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異世界くじと神々の塔  作者: 天樹
26/84

天使と龍

「いひゃいいひゃい、いひゃいれすわ、ごひゅじんさま!」


 むにぃ。とテュロンのほっぺを引っ張る。けっこう伸びる。おのれ16歳の柔らかい肌。

 めっ、と睨んでから離してやると、テュロンは涙目で頬を抑えた。


「だって、人間族とはそういうものなのかと思ったんですもの。てっきり……」

「てっきり?」

「さんじゅ……」


 言い終わらせず、私はもう一度テュロンのほっぺを引っ張った。

 ――メガックさんにテュロンの代金を支払った後、聖殿に行った時のこと。

 聖殿において誓刻を打ってもらうことで登録は完了し、テュロンは正式に私の奴隷となった。


 で、登録したその時に、テュロンは私の情報も見たわけだ。

 ラツキ・サホ。人間族。女性。17歳。

 テュロンは目を真ん丸にして、言ってくれた。


「まあ。ご主人様、私と一歳しか違わないとは思いませんでしたわ。私の知性の輝きが判断していたのは、その落ち着いた物腰と佇まいから、てっきりさんじゅ……」

「じゅ・う・な・な・さ・い!!!!」


 そりゃ確かに私の中の人はアラサーだけど、まだサーまでは行ってないし! それに今は17歳だし!

 テュロンの美点はその正直さと率直さだとは思うけど、素直にもほどがある!


「アンジェ。先輩として、びしっと何とか言ってあげなさい!」

「……ご、ごめんなさい、ご主人さま。私もきっと、ご主人さまのように頼りになるお方は、もっとご年齢が上かと……」


 ……膝からくずおれる。

 うう。アンジェまでも。信じていたのに。

 そりゃ風呂上がりに腰に手を当ててぐびぐびっと甘水飲んだりするけど。

 カーッ、この一杯がたまらないわー、とか言うけど。でもでも、17歳だもん。


 いじけた私は二人を置いてさっさと歩きだす。この後はテュロンの装備品を買わないといけないんだし。もう行くからね!

 慌てて私の後を追う二人が、何やらささやき合っているのが耳に入る。身体能力強化のスキルは、私の各種感覚も強化してくれている。


「アンジェリカさん。私の輝く知性の出した結論から言いますと、ご主人さまはお怒りになると怖いかたですのね」

「はい、怖いですよ。うふふ、お肉を食べるときに、添えてある果汁をかけると叱られますから」


 えー。だって、唐揚げにレモンかけるかどうかって大事じゃない!


「それから、揚げお肉に甘辛餡をかける料理があるんですよ」

「おいしそうですわね」

「お肉を柔らかくするために果実を入れることがあるんですけど、それもご主人さま怒るんです」


 えー。だって酢豚にパイナップル入れるかどうかって大事じゃない!


「なんと申しましょうか、ご主人様はほんとに怖いですわね。可愛いという意味で。ふふふ」

「ええ。とってもお可愛らしいんです。きっとテュロンさんもそうお思いになりますよ」

「はい、それはとてもよくわかりますわ。……それと、テュロンとお呼びくださいな」

「ありがとう。じゃあ私のことも、アンジェと呼んでくださいね」


 忍び笑うような声がくすくすと聞こえる。

 なんかネタにされてるけど、まあ、二人が仲良くなってくれるならそれでもいいか。私の口許にも、いつの間にか、ちょっと笑みが浮かんでいた。





 さて。装備を買うと言っても、テュロンを戦術上どのように機能させるのかは、実はけっこう難しい問題だ。

 つまり、前衛の役割をどう考えるとかということ。敵をぶっ倒すのが前衛の任務であると捉えるか、後衛を守るのが前衛の仕事であると考えるべきか。

 攻撃寄りにするか、防御寄りにするか……テュロンは多くの技能を身につけているので、どっちでもできるのよね。なので、かえって迷ってしまう。

 

 ひとつの仮定だが、彼女ほどの膂力があるのならば、例えば全身鎧をつけてさえ支障なく動き回れるとは思う。

 まあもちろんそれはただの仮定。登攀者は、単に戦えばそれでいいってものではないものね。

 岩山をよじ登ったり、湖沼や泥濘地帯を渡ったりしなければならないわけだから、全身鎧ってのはちょっと現実的ではない。灼熱の砂漠とか凍てつく雪原とかの環境を想定しても、やはり全身鎧は適さないだろうし。


