疑念と調査
「リアンディート……さん……?」
アンジェの声は訝しげな感情を隠しようもないまま、力なく泳いだ。
それも無理はない。リアンディートの様子は、二十日ほど前に会った時とはまるで別人。
薔薇色に輝いていた頬は蒼褪め、穏やかな微笑みをたたえていた唇はわなないている。静かで優しかったまなざしは、今や血走っていた。
けれど、だからと言って、特にリアンディートが誰かに酷い目に遭った、などといった様子でもないように思える。
その衣服は相変わらず上質なもので汚れもしわもなく、またリアンディート自身の身体も、少なくとも目に見える範囲では傷一つないためだ。
では、何が。と、私たちが瞠目する中、彼女は蹌踉とした足取りで近付いてきた。
「え、えっと、あの、リアンディートさん。こちらは私たちの新しい仲間で、テュロンという……」
「よかった、お会いできて。このお店も聖殿も、もう何日も覗いていたのですが、なかなかいらっしゃらなくて」
あたふたとアンジェがテュロンを紹介しようとするのも耳に入らない様子で、彼女はアンジェの言葉を遮った。丁寧で礼儀正しい普段のリアンディートからすると考えられない態度だ。
呆気にとられている私たちの姿にようやく気付いたのか、リアンディートは弱々しく笑みを浮かべて、取り繕うかのように緑色の髪を撫でた。
「私たちを探していたの? ……何かあったのなら言ってちょうだい。できることなら力になるわ」
声を掛けた私に、リアンディートはもの言いたげに唇を震わせた。
そっと口を開け、けれど閉じ。しかしまた微かに舌を動かそうとして。けれど為し得ない。
しばしそのようにためらいを見せた後、小さく吐息をついて、リアンディートはきゅっと拳を握った。何事かを決意したように面を上げ、アンジェとラフィーネさんを見つめる。
そして唐突に、今までの顔をふり捨てたかのように、にっこりと笑ったのだ。
「……私、最近、聖王七書のうち、『聖門世説』をよく読み返しているんですよ」
「へ?」「はい?」「は?」「なんですの?」
私、アンジェ、ラフィーネさん、テュロン。唐突によくわからない話題を振られた四人が、そろって間抜けな声を出す。それは直前のリアンディートの態度とも言葉とも、あまりにも噛み合わなかった。
が、リアンディートは構わずに、やや早口で続ける。――いや、構わずに、というよりは、そう。構う余裕がないように、とも見えた。
「特に第三篇二十四節から二十七節に関しては心に残りますね。アンジェリカさんも、そしてラツキ様たちも、きっとご同様だと信じています」
「ちょ、ちょっと待って。いったい何のことだか……」
当惑する私に対し、リアンディートが顔を向けた。その瞳の、懇願し、すがるような光が私を射抜く。思わずたじろいで、私は言葉を失う。
リアンディートはそこまで話すと疲れたように肩を落とし、睫毛を伏せた。
そしてもう一言だけ絞り出す。
「アンジェリカさん、ラツキ様。どうぞ、いつでも遊びに来てくださいませね。昼間は御本宅におりますが……御別宅のほうが、御本宅よりも静かで落ち着けると思います。北嶺門近くの林を奥に入ったところですから」
そこまで言うと、彼女はもう付け加えることなく、礼もそこそこに踵を返した。
その身に纏う気配は固く峻厳で、私たちは彼女の細い背中に対して掛ける言葉を持たなかった。
たった今起こった事態に関して、脳内の情報処理が追いついていなかったとも言える。
「……えーと。なんと申しますか、変わったお方ですのね?」
少し間を置いて、最初に再起動できたのはテュロン。この子に「変わった人」と言われるのは、リアンディートも不本意だとは思うが。
それはともかく、テュロンはリアンディートと知り合いではなかっただけに、その変容に対しても衝撃を受けることがなかったのだろう。
「いえ、普段とは明らかに違ったご様子でした。何があったんでしょう……」
アンジェが美しい眉根を寄せ、心配そうな声を出す。ラフィーネさんも頷いて、細い指を顎に当て、考え込む。
