掟と夢
「お、お待ちくださいませご主人さま、その者は私の知り合いですわ! ご無礼をお許しくださいませ!」
「……へ?」
毒気を抜かれて思わず間抜けな顔になる私。下がった剣先からそっと体を逸らして、その人影……長身の男は大息をついた。
「じゅ、寿命が縮んだぞ。そりゃいきなり暴れこんだ俺も悪かったが、何もいきなり剣突きつけることはないんじゃないか」
冷や汗をぬぐいながら、その男は太い眉をしかめた。
よくわけがわからないながら、一応剣を収める。後ろで杖を構え、光翅と光輪を出して魔法行使体勢に入っていたアンジェも拍子抜けしたようだ。
恐る恐る扉から顔を出したメガックさんや他の店員さんたちに、軽くうなずいて手を振り、問題ないと示してから、私は改めて男の様相を眺める。
栗色の髪と瞳を持つ、引き締まった体躯の男。年は二十歳を出たかどうかというところだろうか。少年の純真さと青年の精悍さを併せ持つ年代だ。
その男に、テュロンはつかつかと歩み寄り、難詰するような視線を向けた。
「エントラ。なぜあなたにこの場所がわかったのです? ……あ、いえ、答えるには及びませんわ。私の輝ける知性が見事にその謎を解き明かしてごらんに……」
「聖殿の告知見たんだよ」
「……」
ああそっか。テュロンは志願奴隷だから、聖殿にその旨を告知されるんだった。だから、彼女を探している人がいるなら、聖殿に赴けば簡単にわかるのね。
「わーたーくーしーが! それ、私が言おうと思ったことですのにー!!」
じたばた。
手を振り回し足を踏み鳴らして、テュロンは喚く。縦ロールがぐるんぐるん揺れる。そんなテュロンをじろりと見て、エントラと呼ばれた男は言葉を投げた。
「そんなことはどうでもいい。テュロン、俺こそ聞きたい。お前、なんでこんなところにいるんだ」
うん、このテュロンの様子を見て平然としていられるってのは、確かに彼は彼女の知り合いだ。初対面だったら、彼女のこのテンションについていけるはずがない。
髪の色や体つきもテュロンと似通っているし、同じ地龍族なのだろう。
「何故と言われましても、聖殿の告知をご覧になったのならその理由もご承知なのでしょうに。私は志願奴隷となったのですわ」
「だから! なぜ志願奴隷なんかにと言ってる! まさかお前本気で……」
「ええ」
テュロンは大騒ぎしていたたった今とは打って変った落ち着いた態度で、エントラを見返す。その瞳は深い湖水のように澄み切っていた。
「無論、本気ですわ」
「お前……!」
エントラは絶句し、次いでぎりりと歯を噛みしめた。
「……本当にわかっているのか。掟に背くってことがどういうことなのかを」
――え、ちょっと待って、待って。
なんか妙にシビアな流れになってきてるように思うんだけど気のせいですか。
アンジェと顔を見合わせ、私は当惑しながら口を挟んだ。
「話がよくわからないんだけど、説明してちょうだい。この子に何か事情があるなら、私にも知る権利があるはずだわ」
「……あんたがテュロンを買ったのか。なら、あんたと、そしてこの店にも、あとできちんと詫びるし迷惑料も払う。だから、こいつを解放してくれないか」
エントラは厳しい目で私とテュロンを交互に見詰めながら強い口調で言う。
「いきなりそんなこと言われて、はいそうですかと答えると思う? テュロン、どういうことなの」
「……はい……まあ、単純な話なのですけどね。お話いたしますわ」
肩をすくめたテュロンに促され、私たちは改めて席に着く。
「――この者の名はエントラ。私の幼馴染ですの。エントラ、こちらの方が私の主人となった方、ラツキ様ですわ」
『主人』という言い方にエントラはやや苦い顔をしたが、余計な口は挟まずに話を続けさせた。
「そして、先程からエントラが申しておりますことは……私の行動が、掟に反するのではないかということなのですわ。地龍族の掟。――塔に登ってはならぬ、という」
地龍族は、ほぼ種族単一で構成された小都市国家的勢力圏を作り上げて暮らしている。テュロンはそこの族長の娘なのだという。まあ外見も言動もどっかのお嬢様っぽいとは思ってたけど。
地龍族はその膂力の強大さで知られる種族だが、性質は穏やかで、何よりも信仰深かった。この世界での信仰というのは無論、『塔』に対する信仰である。だが、その信仰の形は、他の種族とは少し異なっていた。
「……神聖なる塔を汚してはならぬ。ましてやその秘密を探ろうとするなどとは許されぬ。……それが地龍族の教えであり信仰であり、掟なのですわ」
小さな吐息と共に、テュロンは言葉を吐き出した。
「それがわかっているなら、なぜ!」
エントラが語気を鋭くするのに対し、テュロンは柳に風とやんわり返す。
「ですから、私は掟を破ろうとはしておりませんわ。自分で塔に入るのではなく、あくまで我が主が塔に登るから、その奴隷として付き従うまでのこと。奴隷の身である以上、主の意には逆らえませんもの」
にっこり。
……うわ、ずるっ!
