塔と案内人
「レグダー男爵とか言う人のこと、知ってるの、アンジェ?」
聖殿に帰った後、私はふと思い出してアンジェに尋ねた。その名が出た時、アンジェは微かに反応していたから。
「いえ、私が直接存じ上げているわけではありません。もちろん、同じ帝国貴族としてお名前くらいは耳にしていましたが、たいそうなお金持ちだというくらいしか。ただ」
アンジェは少し遠くを見るような眼差しになり、続けた。
「ただ、もしかしたら、亡父や亡兄は男爵と個人的に多少は御縁があったのかもしれません。何度か、そのお名前を父や兄が話しているのを聞いたことがあったような気はします」
「そう。何らかの関わりはあるのかしら……でもいずれにせよ、今は動きようがないわね」
「申し訳ありません。私のせいで、ご主人さままでご面倒に巻き込んでしまったのかもしれません……」
小さな肩を落としてうつむくアンジェの頭をわしゃわしゃと撫でる。
「何言ってるの。あなたは私のもの。つまりあなたを狙うやつは私にケンカ売ってるということ。だから私が相手をして何の不思議もないのよ」
結局、襲撃事件に関してはすっきりしない形で終ってしまった。黒幕であるレグダー男爵という奴の名前までは聞き出せたものの、そいつを裁きの場に引きずり出すことはできなかった。
そいつの手先だったネズミ男とその部下たちは聖殿に引き渡され、重窃盗と共に聖務者を襲撃した罪も併合して裁かれる。極刑は免れまい、と聞いた。ネズミ男たちの行く末なんかにもう関心はないけど、安穏としている男爵とやらと比べてなんとも大きな差だ。
まあ仕方ない。いい方に考えよう。ネズミ男の残した金貨250枚は入手できて経済事情は大幅に好転した。さらにネズミ男たちを捉えたことで治安報奨金というのもちょっと貰えた。おかげで私とアンジェは今も聖殿の客殿にぬくぬくと泊っていられる。
――ただし、ちょっとした事件もあった。
「……ずいぶん、お親しい方なんですね」
客殿に入って荷物を整理していた時、アンジェがぽつりとつぶやいたのだ。
はい?
「ご主人さま、とても楽しそうにお話ししていらっしゃいました。……前にもあのお店に、行かれたことあるんですね」
いやちょっと待って。ラフィーネさんのこと?
「あ、あの、アンジェ?」
「あのお店に、あの方と、お二人で」
うつむいたアンジェの背後に何か黒い雲が見える気がする。ゴゴゴとかドドドとか言う効果音が聞こえてくる気もする。えーと。なんかまずい雰囲気なのではないでしょうか。もしかしてアンジェ、妬いてる?
「あ、あのね、アンジェ。ラフィーネさんは、お友達だから」
「お友達。素敵ですよね。私はただの奴隷ですし」
背筋に冷や汗が一気に噴き出る。もしかして私こっちの世界に来てから最大のピンチなのでは。
だが、アンジェはその時、はっと我に返ったように口を押さえた。
「あ……も、申し訳ありません! こんなことを言うつもりではありませんでした……」
風向きは変わったか。私はほっとする。
「アンジェ。あの人は私にとても良くしてくれている人なの。だからあなたにも、彼女と仲良くなってもらえると嬉しいな」
「は、はい、もちろんです。……ただ」
アンジェは胸を押さえてうつむいた。喘ぐように、言葉を紡ぐ。
「ただ、御主人さまとあの方が、楽しそうにお話ししていらっしゃるのを見たら。なんだかよくわからないのですけど、胸が苦しくなって。悲しくなって。泣きそうになってしまって。こんな気持ちは、初めてで」
アンジェの顔は。その時、本当に泣きだしそうに曇っていた。
そんな顔を見せないで。私も。私まで泣きたくなるよ。
「申し訳ありません……私、自分がこんなに心が狭いとは思っていませんでした……」