「聖王七書とか聖門世説とか急に言ってましたが……どうしたんでしょうね?」
「世説ですか……まあ、よく読まれてはおりますわね」
よく読まれてる。カッコ私を除く。
まあ、もう、こういう状況には慣れたものです。さりげなーくEXスキル『ソーシャル・リサーチ』を起動。情報を検索する。
えーと、なになに。
聖王とはもちろん、聖王アンジェリカのことだ。塔の100階層までを踏破した伝説の登攀者。そして同時に、王の名で呼ばれるがごとく、この世界を統一した偉人でもある。
それほどの多大な業績を上げた人物だから、彼女に関する様々な歴史書が、正史・野史を含めて編まれている。それらのうち代表的な七種類を総称して、「聖王七書」というらしい。
もっとも、かつてはその名の通り七種類あったという「聖王七書」だが、今でも伝えられているのは6種類。聖王自身が著したとも、あるいは塔の百階層で得た聖遺物だとも伝えられる一書は、長い年月の間にどこかに散逸してしまったというけれど。
で、その現存の六書のうちの一書が、リアンディートの言った「聖門世説」。
他の六書、例えば「聖王本紀」などはガチガチのお堅い歴史書だし、また「聖王典章会要」などは法令を集めたもの。いずれも研究・学術資料としては重要ではあるが、読みやすいものではない。
けれど、 「聖門世説」は少し異なり、いわゆるエピソード集のようなものらしい。聖王だけではなく、その周囲の人物たちの逸話や伝承を集成したものだとか。
それだけに読み物としてもとっつきやすく、聖王の業績には憧れるが、難しい話には手が出ない、という市井の人々に人気が高いのだそうだ。
……と、そこまでは分かったが、だから何? という根本的な疑問に対しての解答にはならないような気が。
私が一通りの知識を速攻で詰め込み終わった時、ちょうど、アンジェたちもそのことについて話し合っていた。
「あ、もしかしたら、ウィジィさんの聖務官試験の勉強のために七書を使っている、という話をなさりたかったんでしょうか」
アンジェがぽんと手を叩いて言う。
そうか、リアンディートは、ウィジィくんが聖務官試験を受験するための教師役をしてくれている。その関係で七書とやらの話が出てきたのかもしれないわけか。
だが、すぐにラフィーネさんが小首を傾げた。
「うーん……確かに七書の勉強は聖務官試験には重要です。でも、世説は七書とはいえ、他の書に比べて、読み物としての面が強いですから、試験にはあんまり出ないんですよね」
むー。と、皆がそろって首を捻る。こんな場合でもなければ、いずれ劣らぬ美少女たちが、一斉に頭を傾げている状況というのは、客観的に見てすごく可愛い絵だとは思うのだけど。
「そういえば、世説の何篇とか言ってたかしら」
ふと思いついて、私がようやく口を挟む。それはリアンディートがことさらのように強調していた部分だったと思う。
「第三篇二十四節から二十七節とおっしゃっていましたわ。我が輝ける知性は一言一句に至るまで聞き漏らしはございませんのよ」
ドヤッとした態度で、テュロンが縦ロールをふぁさっと後ろに靡かせる。
それは記憶力の問題であって知性とは直接関係ない気もするが、まあいっか。
実際、唐突に表れて一方的にまくし立てた見知らぬ相手の言葉をちゃんと覚えている、というのは、テュロンの秀でた能力を示しているとはいえるだろうし。
「第三篇二十四節って何でしたっけ。剣の縁と錘竿の縁の話でしたっけ」
「いえ……確か、忠義と大義の話だったと思います」
ラフィーネさんが考え込みながら言った言葉をアンジェが訂正した。
「あ、そうでした、そうでした」
と、ラフィーネさんたちはお互いにその逸話の内容を確認し合う。おかげで、検索せずに私はそのエピソードの概要を知ることができた。
それは、二人の騎士の話。大恩ある主君が道を踏み外した時、それでも忠誠を誓う騎士と、大義のために主君の元から去った騎士の、それぞれの生き方の話だった。
前者の騎士は悪逆無道の主君の馬前で最後まで奮戦し、その身を守って討ち死にする。