この子、責任を主人に押し付ける気だよ!
しかし、そうか。だから、自分で登攀者になろうというのではなく、随伴奴隷になりたがっていたのか。
「そんなのは屁理屈だろう! 事実、君が幼いころから塔に登りたがっていたのはみんな知ってる!」
「ええ」
一瞬、テュロンの声音は冴えて響いた。寂寞と痛みの色を添えて。
「11年3か月。私が初めて望みを口にしてからそれだけの月日が立ちましたわ。ただ一言、『知りたい』と。しかし、その間、誰一人、賛同してくださる方はおりませんでした。エントラ、あなたも含めて」
「それは……そうだろう。掟なんだ」
「そうですわね。掟ですわね」
笑う。痛々しく、彼女は笑う。
「一日も欠かすことなく塔を見つめ続けて、見上げ続けて。あそこには何があるのだろう、どんな物語が隠されているのだろう、知りたい、知らないことだから、私は知りたいと。そんな思いで身を焦がし続けてまいりましたわ。……でも、掟は塔よりも高く堅く、私の前に聳え立っておりました」
ふっと息をつくテュロンの縦ロールが頼りなげに揺れる。
「ですから私は決めたのです。決めたから行動したのです。行動してそれを為したのです。16になり、成人して、自分の行動を自分で決められるようになったのですから」
鋼の意思。はじめて彼女に出会った時に、覚悟にも似た決意がその瞳に宿っていたと見たことは間違いではなかった。
彼女は事実、己のすべてを捨てて、夢に賭けたのだ。
知りたい。見たい。経験したい。未知のものにただ純粋に憧れて、狂おしいほど夢を抱いて、それでも掟だから。その望みも願いも一顧だにされず封殺されて。
だから彼女は奴隷となった。身を落としてさえかまわない、それで夢が叶うならと。
正直、私にはわからない。
掟と夢と、どちらが大切なのか。
私の元いた世界の価値観など、その時代、その地域の限定されたものの考え方に過ぎない。そんな一面的な思想を振り回してこの世界に押し付けるなど、愚劣もいいところだ。この世界にはこの世界のルールがあり、それは尊重されるべきだし、それがこの世界での正しさだ。
だから、地龍族の掟も、大切で尊いものだ。それを否定する権利は私にはないし、してはならない。
けれど、同じくらい、夢見るテュロンのその瞳も、大切なものなのではないだろうか。曇らせてしまっていいのだろうか。
「テュロン。確かに、お前の言う通り、お前の行動は形式的には掟に触れないかもしれない。だから正式な罪人扱いにはならないだろう。だが、事実上は掟に反していると誰だってわかる。族長の娘であるお前がだ」
エントラは身を乗り出し、掴みかからんばかりの体勢でテュロンに向かう。
「そんなことになったら、もうお前を迎えてくれる故郷も家族もなくなるんだぞ。家柄も過去も全部を捨てて、それで本当にいいのか。今ならまだ間に合う。戻ってこい」
その口調には真実の重みがあり、そのまなざしには深い情愛があった。
エントラが、本心からテュロンを案じているのは確かなのだろう。
けれど。
テュロンは、寂しそうに、しかしきっぱりと、首を振った。
「先程も申しましたように、10年以上考え続けたことです。すべてを捨てるというその意味もね。その上での、これは結論ですわ」
ぎりっと唇を噛み、エントラは今度は私に再び向き直る。
「種族は違うとはいえ、あんたにだって掟の重要さは分かるだろう。みすみすその掟に抵触しようとしているこいつを放っておくのか」
「ええ、掟の大切さはもちろんわかるわ。でもね」
私は、胸中の翳りを吹き払うように言う。
「だからこそ、他種族である私には口出しできない。その掟を破ることがいいとも言えないし、守ることがいいともやはり言えない。それは地龍族内で決めることで、私はそれに干渉したり是非を言える立場に元々ないわ」
だから、と、私はテュロンの手を取った。
「――だから。この子の出した、この子自身の結論を受け入れるだけよ。それが私の奴隷になることならそれを承認する。そして私の奴隷となった以上、私はこの子を全力で守る。――この子の夢を、全力で」
それは、ある意味ずるい言い方だった。いわば、管轄違いだと門前払いを食らわせたまま判断を避けて、実益だけを取ったようなものだ。
しかし、私にできるのはそのくらいだというのも事実。