消え入りそうな声で謝るアンジェを、私は抱きしめた。私の胸もいっぱいになって、うまく言葉が出ない。
「ごめんねアンジェ。私がもっと気を使ってあげなきゃいけなかったのね」
「いいえ! 私が悪いんです! ……もうこんなことはないようにします。だから」
ひっく、と、私の胸の中でアンジェはしゃくりあげた。
「だから、嫌いにならないでください。……いやな子だって思わないで……」
お馬鹿さん。この可愛い大事なお馬鹿さん。嫌いになんてなれるわけないじゃない。
耳元でそう囁くと、私にすがりつくアンジェの手に一層力が籠った。
震える金髪をそっと撫でる。
「ね、お顔、見せて?」
アンジェは求めに応じ、おずおずと顔を上げてくれた。涙に濡れた顔を。その涙を指でぬぐって。
「……大好きよ、アンジェ」
私はそっと、吐息を重ねていった。
――で、その夜は何かもう大変なことになってしまいました。
ケンカした後は燃える、ってよく言うけどほんとね。いやケンカじゃなかったけど。
……もっとも、後になって思えば。
私たちはこの時、もっと良く、もっとお互いの心の奥深くまで、話し合っておくべきだったのかもしれなかった。せっかくの、これはいいきっかけだったのに。
もちろんそれは、ただの結果論なのだけれど。
ともあれ、色々あった夜が明ける。
今日からは、いよいよ塔に入っていく。登攀者としての第一歩だ。なんかずいぶん回り道した気もするが。
聖殿入口の大エントランスホールの正面奥、大きな扉の向こうに、塔へと続く広い通路がある。
朝イチで出てきたのだが、ホールや通路は多くの登攀者たちでこの早い時間からごった返しになっていた。これから塔へ入る者、逆に塔から帰ってきた者が二つの大きな人の波になってうごめく。
ちなみにこっちの世界では、人は左側通行らしい。人数こそ多いが、きっちりとした方向わけができており、あまり混乱はなかった。
扉の手前には、腰くらいまでの高さの水晶柱がいくつか立っており、相互の間は揺らめく光の膜で塞がれている。ここに魂魄板をかざすと光の膜が一瞬消えて、通ることができる。まあ鉄道や地下鉄の自動改札みたいな感じ。ここで登攀者のチェックをしているわけだ。
アンジェは登攀者登録をしていないが、胸の誓刻が、登攀者である私の随伴奴隷であるという身元証明になり、通行することができる仕組み。
通路はそのまま塔の中に繋がっているというわけではない。ちょっと歩いたところで屋外の広大な敷地に出る形になる。石畳が綺麗に敷かれたその敷地の奥に、塔の白亜の巨影が聳え立っているのだ。
美しい幾何学文様の彫られた、まるで昨日か今日に建立されたかのような純白の塔。それ自体が、この塔が常識を逸した存在だということを知らしめてくれる。つまり、遥か昔から立っているにも関わらず、汚れや傷が一切ないわけだ。
目の前で改めて見てみると、塔というより壁にしか思えない。視界を埋め尽くし、はるか頭上まで聳え立つ壁。ものすごい圧迫感だ。円柱としての丸みなど全く感じられないほどに、デカい。
「はあ……すごいものねえ」
「はい。私もこんなに間近で塔を見たのは初めてです。び、びっくりしますね」
アンジェと口々に言い交わしながら、塔をぼけーっと見上げる。傍から見たらアホみたいかな、とも思ったが、周囲にも結構、似た様な事をしている人たちがいる。彼らもきっと今日がデビューなんだろう。つまり私たちも初心者丸出しってことか。まあ事実だから仕方ないけど。
「で、ええと。あそこから入るのよね」
視線をさまよわせる。敷地の周辺にはぼうっと光る、いくつかの巨大な石床がある。石というよりもクリスタルのような感じかな。直径でいえば5mくらいありそうな巨大なそのクリスタルの床に、登攀者たちが足を掛けた瞬間、その姿は霞んで消えてしまう。逆に、ゆらりと空気が歪んだと思った瞬間に、実体として人影が現れる場合もあり、彼らはクリスタルを降りてこちらへ、つまり出口側へ向かってくる。塔から帰ってきた組だろう。