後者の騎士は聖王の幕下へ馳せ参じ、助力を乞うて、かつての主君を討ち果たす。
だが、二人の騎士のうち、どちらが真に称えられるべきなのかは、今もって評価が定まらないようだった。
ただでさえ難しい話だ。ましてやこの世界では、地龍族の塔に対する考え方などの例でもわかるように、種族によって価値観が異なったりもするわけなのだし。
「身につまされる話ですわね……主を持つ身としましては」
深い声でテュロンが言い、私ははっとする。
そうだ、私の奴隷であるアンジェとテュロンにとっては、その話は単なる昔の逸話では済まされないんだ。
無論、私にとっても他人事ではない。人の主であるということは、しもべの生き方にまで責任を持つということなんだ。
それは当たり前のこと、子供でも分かること。……ではあるけれど、改めて事実として目の前に突き付けられると、その重みを感じずにはいられなかった。
もしも私が道を踏み外したとしたら――その時、アンジェは。テュロンは。どういう選択をするのだろう。
と、そこまで考えて、思い当たる。
リアンディートが言いたかったこと。伝えたかったこと。
――それは、彼女の主に関してのこと、なのではないだろうか。
「アンジェ、テュロン、ラフィーネさん。……リアンディートは、もしかしたら、「世説」のその逸話のような状況にあるんじゃないのかしら」
「ご主人さま、それはつまり、伯爵夫人が、何かを……その、……」
はっきり言葉の形にすることが憚られ、アンジェは言い淀む。
自分で言い出した私自身も、その考えを自分で受け入れているわけではない。私の中の伯爵夫人像は、物腰柔らかで上品な、そしてウィジィくんに勉強をさせてくれるような優しいご婦人だったのだから。
その伯爵夫人が、何らかの……何らかの、良くないことに、陥っている?
「うーん、考えすぎでは? だって、何かがあるなら直接はっきりと言ってくれればいいじゃないですか。こんな持って回った物の言い方する必要ないんじゃないかなあ」
ラフィーネさんがまだ腑に落ちないような疑念を呈する。しかし、テュロンが首を振った。彼女の手は、自らの胸元にそっと触れている。
「それは無理ですわ。私たちは奴隷。誓刻がこの身に打たれている以上、主に積極的損害を与える行動は取り得ないのですわ」
あ……そうか。そういえば、そんな効果があったんだった。普段一緒に暮らしていると、私がこの子たちを誓刻で縛っていることなんて、気にも留めていなかったけれど。
うう。今日はなんか、いろいろ考えさせられるなあ。
「……ですから、逆に申し上げれば、あの方、リアンディートさんが、「はっきりものを言わなかった」そのこと自体が一つの証拠となっていると判断できますわね。
つまり、「事実をはっきり言うこと自体が損害を与えるとみなされる」ようなことを、あの方のご主人は、なさっているのです。以上、我が輝く知性の導き出す結論ですわ」
私たちは声もなく顔を見合わせる。テュロンの言葉は流れるようでためらいがなく、そして容赦もなかった。
それは彼女が直接には伯爵夫人を知らず、またリアンディートとも初対面だから、ということもあるだろう。
だがそれ以上に、断ずるべき事実があるのなら、そこに情を介在させる余地を有さない、それがテュロンの生き方であり、強さでもあるからだった。
「無論、それは、あの方、リアンディートさんの言が正しいとしての理屈ではございますわ。可能性としては逆に、リアンディートさんの方が、その、……普通ではなくなっている、ということも考えられますわね。
まあ、その場合、なぜ伯爵夫人という方がリアンディートさんを自由にしておくのか、という疑念は出ますが。誓刻の制約がある以上、リアンディートさんは主に危害は加えられず、その命令には逆らえないのですもの」
ふう、と私は息をつく。
テュロンの言葉には説得力があり、私たちは否応もなく、その事実に向き合わされていた。
どちらに是があるかはわからない。だが、どちらにせよ、何かが起きている、のは確かのようだ。
