ、さっきも言ったとおり、こっちだってただものじゃないつもり。素人じゃないってのよ」


 エレインとミカエラが口々にぶーたれる。

 彼女たちの不満は、どうやら、そのバートリーとルーフェンという仲間たちが何も相談してくれなかったことにあるようだ。

 ……でも、なんというか、実は結構気が合ってるんじゃないかな、この二人。


 そこで二人は、何か秘密の行動をしているバートリーたちのことを逆に調べ始めた。

 無論、バートリーたちの隠密行動は非常に高度なものであって、その具体的内容を調べるのには苦心したという。

 しかし、ミカエラは魔法使い。そしてエレインは吟遊詩人。どちらも一流、いや超一流の魔法行使者であり、一方バートリーとルーフェンは二人とも魔法を使えない、ということが幸いした。

 丹念に注意深く二人が力を合わせて構築した術式が、少しずつバートリーたちの行動を明らかにしていく。そしてついに、バートリーたちの調査対象が伯爵夫人であることを見出したのだという。

 ……っていうか、やっぱりほんとは仲がいいのでは。



「……で、ラツキ。そもそもの出発点であるあなたが、何か事情を知らないか、聞きに来たってわけよ」

「バートリーたちの調査範囲にラツキさんは含まれていないようでしたから、伯爵夫人の行動に深く関与してはいる可能性は低いと判断しました。ですので、ある程度打ち明けたお話をしても問題ないと考慮したのです」


 私はアンジェとテュロンの貌をちらりと見返った。

 互いに頷きかわし、今度は私が口を開く。

 リアンディートと知り合ったこと。彼女が夫人に関する何らかの問題を私たちに相談したがっているらしいこと。そして……これは少し迷ったが、伯爵夫人が「聖王七書」のうち、「失われた第七の書」について口にしていたことも。

 

 ミカエラとエレインは真剣な面持ちで私の話に聞き入っていた。

 そして、私がもう一つ、ウィジィくんとの関係について話を始めようとした時。


 お店の入り口から、焦りを含んだ鋭い声が飛んだ。



「ラツキさん! ラツキさん、ここでしたか!」



 一斉に私たちが振り返る。その視線の先には、真紅の髪を振り乱して息を荒げているラフィーネさんの姿があった。

 聖務官がバタバタと駆け込んでくるという事態に、店内の他のお客さんも店員さんも水を打ったように静まり返る。

 また挨拶忘れてる、などと思えるような空気ではない。私たちさえ唖然としている中、彼女は私たちの席に駆け寄ると、どんと卓に手をついた。さすがにミカエラたちも絶句しているが、ラフィーネさんは彼女たちに見向きもせずに、緊迫した口調で言葉を吐き出した。




「ウィジィさんが、ウィジィさんの行方が知れないんだそうです!」




「……なんですって?」


 私の声はまるで他人のように遠くから聞こえた気がした。

 夫人に面会したあと、何度か幾度かウィジィくんに会いに行ったが、いずれも所用とのことで会えなかった。……いや、会えなかったのではなく、避けられていたとしたら。

 手をこまねいいていた私の失態なのか。


「聖殿に……はぁ、はぁ。聖殿に届け出があって」


 喉を枯らしているラフィーネさんに、アンジェがすばやく自分の盃を差し出す。それをくいっとあおって、ラフィーネさんは続けた。


「私は別の任についていたので、届け出に気づくのが遅れました。申し訳ありません。メガック商会からの届け出では、昨夜から姿が見えないと。お金や物がなくなっているわけでもなく、またお店の環境や人間関係も良好だったようで、いなくなった理由は見当もつかないと」


 仮面をつけていてもわかるラフィーネさんの青い顔に、私たちも黙り込む。その空気に戸惑ったように、エレインが尋ねた。


「何かお取込みのようでしたら、私たちはここで失礼しますけれど……」

「いいえ、多分これは伯爵夫人についても関係があることよ。……アンジェ、ウィジィくんについてのこと、この二人に説明してあげて」

「え、は、はい、ご主人さま」


 首を振ってエレインに答えた私はアンジェに声を掛ける。驚いたように肯ったアンジェは、それでも素直に語りだした。

 その様子を見ながら、私はリアンディートを追尾しているEXスキルを起動する。『ディレイ・サイト』と『ディレイ・ヴォイス』。検索ワードは……「ウィジィ」。

 記録されているリアンディートの言動の中から、その言葉を使った場面が瞬時に検索され、そして――ヒット。






『――おやめください、奥様』


 リアンディートの絞り出すような必死な声が再生される。周囲は薄暗い。時間は一時間ほど前か。僅かな光は、日の光の色ではない。灯……燭台の炎だろうか。日中にもかかわらずこの暗さは、窓がない部屋?