そう、塔に物理的な扉はなく、すべてこのような魔術的移動で出入りを行うのだ。
知識として知ってはいたが、実際に目で見てみるとやはり驚く。
「あ、あれが天移門なんですね」
魔法使いであるアンジェも驚いている、というか、魔法使いだからこそ驚いているのかも。
というのは、この世界の魔法には、転移、跳躍、瞬間移動、まあ名前は何でもいいが、空間を移動する系統の魔法はないのだ。塔に設置されている、この「天移門」を除いては。
だから私は空間転移系のEXスキルを取得できなかった。あれば絶対便利なのだが、使って見つかったら一発で私の正体がバレちゃうし。
「なんか、怖いわね。まあ皆さん使っているから大丈夫なんでしょうけど」
「えと、私は面白そうかなって思います」
……なんか、図らずも性格の差が出てしまった。ごめんねビビりで。
こほん、と咳払いし、素知らぬ顔で、いよいよ、その天移門へ向かおうとした時。
「ちと待ってくんろ。おめさんだち、初心者だんべ?」
なかなか衝撃的な言葉が聞こえてきて、思わず足が止まった。え、この世界にもそういう言葉遣いあるんだ。っていうか、まあどこの世界の言語でも訛りはあるよね。そりゃそうか。
「初心者さんだちが、いぎなり塔に入るのはあぶねえだよ。ここはひとつ、おらだちのような頼れる経験豊かな者が……が……ががが?」
振り返った私たちを見て、その素敵な言葉の主がぴしっと固まる。身長は私の胸くらいまでさえなく、一瞬子供かとも思ったが、その顔つきや体つきは立派に成人男性のものだ。髭とか生えてるし。確か、そういうちっちゃい種族がいたっけ。矮霊族、だったかな。
「何やってるだよ、ガイモン! ここは一気にたたみかけるとこだんべ!」
「だ、だ、だけんども、見ろや、ペカ。こったら美しい人たち、おらぁ初めて見た。もしかしたら女神様ではねえべか」
とことこ、と駆け寄ってきて叱咤したのも、同じような矮霊族だ。こちらは女性。どちらも砂色の髪にそばかす、丸々とした赤いほっぺに団子鼻という愛嬌のある顔つき。体つきもコロコロとしているが、なかなかしっかり鍛え上げられた筋肉を纏っていることはわかる。小柄な体躯と微笑ましい外見に惑わされて侮る者がいたら、手痛いしっぺ返しを食らうだろうな。
「馬鹿言ってねえで早く話を進めるだよ。さっきから何人お客さん逃がしてると思ってるだ」
「だ、だけんど、おら、こげな美人を前にしちまったら、舌が縮こまっちまってうまく回んねえだよ」
ビシビシ決めつけるのが女性。おどおどしてる方が男性。なんか関係性がわかりやすい二人だ。
「……それで、何か私たちに御用なのかしら」
くすくすと含み笑いながら、私は彼らに尋ねてみる。ほっとくといつまでも終わらなさそうだ。
「あー、……えっと、ですだ」
二人は顔を見合わせ、結局女性の方が切り出した。
「失礼だけんども、おめさんだち、初心者さんだんべ? 塔にいきなり入っても分からないごと多かんべ、思ってなあ。んで、良ければあたいだちが案内してあげんべと。ああ、心配しねえでけろ、ほれ、この通り正式な登攀者ですだよ」
女性は懐から魂魄板を取り出した。遅れて、慌てて男性の方もそれに倣う。聖殿の紋章がしっかりと浮き出ており、身元は確かなようだ。
「案内ね。でも、一階層はそんなに危険ではないと聞いたけれど?」
ちょっと意地悪に問う私に、男性の方があたふたと答える。
「い、いや、それでも、ちいっとしたことが命取りになるですだよ! 塔を甘く見ちゃあなんねえよ!」