伯爵夫人と、リアンディートの周りに。
「ご主人さま……」
不安そうなまなざしを向け、アンジェが小さな声を漏らす。
そこで突きつけられるのは、私の行動選択。
私には関係のないこと。そう言ってしまえばそこで終わる。そしてそれは実際間違いないことだ。私には関係ない。
けれど。
リアンディートはアンジェの友人、私の愛するこの子の友だ。
それは理由にならないだろうか。
――いや、そんな理詰めで考えることでさえない。
私は初めてリアンディートを見たあのオークション会場で、彼女の幸いを祈ったはずだ。
まだ彼女がアンジェの友だと知る前に、私はリアンディートのその身を案じたはずだ。
そしてウィジィくんの勉強を見てくれる人を探していた折に、リアンディートが声を掛けてくれた、あの時。私は心の潤むような暖かい思いに満たされたはずだ。
その私自身の感情を、私は嘘にするつもりなどない。
ならば、私の答えは一つしかない。
「アンジェ、テュロン。とにかく、調べてみましょう。リアンディートに何が起きているのか」
「はい、ご主人さま! ありがとうございます!」
「承りましたわ。何やら私の知性の輝き甲斐のありそうな匂いがぷんぷんしますわね!」
アンジェは弾んだ声で、テュロンは浮き浮きとした様子で、それぞれ承諾を示す。
そしてもう一人。
「あーあ、寂しいなー。ラツキさん、私には声かけてくれないのかなー」
悪戯っぽく笑ってラフィーネさんが言う。
でも、あなたに迷惑を……と言いかけて、私はやめた。
そんな遠慮をすること自体、彼女に失礼なのだろう。この素晴らしい私の友人に。
「……じゃあ、甘味処の一食分で」
「乗りました!」
形式的な貸し借り。でもそれは無償の助力よりも、多分尊く貴い。
私は笑みを含みながら、三人の仲間たちと共に席を立った。
「お待たせいたしました、ラツキ様。早くも7階層に入られたとか。3か月目で7階層まで到達できる方はほとんどおりませんよ。さすがでございますな」
「いえ、まだまだです。こちらも相変わらずご繁盛なようで、結構ですね」
メガックさんと私は如才なく挨拶を交わしあう。
伯爵夫人とリアンディートに関連して何らかの事態が起きているとするなら、彼女たちの元で勉強しているはずのウィジィくんから、多少なりとも情報を得ることが可能ではないだろうか。そう考えて私はメガックさんのお店に来ていた。
無論、そんな目的はメガックさんに明かせるわけもなく、表向きの名目は追加投資。手元にあった金貨15枚ほどをメガックさんに預けるために、ということにしている。
私の後ろにはアンジェとテュロンが控えているが、ラフィーネさんはついてきていない。
何の用もないのに聖務官さんがお店に来たりしたら、コトを大きくしてしまうしね。その代りラフィーネさんには、聖殿に登録されている伯爵夫人の住所などの情報を調べてもらっている。
――まあ、公的記録を私用で使うって、ちょっといけないことなのかもしれないけど。
でもラフィーネさんは、「聖都の安寧秩序を守ることも聖務官の大切な仕事です。従ってこれは公務です」とか平然としていたので、まあいいかなって。あの人、けっこう図太いんだよね。
「そういえば、」
と、あくまでさりげない調子で、私は水を向けた。
「ウィジィくんは元気で勉強していますか?」
目の前のお茶に目を落とす。今日、私にお茶を持ってきてくれたのは、ウィジィくんではない別の店員さんだったのだ。
「はい、本日は所用で出ておりますが。伯爵夫人はとても良くしてくださっているようで、あの者も懐いているようですな」
メガックさんはつるつる頭を光らせて、おかしそうに笑った。
「時折、うっかりなのか、伯爵夫人のことを「お母様」などと口走ったりしておりましてな、ははは。いや、いかにご親切にしていただいているとはいえ、さすがにそれは礼を失するとは思うのですが。ご先方も、子供のことだからと大目に見てくださっているようで、ありがたいことです」
ふう……ん?