 ちらちらとリアンディートの顔に落ちた影がうごめく。灯火が揺れているのか。彼女の緑色の髪も、おそらく風のためにだろう、靡いていた。窓を閉めているのに風がある?

 リアンディートの視線はさまよう。その行く際は主に二か所。一か所に目を向けた時には、その眼には恐怖と心痛が。もう一か所に向けた時には、悲哀と焦燥があった。


『このようなことをなさっても、どなたも幸せにはなれません。ウィジィさんもお嬢様も、そして奥様ご自身もです……!』


 懸命に訴えるリアンディート。震えるその手は胸を押さえている。脂汗の滲む顔。誓刻の苦痛が発動しているのか。何かを言われたらしく、彼女は激しく首を振った。


『いいえ! お気づきになってくださいませ、奥様。それは、……それは、ウィジィさんの命を奪うことです!』






 勢いよく席を蹴って、私は立ち上がった。おそらく私の顔も蒼白だっただろう。

 命にかかわることだとリアンディートは言っていた。今の映像が一時間前……間に合うのか?

 急に動いた私の姿を、驚いて見上げるアンジェたち。だが十分に説明することはできないし、その間もない。

 私は早口で叩きつけるように、言葉を繰り出した。


「ラフィーネさん、ウィジィくんは伯爵夫人の屋敷にいるかもしれません。身寄りのない彼が、メガックさんのお店以外で唯一行き場があるとすれば夫人邸以外にはないでしょう」

「そ、それはそうですが、関係のない誰かにさらわれたという可能性も……」

「だから一つずつ可能性を潰していく作業が必要でしょう。それに、ウィジィくんの捜索を名目にすれば、伯爵夫人の御屋敷に入り込み、『第七の書』に関する調査をすることもできます」


 ラフィーネさんは一瞬考え、しかしすぐにきっぱりと頷いた。きゅっと結ばれた唇は決意を示す。


「でもラツキさん、伯爵夫人の御屋敷は、御本宅と御別宅と二か所ありますよ」


 ラフィーネさんの言葉に、私は考えを巡らせる。どちらだ。どちらにいる。

 リアンディートは、以前私たちに会いに来た時に何と言っていたか。

 確か……昼は本宅にいると。

 今は昼だ。ならば本宅の方か。

 

 ――と口にしかけて、慌てて思考に急ブレーキをかける。

 違う。

 事件は、「ウィジィくんが行方不明になった時」から始まっているんだ。「今」ではなく。そして、ウィジィくんがいなくなったのは昨夜。つまり夜。ならば。



「御別宅よ」



 それだけ吐き捨て、卓に銀貨一枚を放り投げると、私は身を翻した。慌ただしくアンジェとテュロン、そしてラフィーネさんが続く。彼女たちも何がなんだか十分には理解してはいないのだろうけど、私についてきてくれる。それに感謝しながら、私は疾駆を開始した。

 後方には、何やら声を出していたミカエラたちが残されたが、気にしている余裕はない。


 走りながら、私はテュロンをちらりと振り返る。剣と杖を携行している私とアンジェとは異なり、テュロンは今、素手だ。ただ食事に行くだけなのに大斧を持ち歩く者はいない。逆に言えば剣や刀といった携行武器の利点は正にそこなんだけど。

 今さら宿舎に引き返して斧を取ってこさせる時間はない。私はほぞを噛んだ。いつ何があってもいいようにという心構えがまだ足りていなかったか。テュロンのパワーがあれば、素手でもある程度の事態に対処はできるだろうけれど。