 しかし全身鎧とまでは行かずとも、ある程度は重装甲にして皆の防護役となってもらうという選択はあるわけだ。テュロンは大楯のスキルを得ているし。


 ……だが、私もアンジェも、現状は、基本的に手数で押して速攻で勝負を決めるスタイルになっている。だとすれば、テュロンだけを防御型で考える、というのは、バランスを失するかもしれない。

 やはりテュロンも攻撃型の方向性で行ってもらうことが、足並みをそろえることになるのではないだろうか。


 で、攻撃重視で行くとしても、それをどこまで偏らせるかという問題もある。


 例えば、テュロンの特徴はもちろんその強大な腕力だ。なんでも、テュロンは地龍族内での腕相撲で、6年前に彼女の祖父に負けたのを最後に、それ以降は一度も負けたことがないのだという。つまり剛力をもって知られる地龍族の中で、さらに一頭抜きんでているのが彼女だということになる。


 その馬鹿ぢから……いやその、輝く知性ぢからを誇るテュロンの破壊力を、最も効果的に相手に叩きつけることができる技法は、大上段からの真っ向斬り下げだろう。

 しかし、ある程度以上の重装甲を纏うと、この技は使えない。上半身、特に肩まわりの鎧が邪魔をして両手を振り上げることが困難になるためだ。


 そこでまた迷うことになる。

 そのいち。テュロンの持ち味を生かすためには、やはり最大パワーを最大効力で敵にぶつけられた方がいいという考え。つまりその場合、テュロンの鎧はさらに軽度なものになり、前衛としての危険負担の問題が出てくる。


 そのに。テュロンの力なら、大上段など使わなくても十分な破壊力の一撃を繰り出せるのだから、そこまでこだわらなくてもいいという考え。その場合は、テュロンはある程度防御を高め、攻撃と防御を両立できる。が、中途半端などっちつかずになる可能性も否定できない。

 


 ……さてどうしようね、というような話を三人で色々としながら道具屋さんまで歩いてきたのだが、テュロンは簡単に結論を出した。


「防御をおろそかにするのは愚者の考えですわ」


 なるほどね。つまりテュロンは防御を重要に思って……


「すなわち、敵の攻撃もろともに最大最高の戦力で跡形もなく叩き潰すのが最善ですわ。これぞ我が輝く知性の導きだした能動防御の理念ですわ!」



 ――それ、ただの全力攻撃じゃないかな。

 いや確か私の元いた世界でも、軍事用語で能動防御という言葉はあったように思うが、それは多分テュロンの言ってるのとは微妙に違うと思う。

 まあ、攻撃は最大の防御という言葉もある。あながちテュロンの言葉も誤っていないだろう。

 しかし、やっぱりテュロンは私と何となく似てる気がする。主にこう、脳筋のあたりが。



 ということで、テュロンはとにかく全力でぶちかませモードで装備をそろえることに決定。

 防具は、胸当てに籠手、脛当て、鉢金という、テュロンのパワーから考えればまあ軽装の部類。

 そして武器は、本人がお気に入りらしく、威力も高い両手斧にすることにした。

 もちろん、戦況や戦局に応じていろいろ装備を変えることも想定に入れておくべきだし、結局いつかは大楯なんかも必要になるかもしれないけど、今すぐ用意しなくてもいいだろう。


「じゃあテュロン、自分が気に入ったのを選んでね。時間をかけてもいいから品質や使い勝手を重視して。お金に関してはあまり気にしなくてもいいわ。命を預けるものですもの」

「ありがとうございます、ご主人さま。じっくり選ばせていただきますわ」


 テュロンはすぐにお店のご主人を捕まえ、質や価格についての猛烈なマシンガントークを繰り広げ始めた。愛想笑いを浮かべつつ、ちょっとひきつった顔のご主人が、時々、ちらちらとこっちに助けを求めるような目で見てくる。

 申し訳ない、犠牲になってください。ある程度高価な品でもちゃんと買いますから。



 と、目を背けた私だったが、その時、くいくいと服の裾が引っ張られた。

 振り返ると、アンジェ。


「何? アンジェ」

「申し訳ありませんご主人さま、ちょっと」


 そのままお店の片隅にまで引っ張って行かれる。そこは槍や薙刀などの長柄武器がいくつか立てかけられ、ちょっとした物陰になっていた。

 アンジェは頭上にクエスチョンマークの浮かんでいる私をよそに、軽く眼を閉じた。意識を集中している体勢。彼女の頭上に光輪が、そして背に光翅が現出し、銀と金の光の渦が浮かび上がる。