それは、普通なら微笑ましい話なのだろうけど。
何だろう。ちょっとした違和感を覚えなくもない。
が、とにかく、ウィジィくんが今いないというのなら、これ以上長居しても仕方ないか。
またあとで来る必要はあるかもしれないが、その時にはまた何か、訪問の口実を考えないとなあ。そういえば、家を買う件についてもメガックさんに相談したきりだったから、その辺を持ち出してもいいか。
ま、それはその時のことだ。私たちは早々に話を切り上げ、メガックさんのお店を辞去することにした。
さて、次はどうするか、と考えながら挨拶をして、お店の外へ出た時。
道の向こうから、ぱたぱたと走ってくる人影があった。白い法衣を翻して、形相を変えて……かどうかは仮面をしているのでわからないけれど、ラフィーネさんだ。
周りの人々がちょっと引いているのも知らぬげに、彼女はぶんぶんと手を振りながら走り寄ってきた。
「ラツキさーん!」
「ラフィーネさん。どうでした、夫人の住所はわかりました?」
「え、ええ。それはもちろんなんですけど、そのほかに」
やや息を切らし、ラフィーネさんは真紅の髪をかきあげる。白い首筋に浮かんだ汗が、一瞬艶めかしく光った。
「伯爵夫人の御家庭のことについても、調べがつきました。それが、なんだか変なんですよ」
「変?」
伯爵夫人の家庭って、えーと。確かリアンディートが話してくれていたはずだ。
夫君は早くに亡くなって、お嬢さんは遠くにいるから、その寂しさを紛らわせるための話し相手としてリアンディートは買われた、そんなことだったはず。
しかし、ラフィーネさんは手を顎に当て、考え込むように言った。
「伯爵夫人の夫君は、20年ほど前の流行り病で亡くなっています。……そして、その時期、同じ病で、御息女も亡くなっている、という記録なんですよ」
「え……?」
私は思わずラフィーネさんの顔を覗き込んだ。
遠くにいるはずのお嬢さんが、――すでに亡くなっている?
「ご姉妹、ということはございませんの? 亡くなった方の他に、ご健勝な方が別にいらっしゃるのでは? ……あるいは別のかたを養子に取ったということは」
「いいえ」
テュロンの呈した疑問に、ラフィーネさんとアンジェがそろって首を振った。
ラフィーネさんは、聖殿に残された記録によれば、伯爵夫人の実子は一人しかいないはずであり、養子縁組もされていないときっぱり言う。
そしてアンジェは、唇を噛みつつ、説明した。
「――たった一人のお子様なので、とても可愛がっておられるようだ、と、リアンディートさんから何度も聞いています。かけがえのない、本当に本当に、大切なお嬢様のようだ、と」
遠くにいると説明したはずのお嬢さんは、実はすでに亡くなっている……。
そのこと自体は、ありうることかもしれない。亡くなった身内のことを、ちょっと遠くに行っているだけだ、と説明して傷心を癒すということは考えられる、かもしれない。
でも。先ほどの、メガックさんの言葉が引っ掛かる。
ウィジィくんが、時々うっかり、伯爵夫人を「お母様」と呼ぶことがある……。
――「お母様?」
ウィジィくんは、確か、亡くなったお父さんのことを「父さん」と呼んでいたのではなかったか。
それなのに、伯爵夫人に対しては「お母様」と呼ぶ? 「母さん」ではなく?
そうだ、さっき感じた違和感は、そこだった。
良くわからない。わからないけれど、なんだか妙に嫌な感覚がある。胸の中がざわついて、さっきお茶を飲んだばかりなのに、喉の奥がからからに乾く。
賑やかでさわやかな聖都の街並みが、なんだか急に重く濃い霧に包まれたように思えて、私は強く頭を振った。
「直接お目にかかった方がよさそうね。……伯爵夫人に」
私の言葉に、三人は頷いた。厳しい瞳で、唇を引き結んで。