 だが、後悔も反省も後だ。今はただ走れ。

 全力で疾走していく私たちの姿に、街行く人々が驚きの目を向け、慌てて跳びのいていく。何人かには実際ぶつかりそうになったが、お詫びの言葉だけを風に流して走り続ける。




 通りを、あと数ブロック抜ければ夫人宅へたどり着くというところまで来た時。

 私の足はぴたりと止まった。

 やや遅れ、息を切らしながらアンジェたちが追いつく。その足もやはり止まる。

 私たちの前には、逞しい体躯の背に大剣を背負い、黄金の髪を陽光に輝かせた若い男が立っていた。


「――ユーゼルク」


 私は男の名を口にする。すべての登攀者の憧れにして頂点を行く男がそこにいた。そしてその傍らには、巨人と老人、狼人が立つ。いずれも彼の仲間たちだ。

 ユーゼルクはニコリと無邪気な笑みを私たちに投げかける。


「やあ、ラツキ。久しぶりだね」


 その屈託のない表情からは目的も意図も読み取れない。私はじりじりとした思いで髪を跳ね上げ、吐き捨てるように言った。


「悪いけれど今は急いでいるの。何かご用ならまた今度ね」

「いや、今、用があるんだ。……君はこの先には行けないよ」

「――なんですって?」


 私の目が鋭く尖る。意味は分からないが、彼は私の邪魔をしようというつもりなのか。伯爵夫人はユーゼルクの幼いころの知り合いだと聞いたが、夫人の味方をして私を遮るつもりだとでも?

 ならば、剣にかけて通るしかないか。まさかこんなところでこの恐るべき男と雌雄を決する時が来るなんて。そう思いながら私が陽炎と不知火の柄に静かに手を伸ばしかけた時、ユーゼルクは瞬時に跳びのいて大袈裟に手を振った。


「おっとっと、違う違う、そういう意味じゃないよ。僕が言いたいのは――」


 その時、後方から声が追いすがった。


「ラツキ! ちょ、ちょっと待ちなさいよ……はぁ、はぁ、あ、あなた、足早いわね!」

「ミ、ミカエラは脆弱すぎるのです……はぁ、はぁ。ま、魔法行使者と言えども多少は体を鍛えて……はぁ、おかないと」

「あ、あんただって、だるだるじゃないの!」


 振り返らずともわかる。ミカエラとエレインが追いついてきたのだ。

 挟撃される形になったのか、と、一瞬焦燥が私を焼く。登攀者の最高峰である『殲煌雷刃』のチーム全員とここで戦うことになったら、私に勝算はあるのか?

 だが、そう思ったのもつかの間。ミカエラたちの後ろからさらに大勢の声が群がってきた。


「す、すげえ! ユーゼルクだぜ、あそこにいるの!」

「殲煌雷刃が全員そろってるわ! なんて素敵なの!」

「ちょ、ちょっとだけでもいいから話できないかなあ!」 


 今度こそ驚いて私は振り返る。その私の目に映ったのは、ミカエラたちの背後にいた十数人……いやそれ以上の人々の群れ。いずれも目を輝かせ、顔を興奮に紅潮させて、こちらへ駆け寄ってくる。

 ミカエラとエレインの顔を覆っていたフードとヴェールは取り除かれ、その素顔があらわになっていた。そりゃあ、人目に付くし人だかりもできるはずだ。というか、こうなるのが嫌だから顔を隠していたはずなのに、この二人は。

 ……それどころか、最も注目されるはずのユーゼルク自身が顔を隠していない。大騒ぎになるのは当たり前だ。


 状況が理解できない私の傍にユーゼルクは歩み寄り、小さな声で言った。



「言い方は悪いけど、この人々が目くらましになってくれるよ。……伯爵夫人邸の近くには、正体はわからないけれど、夫人邸に近づくことを好まない何者かがいるらしいんだ。先に行けないっていうのはそういう意味さ。でも、その者たちも、これだけ多くの人々が一緒にいれば手出しできないだろう」