 と見るや、その渦はふわっと拡散して私たちを包み込んだ。


「……アンジェ?」

「えっと、簡単にですが、音と景色を歪めました。それであの、ちょっとお聞きしたいことがあって」


 私は周囲を見回す。なるほど、風魔法で音が漏れないようにし、光魔法で私たちの姿を隠したのか。まあ、簡単なものと言っていたから、ちょっと騒いだらバレちゃう程度だろうけど。

 

「なぁに? 今じゃなきゃいけないこと?」

「は、はい。……その、ちょっとはしたないことかもしれませんが」


 アンジェははにかみ、少しうつむいて言った。


「――今宵、おやすみになるときは、どうなさるのでしょうか」

「……あー。そのことね。うん。……まあその、考えてるわよ、一応」


 アンジェの言わんとすることの意を察した私も、ちょっと顔を赤らめる。

 今夜のこと。

 つまり、私がどう寝るのか、ということ。

 これまでは、同じベッドに私とアンジェが二人で寝ていた。……まあ、寝る以外のこともしてたけどね! 色々とね!

 けれど、今夜からはテュロンが共にいる。彼女をどうするのか、ということだろう。


「今までは一間ひとまの部屋だったけど、今夜からは二間ふたまの部屋を借りようと思ってるわ。テュロンにはもう一つの部屋の方で寝てもらうつもり」


 二間だと当然高くなるんだけどね。確か、一泊銀貨五枚だったと思う。

 しかし、アンジェは私が予想もしていなかったことを言ってきた。




「テュロンには、御寵愛を賜らないのでしょうか」




「……へ?」


 思わず目が点になる。

 え、御寵愛って、つまりその、そういうことだよね。

 ……まさかそれを、アンジェが言うの?

 私はまじまじとアンジェの顔を見つめなおす。その星空のように美しい黄金の瞳は真摯で、冗談でも揶揄でもないことを示していた。


「……もう、アンジェったら」


 私は困惑を隠すように、ぎこちなく笑う。


「私、女の子と見れば誰彼かまわず手を出すほど飢えてるように思われてたのかしら」

「い、いいえ! そうではありません!」


 アンジェも焦ったように声を上げ、慌てて自分の口を抑えた。大きな声は漏れちゃうんだよね。


「でも……テュロンはご主人さまをお慕いしています。――私と同じですもの。わかります」

「そう……なのかな」


 私にはよくわからない。主人として信じてくれているだろうとは思う。でもそれはアンジェと同じ意味での気持ちなのだろうか。

 それに、もし。もし仮にアンジェの言う通りだとしても。

 だからといってすぐにそういう関係になる、というのも、なんだか頭の中がそのことだけでいっぱいだとでもいうような感じで。……いやまあ、アンジェを買った時、すぐにそういうことしちゃった私が言っても説得力ないのかもだが。



「……テュロンは」


 と、アンジェは一瞬口をつぐんだのちに、唇を開いた。優しい声音で。


「彼女は、私よりもずっと強い人だと思います。それでも、色々な大切なものを振り捨ててきて、何の不安も感じていないということはないはずです。だから」


 アンジェは微笑して、言葉を紡ぐ。



「初めての夜だからこそ、傍にいてあげてください。人の肌のぬくもりと、人の身体の柔らかさを教えてあげてください。……人のつながりを与えてあげてください。それはとても、とても大きな勇気になります。心のよりどころになります。私がそうでしたから」



 私は黙り込んだ。

 テュロンを迎えに来た、エントラというあの青年の話を思い出す。

 テュロンは、過去も故郷も家族も捨てて夢に生きた。そのことに彼女は、おそらく微塵も後悔をしていない。それだけの美しく煌めく意思と覚悟が彼女にはある。


 だが、それは、テュロンが傷ついていないということを意味しない。

 彼女もまた、16歳の少女なのだから。

 ――もし私が、テュロンを愛することで、その痛みを和らげてあげることができるのなら。

 それは、むしろテュロンの主として、私が為すべき役目であるのかもしれない。

 抱きしめ合い、歓びを分かち合うことで、一人ではないと。一緒にいてくれる誰かがいるのだと。それを実感することの幸福。それは私も知っている。

 

