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異世界くじと神々の塔  作者: 天樹
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新たな仲間と暗い瞳の青年(後)

「会えてよかったわ」


 私は青年の座するテーブルの前に立ち、微笑みかけた。フォン=モウンはきょとんと顔を上げ、そしてゆるゆると遠慮がちに笑顔を形作る。


「や、やあ、君か。か、体は、もう大丈夫なのかい」

「ええ、おかげさまで。あの時は本当にお世話になったわね。改めて、お礼を言わせてちょうだい。どうもありがとう」


 深々と頭を下げた私とアンジェに、モウンは慌てたように手を振った。


「や、やだな。あ、あの時も言ったように、お礼なんか、いいんだよ。きっと君でも、た、立場が違えば同じことをしただろう?」

「でも、命を助けられたのは事実だわ。それは本当に感謝しているし、きちんと形にしたいとも思っているの」


 私は革袋を持ち出した。いつ彼に会ってもいいようにと常に用意していたそれの中には、金貨100枚が入っている。

 この世界での謝礼金、それも命を救ってくれたお礼の相場なんてよくわからないのだけど、かつて私がメガックさんを助けた時には、彼は金貨100枚をお礼に出してくれた。

 また、レグダー男爵が、詫びとして出した金額もやはり100枚。

 となると、このくらいのものなんじゃないかなって。


 お金ですべてを解決しようというのも、なんだか浅ましい考えかなとは思うのだが、でも明確に形として気持ちを示せるのも、やはりお金なのかなとも思う。

 だが、モウンは弱々しい苦笑を浮かべて、自分の腰の剣を持ち上げ、示して見せた。


「こ、これ、わかるかい?」


 それは柄頭や鞘に金銀の装飾が施され、宝石が埋め込まれた美麗な剣だった。単に装飾が凝らされているだけではなく、作りもしっかりとした実用性の高いものであることがわかる。最初に会った時も思ったが、彼の身につけている武具はいずれも素晴らしい出来のものだ。

 衣服も繻子織だろうか、艶めいており、こんな場末の酒場で昼間から飲んでいるような人のものではない。


「い、今はつけてないけど、鎧もこんなものさ。い、嫌な言い方だけど、お金には困ってない、というより、余ってるんだ」


 モウンの前髪が揺れて、その悲しげな瞳が僅かに覗く。その口調は自嘲と自虐に満ちていた。金銭的に余裕があることを、誇らしくは全く思ってはいないようだった。


「……ぼ、僕じゃなく、僕の家が、だけどね」


 モウンは仕草で私に席を勧め、私はそれに応じて彼の向かいに腰を下ろした。アンジェは私の隣に侍立する。


「だ、だから、お金はいらないんだ。も、貰っても、使いようがない」

「でも……」


 私は困る。お金を受け取ってもらえなかったら謝意の示しようがない。私と、そして私の大事な少女の命。それを救ってもらったことを、簡単に考えていいとは私には思えなかった。