なんか一生懸命だ。私はちらとアンジェを見る。彼女も困ったような笑みを浮かべているが、特に断りたいというわけでもないようだ。まあ事実、私もアンジェも初心者で、塔の中のことなど何も知らないのは確かなのだから、案内をしてくれるならくれるで困りはしないのだが。
「で、とてもお優しいことに、あなたたちが初心者の私たちを案内してくれる……完全な、好意で?」
うっ、と矮霊族の二人は言葉に詰まる。恐る恐る上目遣いに、男性が口を開く。
「あー……まあその、一階層の中央天移門まではだいたい一日半から二日くらいかかりますだ。そこまでご案内して、そのう……ぎ、銀貨……一枚でどうだべえか?」
笑いたくなるのを頑張ってこらえる。労働に対する正当な対価の要求なんだから、そんなにおどおどと言い出さなくてもいいのに。いい意味で馬鹿正直というか、素朴なんだな、この人たち。好感は持てるけれど。
「二日で銀貨一枚。結構お高いのね」
「い、いや! んだば、銅貨9枚! いや8枚でどうだべか!」
「8枚ねえ」
それでも容赦なく値切る私。別に銀貨一枚がほんとうに相場として高いかどうかは知らない。適当にカマ掛けただけなんだけど。
「ううっ……7……いや6……ご、5枚でどうだべか……」
いやそこまで一気に落とさなくても。もっと自信持って交渉しようよ。
「わかったわ、じゃあ銅貨5枚。それで案内をお願いできるのね?」
ぱあっと顔を明るくする矮霊族の二人。いやあの、半額に値切っておいてそんな顔されたらちょっと良心が痛むんですが。
「あ、ありがとうごぜえますだ! ありがとうごぜえます!」
なんかアンジェが物言いたげな視線を投げてくる。や、やっぱ値切りすぎたのかな……。
「だば、さっそく行きますべえ! おら、ガイモン言いますだ。こっちのキーキーうるせえのがペカ。どうぞよろしゅうおねげえいたします」
「ガイモン! 誰がキーキーうるせえってや!」
「それ、そういうとこだんべ!」
「私はラツキ、こっちの子がアンジェリカ……って聞こえてるのかしら」
――まあ、なんだ。少なくとも、退屈はしなさそうね、塔の中。
「天移門の上に乗っかると、頭ん中さ、どこ行きてえかっつう感じの、なんつうかこう……声みてえのが聞こえるですだよ」
「んで、それに応えるとその場所さ移動できるですだ。ただ、どこさも行けるつうわけではねえです」
天移門に足を掛ける前に、ガイモンとペカが口々に教えてくれる。
この敷地内にある天移門から転移できるのは、一階層と、一度行ったことのある階層のみ。そして塔の内部にもまた天移門があり、そこからはこの敷地に帰ってくるか、あるいは一階層上に転移するかが選択できるという。
おそらく例の魂魄波動とかいう代物を天移門は個々に記録しており、それによって個体識別が為されているのだろう。
「んでは行きますだよ」
ペカの声と共に、私たちは一斉に天移門に乗る。同時に、言われたように脳裏に言葉、というより概念伝達とでも言うようなものがよぎる。一階層、と念じた途端、青白い光が私たちの身体を包みこんだ。いや、その光そのものに身体が溶け込んで行き、煌めく輝きと一体になったような異様な感覚。
だがそれも刹那のこと、気がついたときには、再び、私たちは元通りの姿となって、天移門の上に立っていた。
「え? あら?」
一瞬、転移が失敗したのかと惑う。足元の天移門の外見自体は同じだったし、それに何よりも、目の前に自然が……草地が広がっていたからだ。
だが、転移前の敷地は草地ではなく、石畳が敷かれていたはず。それに気付き、周囲を見渡す。
背後には巨大な白い壁。そして、上空、数十mほどの高度には、『天井』があった。
つまり、ここが。
『神々の塔』の内部だったのだ。
「びっくりしたんべ?」
ペカが面白そうに言う。