 私は唖然とした思いでユーゼルクの顔を見上げる。彼はもう一度にっこりと笑って頷いた。


「概略は私がユーゼルクに言葉を送っておきました。詳しいことは知りませんが、とにかく急ぐのでしょう。この人々に紛れ、行ってください、ラツキさん」


 同じく囁くように言葉を添えたのはエレイン。吟遊詩人である彼女には、遠距離に『言葉を送る』という能力があるのか。それを使ってユーゼルクと素早く打ち合わせをし、行動してくれたということなのか。

 私は深く感謝し、同時に、意味もなくユーゼルクを敵視していたこれまでの自分を羞じた。


「……あ、ありがとう、ユーゼルク」

「話はあとだ。さあ早く。それと、思ったよりも大きい事件なのかもしれない。気をつけて」


 促すユーゼルクに、私は深く頷いた。







 ユーゼルクたちは人々を引き連れながら、ゆっくりと伯爵夫人邸へ誘導してくれた。私たちはその中に紛れて、何事もなく夫人邸へ近づくことを得た。

 夫人邸への接近を阻む者たちというのは、ユーゼルクの言ったように、この人数では手出しができなかったのか。それともまた何か別の目論見があるのか。それはわからないが、とにかく今は行動だ。


 頃合を見計らって人ごみを抜け出し、夫人邸の前に立つ。門や扉が閉ざされていたらそれなりの実力行使をせざるを得ないかもしれない、と覚悟していたが、幸いなことに、どちらも施錠はされていなかった。

 私たちは顔を見合わせて無言で頷くと、屋敷の中へと足を踏み入れた。


 これは形式的には、聖務官のラフィーネさんが、行方不明のウィジィくんを探すための公的な訪問。なので一応声を出して案内を乞うてみたが、屋敷の中は不気味に静まり返り、ただ私たち自身の声が反響を伴って帰ってくるだけだ。明るく差し込んでくる陽光が、かえっていっそう不穏な空気を醸し出している。

 別宅と言えども貴族のお屋敷だけあって中は広く、どこをどう探していいのか見当もつかない。


 私は先程見たEXスキルの映像を思い出す。リアンディートの周囲は薄暗く、日の光がこぼれているようには見えなかった。窓を閉ざしている……というよりは、やはり地下室の方が可能性は高いだろう。

 しかし、地下室と言ってもどの辺にあるものなのか。だいたい貴族様のお屋敷の構造なんて知らないよ。


 と、その時もう一点、スキルで見た映像を思い出す。リアンディートの顔に落ちた灯火の陰は揺れ、髪は靡いていた。

 ――風がある部屋だ。


「アンジェ、風の気配を探ってみて。どこか、屋内で風が強めに吹いている場所はない?」

「は、はい、ご主人さま」


 私の指示にアンジェは頷き、光翅と光輪を現出させて魔法の行使に入る。瞳を閉じて感覚を研ぎ澄ませていたアンジェだったが、ややあって、彼女はパッと目を見開いた。


「おそらくこちらです、ご主人さま。風の乙女たちが集い、そして……何事かを恐れています」


 小走りに先行するアンジェに従って屋敷内の廊下を駆ける。その突き当りでアンジェは足を止め、戸惑った表情を浮かべた。この先か。

 EXスキル『アナライズ』を起動。行き止まりの壁を対象に指定して分析を開始。

 すぐに反応があった。今度はテュロンを呼び寄せ、壁の一点を指し示す。


「テュロン、ここよ。ぶちかましなさい!」

「承りましたわ!」


 多言を要する必要もない。テュロンは勇躍、その満身の剛力を拳に集めて、気合一閃、壁に叩きつけた。

 轟音と同時、壁は脆くも大きく崩れ去り、隠されていた穴倉を露出させた。そこに設置されていた、下へと続く階段も。

 

「うわあ、器物破損だ……でも緊急避難かなあ……うーん……」

「あとで罰金でもなんでも払いますから。それよりラフィーネさん、火。火、出してください」

「私のこと、燭台か松明みたいに思ってませんか、ラツキさん」


 ぷくっと頬を膨らませながらも、ラフィーネさんは指を一本立てる。と見る間に、その指の先に小さな炎がともった。良かった、炎使いの彼女に来てもらって。灯りの用意してなかったものね。