他種族の、いや異世界人の私には、この世界のルールそのものについて当否を判断する資格を持たない。できるのはただ、目の前の少女の気持ちを、覚悟を守ることだけなのだから。
「……ご主人さま」
きゅっと私の手を握り返すテュロンの瞳には、いつもの自信に満ちたそれとは異なる光が宿っていた。彼女の力強く、それでいて小さな手は、少しだけ震えて。でも決して私の手を離そうとはしなかった。
エントラの顔に、いくつもの感情が現れては消えた。
それは憤りであり、悲しみであり、失意であり、そして決断でもあった。
彼は一度だけギュッと拳を握りしめた。血の気がなくなり、白くなるほどに強く。
そして不意に、弛緩したようにその拳をほどくと、ぽつりとつぶやいた。
「……そうか。俺も少しは弁論とかいうのを学ぶべきだったんだな。お前の気持ちを動かせるような言葉を。……だが、今となってはもう遅いか」
エントラは疲れたように零し、のろのろと立ち上がる。彼はもうあがこうとはしなかった。その顔からは、この僅かな時間で、少年の甘さが消えていた。苦い現実を受け入れた大人の男の姿がそこにあった。
「テュロン。おそらくお前は後悔すると思う。それでも、その後悔を少しでも上回る満足が得られることを祈っている。こいつは本心だ」
それだけ言い残し、エントラは去った。現れた時とは正反対の重い足取りで。
「テュロン。あのエントラという人、きっとあなたのことを……」
誰もいなくなった戸口を見送りながら、私はつぶやく。エントラのあの滾るような感情と訴えかけるような視線は、単なる幼馴染が身を案じているという以上のものが彼の心底にあることを雄弁に物語っていた。
「ええ。それくらいは私にもわかりますわ。でも」
テュロンもまた小さな声で答える。
「彼は、私を想ってはくださっても、私を理解しようとは、ついに一度もしてくださいませんでしたわ。無論、わがままを言った私が悪いのです。悪くて、責められるべきなのです。それでも、……それでも、それは、悲しいことでしたわ。とても」
ひくっ、と、テュロンの喉が鳴る。彼女の手は、まだ私の手を握ったままで。――いや、すがったままで。
「……だから、は、初めてでした、ご主人さま。私の夢を守ってくださると、そんなことを言っていただいたのは、ご主人さま。あなたが、生まれて、初めてでした」
潤んだ瞳、わななく唇。それを私に向けて、テュロンは震える声で、告げた。
「――そして、こんなにも。こんなに誰かのものになりたいと思う気持ちを抱いたのも、初めてですわ。ご主人さま、先程のお言葉はどうぞ取り消してくださいませ。あなたが私を欲しいのではなく、やはり私があなたのものになりたいのです」
なぜ私が、テュロンを守ろうと思ったのか。
――それは、彼女の中に私を見たからだった。
もう戻れない故郷。捨てた過去。そして受け入れてもらえない自分。
……それは、私の境遇に少しだけ似ていた。
もちろん、私などよりテュロンのほうが重い。私はただ逃げ出してきただけだが、彼女は夢に向かって飛んだのだ。歯を食いしばって、振り返ることなく。
けれどそれでも、理解されない悲しみと寂しさ、そして受け止めてくれる人を得た嬉しさは、同じだと、思う。
そして、その嬉しさを。共感してくれる人を得た暖かさを。
教えてくれたのは、たった今、あなたなのよ、テュロン。
「だめ。やっぱり、私があなたを欲しいの」
「意地悪ですわ、ご主人さま。私があなたのものになりたいのですのに」
手を握り合い見つめ合ったまま、なんだかよくわからない言い合いが続く。その私たちの手に、ふわりと、もう一つの手が重なった。
「もう、お二人とも。可笑しいですよ」
くすくすと笑いながら、その手の持ち主、アンジェが言う。
「この手と同じです。お二方ともに、手を差し伸べあって、求め合っていらっしゃる。それだけではありませんか」
手を見つめる。そしてもう一度相互の顔を見つめる。そしてアンジェを見つめる。
重なった三人の手。重なった三人の存在。重なった三人の心が、そこにあった。
くすり、と、私の唇からも笑いが漏れる。そして、テュロンの口からも。
小さな、ささやかな、しかし満たされた穏やかな笑いが、私たち三人の声で、漣のように部屋の中に静かに沁み渡っていった。