「あたいだちも、『塔』だなんていうもんだがら、てっきり、中はなんか部屋みたいなものなんかなあ、と思ってたですだよ。したら、これだもんねえ」
確かに、これは想定外だった。眼前に広がるのは緑なす丘陵と風そよぐ平原。見渡す限りに広がる景色の中には、そこここに青々とした茂みや小さな林などがあり、せせらぐ小川さえ流れている。背後にそびえる壁と、頭上の天井さえなければ、どう見ても戸外だ。
塔内部を照らす光は天井全体から放たれ、その光さえ人工光には思えない柔らかで温かみのある色合い。
「こ、これは、魔法なんでしょうか。どんな術式を構築しているのか、想像もつきません」
アンジェも興奮でか声が震えている。天移門を見た時もだったが、アンジェ自身が魔法使いだからこその驚嘆があるのだろう。
「外から入ってくる天移門はここだげでねく、そっちゃこっちゃにあるですだ」
ペカが小さな身体をつま先立ちさせて、少し遠くを指差す。そちらの方向を見てみると、かなり遠くにだったが、薄ぼんやりと立ち上る青い光が見えた。と、その光の中から人影が現れる。あちらの天移門からも、今他の登攀者が入ってきたということか。
「こっからまた外へ出ることもできますだ。ただ、二階層へ登る天移門は、この塔の中心にしかねえですだよ。そこまでたどり着いたら、一階層踏破っちゅうことですだ」
「上の方の階層になると、もっと多くの天移門があるっちゅう話ですだがね」
中継点が多くなるということか。確かに、一階層あたりで必要な二日分くらいの宿泊用品を持ち歩くだけでも結構大変だ。ましてや、難易度が高くなる上階層は、踏破するのに要する時間は二日どころの話ではないだろう。その分のお泊りセットをすべて持ち歩いてなどいられない。小刻みに中継点を挟んで少しずつ進んで行けるわけか。
しかしそれは便利ではあるが、便利すぎる。つまり良く出来すぎている。わざとらしいくらいに。
まあ、この塔自体が人工物なのは間違いないし、天移門なんてものがあるくらいだから、登攀が可能なように最初から作られているのも確かだけどね。誰が何のために作って、登攀者を登らせて何をしたいのか。それを確かめるためには、やっぱり登らないといけないわけではある。
「上の階層もこういった丘陵なのでしょうか」
アンジェがガイモンとペカに聞いている。少し腰をかがめ、視線を相手に合わせて会話してるあたり、アンジェの細かな気遣いがうかがえて微笑ましい。
「いんや、二階層は石ころだらけの荒野。三階層は沼と川の地形で、四階層はでけえ森とか、いろいろですだよ。回り全部が石壁になってる、建物の中みてえな階層もありますだ」
「ガイモン。ここは元々建物の中なんだがら、「建物の中みてえな」ちゅう言い方は変だっぺ」
「そ、そういうのを、揚げた足をとっ繰り返すとか何とか言うんだべ! いちいちまぜっかえすでねえだよ!」
相変わらず賑やかなことだ。まあ多分、ケンカするほど仲がいい系なんだろうな。
「さ、それはともかく、出発しましょう。案内、よろしくね」
「ん。んだな。行きますべえ」
ガイモンたちを促して歩きだす。サクサクとした下草の踏みごこちが素敵。頬を撫でる風も爽やかで、なんかハイキングにでも来たような感覚になる。
「あっちの方に」
と、ガイモンが空……いや、天井の一角を指差す。感覚的には太陽ほどの大きさに見える、やや強い光の球がぼうっと浮かんでいる。
「でけえ光が見えますべえ。あれを方向の目安にするですだ。あの光の真下に天移門がごぜえます」
「なるほどね。じゃあこっちの方向……」
小さな丘を登ろうとして、しかし私はペカに止められた。
「ちっと待ってくだせえまし。今、丘の上の方には3人の登攀者がおりますだよ」
視線を上に向けると、確かにペカの言う通り、3人組の登攀者たちの姿がやや遠くに見える。