 ラフィーネさんの炎に導かれて、階段を駆け下りる。

 その距離は長いようにも、短いようにも思えた。

 飛ぶようにその階段を降り切った先には短い通路。そしてそこを駆け抜けると。

 私の眼前には、巨大な洞窟が広がっていた。

 学校の体育館二つ分くらいはあっただろうか。元々あった洞窟に地下通路を掘ってつなげたのか、それとも屋敷の地下にわざわざこんな広大な空間を作り出したのか。どちらなのかはわからないが、今はそんな疑問はあとだ。

 私の視界には、より重大な対象が捉えられていたのだから。



 洞窟内に間隔を空けて点在する灯火に、朧げに照らされたもの。

 広大な空間の中央に、ぼんやりと見える、人影。それは白い裸身。少年の裸身だった。

 だが、その少年は、立っていたのではない。横たわっていたのではない。

 浮いていたのだ。文字通り宙空に、風に巻かれて。


「……ウィジィくん」


 押し殺すように私は呻く。それはまさしく、ウィジィくんだった。だがその面容には精気がなく、虚ろに見開かれた瞳には輝きが失われていた。

 それだけではない。彼の輪郭が、薄らいでいた。まるでどこかに溶け出してしまっているように――彼の存在を形作る何かが滲み出してしまっているかのように。

 そのウィジィくんの周囲には、同様に宙に浮かび上がって描かれた奇怪な図形の一群が、それ自体まるで生き物のように脈動し、刻々と姿を変えつつ、彼に艶めかしく纏わりつこうとしている。

 ――なんなの、この悪夢は。



 金縛りにあったように動けなかった私たちを、その時、悲痛な声が現実に引き戻した。


「ラツキ様! アンジェリカさん! どうか……どうか彼をお救いください!」


 弾かれたようにその声の主を見る。それは、洞窟の片隅にうずくまり、苦しげに喘ぎながらも必死で声を振り絞った、リアンディートだった。

 その傍らには、もう一人。

 幽鬼のように立つ、小柄な女性。

 イェンデ伯爵夫人その人が、いた。


「なぜあなたたちがここに……? いえ、どうでもいいことです。邪魔はなさらないで!」


 伯爵夫人がしわがれた声で叫ぶ。その眼は血走り、白髪はおどろに振り乱されている。

 

「は、伯爵夫人! 何をなさっておいでなのかは存じませんが、ウィジィくんが危険なのはわかります! 至急おやめください!」


 駆け寄りながら叫んだ私に、夫人は甲高い声の哄笑で返した。


「いいえ、いいえ。もう成就します。もうすべてが叶うのですよ。ほら、今ここに、私の可愛い娘が、ミュシアが蘇るのです!」


 感に堪えぬように、夫人は宙に浮かぶウィジィくんに向かって手を差し伸べる。限りなく優しく慈愛に満ちた――そしてそれゆえに底知れぬ恐怖を感じさせるまなざしで。


 夫人の言う通りだった。ウィジィくんの身体から、いやその存在そのものから奪われた何かが、今や結実しようとしていた。それは凝集し収斂し、ゆっくりと何かの形に自らを作り上げつつあった。


「ああ、ミュシア! この時をどれほど待ったことか! これぞまさに――『秘法』の名にふさわしい!」


 夫人が口走った耳を疑う言葉に、私は動きを止められる。

 ……『秘法』? まさか、今行われている、これこそが『転命の秘法』だというのか。代償と引き換えにあらゆる願いをかなえるというおとぎ話。……まさか、これが。


「ミュシア! 母ですよ! ミュシア! ……え?」


 熱に浮かされたように叫び続けていた夫人の声が、しかし不意に途切れた。信じられぬ物を見るような目が、凍り付いたように一点から離れない。

 宙にあって形状を取り始めていた「何か」は、その姿を明確にしつつあった。

 可憐な少女の姿――などでは、断じて、ない。



 それは、異形。

 見上げるばかりに巨大な、そしておぞましく膨れ上がった体躯に、吐き気を催すほどに禍々しい雰囲気を漂わせたもの。

 獣とも蟲ともつかない、それは、形を持った災禍そのものだった。


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