 ――いや。

 お金以外にも、お礼の形がないわけでは、ないのだけど。

 ないのだ、けど。


 少しだけ息苦しさを感じて、私は視線を落とす。表情が強張っていくのを自覚する。

 そう、お金以外にも、ある。

 ……女である、私自身だ。

 もし彼がそれを望んできたら。

 そうしたら、私は断る資格を持たないのではないだろうか。命の恩人に対して。


 モウンの手が伸び、私の手に触れた。

 びくり、と体が勝手に反応する。だが、その手を退けることはできない。

 隣のアンジェが小さく、しかし鋭く息を吸う音が聞こえる。

 体を固め、顔を俯かせたままで、私はただ相手の言葉を待った。



「だ、大丈夫だよ、心配しなくても。き、君の心配するようなことは、ない」



「……え……?」


 顔を上げて、私はそこに、泣き笑いのような青年の表情を見た。


「ぼ、僕は、役立たずなのさ。……男性としても、ね」


 ゆっくりとその言葉の意味を飲み込み、そして急速に顔が赤くなる。私は悲鳴のような声を上げた。


「ご、ごめんなさい!」


 脳の奥底がカッと熱くなる。

 男性のそんなデリケートな話をさせてしまったことへの申し訳なさと気恥ずかしさ。

 そして、男といえばそういうものを求めてくるんじゃないかと、頭のどこかで決めつけて考えていた自分の薄っぺらさと馬鹿さ加減に、自分の頬をひっぱたきたくなった。


 問題は全く異なるけれど、性に関しての悩みがあるのは私だって同じ。だから、彼の痛みも、わかるとはもちろん言えないけれど、おもんばかることはできる。


「は、はは。いいのさ。……で、でも、そうだね。何かお礼をしたいというなら、ぼ、僕の話を、少し聞いてくれるかい」


 モウンは薄く笑って、一口酒をすすった。私はこくんと頷き、彼の顔を見る。


「ぼ、僕の家は、旧家……名家でね。な、名前は出せないけど、お貴族様さ。祖父も父も、いやその前々からずっと、武勇に優れた立派な騎士を輩出してきた武門の家柄だった」


 その声音は他人事のように遠く響き、温度が低いものだった。自分の家のことを語っているというのに。


「だ、だけど僕は、ご覧のありさまでね。う、生まれつき体は貧弱だし、剣才もない。こ、これでも結構頑張って修行はしたんだけどね。け、結局は……」


 モウンは唇を歪めた。その表情は単なる詠嘆、慨嘆というよりは、どこか怒りに似ていた。ぶつけようのない、ぶつける相手のない、空虚な怒りに。


「で、できそこない、なのさ。ろくに成長する前に、ぼ、僕はもう、家族に見放されていた。お、お金はくれるけどね。一切期待もされない、ただの飼い殺しさ。そ、それも仕方ないかな。僕は名誉ある家柄の面汚しだから」


 私は何と答えていいかわからず、痛々しい気持ちで彼を見る。

 親に愛されなかった。環境に受け入れられなかった。周囲に弾かれた。

 ……そうか、彼もか。

 事情は全く違うけれど、深いところでごく微かに、私は彼と共感できるような気がしていた。

 もちろん、私なんかより、彼の苦しみの方がよほど大きいのだろうけど。


「と、登攀者になったのは、そ、そんな息苦しい生活から逃げ出したかったからさ。そ、それに、自分の手で自分の生活を切り開く、そんな自由に憧れてもいたんだ。でも」


 モウンはもう一杯盃をあおり、トン、と高い音を立てて卓に置く。空になった盃に、アンジェが無言で静かに酒を注いだ。


「わ、笑ってくれていいけど、10年近くかかっても、僕は10階層までもいけないでうろうろしている。そ、それも、実家の金で買ったこの御立派な剣と防具のおかげでやっとというありさまさ。」


 彼は、もがいているんだ。

 淀んだ水底に落ち込み、藻に絡みつかれて喘ぐように、彼はただ生きたいと、それだけを求めている。

 心臓が動いているというだけの現象的な生ではない、実感としての生を。自分が世界に示す足跡としての生を、ただ掴みたいと。


 うつむいていたモウンは、しかし、そのとき不意に顔を上げた。勢いで髪が揺れ、目が覗く。

 その瞳は先程までとは打って変わったような精気に満ちて輝いていた。

 驚く私に、彼は声を励まして、言った。


「だ、だけど。だけど! ぼ、僕は、君を助けた! 助けたんだよ! 助けることができたんだ、ほかの人を! こ、こんな、こんなできそこないの僕でも! 誰かを助けることができた!」


 モウンはもう一度手を伸ばして、私の手を握った。力強く、感激にあふれて。


「う、嬉しかった。人の役に立てたのなんて、人を助けることができたなんて、きっと生まれて初めてだ。な、何の意味もない人生だと思っていたけれど!

こ、こんな、こんな気持ちは今まで知らなかった。君が教えてくれたんだよラツキ。君のおかげで、僕は知ることができたんだ!」


 その眼は熱気を帯び、燃え上がるようだった。モウンの胸中に渦巻く激しい感情を映し出すように。

 が、それも一瞬。はっと我に返ったように、彼は気まずげに私の手を放し、照れたように自分の髪をわしゃわしゃとかき回した。


 そんなモウンの様子を、私は微笑ましい気持ちで見守る。

 そっか。こんな形も、あるんだ。

 人に助けられることで、人を助ける、なんていう不思議な人のかかわりが。


「……は、はは。ごめん、つい興奮して。で、でも、これで分かってくれただろう? むしろ、君にお礼を言いたいのは僕のほうなのさ。僕に、初めて、人の役に立ったって感動を与えてくれたんだから。だ、だからもう、十分すぎるくらいなんだよ」


 微笑みで返して、私は頷く。

 私たちを助けるというその行為が、彼に、おそらく初めての光を与えたのか。

 なんだか面白くて、そして素敵。


「わかったわ。じゃあもう、これ以上のことは言わない。でも覚えておいてね、今後も、私に何か力が貸せることがあったら、いつだって遠慮なく言ってきてかまわないってことを」

「あ、ああ。ありがとう」


 ぎこちなく不器用な笑みをモウンも浮かべる。だが不思議な温かさが、その笑顔には漂っていた。





 モウンと話をし、仲間入りのことについても水を向けてみたが、彼は少し考え込んだ末に断わってきた。自分の力では足手まといになるし、塔の頂点に挑むほどの勇気もないよ、と彼は小さく笑ったのだった。無理強いすることでもなく、私はそれ以上何も言わなかった。