「あたいだちは4人。あの3人に近づくと7人に間違われてしまいかねねえですだ。ちいと距離を離すか、時間を置いて行きますべえ」
「ああ、そういえば、聞いたことがあります。6人を超える人数が同行してはいけないんでしたっけ」
アンジェが頷く。むう知っているのかアンジェ。私もさりげなく『ソーシャル・リサーチ』を起動して調べてみる。
昔、ある王が塔の頂点を極めるべく、配下の騎士100人ばかりを選りすぐり、登攀者にして一斉に塔に送りこんだことがあったらしい。だが、結果は惨憺たるものだった。なんとその精鋭たちは一階層で全滅したのだ。この、のどかとさえ言える一階層で。
やや離れたところから、震えつつその光景を見ていた他の登攀者たちの言によると、本来なら一階層などでは決して現れることのないはずの巨大で狂猛なモンスター……いや、「守護獣」が数十体も突如現れたのだという。その守護獣たちは、騎士たちを無慈悲に蹂躙し殺戮しきった後、付近の一般登攀者たちにはかすり傷一つ負わせることなく消えたのだと伝えられる。
6人までという定数を超過したものの末路、として、広く人口に膾炙している言い伝えのようだ。
「……なのだそうですね」
「おっそろしい話だべなあ」「んだなや」
アンジェとガイモンたちも、今ちょうどその同じ話をしていた。しかし、ここにもまた作為的な調整の匂いがぷんぷんするなあ。塔に登るための便宜は図るけど、簡単にはクリアさせないよってことか。ほんと胡散臭い。何がしたいのよ塔。
アンジェたちも同じような感覚を抱いたようだが、しかしそれに対しての感想は私とは異なっていた。
「こういったお話を聞くと、やはり神々の塔は人に対する試練の場だという考えは正しいのでしょうね」
「んだなあ。こう、身体と技と心を鍛え上げて、一歩ずつ前さ向かってぐものだけが栄光を掴めるちゅうことだ。素晴らしいことですだよ」
素晴らしいのか。うーん。同じものを見聞きして、同じような事を感じても、私はそれを胡散臭いと受け取るし、他の人は素晴らしいと思うのだなあ。私が捻くれて物を考え過ぎなんだろうか。
感慨にふけりながら丘陵を登り、進んで行くと、不意に傍らの繁みがガサガサと音を立てた。
おや、と思う間もなく、ガイモンとペカが背嚢を振り棄てて前に走り出る。
「気ぃつけなんせ、守護獣ですだよ」
「まずはおらたちに任せるだ」
ガイモンは二丁の板斧を抜き放ち、ペカは短弓を手に取る。私とアンジェも背嚢を落として身軽になり、油断なく身構えた。
草むらを突き破り、高く跳躍しつつ飛び出てきたそれは、一匹の、――猫。
……猫?
へ? と間抜けな顔をしている私とは対照的に、ガイモンとペカはその猫に向かって武器を振り回しつつ、突っ走る。
毛並みは純白で、目が宝石のように赤く煌めいている美しい猫だ。だがその猫は、一声高く吠えると、背から巨大な翼を現出させた。怪鳥のように羽ばたいて、白猫は宙を駆け、反転してガイモンたちに襲いかかる。明確な殺意のこもる脚先の鋭利な爪は禍々しい光を放ち、まさしく凶器以外の何物でもない。
これが、守護獣か。
「おおりゃ!」
ガイモンは丸々とした外見に似合わぬ素早さで板斧を操り、襲い来る守護獣の爪を捌いていく。唸る刃と爪が火花を散らし、風を軋ませ、空気を歪ませた。
その背後から、ペカが続けざまに矢を放つ。手並み鮮やかな四連射。守護獣はその三本までをかわしたが、一本が後ろ脚に深々と突き刺さった。
「シャアアア!」
守護獣はひときわ高く吠え、一瞬怯む。その刹那、ガイモンの振るった板斧が守護獣の翼を叩き斬った。
「キィィィ!」
守護獣は苦悶の叫びを上げ、大地に落ちてもがく。そこへ再びペカの矢が降り注ぎ、白い毛皮を刺し貫いた。守護獣は大きく痙攣すると、それを末期としてそのまま動きを停止した。