「……それに、」


 と、今度は少し悪戯っぽい光を目に宿して、アンジェは言う。


「ご主人さまも、テュロンに魅かれておいででしょう?」

「そ、それは」


 口ごもりながら、私は思わず身を引いてしまい、危うく立てかけてあった棍棒を倒しそうになった。

 それは、まあ。テュロンは可愛いのは事実だし。私に似たところと、私とは正反対のところを両方持ってて、不思議な引力を感じているのも確かだけど。


「……でしたら、ご自分のお気持ちにも、正直になってくださいね」


 すべてを見透かしたようなアンジェのまなざしが私を包み込む。

 ……もしテュロンがそれを嫌がらずに。また私もまた彼女を求めていて。そして、アンジェがそれを許してくれるなら。

 私はテュロンと触れ合うことを、ためらうべきではないのかもしれない。



 ――でも。アンジェがこんなことを言ってくる、というのは、私にとってけっこう驚きだった。

 私の中では、アンジェって割と焼き餅っ子だと思ってたから。

 少なくとも、私の気づいてる範囲だけで、二回ほど明確に嫉妬心を現していたことがあったはず。

 そのアンジェが、まさか、他の子も愛してもいいですよと言ってくるなんて。


 私は、アンジェの左手薬指に輝いている指輪を見る。その意味は、もちろん彼女は知らないんだけど、でも、私の中では、やっぱりアンジェは特別な位置にある。

 そのアンジェが、嫉妬をしない――というのは、ちょっとホッとする半面、なんだか少し寂しくもある。もう、妬いてくれないのかな、なんて。我ながらめんどくさい女だとは思うが。



「アンジェは……それで、いいの?」



 おそるおそる、尋ねる。けれど、アンジェはくすっと笑うと、不意にその白い腕を私に向かって伸ばしてきた。

 しなやかな腕が首に巻きつき、私の顔が引き寄せられる。

 えっ? ……と、思う間もなく。

 私の唇は、アンジェに奪われていた。



 ほんの一瞬、触れあっただけだったけれど。

 私の頭は真っ白になって、言葉をうまく繰り出せない。



 ――キス、されちゃった。



 もちろん、何度もしている。でも、それは、すべて私の方からのキスだった。

 初めてだ。アンジェに奪われたキスは。

 驚きなのか、嬉しさなのか、恥かしさなのか、そのすべてが胸の中でごちゃごちゃに入り混じったようになって、ちょっと瞼が熱くなりさえしている。

 見ると、アンジェもまた、耳朶まで真っ赤に肌を染めて、でも幸福そうに微笑んでいた。



「だって、ご主人さまの、一番は――私ですもの」


 