 彼に別れを告げ、客殿に帰りながら、私とアンジェは話し合う。

 こうなると、いよいよ随伴奴隷を買うと決めなければいけない感じ、かな。

 もっとも、たとえメガックさんのところへ行っても、すぐに適切な人員が見つかるわけではないのかもしれない。奴隷商の「普段の品ぞろえ」がどんなものなのか、私はよく知らないけど。


 まあ、一度顔を出して、いい人がいたら知らせてください、とだけ言っておくのも無駄にはならないだろうし。明日メガックさんのお店に……。


 と、そこまで話して、私たちの足が止まる。

 聖殿前、大泉水の前で、二人の人影がこちらに手を振っていた。

 一人はラフィーネさん、そしてもう一人、あれは……


「リアンディートさん」


 アンジェがその名を呼ぶ。緑色の髪にすらっとした姿態。かつてアンジェと同じオークションにかけられていた、森霊族の女性だ。

 そして同時に、間接的ながら、私に「あの事態」を引き起こした要因だったりもするわけだけど。


 私は自分の胸の中にそっと問いかける。

 大丈夫かな、私? と。

 ……うん、平気だ。あの時感じたような昏い淀んだ感情は、今はない。よかった。

 実際、もう一度リアンディートに出会った時にどう反応できるかは、ちょっと心配ではあったのだけどね。でも杞憂だったみたい。私の中の嵐は過ぎ去ってくれていた。今は穏やかな気持ちでいられる。


「あー、やっぱり会えましたねー、ラツキさーん」


 のーてんきな声を出して、とことことラフィーネさんが駆け寄ってくる。あとから、楚々と小走りにリアンディートが。


「訪ねたら客殿にもいなかったですし、塔への出入り記録を見たら、ラツキさん今日は入ってないみたいでしたから、この辺でたむろってれば会えるかなと思ってましたよー」

「……『ほむべきかな』」

「あっ、ほ、ほむべきかな! いと高き塔!」


 私がちょっと意地悪に機先を制して挨拶したのに、慌てて彼女も挨拶を返す。くすくすと笑って、私は言う。


「もうその挨拶、なくてもいいんじゃないですか? ラフィーネさん」

「そ、そういうわけにはいかないです! 聖務官の大事な儀礼でですね!」

「だってしょっちゅう忘れてるじゃないですか」

「うぐっ……」


 ぷるぷるしているラフィーネさんをそれ以上いじめることはせず、私は用件を尋ねた。


「で、何か御用だったんですか? 今日は奢らないですよ」

「うう……ラツキさんがいじめる……いや、ちょっと用がありまして」


 ラフィーネさんはリアンディートの方を振り返る。


「実は聖殿図書館で彼女とばったり会いましてね。ラツキさんにお話があるのだけど、居場所を知らないかとのことだったので、一緒に待っていたんです」

「リアンディートが、私に?」


 きょとんとして、私はリアンディートの長身を見つめた。彼女が、アンジェではなく、私に用がある?


「ご挨拶を申し上げます、ラツキ様。またお目にかかれて光栄の至りです」


 優雅に礼をするリアンディート。うん、この落ち着きはどこかの聖務官さんも見習うべきじゃないかな。


「ありがとう。私に用って?」

「はい、実は、先日ラフィーネ様とアンジェリカさんがお話になっていた件なのですが」

「先日?」

「ええ、お知り合いのお子さんの、聖務官になるための学問の師を探していらっしゃるとか」


 あー。ウィジィくんのことか。その話をした時はまだリアンディートが来る前だったけど、来てからアンジェたちが彼女に話をしていたような気もする。あの時の私は気持ちがごちゃごちゃしてて、ろくに話を聞いてなかったけど。


「そうなんだけど、それが?」

「実は、奥様……私の仕える主にその話をしましたところ、殊の外ご興味をお持ちになって、私が教えてあげればいいのでは、との仰せだったのです。ですので、もし私でよろしければ、魔法学と史学の基本くらいはお教えできるのではと。もちろんお金は頂きませんし」


 私は驚いて、アンジェと顔を見合わせた。彼女の瞳も驚愕と、そして喜びに輝いている。


「ご主人さま、リアンディートさんの学識は非常に優れたものです。きっとウィジィさんの助けになると思います」

 

 保証してくれたアンジェに続き、ラフィーネさんも頷く。


「聖殿法に関しては、私が試験を受けるときにまとめたものがありますから、それをお貸ししますよ。リアンディートさんほど基本知識があって頭のいい方なら、これで教えられると思います」


 なんか、なんか。意外なところで人の輪がつながっていくんだなあ、と、私はちょっとした感動を覚えていた。元日本人的な感覚で言えば、「縁」とでもいうのだろうか。

 人がいて、人がいて、それが「人々」になっていく。そんな不思議な関係性が、なんだか素敵。

 先程のモウンのこともそうだったけど。

 良くも悪くも、人はお互いに影響しあって、つながりあっているんだなあと、そんなことを私は強く感じていた。


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