と、白い光が守護獣の内側から漏れ出るように滲み、その身体を包む。その光が大きく輝いたと思うと、次の瞬間、何事もなかったかのように、光も、そして守護獣の身体も消え失せていた。
「聖遺物はねえだか。まあ一階層だで、しゃあねえなあ」
ペカが少し残念そうに言う。
聖遺物とは、守護獣を倒した際に遺す可能性のある残留物だ。そのほとんどが、『塔』外の一般的技術では再現不可能な高度な魔法工芸品や、作成も採取も不可能な魔法素材などであり、高い需要がある。例えば魂魄板も、聖遺物を使って作られていることなどが挙げられよう。登攀者はこれを回収し、聖殿に奉納することで引き換えに金銭を得、生活の糧としているのだ。ただし低階層の守護獣からは聖遺物はあまり発見されない。
……と、その程度はざっと予習はしてある。基本的にはそのシステムに乗っかって生きていかないといけないわけだしね。
「まあなんだ、これがとりあえずは守護獣との戦ちゅうわけですだ」
ガイモンは板斧を収めながら、やや得意げな顔で振り返った。実際、なかなか手際いい戦い方であったのは確かだ。
「初心者さんが、いきなりおらだちと同じように戦うわけにはいかねえかもしれねえですが、まあ地道に努力してですだね……」
「ご主人さま、右前方斜め奥、一体」
「諒解」
得々と続けるガイモンの言葉を遮ってアンジェが鋭い声を飛ばし、私はそれと同時に、弾かれたように走りだしていた。
ポカンとするガイモンを傍らに置き去りにして走り抜け、陽炎と不知火を抜き放つ。繁みの奥には、跳躍に移ろうとしていたもう一体の守護獣。それは不意を突こうとして逆に先手を取られたことに気づく間さえなく、陽炎の一閃で光と消えた。
「さすがね、アンジェ」
「いいえ、ご主人さまこそ素晴らしいです」
にっこりと微笑み交わす私とアンジェ。
アンジェは、最初の守護獣が現れた時、間髪いれずに魔法を使っていた。戦闘に参加するための術ではない。風を呼び、周囲にそよがせて張り巡らし、その動きで他者の存在を感知する、索敵のための風魔法――『風の娘よ、その手で触れよ』。
昨日のネズミ男一味との戦いでもそうだったが、アンジェは広い視野で、今どういった魔法を行使するのが最も戦局全体に効果的かを判断できる能力が高いようだ。単純な火力押しというわけではない、こういった資質こそ魔法使いに必要なものなんだろうな。良かった、魔法使いにならなくて。私馬鹿だから絶対無理だったよ。
ふと地面を見ると、キラキラと輝く小さな石が転がっている。拾い上げると、赤い地の中央に白い綺麗な縞模様が入った宝石だ。
「せ、聖遺物ですだよ! 一階層で拾えるなんて! い、いやその前に、今の動きちゅうか剣捌きちゅうか、ああもうどこから驚いてええか、わかんねえですだ!」
ガイモンとペカがただでさえ丸い目をさらに丸くして息を飲んでいる。いや、アンジェも長い睫毛をぱちくりと瞬かせていた。そういえば私、EXスキル『インクリーズ・プロバビリティ』つまりドロップ確率上昇の能力を付けてたっけ。
低階層で聖遺物が現れることは稀だという。だとすると、私はあまり守護獣を倒さない方がいいのか。ほいほい聖遺物が拾えてしまったら不審に思われるかも。必要かつ便利なスキルなのに使用がめんどくさいって厄介だなあ。
なるべく早く上階層に行って、聖遺物が頻繁に拾えてもおかしくない状況を作るべきだろうか。でも、あまりに早いペースで上階層に進んでも、やはり不審に思われそうな……あー、頭グルグルしてきた。
しかし、今はとりあえず、この状況に説明を付けることだ。
えーと。
えーと。
「――わ、私、運いいのよ」
……うわ雑っ。
でもそうとしか言いようがないよね。