 一瞬呆気にとられ、やがて私も緩やかに破顔する。

 それは自惚れではなかった。事実を述べたに過ぎなかった。私とアンジェの間にある、揺るぎのない事実を。

 いつの間にか、アンジェも少しずつ、しかし確実に、逞しくなっていたのね。ちょっと前まで、ラフィーネさんに嫉妬して泣き出していたこの子が。

 私はどうだろう。強くなれているだろうか。

 私も変わらなきゃ。アンジェにも、そしてテュロンにも、恥じない主でいられるように。



「ご主人さまー? アンジェー? どこですのー? お買い物、決まりましたわよー!ごーしゅーじーんさまー!」


 テュロンの呼ぶ声が聞こえてくる。私とアンジェは二人で顔を見合わせ、笑いを零しながら彼女の元へと歩き出した。







 小さくノックの音がする。それは静かな夜に、不思議に大きくこだまするように思えた。

 私は、少し高鳴る胸の鼓動を自覚しながら、答える。


「どうぞ」

「ご主人さま、テュロンです。失礼いたしますわ」


 いつも通りのはきはきとした、しかし、いつもよりは少しだけ小さな声。

 かちゃりと静かに扉を開けて、彼女が一人、入ってくる。

 真っ直ぐに背筋を伸ばしたテュロンの姿は凛として清々しい。けれどその表情には、少しだけ緊張がうかがえた。

 薄暗い室内には私だけ。アンジェは隣室で休むことになっている。

 大切な最初の夜だけは。今夜だけは、私とテュロンは二人だけで過ごすべきだと。アンジェはそう主張したのだ。


 テュロンが後ろ手に閉めた扉が微かに灯火をそよがせ、その細い影が小さく揺れた。

 彼女の裸身は、先程三人で入浴した際にすでに目にしている。ほっそりとしなやかなその肢体を。

 けれど、なぜだろう。一糸まとわぬ姿であった浴場での姿よりも、今の、薄物一枚をその身にかけたテュロンのほうが、どこか艶めかしく、扇情的に思えた。


 私はベッドから立って行って、テュロンの傍らに立つ。彼女は動かない。

 そっと手を触れた時、彼女の唇から、あ、と、小さな声が漏れた。

 あなたが嫌なら、嫌と言っていいのよ。……そんな言葉を口にしようとして、やめる。

 それは優しさに見せかけた逃避だからだ。行為の責任を相手に押し付けようとするものだからだ。

  

 だから私は、そのまま彼女の手を握った。

 小さな手。あれほどの剛力が秘められているとは思えないほどの。

 その手を引いて、ベッドに座らせる。

 やっぱり、ちょっとだけぎこちないだろうか。なんだか彼女の体が固く感じる。

 その時、テュロンは一瞬きゅっと唇を噛むと、顔を上げた。


「……ご主人さま。うかがいたいことがございますの。よろしいでしょうか」


 少しだけ喉に吐息が絡んだような声で、テュロンは私を見つめる。私はまなざしで、彼女に次の言葉を促した。


「私は志願奴隷ですわ。ですから、条件を付与することができますの。ご存知のように、それは登攀者の随伴奴隷になりたいというものでしたが」


 テュロンは少し言葉を切って、目をさまよわせた。おや、と私は思う。いつも無駄に自信に溢れ、堂々としたこの子にしては、珍しい態度だ。


「ですが、別の条件を付与する可能性もあったわけですわ。例えば……愛玩奴隷にはしないこと、といったような」


 そっか。確かに、そういう条件の付け方もあるわけか。そんな条件を付けて実際に誰かに買ってもらえるかどうかはともかく、可能性としてならあるわけだ。


「けれど、私はそうしませんでしたわ。つまり私は、自分の操を夢と引き換えにしたのです。――どう、思われますか、このような私を?」


 揺らめく灯火の中で、テュロンの貌には影が濃かった。

 その小さな胸は、大きく上下しているように見える。

 テュロンが捨ててきたものは、故郷、家族、一族、過去。そして、それだけではなかった。まだ、あったのだ。それらと同じくらい大切かもしれないものが。

 そして、それさえも越えて、彼女は私の元へと来てくれた。


「……あなたでよかったわ、テュロン。私と一緒にいてくれる人が、あなたでよかった」


 私に言えたのはそれだけだった。彼女の尊敬すべきつよさを前にして、私はそれ以上言うべき言葉を持たなかった。


「……ありがとうございます。でも、こんなふうに思ったのは初めてですわ」


 テュロンは少し気恥ずかしそうに笑う。一瞬前までの緊張感が薄らぎ、彼女の縦ロールが嬉しそうにぴょこんと跳ねた。


「……私は今まで、自分の夢のためには、家族からも一族からも、どのように思われようと構いませんでしたわ。でも、今初めて、このお方にだけは嫌われたくないと心から思いましたの、ご主人さま、あなたにだけは」


 テュロンのその言葉は、重い。だが、担い甲斐のある重さだった。心地のいいプレッシャーだった。彼女から向けられた信頼は、私を勇気づけるものだった。



「心配しないで、テュロン。今度は私のほうが、私でよかったと思わせてあげる。あなたの主は私以外にありえないと」

「まあ。……ふふ。でも、既に思っておりますのよ、ご主人さま? ――初めて私のすべてを捧げるお方が、あなたでよかったと」



 ……あ、私、今、殺された。うう。殺し文句を言ったつもりだったのに殺されちゃった。やっぱり私はまだまだ、この子たちの立派な主となるためには修行が必要らしい。

 悔しいので、別の意味で殺しにかかることにする。

 テュロンの白い頬に両手を添えて、顎の下を微かになぞる。びくん、とテュロンの体が震えて、唇がわなないた。微かに開いたその扉は、誰かを迎えたがっているように。

 羽毛が舞い落ちるように瞼を閉じた彼女に、私は、そっと唇を寄せていった。





 ――で、その時思い出す。

 私、昨夜もアンジェと、明け方近くまでお互いを寝かせなかったんだった。

 ……二日連続で徹夜コースかなあ。


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